119 / 200
2039ー2043 相馬智律
59ー(3/3)
しおりを挟む
「リツ、少し訊いてもいいか? 君はカイとずっと一緒にいたのか?」
「はい。僕の記憶では、偶然カイと知り合って……カイは何かの組織に追われていて、僕も巻き込まれる形でずっと一緒にいました。カイのアパートに連れて行かれたり、ホテルみたいな所にしばらくいたり。でも、追われているのは嘘だったと思います。ああ、違うか。カイは自分が狙われているとか、危険だとかは言っていなかった。ただ、遠くからずっと監視している人がいたんです。きっと、BS社とかの関係者ですよね。今考えると、僕がちゃんと浅井律になっているのか試していた気がします」
カイはリツをBS社の外に出していたのか。
あれも人間として生きねばならなかったのだから、普段の生活があって当然ではある。想像すらつかないが。
「君は笠原のことをなぜカイと呼ぶ?」
「え? カイが自分でそう名乗ったから……。あの人のまわりには黒スーツの怖そうな人がいて、移動は運転手つきの黒塗りの車で、ホテルに泊まると最上階のやたらと大きな部屋で、でもボロアパートに住んでいて、なんだかヤバイ系の人っぽかったから笠原というのは偽名で、カイもどうせコードネームみたいなものかと思っていたんですけど」
確かにあれ以上ヤバイのはいない。
「相馬さんもカイって呼びますよね? 前からの知り合い……なんですか」
遠慮がちに訊くリツは、別段私に興味関心があるわけではないだろう。カイには何も訊けずじまいだったか。
「まあ、な。カイは君のことをどう扱っていた?」
一瞬とまどうリツの表情が硬くなった。
「……愛玩動物」
「は?」
「なんだか拾ってきた猫みたいな感じでした。カイは全てを悟って全てをあきらめているような人で、いつも素っ気なかったです。成り行きで仕方なくめんどうを見てくれているのだろうなって思っていました。全然対等な関係ではなくて……気まぐれに優しくしてかわいがって、世話をして自分が満足する、みたいな。すぐベタベタしてくるし、あの人の距離感はおかしかったと思います」
「ベタベタ? カイが?」
想像がつかない。
売店でただ一度見た笠原を思い浮かべる。神経質で気難しそうな細身の男だった。
ますます想像できない。
魂をさらうような強い視線を思い出して全身が粟立った。笠原が触れた肩が勝手に熱を帯び始める。
あの肉体の内に、死神は潜んでいたのだ。
お前、やはり寂しさを感じていたのではないか。リツはお前を満たしたか?
嫉妬にも似た感情が湧き上がる。
私はリツをさらに抱き寄せた。
リツは人間ではないから、肉の臭いがしないのだろうか。人間と同じようなこの皮膚の下に隠されたゴムや金属や油が、カイを安心させるのか。
カイの言う肉の臭いとは、どのようなものなのだろう。私が秋山として生きた頃に肉を受けつけなかった、あの感覚であろうか。
初めから人間として生まれた私にわかるはずもない。
「私には肉の臭いがするか?」
唐突にバカなことを訊いた。
すまないと謝る私にリツは答えた。
「カイは、僕に肉の臭いがしないと言ったことがありました。肉の臭いって何ですか?」
「……そうか。肉の臭いとは人間の臭いだろう。人間の、肉体の臭いだ。臭いがしないというのは、君がカイに特別愛された存在だという意味だよ」
私を追って延々とこの世に縛られる死神。お前がリツで癒されるのなら、私は安心してお前を拒み続けることができるな。
「リツ、君は今寂しいか? 悲しいか?」
「わかりません。僕は自分が人間だと意識することもなく人間だったのに、本当は機械だったという事実にショックを受けました。これは機械だからがっかりしたのではなく、所属や分類が違ったという驚きによるものです。知っても知らなくても事実は変わらない。カイが死んだことも変わらない事実です。いずれ気持ちは落ち着きます。落ち着かない状態を悲しいと言うなら、今は悲しいです」
「カイに対する愛情はないのか?」
ちらりと私を見たリツは、やっと少し笑った。自嘲に近い、寂しそうな笑い方だった。
「愛情? 僕はよくわからないままカイに頼るしかない状況に置かれていた。僕の記憶は作り物で、どこからが今の自分がしたことなのかもわからない。僕の気持ちだってプログラムかもしれない。僕が愛情だと言っても、それは本当に僕自身の気持ちだといえますか?」
リツは責めるような目で私を見た。
「それに……あの人、いつも僕を見ながら絶対に別の誰かのことを考えていましたよ。今、やっと理解できた気がします」
別の誰か、か。リツはずっと不安だったか。
「君とカイは一緒に過ごすことができる穏やかな関係だが、私とカイは違うよ。絶対に共存できない。あれは私を消し去ることしか考えていない。だから、私が生き続ける限りカイは私を思い続ける。それだけだ」
いくらでも強く望めばいい。永遠に思い続ければいい。
それが私の生きている証なのだ。
私は苦笑しながらリツに背を向け、部屋を訪ねて来た本部役員の対応をした。
「はい。僕の記憶では、偶然カイと知り合って……カイは何かの組織に追われていて、僕も巻き込まれる形でずっと一緒にいました。カイのアパートに連れて行かれたり、ホテルみたいな所にしばらくいたり。でも、追われているのは嘘だったと思います。ああ、違うか。カイは自分が狙われているとか、危険だとかは言っていなかった。ただ、遠くからずっと監視している人がいたんです。きっと、BS社とかの関係者ですよね。今考えると、僕がちゃんと浅井律になっているのか試していた気がします」
カイはリツをBS社の外に出していたのか。
あれも人間として生きねばならなかったのだから、普段の生活があって当然ではある。想像すらつかないが。
「君は笠原のことをなぜカイと呼ぶ?」
「え? カイが自分でそう名乗ったから……。あの人のまわりには黒スーツの怖そうな人がいて、移動は運転手つきの黒塗りの車で、ホテルに泊まると最上階のやたらと大きな部屋で、でもボロアパートに住んでいて、なんだかヤバイ系の人っぽかったから笠原というのは偽名で、カイもどうせコードネームみたいなものかと思っていたんですけど」
確かにあれ以上ヤバイのはいない。
「相馬さんもカイって呼びますよね? 前からの知り合い……なんですか」
遠慮がちに訊くリツは、別段私に興味関心があるわけではないだろう。カイには何も訊けずじまいだったか。
「まあ、な。カイは君のことをどう扱っていた?」
一瞬とまどうリツの表情が硬くなった。
「……愛玩動物」
「は?」
「なんだか拾ってきた猫みたいな感じでした。カイは全てを悟って全てをあきらめているような人で、いつも素っ気なかったです。成り行きで仕方なくめんどうを見てくれているのだろうなって思っていました。全然対等な関係ではなくて……気まぐれに優しくしてかわいがって、世話をして自分が満足する、みたいな。すぐベタベタしてくるし、あの人の距離感はおかしかったと思います」
「ベタベタ? カイが?」
想像がつかない。
売店でただ一度見た笠原を思い浮かべる。神経質で気難しそうな細身の男だった。
ますます想像できない。
魂をさらうような強い視線を思い出して全身が粟立った。笠原が触れた肩が勝手に熱を帯び始める。
あの肉体の内に、死神は潜んでいたのだ。
お前、やはり寂しさを感じていたのではないか。リツはお前を満たしたか?
嫉妬にも似た感情が湧き上がる。
私はリツをさらに抱き寄せた。
リツは人間ではないから、肉の臭いがしないのだろうか。人間と同じようなこの皮膚の下に隠されたゴムや金属や油が、カイを安心させるのか。
カイの言う肉の臭いとは、どのようなものなのだろう。私が秋山として生きた頃に肉を受けつけなかった、あの感覚であろうか。
初めから人間として生まれた私にわかるはずもない。
「私には肉の臭いがするか?」
唐突にバカなことを訊いた。
すまないと謝る私にリツは答えた。
「カイは、僕に肉の臭いがしないと言ったことがありました。肉の臭いって何ですか?」
「……そうか。肉の臭いとは人間の臭いだろう。人間の、肉体の臭いだ。臭いがしないというのは、君がカイに特別愛された存在だという意味だよ」
私を追って延々とこの世に縛られる死神。お前がリツで癒されるのなら、私は安心してお前を拒み続けることができるな。
「リツ、君は今寂しいか? 悲しいか?」
「わかりません。僕は自分が人間だと意識することもなく人間だったのに、本当は機械だったという事実にショックを受けました。これは機械だからがっかりしたのではなく、所属や分類が違ったという驚きによるものです。知っても知らなくても事実は変わらない。カイが死んだことも変わらない事実です。いずれ気持ちは落ち着きます。落ち着かない状態を悲しいと言うなら、今は悲しいです」
「カイに対する愛情はないのか?」
ちらりと私を見たリツは、やっと少し笑った。自嘲に近い、寂しそうな笑い方だった。
「愛情? 僕はよくわからないままカイに頼るしかない状況に置かれていた。僕の記憶は作り物で、どこからが今の自分がしたことなのかもわからない。僕の気持ちだってプログラムかもしれない。僕が愛情だと言っても、それは本当に僕自身の気持ちだといえますか?」
リツは責めるような目で私を見た。
「それに……あの人、いつも僕を見ながら絶対に別の誰かのことを考えていましたよ。今、やっと理解できた気がします」
別の誰か、か。リツはずっと不安だったか。
「君とカイは一緒に過ごすことができる穏やかな関係だが、私とカイは違うよ。絶対に共存できない。あれは私を消し去ることしか考えていない。だから、私が生き続ける限りカイは私を思い続ける。それだけだ」
いくらでも強く望めばいい。永遠に思い続ければいい。
それが私の生きている証なのだ。
私は苦笑しながらリツに背を向け、部屋を訪ねて来た本部役員の対応をした。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎
山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。
(表紙絵/山碕田鶴)
神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた
黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。
そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。
「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」
前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。
二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。
辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
アララギ兄妹の現代怪異事件簿
鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」
2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。
日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。
『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。
直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。
彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。
どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。
そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。
もしかしてこの兄妹、仲が悪い?
黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が
『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!!
✧
表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる