182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

86-(2/5)

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「とにかくNH社はできるところから開発を進めてきた。アンドロイドのボディが受けた刺激を人間の脳内でリアルに再現できること一つとっても、表部門の功績は大きい」
「それでも、完成しても海外で勝てないとわかっているなら、リアルアバターというモデルにこだわらず次世代を考えないのか?」
「簡単に言うな。元祖はNH社だぞ。なぜ先頭を走るウチが完成前に撤退する? まだ世界のどこも完成に至っていない、これからの成長分野だ」
「BS社はどうしている?」
「あちらは人格移植に特化して、不老不死を追求する独自路線をとっている。ペットのコピーアンドロイドまで作っているが、実際需要は多いらしい。BS社と競合することはない」
「では、NH社は介護やらゲームやら全分野でリアルアバター実用化第一号となり、世界市場を独占できるではないか。市場競争は先手必勝ではないのか? 勝負する前から負けを認めてどうする? 私に手伝えと言うが、負け確定の商品なら今から改良しても世界に追いつけないだろう? お前は何をしようと……」

 高瀬の話は要領を得ない。いや、私の理解が足りないのだ。
 情報の不足。
 私はあの閉鎖された研究施設を出て、一般社会に戻って来た。NH社の本社を見せられ、ビルの半分を占めるマツカワ電機の現在も覗いた。
 全てが平穏な表の世界。
 高瀬は本社勤務の表の人間だ。だが、それだけではない。
 私の知らないNH社統括本部長の背景。
 高瀬はこれまで何をやってきた?

「……裏部門か。お前自身、触法ギリギリの取引をかなり色々やっているだろう? その方面の話か」

 高瀬は自然と笑顔になった。見るからに営業の作り笑いだ。この手の質問には慣れ切っていて、笑顔と貫禄ではぐらかすのが習慣化しているに違いない。

「お前、照陽のことは詳しく知らないし知ろうともしないと前に言ったな。照陽に深入りしていないだけで、他は相当にヤバいだろう?何をする気だ?」
「あなたは、こういう時こそ色仕掛けで情報を盗むのではないのか?」

 軽蔑するような眼差しに薄笑いが混じる。

「四六時中一緒にいて、そんな面倒なことができるか。さっさと吐け」
「雑な諜報員だ」

 お前に色仕掛けが効かないのは私の常識だ。既に私の全てを支配した気になっている奴に、今さら色仕掛けなど効くわけがなかろう。お前みたいなのには庇護欲をかき立ててプライドを満たしてやった方が効果的だ。
 高瀬はまた深呼吸をした。疲れまで笑顔で隠して、本当に隙を見せようとしない男だ。

「シキ、この国は既に侵略されている」

 何の感慨もなく高瀬はいきなり言った。これは高瀬の常識か。

「仮想現実も拡張現実も複合現実も、全てがリアルに感じられ、現実との境界が曖昧なのが今の世界だ。国境すら曖昧になりつつあるが、そこには見えない戦場がある。全ての人間が、気づかず最前線に立たされている」
「経済戦争、か?」
「現在の仮想空間分野で流通している外国製主要製品は、コンテンツも含めて恣意的に中毒性を高めたものがほとんどだ。市場のニーズや競争の範囲を完全に逸脱している。感覚をリアルに近づけ没頭させるということは、思想洗脳もしやすい。脳波の状態を操作することは十分可能なのだ。使用者が意識するだけで動かせるリアルアバターであれば、通信に意図的な信号を交ぜて直接脳に伝えることも理論上可能だ。SNSで大衆を扇動し世論形成を図るよりも、ピンポイントで確実にターゲットを狙って活動家やテロリストに仕立てた方が工作が効果的な場合もある」
「……お前、なんの話をしている? お前が言っている勝ち負けとは、市場経済の話ではないのか? それは政治、国の問題だろう。まるで軍事ではないか」
「そうだ。我々はただのアンドロイド開発企業だ。だが、無縁ではいられない。関わってくるものが大き過ぎる。全てが複雑なのだ。今出回っている危険物には子供も使うゲーム機器まである。そこには、大量の依存者を作り永久顧客にする目的と、この国を衰退させ、乗っ取り、滅亡させる謀略と、諸々何重もの意図が便乗する。付与されたシステムが明確にありながら、これらの製品が人体に毒だとする判断基準がない。悪意は狡猾に隠され、侵略と断定することもできない」
「基準はなくとも中毒性の実害が出ているから言っているのだろう? 症例は相当数あるということだよな。被害者が声を上げるやら訴訟やらはないのか? ニュースで聞いたことすらないぞ」
「報道は全てスルーだ。恣意的に依存を高めた証拠が出なければ、因果関係不明で終わりだ。こういうのは、ゲーム依存や個人の性格に起因することになっている。せいぜい企業間競争の激化で客に煽り宣伝をしたせいだと言われるくらいだろう」
「たとえただの経済戦争であっても、アヘン戦争の時のように依存症や中毒患者が大量発生してしまったらどうしようもないな。一度快楽に浸かったら、這い出すのは難しいだろう」
「シキはアヘン戦争がリアル世代だったな」
「いや、さすがに生まれる前だ。そこまで年寄りではないぞ」
「誤差の範囲だ」

 高瀬から見れば、アヘン戦争から私の誕生までの三十八年など誤差の範囲だな。

「なあ、シキ。人間は快楽や珍しい物にすぐ慣れる。より強い刺激を求め続ける。リアルアバターも、実用化した瞬間から外国製類似品との競争が始まるだろう。次の戦場はここだ。リアルアバターは先手必勝の最新兵器として投入される」
「 さっきと話が違うぞ。海外では勝てないと言っていたではないか」
「今のままでは、だ。だから輸出用に必勝の国外仕様品を作る。そういう通達が来た。それをシキに手伝ってもらう」

 高瀬から作り笑いが消えた。
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