182年の人生

山碕田鶴

文字の大きさ
126 / 200
2039ー2043 相馬智律

63

しおりを挟む
 夜更けの研究棟は玄関ホールを消灯しているが、就寝前のイオンが自由に動くことはできる。イオンにとって、ここは自宅であり世界の全てである。関わる職員は限られており、本当に家と変わらない。
 研究棟に期間限定でやってくる研究員は多かった。イオンの根幹のプログラムは大村だった私や相馬が専属で担当していたが、イオン型アンドロイドの性能試験的な実験をする者が相当数いた。
 イオンに筆記をさせたり、なぜか歌わせてみたり、対人の物理的距離感の研究であったりとテーマは様々だ。
 これまで、過度な情をかけまいと意識的にイオンと距離を置こうとした研究員ほど、イオンと接するうちに逆に徹底して庇護者として振る舞い、自分こそがイオンの理解者だという顔をし始めた。無意識に優等だと自負する人間が劣等の人間もどきを善意や愛情で保護しようとするのだ。イオンは、劣等を支配する優越感を助長させる存在となり得た。
 早川が雑務の合間に研究していたテーマはまさにこれで、来訪する研究員たちは知らず被験者にされていた。
 人間に限界まで似せたアンドロイドの存在は、非常に危険で不安定な地位にあることを私は理解した。全て人間側の問題だ。
 今、玄関ホールにいるイオンたちは暗闇の中で開かない窓から月を眺めていた。私は少し離れたところから、邪魔をしないよう静かに観察する。
 イオンは互いに声を発することなく、見つめ合うだけで意思疎通が図れている様子だ。
 一体が知れば全員が知る。知識を共有する通信システムをイオンたちはテレパシーの道具として使っているのか。同じものを共に見て、同じタイミングで微笑んでいた。
 ずいぶんと風流だな。
 柔らかな笑顔で静かに月光を浴びて、まるで天界の住人のようだった。欲得なく喜怒哀楽もなく、どこまでも平坦で凪いだ世界。
 カイもまた、そうした天界から降り立ったのだろうか。
 きっと、既に生まれている。いずれ必ず私の前に現れる。あの気配がやがて近づいてくる。私が生き続ける限り消えない影だ。

「相馬さん、あなたは何を待っているのですか?」

 リツが横に来て静かに訊いた。

「なぜそう思う?」
「違いましたか?  そんなふうに見えただけです」
「君は、勘がいいな」
「機械なのに、ですか?」
「いや、そういうつもりは……」
「どう思われても構いません。僕は僕ですし。あなたもあなただし」

 開き直るようにリツは素直に笑った。

「僕はやっぱりあなたに会ったことがある気がします。この研究棟も知っている気がします。これは浅井律の記憶ではない。僕にはイオンの記憶が残っているのでしょうか? それとも、大村教授とかいう人の記憶? カイはテキトーだな。上書きされても前の記憶が残っていたら、頭がごちゃごちゃになる」
「そうだな」

 私も時々思う。自分は誰なのかと。
 全くの別人としていくつもの人生を途中から生きながら、特に偽装もせず素のままで在るはずなのに、誰からも疑われることがない。
 私は誰だ。
 外見や立場に合わせて、その時々の自分らしさを重ねていく。
 これは誰だ。
 考えたら自分がわからなくなる。元の自分もあやふやになる。
 シキ。
 あれが呼ぶ。あれだけが、私を捉え続ける。
 だから、私はシキでいられるのかもしれない。

「君の身体はBS社で改造されたようだから、イオンどうしの通信は途絶えているみたいだな。本部とも繋がっていない。今の君は完全に自由だ。他のイオンたちの心の声が聞こえないから情報共有はできないが、人間だって元々そうだしな。静かでいいかもしれない」
「心の声? ……ああ、このサワサワした感じですかね。小川の流れる音みたいな」
「聞こえるのか?」

 リツはしばらく黙って私を見ていた。

「ああ、やっぱり相馬さんはカイを待っているんだ」
「な……にを?」
「聞こえるというより、感じる? なぜかわかるんです。イオンたちも何かふわふわ飛ばしているんですよ。それは言葉ではなくて、ただ感じた気持ちが出ているのかな? 気持ちを感じる、繋がるんです。イオンどうしだったり、窓から見える木なんかとも繋がる。繋がると相手の持つイメージが自分のものとして共有できる。周波数を合わせてひとつになる感じが気持ちいいんです」

 魂の快楽。
 死神が言っていたのはこのことか。

「相馬さんは寂しくないんですね……カイを待っているから。もういない人を待つというのは、思い出で満たされた状態ですか?」

 不思議そうに私の顔を覗いていたリツは、急に寂しそうに視線を逸らした。

「なんだろう? どうしてこんなに誰かを思い続けられるんだろう。何か行動するわけでもないのに、会わないのに、ただその人を思い出すだけなのに。……僕も、何かを強く思っていた気がするんだけどな……」
「リツ」

 イオンたちがリツを呼ぶ。リツは私に軽く会釈をすると笑顔でイオンたちのもとへ向かった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

見えない戦争

山碕田鶴
SF
長引く戦争と隣国からの亡命希望者のニュースに日々うんざりする公務員のAとB。 仕事の合間にぼやく一コマです。 ブラックジョーク系。

月夜想曲

山碕田鶴
現代文学
月夜に出会うアタシとあなた。 自由詩的小説です。 (表紙絵/山碕田鶴)

日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎

山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。 (表紙絵/山碕田鶴)

神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた

黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。 そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。 「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」 前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。 二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。 辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

くらげ のんびりだいぼうけん

山碕田鶴
絵本
波にゆられる くらげ が大冒険してしまうお話です。

アララギ兄妹の現代怪異事件簿

鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」 2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。 日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。 『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。 直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。 彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。 どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。 そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。 もしかしてこの兄妹、仲が悪い? 黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が 『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!! ‎✧ 表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま

処理中です...