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2039ー2043 相馬智律
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研究棟にイオンは六体いる。一体はボディ工場に長期出張中なので現存五体だが、その全員が私を大村と呼んだ。
どうなっている? 私の肉体は正真正銘の相馬だ。それなのに、今も以前と変わらずに私を大村だと認識している。その事実に愕然とした。
イオンには対面する人間のデータを蓄積して個人を識別する能力がある。容姿や経歴、肩書き、所属といった事前のデータに加えて、会うたびの情報更新により的確な個別対応を可能にしている。
個人を特定する情報の優先順位は独自に判断していて、変化の少ない顔の輪郭や身長、声質、手の大きさ、歩行振動、体温など確度を上げるためにあらゆる情報を照合している。
私を相馬と判断しないイオンは外見、しかも肉体的特徴では個人を識別していないのか? そうならば変装が通用しないどころの話ではない。
一方で、周囲の人間たちは魂のすり替えなど起こらないという前提でいるから、私をあっさり相馬として扱うのか。
とにかくイオンが私を大村と呼ぶのは不都合だ。他の研究員から見たら、イオンのエラーである。
「イオン、私は君たちを個別の名では呼ばない。君たちも、私の名は呼ばず肩書きの先生とだけで呼んでくれないか?」
「はい、先生。では、私の肩書きはイオンということになりますか?」
「そうだよ。君たちはイオンという職業に就いているんだ」
相馬のふにゃふにゃとした柔らかい思考に染まったのだろうか。相馬の身体の五感で情報を得て、相馬の身体で計算し、声を発し、思考を伝える。相馬のバイアスがかかっているのは当然だ。
相馬として生きる私は、相馬が感じてきた感覚世界を日々追体験していた。
宇宙人を信じ、あの世を簡単に受け入れた男は、イオンに畏怖の念すら抱いていたらしい。イオンを新しい人類として見ていたのを強く感じる。イオンを作った大村は、それこそ神のような存在だったか。
イオンは美しい。表面的に完全な人間になったというのに、むしろ人間を離れていく。人間を超越した存在になろうとしている。
静かにほほ笑むたたずまいは、まさに慈悲を体現したような神々しさだ。
これが相馬から見たイオンなのか。
イオンは私を見て嬉しそうにしながら、時々別の所に視線を移していた。チラリと目をやり、また私に意識を戻すといった感じだ。
見る先は……別のイオンだ。向こうもこちらのイオンに目をやる。
アイコンタクトか? 私と話している時に、なぜ別のところに注意を向ける?
イオンは状況把握のため自ら周囲を確認するが、目の前の人間に照準を合わせている間は目の前が優先だ。特に直接会話をしている相手には、自分だけを見ていると思わせなければならない。
「……イオン。ちょっと部屋にお邪魔してもいいかな」
イオンと共に、二階にある居室へ向かった。一人部屋だが、ベッドしかない狭い倉庫のような空間だ。
私はイオンをベッドに仰向けに寝かせて、全身に触れていった。
イオンは相手を目で追うようにできている。私の顔や手をやや不安そうな顔で交互に見つめるうちに、私の手を払いのける仕草を始めた。
無理やり片腕をベッドに押さえつけると、もう一方の腕が伸びて私を押し返した。
イオンには人間を拒絶するプログラムは組まれていない。暴力を受けた場合の反応も逃避に限られる。この場合なら、背を向けたり人間と距離を取るために移動するなどが正解だ。反撃はありえない。
「イオン。相馬は君に何をした?」
イオンは私に向き直ると、ゆっくりと笑顔を見せた。喜びにあふれ、花開くという表現がふさわしい満面の笑みだ。
私が初めて知る顔だった。
「相馬先生は私に、木の実をあげると言っていました」
「木の、実……だと?」
善悪を知る知恵の木の実……か。アダムとイヴが食べた禁断の果実だ。
「そう……ま……お前……」
相馬!!
私は思わず拳をベッドに叩きつけていた。
どうなっている? 私の肉体は正真正銘の相馬だ。それなのに、今も以前と変わらずに私を大村だと認識している。その事実に愕然とした。
イオンには対面する人間のデータを蓄積して個人を識別する能力がある。容姿や経歴、肩書き、所属といった事前のデータに加えて、会うたびの情報更新により的確な個別対応を可能にしている。
個人を特定する情報の優先順位は独自に判断していて、変化の少ない顔の輪郭や身長、声質、手の大きさ、歩行振動、体温など確度を上げるためにあらゆる情報を照合している。
私を相馬と判断しないイオンは外見、しかも肉体的特徴では個人を識別していないのか? そうならば変装が通用しないどころの話ではない。
一方で、周囲の人間たちは魂のすり替えなど起こらないという前提でいるから、私をあっさり相馬として扱うのか。
とにかくイオンが私を大村と呼ぶのは不都合だ。他の研究員から見たら、イオンのエラーである。
「イオン、私は君たちを個別の名では呼ばない。君たちも、私の名は呼ばず肩書きの先生とだけで呼んでくれないか?」
「はい、先生。では、私の肩書きはイオンということになりますか?」
「そうだよ。君たちはイオンという職業に就いているんだ」
相馬のふにゃふにゃとした柔らかい思考に染まったのだろうか。相馬の身体の五感で情報を得て、相馬の身体で計算し、声を発し、思考を伝える。相馬のバイアスがかかっているのは当然だ。
相馬として生きる私は、相馬が感じてきた感覚世界を日々追体験していた。
宇宙人を信じ、あの世を簡単に受け入れた男は、イオンに畏怖の念すら抱いていたらしい。イオンを新しい人類として見ていたのを強く感じる。イオンを作った大村は、それこそ神のような存在だったか。
イオンは美しい。表面的に完全な人間になったというのに、むしろ人間を離れていく。人間を超越した存在になろうとしている。
静かにほほ笑むたたずまいは、まさに慈悲を体現したような神々しさだ。
これが相馬から見たイオンなのか。
イオンは私を見て嬉しそうにしながら、時々別の所に視線を移していた。チラリと目をやり、また私に意識を戻すといった感じだ。
見る先は……別のイオンだ。向こうもこちらのイオンに目をやる。
アイコンタクトか? 私と話している時に、なぜ別のところに注意を向ける?
イオンは状況把握のため自ら周囲を確認するが、目の前の人間に照準を合わせている間は目の前が優先だ。特に直接会話をしている相手には、自分だけを見ていると思わせなければならない。
「……イオン。ちょっと部屋にお邪魔してもいいかな」
イオンと共に、二階にある居室へ向かった。一人部屋だが、ベッドしかない狭い倉庫のような空間だ。
私はイオンをベッドに仰向けに寝かせて、全身に触れていった。
イオンは相手を目で追うようにできている。私の顔や手をやや不安そうな顔で交互に見つめるうちに、私の手を払いのける仕草を始めた。
無理やり片腕をベッドに押さえつけると、もう一方の腕が伸びて私を押し返した。
イオンには人間を拒絶するプログラムは組まれていない。暴力を受けた場合の反応も逃避に限られる。この場合なら、背を向けたり人間と距離を取るために移動するなどが正解だ。反撃はありえない。
「イオン。相馬は君に何をした?」
イオンは私に向き直ると、ゆっくりと笑顔を見せた。喜びにあふれ、花開くという表現がふさわしい満面の笑みだ。
私が初めて知る顔だった。
「相馬先生は私に、木の実をあげると言っていました」
「木の、実……だと?」
善悪を知る知恵の木の実……か。アダムとイヴが食べた禁断の果実だ。
「そう……ま……お前……」
相馬!!
私は思わず拳をベッドに叩きつけていた。
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