182年の人生

山碕田鶴

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2057-2060 シキ

92-(1/2)

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「ハルトぉ、そんなところにいると落ちるぞ。飛ぶ勇気もないくせに柵に近づくな」

 肩を掴まれてビル屋上の柵から引き剥がされた。
 ハルト? 誰だ?

「なあんだ? お前、自分の名前も忘れちまったのかよ?」

 周囲に転がる人間の塊からも、小馬鹿にしたような笑い声が漏れる。
 ああ、ビルの屋上だ。
 いつでも飛べる安心感が心の拠り所となって、日暮れになるとどこからともなく人が集まってくる。
 ただひたすら時間を耐え、人生を我慢すればいい。その先にあるあの世はきっと楽園だから。
 ははは、ここでは死神こそが崇拝されるのだろうな……。

「ハルト? 大丈夫か」

 私は、今はハルトなのか。この肉体のハルトは既にあの世か……。
 身体が重い。頭がかすんでいる。

「なあ、お前は、誰だ?」

 先ほどから私の世話を焼くこいつは誰だろう。二十歳前くらいの、目つきが鋭い細身の男だ。

「それも忘れたのか? 別にいいさ、そんなこと」

 親しげに私を抱き寄せ、まるで犬猫のように甘やかす。
 地べたに座る男に身を任せて寝転がり、髪を撫でられながら夜空をぼんやりと眺めた。
 幾度見上げたかわからない星空に何の感慨もないが、かつての空はもっと暗く、星はもっと輝いていたはずだ。
 天のさらに向こうの闇が、ここからでは見えないな。
 ただでさえ視界が悪いというのに、何やら滲んでぼやけてきた。
 頬を伝う滴に、男は黙って触れてきた。
 溶けていく。
 消えていく。
 もう、この身体は命が続かない。
 ……そうだ、次を探さないとな。
 次……なぜ?
 男に髪を撫でられるたびに、温かい光に包まれたような気持ちになる。
 なんだろうな。私はこの感じも、この男も知っている気がする。
 それなのに、この肉体が思い出すのを邪魔している。

「なあ、私はもうすぐお別れだと思う。お前を忘れてすまない。よくわからないが、今までありがとう」
「なぜ礼を言う? ハルトは俺を覚えていないのだろう?」

 男が怒った様子はない。私が廃人同然なのはきっと以前からなのだろう。

「なんとなくだ。……たぶん、いつも助けてもらって、守られていた気がする……」
「そうか? まあ、お別れなら仕方ないな。でも、大丈夫だ。俺はいつだってお前のそばにいる。お前が呼べば、俺は必ずお前を見つける」
「……あれだな、ほら……天使。お前、みんなが話している天使みたいだな」

 男は首を横に振った。かすかに笑ったように見えた。

「違う。それを言うなら死神だろう? お前がそう呼んだんだぞ、俺を死神だって」
「私が? ……そうか、酷いことを言ったな。すまない……」
「いいんだ。呼び方なんてどうでもいい」

 繋いだ手が温かい。触れる先からとくとくと男の命の音が伝わる。
 もう、私からは伝えられない。それなのに、男はいつまでも私に命の音を分け与える。まるで光で包まれるような温かさだ。
 懐かしい。
 記憶はないが、懐かしい気がする。
 私の音は消えた。
 だから、次を探さなければ。
 次?
 ……なぜ?
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