DARSE BIRTHZ。(ダースバース。)

十川弥生

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第0話 ダースバース。【後編】

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 見開かれた白い目。うごめきながら逆立つ白髪。少年の身体からは高音の熱気が太陽のように熱く放熱されていた。上半身の服はすでにボロボロに破れ、黒の刺繍タトゥーのような文様が頬から上半身の中心に向かって刻まれている。どこかの奥地に潜む部族のような印象を受けた。その出立ちは明らかに異質で人間味など微塵もない。
(まさか……《開願転生かいがんてんせい》か……)
 俺は、少年の身体の変化から  《開願転生かいがんてんせい》であると推測した。いや、間違いないだろう。しかし、それは、起隕者きいんしゃにとっての切札であり、奥義のようなものだ。高Rランクならまだしも起隕うまれたての者が使えるなど、まず有り得ない。様子から見て少年のRランクも高くないし、そもそも、前例もないはずだ。《開願転生》の効果は、身体能力の格段な向上、イデアの大幅な能力強化といったとてつもないバフが起隕者にもたらされる。
 俺は改めて、少年の身体を頭のてっぺんから足の爪先までまじまじと観察した。少年も俺を熟視しているようでびくともしない。向かい合ったままの硬直時間が数秒ほど流れた。俺は空気に耐えかねて言葉を発した。
「ハッピーバースデイ、少年! 起隕おめでとう! 記念におじさんと戦いごっこしねぇか?」
 俺の甲高い声が反響音になって草原に広がった。太陽に雲がかかりあたりが薄暗くなる。風が草原の草草を揺らし「ザー」とうねるような声をあげる。
 少年の頬の筋肉がほんの一瞬ぴくと引き攣った。俺はそれを見逃してなどいない。次の瞬間、少年は音だけを残して姿を消した。俺も負けじと高速移動をする。
「そんだけ速かったら徒競走も一等賞だな!」
 俺は自分でも信じられないほど高揚していた。普段はローザばかりを相手してるので人間と戦う機会などゼロに等しかった。もちろん、まだ幼い少年を殺すわけにはいかない。起隕したばかりの少年が《開願転生》を使えるなどと聞いた時には月入もさぞ驚くだろう。
「さぁ、どっからでもかかってこい!」
 俺は少年を煽るように叫んだ。
 その言葉が届いたのか、少年は地面をカッとひと蹴りして俺の間合いを一気に詰めた。蹴られた地面は草を抉り土を飛び散らす。俺の真正面から少年が猛攻する。俺はボクサーのように腕を使って身体を守る体勢をとった。接触まで数メートルの距離に迫った……その瞬間、少年は跳び箱のように両手で地面をポンっと押し出すと一気に俺の頭上まで飛んだ。そしてすかさず俺の首を目掛けて左足でキックをかます。
 すこし痛みが走ったがなんてことはなかった。少年の仏頂面に驚愕の色が浮ぶ。
「あんまじぃじぃをなめんじゃねぇぇぞ」
 俺は、首元にある少年の左足首をガシッと掴むとハンマー投げの要領でぶん投げた。少年はものの見事に飛んでいく。数百メートル先に鈍い音を立てて少年が地面に落っこちる。
「少しやりすぎた……かな。いや……」
 その心配はすぐに払拭された。少年はすぐに立ち上がり相変わらずのポーカーフェイスで俺を睨んでいる。
 ここまでの戦いで分かったことが1つあった。それは、少年がイデアを使えない、または顕著に現れていないということだ。俺は《開願転生》を会得しているにも関わらずイデアが使えない少年が少し滑稽に思えた。例えるなら、二重跳びができるのに前跳びができない、そんな矛盾さを持ち得ているからだ。
「さてと……」
 数百メートル先に立っている少年は今にも飛びかかってきそうな雰囲気だった。もう少し戦いたいとこだがの中の状況を確認せねばと思い、俺は決着をつけることにした。
「今、楽にしてやるからな」
 といってもこの方法で少年が助かるのか俺は判断しかねていた。できれば死なせたくないがその時はその時だ……。この技をほんの一瞬、時間にして0.5秒ほど繰り出せばいけるはず。俺は頭の中で0.5秒……0.5秒と念仏のように唱える。
 左手の親指を立て、人差し指と中指をくっ付け銃のようなポーズをとる。少年の方角へと向ける。

《       》

「《虚界吸輪エンター・ザ・ボイド》」
 少年の背後に直径5メートルほどの黒い輪が現れパッと刹那の瞬間に消滅した。少年の身体に刻まれた文様が消えていくのを視界の中心で捉える。俺は地面を軽く蹴り、少年が地面に倒れるより先に抱き抱える。身体の黒い文様は消えたものの髪の毛は未だに白髪のままである。肺呼吸による胸の上下運動がない。口に溜まった唾液をゴクリと喉の奥へ流し込む。
(まさか死んでねぇよな……)
 俺は恐る恐る少年の胸に耳を近づけた。
(……音が聞こえない)
 再度慌てて耳を近づける。
「あ」
 その音は俺の心を徐々に和ませた。
「ドクドク」
 鼓動の音が俺の鼓膜を揺らす。凍りついていた全身の血流がその脈動によって溶かされてゆく。
「ふぅー、一件落着……というにはまだ早そうだ……」
 俺は、少年を抱き抱える。気のせいか、少年からほのかにアーモンドの香りがした。とりあえず一軒家へと歩を進める。実は少年の相手をしながら目の端で家の観察を怠っていなかった。理由は生存者の確認をしたかったためである。おそらくこの少年はこの家の子で間違いないだろう。両親がいるなら家の窓から外を必ず覗くはずだ、と考えたからだ。しかし、一度も窓から顔を出した人間はいなかった。息子の変化に慄いて物置に隠れている可能性を願うしかない。

 扉が砕け散った玄関に足を踏み入れる。玄関の棚には家族写真が並べてあった。そこには父、母、そして俺が今しがた抱えている少年が写っている。水族館や遊園地で撮られたもので、どれもこれも幸せそのものだった。
「家族……」
 俺とは縁のない程遠いものに感じた。
 廊下のフローリングに足をかける。廊下は右手に一つ大きな扉があり真っ直ぐ進むと右に折れ曲がる構造をしていた。上がってすぐ右手がリビングだろう。ご丁寧にも扉は閉められていた。恐る恐る扉をひらく。どうかご無事で……。
 大人2体の遺体が薄暗いリビングに横たわっていた。それはすぐに死体だと判別できるほど酷い有様で、俺は無意識に依然気絶したままの少年の顔を手で覆った。
 扉の目の前に父親の遺体。仰向けになった父親は両手を広げ、倒れている。家族を必死で守ろうとしたのだろう。
 父親は腹部を引き裂かれたようだ。床に落ちたスパゲッティのように腸を散乱させている。その奥に母親がうつ伏せで倒れている。母親は頭を強打されたようで夏の暑さにやられたアイスクリームのように脳みそがベチャベチャになっていた。
 俺は遺体の残酷さに目を奪われていたが部屋全体に目を移すと『Happy Birthday 』の形をした風船が壁面に飾られていることに気がついた。『Happy』の『a』と『Birthday』の『r』が割れている。テーブルには大きなケーキが置いてあった。カラフルなロウソクが3本植えられている。ケーキのプレートには『ソラくん3さいのおたんじょうびおめでとう‼︎』の記述を遠目でも認識できた。
(この子の名前はソラか……自分の両親を……自らの手で……)
 この中で一番脆いはずのケーキは何事もないようにテービルの上で乗っている。鉄分とケーキの甘ったるい入り混じった臭いが鼻腔をついた。ソラの手に血痕がないのは起隕時に身体が高音になり蒸発したからであろう。
 俺はこの地獄と化した風景を見て違和感を覚えた。それがなんなのかわからない。なにかひっかかるそれがなにか……あっ……。
「皿だ」
 俺の声はもう誰もいないリビングに無慈悲に広がる。俺はもう一度テーブルの上を注視する。皿が4枚、4脚の椅子の前に置かれていた。フォークも皿に対応するように並べてある。
(3人のはずじゃ……数が合わない)
 俺は少年を大事に抱えながら母親のそばに近寄る。母親は右手を伸ばしながらどこかを指していた。その先にはもう一つ扉があった。スライド式の扉は顔一つ覗けるほどの隙間がひらかれている。おそらく勢いよく閉めた反動でスライドドアが跳ね返ったのだろう。
 すると、ほんの微かに鼻をすする音が耳に入った。誰かが泣いている。それは亡き母親が指差す扉の隙間からしていた。急いで扉をあけるとそこは廊下と横には階段があった。廊下を前に進んで左に曲がると玄関へ通ずるのだと家の構造を理解した。再び耳を澄ませると、どうやら泣き声の正体は2階にあるようだ。一段一段慎重に段を登る。
 階段を上がって右手に『ソラのへや』と手作りの表札が扉にかけられていた。少年を抱えたままそっと扉を開ける。おもちゃが転がっているだけで誰もいない。いや……。
 俺は一歩二歩と部屋の奥に進み、ゆっくりとクローゼットに手を伸ばした。取手を手前に引くと、くの字に曲がりながら扉はスライドした。中にはこれまた三歳ほどの少年がうなだれながら泣いている。彼は顔をあげ、鬼の形相でこちらを睨む。もしかすると俺ではなく抱き抱えられている少年に向けられているのかもしれない。
「あっ」
 俺は少年の顔を見ているうちにとうとう真実に気がついた。頭の奥の支えが砕かれ、濁流のようにとめどなく脳裏に押し寄せる。
(こっちの少年だ……。こっちが)
 様々な感情が入り混じった顔のせいかすぐに判別できなかったが金髪の髪が決め手となった。間違いない。
(じゃあこの少年は……誰だ……)
 俺は今抱えている少年とソラの顔を交互に目をやった。ソラに情報を開示する余裕などないことは容易に想像できる。
(おそらく、近所の友達か親戚の子だろう……)
 近所に家はなかったので後者の説が有力だろう。
 すると、家の外から空気を切り裂く「ブルブル」という音が耳に届いた。その音がヘリの音と気づくのに時間はかからなかった。等々力が連絡してくれたに違いない。俺はソラの方をヘリで送ってもらうことにした。暴走していた子をヘリに乗せるのは躊躇われたからだ。
 俺は気絶した少年を前にそしてソラを背中でおんぶしながら外に出た。廊下にそって外へ出たのでソラは、悲惨な状況を目にしないですんだ。その間もソラは耳元で「ママ……パパ……」と繰り返し繰り返し連呼していた。その弱々しい声を聞くたび俺の身体は重くなってゆく。俺に担がれた2人が可哀想でしかたがなかった。

 草原はヘリの風圧によって激しい音を立てて揺れている。ヘリから1人の男が出てきた。どうやら乗組員はこの男、1人のようだ。
「君1人だけなんだな」
 俺は背の高い痩せた男に声をかけた。
「ええ、この業界も人手不足で……危険も伴いますから」
 男はヘルメットを被っていて顔はよく見えない。ヘルメット越しにも、日々の疲労が感じられる。俺は今まで起きたことを男に伝えた。
「わかりました。遺体処理の担当が来るまでお待ちください。ソラ君は精神的なダメージを受けているようなのですぐに病院へ搬送させます」
 ソラを渡すと男は会釈しながら大事に受け取る。その間も俺はソラから目を離さない。ソラの目は充血し顔は青冷めていた。ソラは完全に放心状態となっていて見ているこっちまで心が苦しくなる。
「そっちの子は大丈夫ですか?」
 男はソラをヘリに乗せながら背中越しに言葉を投げた。
「ああ、大丈夫だ。この子は強い。俺が保証する」
 俺は少年の肩をギュと握りしめた。
「その子は任せましたよ。本部で月入さんに診てもらうといい」
「そのつもりだ。忙しそうだったがな」
 操縦士は一礼し、早々にヘリへと乗り込み、本土を目指して飛び立った。

 広大な草原に残ったのは俺と少年だけだった。目線を上にあげると先程とは一変して透き通るような青空が広がっている。春風が吹き、草原のざわめきが耳に心地よい。青い空と瑞々しい緑の草原。家の中と外で世界がまるで違っていた。俺の視界にふと少年の顔が目に入る。
「なんだ、可愛い顔してんじゃん」
 息吐くように呟く。すると少年はゆっくり目を開いた。シルクのように透き通った白い肌。陽斜に反射してきらきら光る黒い目。その目に映る自分を俺は肯定できる気がした。俺は少年の顔を見つめながら、とびきりの笑顔で微笑んだ。
「おはよう……」

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