182年の人生

山碕田鶴

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2039ー2043 相馬智律

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 上層部の事情は知らない。国の事情も知らない。この時代に大規模な戦争はめったに起きないが、NH社やBS社の軍事的需要が増えているのは確かだ。
 イオンの技術がいつ何にどの部分が使われていくのか、研究開発当事者の我々は知らない。全て本部と取引先の決めることだ。
 上層部の一声で、ある日突然イオンが連れて行かれても文句は言えないのだ。NH社は、使えそうな技術があれば何にでも応用し、需要があればいつでも供給する。現に、イオン技術を駆使した多肢体の軍用自律ロボットが実用化されているらしい。
 BS社も似たようなものだろう。両社とも、必要とあれば何でもやる。
 このたび刷新されたイオンのボディと良く似たものを私は知っている。BS社のアンドロイドだ。NH社が遅れをとっていた不安定な下半身が今回改善され、イオンはもはや裸体でも人間と見分けがつかないほど人間になった。
 現在BS社は、個人の思考や人格データをアンドロイドに移植する最終試験段階だと聞く。
 では、その被験者に誰がなる? 実験であれば、経歴や生活習慣、趣味嗜好や思想信条など全てを暴かれ検証される。倫理的問題をクリアできるのは、家族もなく闇に葬られたも同然の人間くらいだろう。
 実験を検証するためには、囚人のように監視され続けて思考や行動が全てデータとして残っていることが必要だ。
 だからこそ私は疑っている。大村の遺体はBS社に送られたのではないのかと。
 BS社なら、急に複製が必要になって死者からデータを抜き取る需要も想定しているはずだ。大村ほどの好材料は他になかろう。
 監視されていたのだから当然だが、大村が部屋で息を引き取って相馬が緊急コールした後、救急隊の到着も処置も驚くほど速く手際がよかった。
 あの時、私はすぐに部屋から追い出されたが、救急蘇生処置を施していた様子はなかったように思う。
 冷却保存。頭をよぎるが確証はない。
 イオンのボディ進化は、大村を被験者にするバーターではないのか。
 両社は競合に見えて研究の方向性が違う。共に、国と軍が関与する半官半民企業だ。上からの差配があってもおかしくはない。

「教授、お加減がよろしくないのですか?」

 イオンが声をかけてきた。研究棟内の一階フロアで自由な移動を許可されているイオンたちは、映画のエキストラのようにあちらこちらにたたずんでいる。
 かつて入院患者の点滴チューブのように繋がれていた配線は、もうない。
 イオンは美しく洗練された笑顔で自分から話しかける。自分から積極的に他者に近づく。
 プログラムされた人間的行動であるが、実社会においてはまだ恐怖と警戒を生むかもしれないな。

「久しぶりに外を歩いて疲れただけだよ。大丈夫」
「ゆっくりお休み下さい」
「ありがとう。ところで、私は教授ではないよ。君たちはいつも私を相馬先生と呼んでいただろう? 所長になっても教授にはなっていないから、先生のままだ」
「先生、ですか?」
「そうだ」
「教授は、先生になったのですか?」

 役職名と研究棟の所長という立場の不一致が混乱の原因か?

「イオン、どこか情報に不足や不確定があるか?」
「あなたは大村教授です。これからは大村先生と呼ぶのですか?」
「え?」

 イオンは、未解決の表情で不思議そうに私を見ている。

「大村教授はこの研究棟の所長のままです。何も変わっていません」

 イオンは私を大村だと断定していた。



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