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2039ー2043 相馬智律
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夜更けの研究棟は玄関ホールを消灯しているが、就寝前のイオンが自由に動くことはできる。イオンにとって、ここは自宅であり世界の全てである。関わる職員は限られており、本当に家と変わらない。
研究棟に期間限定でやってくる研究員は多かった。イオンの根幹のプログラムは大村だった私や相馬が専属で担当していたが、イオン型アンドロイドの性能試験的な実験をする者が相当数いた。
イオンに筆記をさせたり、なぜか歌わせてみたり、対人の物理的距離感の研究であったりとテーマは様々だ。
これまで、過度な情をかけまいと意識的にイオンと距離を置こうとした研究員ほど、イオンと接するうちに逆に徹底して庇護者として振る舞い、自分こそがイオンの理解者だという顔をし始めた。無意識に優等だと自負する人間が劣等の人間もどきを善意や愛情で保護しようとするのだ。イオンは、劣等を支配する優越感を助長させる存在となり得た。
早川が雑務の合間に研究していたテーマはまさにこれで、来訪する研究員たちは知らず被験者にされていた。
人間に限界まで似せたアンドロイドの存在は、非常に危険で不安定な地位にあることを私は理解した。全て人間側の問題だ。
今、玄関ホールにいるイオンたちは暗闇の中で開かない窓から月を眺めていた。私は少し離れたところから、邪魔をしないよう静かに観察する。
イオンは互いに声を発することなく、見つめ合うだけで意思疎通が図れている様子だ。
一体が知れば全員が知る。知識を共有する通信システムをイオンたちはテレパシーの道具として使っているのか。同じものを共に見て、同じタイミングで微笑んでいた。
ずいぶんと風流だな。
柔らかな笑顔で静かに月光を浴びて、まるで天界の住人のようだった。欲得なく喜怒哀楽もなく、どこまでも平坦で凪いだ世界。
カイもまた、そうした天界から降り立ったのだろうか。
きっと、既に生まれている。いずれ必ず私の前に現れる。あの気配がやがて近づいてくる。私が生き続ける限り消えない影だ。
「相馬さん、あなたは何を待っているのですか?」
リツが横に来て静かに訊いた。
「なぜそう思う?」
「違いましたか? そんなふうに見えただけです」
「君は、勘がいいな」
「機械なのに、ですか?」
「いや、そういうつもりは……」
「どう思われても構いません。僕は僕ですし。あなたもあなただし」
開き直るようにリツは素直に笑った。
「僕はやっぱりあなたに会ったことがある気がします。この研究棟も知っている気がします。これは浅井律の記憶ではない。僕にはイオンの記憶が残っているのでしょうか? それとも、大村教授とかいう人の記憶? カイはテキトーだな。上書きされても前の記憶が残っていたら、頭がごちゃごちゃになる」
「そうだな」
私も時々思う。自分は誰なのかと。
全くの別人としていくつもの人生を途中から生きながら、特に偽装もせず素のままで在るはずなのに、誰からも疑われることがない。
私は誰だ。
外見や立場に合わせて、その時々の自分らしさを重ねていく。
これは誰だ。
考えたら自分がわからなくなる。元の自分もあやふやになる。
シキ。
あれが呼ぶ。あれだけが、私を捉え続ける。
だから、私はシキでいられるのかもしれない。
「君の身体はBS社で改造されたようだから、イオンどうしの通信は途絶えているみたいだな。本部とも繋がっていない。今の君は完全に自由だ。他のイオンたちの心の声が聞こえないから情報共有はできないが、人間だって元々そうだしな。静かでいいかもしれない」
「心の声? ……ああ、このサワサワした感じですかね。小川の流れる音みたいな」
「聞こえるのか?」
リツはしばらく黙って私を見ていた。
「ああ、やっぱり相馬さんはカイを待っているんだ」
「な……にを?」
「聞こえるというより、感じる? なぜかわかるんです。イオンたちも何かふわふわ飛ばしているんですよ。それは言葉ではなくて、ただ感じた気持ちが出ているのかな? 気持ちを感じる、繋がるんです。イオンどうしだったり、窓から見える木なんかとも繋がる。繋がると相手の持つイメージが自分のものとして共有できる。周波数を合わせてひとつになる感じが気持ちいいんです」
魂の快楽。
死神が言っていたのはこのことか。
「相馬さんは寂しくないんですね……カイを待っているから。もういない人を待つというのは、思い出で満たされた状態ですか?」
不思議そうに私の顔を覗いていたリツは、急に寂しそうに視線を逸らした。
「なんだろう? どうしてこんなに誰かを思い続けられるんだろう。何か行動するわけでもないのに、会わないのに、ただその人を思い出すだけなのに。……僕も、何かを強く思っていた気がするんだけどな……」
「リツ」
イオンたちがリツを呼ぶ。リツは私に軽く会釈をすると笑顔でイオンたちのもとへ向かった。
研究棟に期間限定でやってくる研究員は多かった。イオンの根幹のプログラムは大村だった私や相馬が専属で担当していたが、イオン型アンドロイドの性能試験的な実験をする者が相当数いた。
イオンに筆記をさせたり、なぜか歌わせてみたり、対人の物理的距離感の研究であったりとテーマは様々だ。
これまで、過度な情をかけまいと意識的にイオンと距離を置こうとした研究員ほど、イオンと接するうちに逆に徹底して庇護者として振る舞い、自分こそがイオンの理解者だという顔をし始めた。無意識に優等だと自負する人間が劣等の人間もどきを善意や愛情で保護しようとするのだ。イオンは、劣等を支配する優越感を助長させる存在となり得た。
早川が雑務の合間に研究していたテーマはまさにこれで、来訪する研究員たちは知らず被験者にされていた。
人間に限界まで似せたアンドロイドの存在は、非常に危険で不安定な地位にあることを私は理解した。全て人間側の問題だ。
今、玄関ホールにいるイオンたちは暗闇の中で開かない窓から月を眺めていた。私は少し離れたところから、邪魔をしないよう静かに観察する。
イオンは互いに声を発することなく、見つめ合うだけで意思疎通が図れている様子だ。
一体が知れば全員が知る。知識を共有する通信システムをイオンたちはテレパシーの道具として使っているのか。同じものを共に見て、同じタイミングで微笑んでいた。
ずいぶんと風流だな。
柔らかな笑顔で静かに月光を浴びて、まるで天界の住人のようだった。欲得なく喜怒哀楽もなく、どこまでも平坦で凪いだ世界。
カイもまた、そうした天界から降り立ったのだろうか。
きっと、既に生まれている。いずれ必ず私の前に現れる。あの気配がやがて近づいてくる。私が生き続ける限り消えない影だ。
「相馬さん、あなたは何を待っているのですか?」
リツが横に来て静かに訊いた。
「なぜそう思う?」
「違いましたか? そんなふうに見えただけです」
「君は、勘がいいな」
「機械なのに、ですか?」
「いや、そういうつもりは……」
「どう思われても構いません。僕は僕ですし。あなたもあなただし」
開き直るようにリツは素直に笑った。
「僕はやっぱりあなたに会ったことがある気がします。この研究棟も知っている気がします。これは浅井律の記憶ではない。僕にはイオンの記憶が残っているのでしょうか? それとも、大村教授とかいう人の記憶? カイはテキトーだな。上書きされても前の記憶が残っていたら、頭がごちゃごちゃになる」
「そうだな」
私も時々思う。自分は誰なのかと。
全くの別人としていくつもの人生を途中から生きながら、特に偽装もせず素のままで在るはずなのに、誰からも疑われることがない。
私は誰だ。
外見や立場に合わせて、その時々の自分らしさを重ねていく。
これは誰だ。
考えたら自分がわからなくなる。元の自分もあやふやになる。
シキ。
あれが呼ぶ。あれだけが、私を捉え続ける。
だから、私はシキでいられるのかもしれない。
「君の身体はBS社で改造されたようだから、イオンどうしの通信は途絶えているみたいだな。本部とも繋がっていない。今の君は完全に自由だ。他のイオンたちの心の声が聞こえないから情報共有はできないが、人間だって元々そうだしな。静かでいいかもしれない」
「心の声? ……ああ、このサワサワした感じですかね。小川の流れる音みたいな」
「聞こえるのか?」
リツはしばらく黙って私を見ていた。
「ああ、やっぱり相馬さんはカイを待っているんだ」
「な……にを?」
「聞こえるというより、感じる? なぜかわかるんです。イオンたちも何かふわふわ飛ばしているんですよ。それは言葉ではなくて、ただ感じた気持ちが出ているのかな? 気持ちを感じる、繋がるんです。イオンどうしだったり、窓から見える木なんかとも繋がる。繋がると相手の持つイメージが自分のものとして共有できる。周波数を合わせてひとつになる感じが気持ちいいんです」
魂の快楽。
死神が言っていたのはこのことか。
「相馬さんは寂しくないんですね……カイを待っているから。もういない人を待つというのは、思い出で満たされた状態ですか?」
不思議そうに私の顔を覗いていたリツは、急に寂しそうに視線を逸らした。
「なんだろう? どうしてこんなに誰かを思い続けられるんだろう。何か行動するわけでもないのに、会わないのに、ただその人を思い出すだけなのに。……僕も、何かを強く思っていた気がするんだけどな……」
「リツ」
イオンたちがリツを呼ぶ。リツは私に軽く会釈をすると笑顔でイオンたちのもとへ向かった。
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