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2043ー2057 高瀬邦彦
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繁華街を抜けて脇道にそれると、暗い路地裏の床に座り込む人影が目立ち始める。
生気もなくぼんやりとたたずむのは、明らかに人間だ。
無気力な有機体。
息づかい、体温、それに付随する肉の臭いを遠くからでも感じる。
路上生活者ではない。
彼らも夜の街に遊ぶ人々だ。
リアルアバターやメタバースに依存して虚実が曖昧になりさまよう人間たちは、いつもと変わらない日常の中で力尽きてゆく。依存と中毒に魂を侵食された者は、自らの精神の荒廃に気づかない。
なあ、高瀬。日に日に、確実に増えているな。他人を求めて外に出るだけマシなのだろうが。笑顔で歩くリアルアバターの中の人間が現実世界に戻っても笑顔でいられるのか、実態はわからないな。リアルアバターでなければ外を歩けない人間もいるというのだろう? 国内仕様の純正リアルアバターでも、結局毒性は強いということか。もちろん、社会荒廃の原因が全てアバターにあるわけではない。ただ、リアルアバターによって必ずしも明るい未来が作られてはいないということだな。
「路地裏にたむろする人間は昔からいた」
高瀬は私の言葉を受け流した。
この状況は世の中の自然な流れか?
外国からの見えない侵略の結果か?
国外仕様リアルアバターによる攻防は表に出ることなく、劇的成果があるわけでもない。
NH社は依頼どおりの製品を卸すだけだ。日進月歩の技術改良で最新バージョンに更新されるたび国外仕様品の毒性は増していくが、それらがどこでどう使われているのか我々はいっさい知らない。知る必要はない。知らないことでNH社は守られている。
だから高瀬は、私的に国内外の情報を集めている。ただし、全てメディアで発表されている公開情報だ。国の公式見解だけでなく、どこから拾ってくるのか、見たこともない言語の新聞に出ている数行の記事までしっかり網羅している。他国ではこの国以上の依存、中毒が密かに進行しているらしい。原因は不明とされている。
高瀬は国外の惨状を憂い、国内状況を改善できないことで自責の念に駆られ、他国の人間を侵略し続けても終わりが見えないことに焦りを感じている。
だからこうして路地裏に足を運ぶ。道端に転がる人間に何もしてやれない自分に何を思うのか。
心の内で常に自らを卑下しながら、高瀬は挫折も屈辱もいっさいを表には出さない。冗談にも弱音を吐くことはしない。
自分が社会に対してやってきたことから目を逸らさず、生き続ける限り自らに後悔を許さない。
その生真面目さが私には鬱陶しい。せめてコーヒーくらい激甘で飲めば良いのにと思う。
「なあ、シキ。栄養失調……餓死寸前の利用者が出たそうだ。現実に戻るのを忘れたらしい。ここにいる人間たちもそれに近いな」
リアルアバターでか?
「いや、外国企業の体感型VRMMOだ。この国で利用者が急拡大しているゲームだ。NH社も最近リアルアバターに味覚を追加搭載したから、他人事ではない。利用者が本来の肉体の食事を忘れることは十分考えられる」
複合現実のレストランなら、リアルアバターでもフルコースを楽しめるのか。
「味も食感も温度も感じられるからな。リアルアバター専用の飲食店の出店申請は増えている」
NH社でもその手の事故が起きたと会議で言っていなかったか?
「……セルフ介護の臨床試験中に餓死未遂が起きた。被験者は寝たきり状態の高齢者だが、リアルアバターで自分の食事を用意できれば現実に戻ってから自力摂取くらいは可能だった。用意といっても自ら料理をするわけではない。弁当を買ったり、配達の注文をしたりする程度だ。掃除や洗濯も全て自分でやりたいと言って、本人希望でリアルアバターを試用した。この件は、早い話が介護放棄だな。食べなくてもアバターは動く。自由に出かけられる。自分の肉体の世話が嫌になった。自分の肉体を放置して、リアルアバターの世界で生き始めた。リアルアバターで外出は続けていたから、セルフネグレクトとは違うだろう。自分が二つある状態を正しく認識できなくなったのだ。もちろんヘルパーや臨床試験のスタッフがついていたから、最悪の事態にはならなかったが」
NH社の訴訟リスクは?
「ない。あくまでセルフ介護の試験だ。運用の問題だ。うちの製品に瑕疵があったわけではない」
そうかもしれないが、そんな理屈が通るのか? 虚実の混乱だとか依存症だとか、いくらでもケチをつけられるだろう?
「ケチはつかない。事前の契約書にはNH社の責任が全て回避されている。文句があるなら臨床試験の説明責任者に言うべきだ。そもそもセルフ介護は国の方針だ。だからどこのマスコミも事故を報じていない」
高瀬は断言した。それ以上お互い何も言わなかった。
魂が溶ける。
生きたまま、肉体を持ったまま、さまよう幽霊のごとく自らの形を忘れて境界が曖昧となり、際限なく拡張して魂が霧散する。
それは死神が話していた魂の死、存在そのものの消滅によく似ていた。
奇跡の一滴が失われる瞬間を思い、その虚無に震えた。
きっとこの世で正体をなくした者たちの魂は、実際には失われていないはずだ。肉体が魂の形をどうにかとどめているだろう。肉体の死後、無事にあの世へ帰っていくに違いない。私が想像し過ぎて、一人で怖がっているだけかもしれない。
それでも、自ら肉体を放棄してこの世を去る者が増えている事実は変わらない。
死神が嘆いている。
そんな気がした。
生気もなくぼんやりとたたずむのは、明らかに人間だ。
無気力な有機体。
息づかい、体温、それに付随する肉の臭いを遠くからでも感じる。
路上生活者ではない。
彼らも夜の街に遊ぶ人々だ。
リアルアバターやメタバースに依存して虚実が曖昧になりさまよう人間たちは、いつもと変わらない日常の中で力尽きてゆく。依存と中毒に魂を侵食された者は、自らの精神の荒廃に気づかない。
なあ、高瀬。日に日に、確実に増えているな。他人を求めて外に出るだけマシなのだろうが。笑顔で歩くリアルアバターの中の人間が現実世界に戻っても笑顔でいられるのか、実態はわからないな。リアルアバターでなければ外を歩けない人間もいるというのだろう? 国内仕様の純正リアルアバターでも、結局毒性は強いということか。もちろん、社会荒廃の原因が全てアバターにあるわけではない。ただ、リアルアバターによって必ずしも明るい未来が作られてはいないということだな。
「路地裏にたむろする人間は昔からいた」
高瀬は私の言葉を受け流した。
この状況は世の中の自然な流れか?
外国からの見えない侵略の結果か?
国外仕様リアルアバターによる攻防は表に出ることなく、劇的成果があるわけでもない。
NH社は依頼どおりの製品を卸すだけだ。日進月歩の技術改良で最新バージョンに更新されるたび国外仕様品の毒性は増していくが、それらがどこでどう使われているのか我々はいっさい知らない。知る必要はない。知らないことでNH社は守られている。
だから高瀬は、私的に国内外の情報を集めている。ただし、全てメディアで発表されている公開情報だ。国の公式見解だけでなく、どこから拾ってくるのか、見たこともない言語の新聞に出ている数行の記事までしっかり網羅している。他国ではこの国以上の依存、中毒が密かに進行しているらしい。原因は不明とされている。
高瀬は国外の惨状を憂い、国内状況を改善できないことで自責の念に駆られ、他国の人間を侵略し続けても終わりが見えないことに焦りを感じている。
だからこうして路地裏に足を運ぶ。道端に転がる人間に何もしてやれない自分に何を思うのか。
心の内で常に自らを卑下しながら、高瀬は挫折も屈辱もいっさいを表には出さない。冗談にも弱音を吐くことはしない。
自分が社会に対してやってきたことから目を逸らさず、生き続ける限り自らに後悔を許さない。
その生真面目さが私には鬱陶しい。せめてコーヒーくらい激甘で飲めば良いのにと思う。
「なあ、シキ。栄養失調……餓死寸前の利用者が出たそうだ。現実に戻るのを忘れたらしい。ここにいる人間たちもそれに近いな」
リアルアバターでか?
「いや、外国企業の体感型VRMMOだ。この国で利用者が急拡大しているゲームだ。NH社も最近リアルアバターに味覚を追加搭載したから、他人事ではない。利用者が本来の肉体の食事を忘れることは十分考えられる」
複合現実のレストランなら、リアルアバターでもフルコースを楽しめるのか。
「味も食感も温度も感じられるからな。リアルアバター専用の飲食店の出店申請は増えている」
NH社でもその手の事故が起きたと会議で言っていなかったか?
「……セルフ介護の臨床試験中に餓死未遂が起きた。被験者は寝たきり状態の高齢者だが、リアルアバターで自分の食事を用意できれば現実に戻ってから自力摂取くらいは可能だった。用意といっても自ら料理をするわけではない。弁当を買ったり、配達の注文をしたりする程度だ。掃除や洗濯も全て自分でやりたいと言って、本人希望でリアルアバターを試用した。この件は、早い話が介護放棄だな。食べなくてもアバターは動く。自由に出かけられる。自分の肉体の世話が嫌になった。自分の肉体を放置して、リアルアバターの世界で生き始めた。リアルアバターで外出は続けていたから、セルフネグレクトとは違うだろう。自分が二つある状態を正しく認識できなくなったのだ。もちろんヘルパーや臨床試験のスタッフがついていたから、最悪の事態にはならなかったが」
NH社の訴訟リスクは?
「ない。あくまでセルフ介護の試験だ。運用の問題だ。うちの製品に瑕疵があったわけではない」
そうかもしれないが、そんな理屈が通るのか? 虚実の混乱だとか依存症だとか、いくらでもケチをつけられるだろう?
「ケチはつかない。事前の契約書にはNH社の責任が全て回避されている。文句があるなら臨床試験の説明責任者に言うべきだ。そもそもセルフ介護は国の方針だ。だからどこのマスコミも事故を報じていない」
高瀬は断言した。それ以上お互い何も言わなかった。
魂が溶ける。
生きたまま、肉体を持ったまま、さまよう幽霊のごとく自らの形を忘れて境界が曖昧となり、際限なく拡張して魂が霧散する。
それは死神が話していた魂の死、存在そのものの消滅によく似ていた。
奇跡の一滴が失われる瞬間を思い、その虚無に震えた。
きっとこの世で正体をなくした者たちの魂は、実際には失われていないはずだ。肉体が魂の形をどうにかとどめているだろう。肉体の死後、無事にあの世へ帰っていくに違いない。私が想像し過ぎて、一人で怖がっているだけかもしれない。
それでも、自ら肉体を放棄してこの世を去る者が増えている事実は変わらない。
死神が嘆いている。
そんな気がした。
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