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約束
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或日のこと、手紙が届いた。
「あなたはあの日の約束を覚えてなさいますでしょうか。そろそろそれを果たすときが参りますが、あなたの方は準備はよろしいでしょうか。私の方は万事よろしいです。今では約束の日を心待ちに待っております。あなたも同じ気持ちでしょうからこんなことは言うまでもなかったのでしょうけれど。楽しみですね、あの日が来るのは」
僕はこの内容についてとんと心当たりがなかった。誰かと何かを約束した覚えもなかったし、心待ちにしていることもなかった。
僕はこの手紙を読んで、約束事を忘れてしまったのではないかと焦った。きっと昔のことなのだろうと記憶の中を探ってみたが、思い当たらない。
とうとうやむを得ないから手紙の相手に手紙を出して、約束事の内容を問い返そうと思った。
ところがこの手紙は差出人の情報が何も書いていなかった。それだから僕は約束事の内容を知ることはかなわなかった。それどころかこの手紙の主がどこに住んでおり、誰なのかさえわからなかった。
翌日、またもや手紙が送られた。
「約束の日まで残り二日となりました。いよいよですね。あなたは身の回りの整理はできたでしょうか。私などはものが大変に多くて、整理に手間取りました。無駄なものばかりを買って、あなたによくたしなめられたことを思い出します。あなたの方はそれほど手間取らないでしょうね。あなたは周りの者にはとにかく無頓着で、部屋も殺風景でしたから。でも、あなたは周りに無頓着だから支度を始めるのも遅いのではないかと心配です。どうか、早めの支度をなさるようお願いしますね。あとから間に合わないとなっても知りませんよ」
いかにも、僕の部屋は殺風景だった。あるものといえば一つの机といくらかの文房具、その他生活に必要なものよりほかにないのである。娯楽のためのものは一つとしてない。興味が持てないのだ。
この人はやはり、僕のことを知っているのだ。僕はてっきり、人違いなのではないかとも考えていた。けれどもこれはどうにも人違いではなさそうだ。
手紙の文面から考える限り、僕はどこかへ出かけるか、旅へ出るかする約束をしているらしかった。これは大変なことだと思った。そんな大層な約束を忘れていることもそうだし、今の状態で旅になど出られないということもそうだった。
学校はあるし、だいいち、親元を離れて暮らすということが考えられなかった。僕にはそうした生活が想像できなくて、その先に身を投じるのが不安でならなかった。
僕はそれでもとりあえず、キャリーケースに荷物を詰めることだけしておいた。そうして旅に備えることにした。
翌日、また手紙が来た。
「いよいよ明日となりましたね。お世話になった方々への挨拶は済ませたでしょうか?あなたはそういったことには疎いですから、こうして言っておかないと忘れてしまうんですから困ります。それと、一番大事なものを忘れないでくださいね。あなたがその世界で一番きれいなものをとってきてくれることを、私は楽しみにしているのですから。では、明日会いましょう」
僕は漸く、この手紙の主のこと、約束の内容を全て思い出した。
僕は夜、浜辺へとやってきた。その夜は満月で、海は銀色に輝いていた。
僕は海の向こうを見つめていた。波の音がいつまでもこだまするのを聞くともなく聞きながら、向こうから来る人を待っていた。
やがて、海の向こうから彼女が歩いてくるのが見えた。彼女の姿を見ていると、涙が自然と出てきた。僕はその涙をぬぐうこともしないまま、彼女を見つめ続けていた。
彼女は僕のそばまで来ると、言った。
「久しぶりですね」
「ああ久しぶり」
「その目から流れているものは何ですか?」
彼女は尋ねた。
「これが君に持ってきた、地上で一番きれいなものだ。涙っていうんだ。海じゃ見られないだろう」
「確かにきれいですけれど、それじゃ濡れているのと変わらないように思えます」
「それだけじゃない。この涙は僕の感情から流れ出したんだ。僕が君と会えてうれしいって思ったからこの涙が流れたんだよ。それは美しいことじゃないかな?」
「それなら、確かに美しいですね。そんなにもきれいなものが見られるのなら、地上もなかなか素晴らしいところですね」
「涙を十分に見たならもう帰ろうか。僕はあそこが懐かしくてならないよ」
「そうですね。十五年間も贖罪のためにこの地上にとどまったんですものね。地上はつらかったでしょう?」
「とても」
「でもそれも終わりですからね」
「ああ」
僕らは言いあいながら、海へと歩いていった。そして地上を去った。
「あなたはあの日の約束を覚えてなさいますでしょうか。そろそろそれを果たすときが参りますが、あなたの方は準備はよろしいでしょうか。私の方は万事よろしいです。今では約束の日を心待ちに待っております。あなたも同じ気持ちでしょうからこんなことは言うまでもなかったのでしょうけれど。楽しみですね、あの日が来るのは」
僕はこの内容についてとんと心当たりがなかった。誰かと何かを約束した覚えもなかったし、心待ちにしていることもなかった。
僕はこの手紙を読んで、約束事を忘れてしまったのではないかと焦った。きっと昔のことなのだろうと記憶の中を探ってみたが、思い当たらない。
とうとうやむを得ないから手紙の相手に手紙を出して、約束事の内容を問い返そうと思った。
ところがこの手紙は差出人の情報が何も書いていなかった。それだから僕は約束事の内容を知ることはかなわなかった。それどころかこの手紙の主がどこに住んでおり、誰なのかさえわからなかった。
翌日、またもや手紙が送られた。
「約束の日まで残り二日となりました。いよいよですね。あなたは身の回りの整理はできたでしょうか。私などはものが大変に多くて、整理に手間取りました。無駄なものばかりを買って、あなたによくたしなめられたことを思い出します。あなたの方はそれほど手間取らないでしょうね。あなたは周りの者にはとにかく無頓着で、部屋も殺風景でしたから。でも、あなたは周りに無頓着だから支度を始めるのも遅いのではないかと心配です。どうか、早めの支度をなさるようお願いしますね。あとから間に合わないとなっても知りませんよ」
いかにも、僕の部屋は殺風景だった。あるものといえば一つの机といくらかの文房具、その他生活に必要なものよりほかにないのである。娯楽のためのものは一つとしてない。興味が持てないのだ。
この人はやはり、僕のことを知っているのだ。僕はてっきり、人違いなのではないかとも考えていた。けれどもこれはどうにも人違いではなさそうだ。
手紙の文面から考える限り、僕はどこかへ出かけるか、旅へ出るかする約束をしているらしかった。これは大変なことだと思った。そんな大層な約束を忘れていることもそうだし、今の状態で旅になど出られないということもそうだった。
学校はあるし、だいいち、親元を離れて暮らすということが考えられなかった。僕にはそうした生活が想像できなくて、その先に身を投じるのが不安でならなかった。
僕はそれでもとりあえず、キャリーケースに荷物を詰めることだけしておいた。そうして旅に備えることにした。
翌日、また手紙が来た。
「いよいよ明日となりましたね。お世話になった方々への挨拶は済ませたでしょうか?あなたはそういったことには疎いですから、こうして言っておかないと忘れてしまうんですから困ります。それと、一番大事なものを忘れないでくださいね。あなたがその世界で一番きれいなものをとってきてくれることを、私は楽しみにしているのですから。では、明日会いましょう」
僕は漸く、この手紙の主のこと、約束の内容を全て思い出した。
僕は夜、浜辺へとやってきた。その夜は満月で、海は銀色に輝いていた。
僕は海の向こうを見つめていた。波の音がいつまでもこだまするのを聞くともなく聞きながら、向こうから来る人を待っていた。
やがて、海の向こうから彼女が歩いてくるのが見えた。彼女の姿を見ていると、涙が自然と出てきた。僕はその涙をぬぐうこともしないまま、彼女を見つめ続けていた。
彼女は僕のそばまで来ると、言った。
「久しぶりですね」
「ああ久しぶり」
「その目から流れているものは何ですか?」
彼女は尋ねた。
「これが君に持ってきた、地上で一番きれいなものだ。涙っていうんだ。海じゃ見られないだろう」
「確かにきれいですけれど、それじゃ濡れているのと変わらないように思えます」
「それだけじゃない。この涙は僕の感情から流れ出したんだ。僕が君と会えてうれしいって思ったからこの涙が流れたんだよ。それは美しいことじゃないかな?」
「それなら、確かに美しいですね。そんなにもきれいなものが見られるのなら、地上もなかなか素晴らしいところですね」
「涙を十分に見たならもう帰ろうか。僕はあそこが懐かしくてならないよ」
「そうですね。十五年間も贖罪のためにこの地上にとどまったんですものね。地上はつらかったでしょう?」
「とても」
「でもそれも終わりですからね」
「ああ」
僕らは言いあいながら、海へと歩いていった。そして地上を去った。
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