DARSE BIRTHZ。(ダースバース。)

十川弥生

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第0話 ダースバース。【前編】

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掌から滴る体温の残った生暖かい鮮血。俺は初めて人を殺した。

 2023年3月14日。

 街を行き交う人、人、人。俺、黒矢尽くろやじんは雑居ビルの屋上から日出国ひいずるこくの首都、頭京とうきょうの喧騒を眺めていた。
 春の晴天の空には黒い球体が1つ、遠くの空に浮かんでいる。この国では、なんら不思議なことではない。
 新しい季節を告げる暖かい風が俺の身体を通り過ぎると、ポケットのスマホが忙しく音を鳴らす。普段聞き慣れない警告音に驚きつつ、スマホの画面に目線を向けた。液晶には赤い文字で『Emergency』と表示されている。俺は赤く染まったアルファベットを長押しすると、「ブー」というノイズが耳に入った。通話状態の証拠だ。
「こちら黒矢、なんのようだ?」
 俺は顎の無精髭を摩りながら答えた。
『黒矢、緊急事態よ。ローザ林檎島りんごとうに大量出現。原因は不明』
 若い女性のハキハキした声が耳に響く。声の主が誰かすぐに理解した。月入胡桃つきいりくるみだ。俺は月入から命令を受けてローザを倒すこと、化掃かそう任務にあたっている。そして、俺みたいな化掃を主としている職業を化掃士かそうしと呼ぶ。
「なるほど、俺の他に適任の化掃士がいるんじゃねぇのか?」
 俺は右手の腕時計で時刻を確かめる。午後1時59分。
『最強さんがなにいってんの? あんたみたいな中年おっさんは働き頃でしょう? あんたのおかげで3年前の地獄に終止符を打てたんだから』
 月入は「最強さん」だったり「おっさん」だったりと褒めてるのかそしってるのかよく分からない発言した。実際間違ってないのだが……。
「はいはい。で、状況は?」
『それがかなりひどいの。ローザの数はざっと数百。留置している化掃士かそうし数名が応戦中』
 月入は切迫詰まっているようで、早口で要点を述べた。
「なるほど。地理的に援護に当たれる化掃士が俺くらいというわけか……」
 俺は無造作に伸びた髪を右手できながら、頭に日出列島ひいずるれっとうを思い浮かべた。たしか林檎島は頭京から200キロほど南下したところに浮かぶ離島だと記憶している。
『それじゃあ、社畜さんよろしく! 私も私で忙しいから』
 月入は早々に通話を切った。「社畜さん」か~。俺はその言葉も否定できないでいた。俺は目線を下に向ける。右手の甲に刻まれた謎の傷跡。身長188センチもある身体。細長い手足がスーツに身を包んでいる。どうやら俺は、社畜でおっさんで最強らしい。
「よし!」
 俺は軽くストレッチをしてイデアを発動した。

《       》

「《時空超越の黒輪インターステラー》」
 俺は、愛犬を呼ぶような慣れた掛け声で詠唱した。すると、目の前に小さな黒い輪が現れ、円の形を保ったまま徐々に大きくなる。直径が3メートルほどになると輪の拡大は止まった。輪の中は、漆黒の闇で向こう側が一切見えない仕様になっている。
 俺は輪を跨ぐと、そこは林檎島の街が一望できる高台のような場所に行き着いた。そこから見渡す風景はひたすらに絶望が広がっていた。ムッとした熱気が人々の発狂と共に顔を撫でる。燃える家々。逃げ惑う人々。そして、住民を襲う多種多様なローザたち。その状況はまさに魑魅魍魎ちみもうりょうとしていた。
「……と同じだ」
 俺は自分に対して憤りを覚えた。俺は地面を勢いよく蹴ると瞬時にローザどもに殴りかかる。目の前の5メートルはある妖怪のようなローザに拳を振りながら3年前のあの日の微かな記憶を俺は辿っていた。

 今からちょうど3年前の2020年3月14日。日出国上空に突如謎の球体、通称 《シュタイン》が現れた。原因は全くの不明。シュタインは未知の物質、《隕子いんし》で構成されており、常に隕子を放出している。シュタインが現れた衝撃により3月14日当日、高濃度の隕子が日出国全土に散布することとなった。同時にローザが全国各地で大量発生。それによって引き起こされた凄惨な出来事の数々は想像するまでもないだろう。
 シュタインの出現は我々人間にも変化をもたらした。能力の覚醒。人々はイデア》を獲得した。イデアは人間の喜怒哀楽に反応して覚醒する。そのことを《起隕きいん》と呼ぶ。起隕した人間、つまりイデアが使える人間を《起隕者きいんしゃ》と名付けられている。
 シュタインの出現とそれに伴って起きたこれらの様々な出来事を《シュタインパクト》と命名された。

 あの日、俺は今と同じようにただただローザに拳を振っていた。それ以前の記憶は、名前以外なにもない。気づいたときにはこいつらを倒すことで必死だった。そして、全国のローザを1人で化掃し、俺は英雄となった。調査によると、俺は約3万体のローザを5時間で鎮圧したらしい。正直いって自分が一番驚いている。なぜ俺なんだ?と……。

 目の前のローザが滑稽な鳴き声をたて、砂のように散ってゆく。ローザを倒すと例外なく砂のような小さな粒子になり、さーと消える。跡形もなく。俺はものの数分で200体ほどのローザを化掃した。
 俺はあたりを見渡す。林檎島は離島なので街の規模は小さい。倒壊する建物。そして道端に横たわる顔のない少年の死体。ローザは、人間の脳を好んで食べる。理由は、ローザは隕子を栄養とし、人間の脳にその隕子があるからだ。《非起隕者ひいきんしゃ》つまり、一般人にも微量の隕子が脳に蓄積するらしい。その蓄積の果てに待つものが起隕なわけだからこの国の誰もが起隕者予備軍ということになる。
 崩れゆく街を眺めながら生存者を探していると、前方から威圧感のある不気味な気配を感じとった。
(なんだこの気配は……)
「黒矢さんお疲れ様です」
 唐突に後ろから自分を呼ぶ声がした。振り向くと見るからに筋肉質な男が立っていた。頭に習字のような字体で『筋肉』と書かれたバンダナをつけており、年齢は20代半ばと思われる。顎は角張っていて、彫りの深い目元を真っ直ぐこちらに向けている。
「はじめまして、自分は林檎島専属化掃士、等々力剛とどろきごうと申します。ローザ鎮圧大変助かりました」
 等々力と名乗る男は自己紹介と礼を述べ、深々とお辞儀をした。
「そっちこそ化掃ご苦労様。戦況は?」
ローザは一匹残らず化掃し終えました。殆ど黒矢さんがやったんですけどね。今は他の化掃士が住民の救助にあたっています。生存者の数はあまりいないようですが……」
 等々力は息を殺して、特に後半部分をゆっくりと説明した。俺は無言で頷く。胸の中心がドスンと重くなるのを感じた。大きな穴が空いて、魂が吸い込まれるような感覚に苛まれる。等々力は俺の魂を呼び戻すように再び口をひらく。
「それと、とある化掃士がここから南に5キロほどの地点から禍々しいオーラがするということでした。その方角に街はないので住民の救助を優先しています」
 説明する等々力の目はどこか悲しそうでそれでいて覚悟を決めていた。オーラを感知できないことからして新米化掃士なのだろう。
「俺もそこに向かおうと思ってたとこなんだ。住民の救助はそっちに任せるから、オーラの件は俺に任せてくれ」
「了解です。自分はここらで失礼します」
「あと……」
 俺は走り去る等々力を呼び止めた。振り向いた等々力の表情は懸念の念を含んでいるように思われた。
「今回の件は悪かった。正直油断していた。俺がもう少しちゃんとしていれば犠牲者の数も減っていたかもしれない」
 俺は素直に後悔の念を等々力に伝えた。
「それは黒矢さんだけの責任じゃないですよ。化掃士全員の責任です」
 等々力はもう一度深くお辞儀をし、その場を去った。
 俺は身体を南に向け、オーラのする方へ足を進める。次の瞬間、俺の目を眩しい光が襲った。まさに今目指している方向に、空まで高く突き抜けた白い柱が現れた。俺はすぐに光の正体が分かった。《起隕光きいんこう》だ。起隕光は起隕するときに発せられる光で《起隕種きいんしゅ》によって異なる。
 光の正体が分かったものの依然として俺は驚きを隠せないでいた。理由は、光のにあった。
「……あんな大きな光みたことないぜ。色は白っぽいがそんな起隕種あったか……?」
 俺は光に見惚れたまま口をポカンと開けた。光が強すぎる故に色も違って見えるだけかもしれない。とにかく先を急がねば。
 俺はイデアを使うことも考えたが、万が一、途中でローザか、逃げ遅れた住民と遭遇してもなんだと思い走ることを決心した。
 俺は森の中を高速で駆け、数分でひらけた土地に出た。と、同時に光は消え、光の根元には建物があった。辺りは一面草原で、その中に一軒家がポツンと佇んでいる。くの字を90度傾けたような大きい屋根が特徴的なログハウスで、庭には補助輪付きの自転車とファミリーカーが一台ずつあった。そして華やかなであるはずの家は今では不吉な雰囲気を漂わせている。
 ここに来るまでの道のりや一軒家の周囲の状況から判断して、ローザは不穏なオーラを察知して近づいていないようだった。
(恐らく家族の誰かが起隕したとみて間違いない……)
 悪い予感が俺の脳裏によぎった。恐る恐る足を家へ進めると「バン」という破裂音と共に何かが玄関から飛び出した。粉々になった玄関扉と、丸見えになった家の廊下が見えた。目線を高速で動くに定めようとするが速すぎて目で追えない。とてつもなく速いナニカが接近していると思った瞬間、俺は後方に吹き飛ばされた。
 尻餅をついた状態で俺は数十メートル先に立っているナニカがなんなのか理解する。少年だ。身長は1メートルほどで、年齢でいうと3歳ぐらいだろう。しかしその姿は、人間離れしていた。興奮と恐怖で心臓は血液をより一層全身に巡らす。俺はなにを口にするべきか戸惑った。そもそも言葉が通じるのか検討もつかない。
「ハローベイビー……」 
 意を決して発したその声は、ひどく震えていた。
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