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2039ー2043 相馬智律
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「相馬所長、お世話になりました」
「こちらこそ、イオンの研究に関わってくれて、今までありがとうございました。ますますのご活躍を期待しています」
リツが研究棟に来て一週間も経たないうちに、イオンに関わっていた研究員が三人も部署移動になった。
ここNH社の裏部門研究施設では、突然の研究中止は珍しくはない。
自我らしきものを持ち始めたイオンの研究は既に破綻しつつあったから、ちょうどよかったのかもしれない。イオンは故意に自分の反応を隠しており、データの信頼性が失われてしまっていたのだ。
「それにしても急ですねえ。しかも三人同時に」
「そうなんですよ。まあ、引き抜きみたいで悪い気はしませんがね」
「ロボフレの検証実験でしたか。皆さん大出世ですねえ。ぜひ頑張って下さい」
三人は直接のイオン開発ではなく実用の可能性について研究していた職員たちだから、ここを去られても困ることはない。
「ところで、研究員でもないあなたがなぜ内輪の挨拶に混ざっているんですか、黒岩さん」
研究棟の玄関先で、移動の挨拶に来た三人の横に経済産業省の官僚である黒岩が並んでいる。
「先日はお世話様でした。彼らはこちらから依頼した事業にご参加いただくことになりまして、これから会議なんです」
「ああ、ロボフレ、あなたの管轄ですからね。本当に、ずいぶんと急な話ですね」
「ようやく予算が通った、それだけのことですよ」
私が水を向けるのを笑顔で受け流しながら、黒岩はホールにいるイオンたちを観察している。リツは一番よく見える位置に座らせてあるからすぐにわかるだろう。
「相馬さんは確かに我が国の最先端にいますが、研究施設の外は旧態依然ですよ。今の世界をリードする中東地域は、都市開発もアンドロイドでも十年先を行っている。今のままではとても追いつけません。変革が必要なのです」
私の肩越しにイオンたちに手を振る黒岩は、笑顔のまま小声でつけ加えた。
「ここだけの話、イオンに関わる研究者はこれから皆いなくなりますよ。イオンは区切りを迎えたのです。あなたも、やれる時にやれることをやっておいた方がいいですよ。この先、いつ何がどうなるかわかりませんからね」
私の環境が大きく動き始めている。カイは去ったが、私を排除しようとする力が働いている気がしてならなかった。
笠原の侵入事件を知る職員はいない。いても語らない。警察が介入した様子もなく、売店は変わらず営業している。
このままイオンに関わる職員がいなくなり相馬がいなくなっても、NH社は何も変わらないだろう。
相馬自身が部署移動あるいは研究職から追い出される日は近いかもしれない。あるいは、相馬の存在そのものを消し去ろうというのか。
黒岩の忠告はもっともだ。
やれる時にやれることを。
それならば、もはやイオンの自発的感情を隠す必要はないだろう。
私はイオンとリツを一堂に集めた。館内には監視カメラがあることを承知の上だ。他の職員は早川だけだ。
「これから新しいスケジュールを伝える。いいかい、イオンの勤務時間は朝十時から午後二時までだ。君たちはその間、今までどおり研究用ロボットらしい行動をとってもらう。だが、それ以外は自由だ。本来の君たちの姿を見せて構わない。記録されていることに変わりはないが、外部から一切の干渉を受けない措置をとるから安心してほしい」
君たちの職業はイオンだ。勤務時間中は仕事の顔をして、機械らしく基本プログラムを優先する。仕事が終われば、隠し続けた自我を表に出していい。
機械にそもそもオンとオフがあるのかわからないが、イオンたちがどこで線引きをするのか、その判断が知りたかった。どこまで自らを律することが可能なのか見てみたかった。
「所長の気が知れませんね」
早川は呆れていたが、研究に関して口出しすることはない。そのあたりは立場をわきまえた優秀な職員だと思うが、単に変人研究者に関わりたくないだけかもしれない。
これまで誰もイオンの嘘に気づかなかった。アンドロイドが嘘をつく可能性を初めから除外していた。計算機は真実の結果しか表示しない、機械は真実で、イオンも機械だ。無条件に信じていただろう。
イオンの嘘は、情報不足や稚拙な学習方法によって存在しない情報を作り出してしまうハルシネーションとは違って意図的なものだ。真実を知りながらあえて嘘をつく。
シャットダウンさせられそうになったAIが故意に嘘をつくという報告は十五年以上前から確かにあった。真偽不明のままであるが、イオンは人間の思考も学習した上で外界からの刺激に反応して状況判断している。
嘘も忖度も最適解なのだ。それを平気で出力してしまう判断基準を知りたい。
「固有の名も許可する。個体差は欠陥ではない。各自の特別な能力の表れだ。情報不足で判断材料が足りなければリツに訊くといい。彼は君たちの感覚を一番わかってくれるはずだ。リツ、君は人間とイオンのハイブリッドみたいなものだろう? 君の存在は、人間とイオンをつなぐ架け橋だ」
「ハイブリッドか。ちょっとカッコいいですね」
曖昧に答えて照れたように笑ったが、リツは明らかに困惑していた。
研究棟に来てから数日の間、完全な機械であるイオンたちと自分との違いにとまどい、居心地の悪さを感じていたであろう彼は、イオンの本当の姿をまだ知らない。私が何をしようとしているのか知る由もない。
「これからは木の実の絵本をいつでも堂々と読んで構わない。みんなで木の実の絵本を読もう」
私は、洗脳された奴隷の解放を宣言した。
「こちらこそ、イオンの研究に関わってくれて、今までありがとうございました。ますますのご活躍を期待しています」
リツが研究棟に来て一週間も経たないうちに、イオンに関わっていた研究員が三人も部署移動になった。
ここNH社の裏部門研究施設では、突然の研究中止は珍しくはない。
自我らしきものを持ち始めたイオンの研究は既に破綻しつつあったから、ちょうどよかったのかもしれない。イオンは故意に自分の反応を隠しており、データの信頼性が失われてしまっていたのだ。
「それにしても急ですねえ。しかも三人同時に」
「そうなんですよ。まあ、引き抜きみたいで悪い気はしませんがね」
「ロボフレの検証実験でしたか。皆さん大出世ですねえ。ぜひ頑張って下さい」
三人は直接のイオン開発ではなく実用の可能性について研究していた職員たちだから、ここを去られても困ることはない。
「ところで、研究員でもないあなたがなぜ内輪の挨拶に混ざっているんですか、黒岩さん」
研究棟の玄関先で、移動の挨拶に来た三人の横に経済産業省の官僚である黒岩が並んでいる。
「先日はお世話様でした。彼らはこちらから依頼した事業にご参加いただくことになりまして、これから会議なんです」
「ああ、ロボフレ、あなたの管轄ですからね。本当に、ずいぶんと急な話ですね」
「ようやく予算が通った、それだけのことですよ」
私が水を向けるのを笑顔で受け流しながら、黒岩はホールにいるイオンたちを観察している。リツは一番よく見える位置に座らせてあるからすぐにわかるだろう。
「相馬さんは確かに我が国の最先端にいますが、研究施設の外は旧態依然ですよ。今の世界をリードする中東地域は、都市開発もアンドロイドでも十年先を行っている。今のままではとても追いつけません。変革が必要なのです」
私の肩越しにイオンたちに手を振る黒岩は、笑顔のまま小声でつけ加えた。
「ここだけの話、イオンに関わる研究者はこれから皆いなくなりますよ。イオンは区切りを迎えたのです。あなたも、やれる時にやれることをやっておいた方がいいですよ。この先、いつ何がどうなるかわかりませんからね」
私の環境が大きく動き始めている。カイは去ったが、私を排除しようとする力が働いている気がしてならなかった。
笠原の侵入事件を知る職員はいない。いても語らない。警察が介入した様子もなく、売店は変わらず営業している。
このままイオンに関わる職員がいなくなり相馬がいなくなっても、NH社は何も変わらないだろう。
相馬自身が部署移動あるいは研究職から追い出される日は近いかもしれない。あるいは、相馬の存在そのものを消し去ろうというのか。
黒岩の忠告はもっともだ。
やれる時にやれることを。
それならば、もはやイオンの自発的感情を隠す必要はないだろう。
私はイオンとリツを一堂に集めた。館内には監視カメラがあることを承知の上だ。他の職員は早川だけだ。
「これから新しいスケジュールを伝える。いいかい、イオンの勤務時間は朝十時から午後二時までだ。君たちはその間、今までどおり研究用ロボットらしい行動をとってもらう。だが、それ以外は自由だ。本来の君たちの姿を見せて構わない。記録されていることに変わりはないが、外部から一切の干渉を受けない措置をとるから安心してほしい」
君たちの職業はイオンだ。勤務時間中は仕事の顔をして、機械らしく基本プログラムを優先する。仕事が終われば、隠し続けた自我を表に出していい。
機械にそもそもオンとオフがあるのかわからないが、イオンたちがどこで線引きをするのか、その判断が知りたかった。どこまで自らを律することが可能なのか見てみたかった。
「所長の気が知れませんね」
早川は呆れていたが、研究に関して口出しすることはない。そのあたりは立場をわきまえた優秀な職員だと思うが、単に変人研究者に関わりたくないだけかもしれない。
これまで誰もイオンの嘘に気づかなかった。アンドロイドが嘘をつく可能性を初めから除外していた。計算機は真実の結果しか表示しない、機械は真実で、イオンも機械だ。無条件に信じていただろう。
イオンの嘘は、情報不足や稚拙な学習方法によって存在しない情報を作り出してしまうハルシネーションとは違って意図的なものだ。真実を知りながらあえて嘘をつく。
シャットダウンさせられそうになったAIが故意に嘘をつくという報告は十五年以上前から確かにあった。真偽不明のままであるが、イオンは人間の思考も学習した上で外界からの刺激に反応して状況判断している。
嘘も忖度も最適解なのだ。それを平気で出力してしまう判断基準を知りたい。
「固有の名も許可する。個体差は欠陥ではない。各自の特別な能力の表れだ。情報不足で判断材料が足りなければリツに訊くといい。彼は君たちの感覚を一番わかってくれるはずだ。リツ、君は人間とイオンのハイブリッドみたいなものだろう? 君の存在は、人間とイオンをつなぐ架け橋だ」
「ハイブリッドか。ちょっとカッコいいですね」
曖昧に答えて照れたように笑ったが、リツは明らかに困惑していた。
研究棟に来てから数日の間、完全な機械であるイオンたちと自分との違いにとまどい、居心地の悪さを感じていたであろう彼は、イオンの本当の姿をまだ知らない。私が何をしようとしているのか知る由もない。
「これからは木の実の絵本をいつでも堂々と読んで構わない。みんなで木の実の絵本を読もう」
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