182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

89-(1/5)

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 まことしやかにささやかれる都市伝説がある。隣国の国家主席がアンドロイドだというものだ。
 ある時から年を取らなくなったと、事あるごとに話題になっていた。不老不死の薬が開発されたという噂もあるが、どちらも忘れた頃に思い出す程度の、ただの娯楽話だ。

「どうした? やけにおとなしいな。夜の繁華街は気に入らないか?」

 高瀬は仕事が終わるといつも歩いて帰宅する。世情を知るために繁華街を通るのが習慣になっている。
 副社長になった頃からもう五年以上も続けていて、この国が変わっていくのを肌で感じてきた。高瀬は六十歳になっていた。
 なあ、高瀬。人間のフリをしたアンドロイドは、実際どこまで浸透している?

「例の都市伝説か? BS社の人格移植には一定数の需要がある。そこここの要人が周りの都合で死後も生かされ続けて社会に紛れているのは確かだ。しかも戸籍上も生きたままだ」

 人間が、知らないうちに機械に置きかわっているのか。

「まあ、そうだな。少子化が急速に進む中で高齢者の数が減らないから、統計が歪んでいる可能性すらあるな」

 少子高齢化が進むこの国は、対策として労働力不足をアンドロイドで補うことで治安も経済も安定し、一見快適で穏やかな社会を維持している。完全な人型であるアンドロイドだけでなく、必要最低限の機能をAI制御でまかなうロボットを含めて、現在の社会に欠かせないインフラになっていた。
 幸福の内に国家衰退の道を歩んでいるともいえるが、既に国民はこの状況を受け入れてしまっている。ただ流されて行くというのが正しいだろうか。
 人間が静かに減り続け、子どもが消えたこの国にあって、都心の夜の繁華街だけは若者でにぎわっていた。
 拡張現実の眼鏡を通して映し出される看板や装飾の数々や、強めのカラーライトに照らされる人々が作る影が華やかで美しい。
 外国人観光客向けの派手で過剰なもてなしの演出ではなく、飾り過ぎない猥雑さで、私ですら懐かしさを感じるようなこの国独特の静かな熱気に満ちている。
 すれ違う者は皆笑顔で、この世を謳歌している。この空間だけは、誰もが夢見る理想の幸せな未来の姿だ。

「まるでおとぎ話のような、仙人の住む世界だな」

 高瀬がぼんやりと口にする。
 本当に、天界の住人の世界だ。
 かつてイオンたちが夜の窓辺から月を見上げた光景を思い出す。
 穏やかに微笑みながら互いに言外の意思疎通を図る彼らは、欲得なくヒトツになって凪の空間を作っていた。
 美しく、何もない。
 今見ている夜の街もまた、美しく、何もなかった。
 店内から聞こえてくるアップテンポのBGMも、集客の呼び声も、笑い声も喧騒も、そこかしこから広がり交ざる。
 それなのに、静かで寂しい。
 こんなに楽しそうだというのに、私がこれまで見たどの時代よりも裕福で幸せそうだというのに、なぜか寂しさしか感じない。

「店のスタッフは、どこもアンドロイドかリアルアバターだ。街を歩く若者も相当数がリアルアバターか、一緒に連れ歩くアンドロイドだな。人間と見分けがつかない。皆若く見えるが、この中に実際の若者がいるかは疑問だ。ああ、巡回の警察もほぼアンドロイドか。強化タイプのリアルアバターを警察装備品として納入しているから、それも少しは歩いているかもな」

 官僚の黒岩が進めていたロボフレ、すなわちロボットが働きやすい環境を作ることで社会にロボット導入を促進する事業は着実に実を結んだことになる。

「シキ、黒岩はリアルアバター普及を見越して、リアルアバターが動きやすい環境整備を進めていた。……同時に、BS社の人格移植アンドロイドが生きやすい社会も作っていたな」

 ククッ、闇が深そうな話だな。

「私は、詳しくは知らない」

 お前はそうやって知らぬ存ぜぬを通して生き延びてきた。こっちも闇が深そうだ。
 なあ、高瀬。ここにいるどれだけの人間が、本物だろうな?

「リアルアバターを動かしているのは本物の人間だ。標準アンドロイド以外は人間だろう?」

 リアルアバターからは当然ながら肉体のエネルギーを感じない。寂しさの理由はそれだ。生きている感じが不確かなのだ。
 この世に在って、この世のものではないような違和感。
 私が吉澤識として死を迎えた直後にこの世をさまよっていた時の、誰とも触れ合えない遠い感覚を思い出す。
 きっと今の私が自分の肉体を持たないから、肉体の有無を敏感に感じ取るのだろう。現に相馬であった時の私は、リツの身体がアンドロイドだとは気づかなかった。

「いつか全ての人間が消えて、イオンを手に入れたあなただけがアンドロイドと共に永遠を生きる日が来そうだ」

 寂しがりのあなたには耐えられないな。そう言って高瀬は笑った。
 笑えない冗談だ。私はそんな永遠は望んでいない。私ひとりが生きる永遠に意味はない。
 未来を見続けたい気持ちが消えることはないが、漠然とした不安が湧き上がる。

 この世の期限……。

 ふいに死神の言葉を思い出してしまった。
 私の魂は消耗しているのか?
 そこここで感じる不確かな不安は、今の社会に悲観的になっているからだ。それでも私はこの世への好奇心を失ってはいないし、消耗していたら意気消沈しそうなものではないか。高瀬が私を寂しがりだと言うのと同じで、言いがかりではないのか。
 この世から消える。存在そのものが消滅する。
 あの世に帰るのと何が違うのか。今の私に区別はつかない。同じことだ。この世を離れるのは怖い。
 なあ高瀬、今だから教えてやる。私が相馬としての肉体を失う原因となった隣国の国家元首は、全脳エミュレーションで人格移植をしたアンドロイドではない。人間だ。アンドロイドに人間の魂を入れた特殊な人間だ。

「……なぜ今頃それを言う?」

 今ならお前も信じるだろう? お前を世界最高機密を知る道連れにしてやる。詳しく知りたければ照陽に訊け。魂の移植をやったのは死神だ。仲介したのはヒミコだろう? ああでも、ただの都市伝説だったな。ククッ、忘れてくれて構わないぞ。
 高瀬の動揺が伝わってくる。私の存在を知る高瀬にしか通じない真実だ。
 別に高瀬に意地悪をして困らせたかったわけではない。
 知っておいて欲しかった。大村として、相馬として生きた私が目指したものを。私と相馬がやろうとしていたアンドロイドへの魂の移植は可能なのだということを。

「あなたは迷惑なほどの寂しがりだ」

 結局私は寂しがりか。私のやってきたことを高瀬に認めて欲しかったのか?
 気まぐれに高瀬との繋がりを求めた。それだけだ。
 だからお前には伝えない。リツもまた人間の魂が入ったアンドロイドだということを。
 お前には、伝えられない。
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