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106.ニンジャのタンデムシート
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春樹さんは、何でもないように席について、2人分のうな重を頼んでから、机にとんとんとん・・と人さし指でリズムをとった。
何か言いたそうだ。・・表情は・・穏やか。怒ってないみたい。
「マキノぉ・・。」
「はぃ・・。」
意気消沈してしまったマキノは、気持ちを立て直そうと努力して、どうにもうまくいかなかった。なにもかも顔に出てしまうこの性格・・・何とかしたい。
「マキノは・・昔のことが気になるの?」
そう言われて、申し訳なくなってうつむいた。
「・・気にしたくないけど、ひっかかっちゃう。」
「でももう、10年以上も前のことなんだよ?」
「時間じゃないもん。理屈じゃないし。」
「わかるけどね・・。」
「オレの・・昔の彼女が死んだのは、聞いたんだろ?」
「・・うん。」
「元カノの話しなんて・・聞きたいの?」
少し怖かった・・。でも、うなずいた。
聞かなかったら、いつまでも幻影にとらわれてしまう。
「勇気あるな。オレだったらマキノの元カレの話なんて聞きたくないけどな。」
「私も・・イヤなんだけど・・。」
「・・どうしても気になる?オレはいいけどさ・・うなぎ屋でする話かなぁ。」
「・・・。」
お膳が運ばれてきた。
「まずは、食べようか。」
「はぃ。」
春樹さんは、おいしそうにガツガツとうな重を食べはじめた。
「んー。うまいね。」
うなぎの身はふっくらとこおばしく焼けていて、甘辛いたれがからんで、それがごはんにしみてて、とてもおいしかった。・・おいしいのに、なかなか喉を通らない。
途中から、山椒を振りかけた。この風味も、大好きだ。
ちょびちょびと箸を動かす。お吸い物はミョウガとワカメとしめじが入っていた。
箸休めにはきゅうりとタコの酢の物。そしてお新香。
「・・うん。・・おいしいね。」
さっさと食べ終わって先に箸をおいた春樹さんが、またふっとため息をつくように笑った。
「マキノはあんまり進んでないね。・・話しするけど、聞きながらでいいから、それちゃんと食べてよ?」
「・・・・うん。」
「何から言えばいいのかな・・。あ、オレ、バイクの免許はね、大学出てから取ったんだよ。だからこのバイクはソロでしか走ったことがなかったんだ。」
「・・・。」
「一人暮らししてた時は、アパートは学校の近くだったし自転車でうろうろしてた。」
マキノは黙ってまたうなずいた。
「大学の頃はね・・オレ、体を動かすのが好きだったんだけど、真剣に部活をやる自信もなかったから、いろいろなサークルをつまみぐいしてたんだ。友達に誘われた中にバレーボールのサークルもあって、そこは遊び半分のやつが多くて、下手なのは問題なかった。いろんなレベルのメンバーがいて、それなりに楽しくやってたんだ。」
「・・・。」
「この辺にはね、そのサークルの合宿で一度来たんだ。先輩や友達の車に分乗して。合宿って言ってるけど、体のいい夏休みの旅行だよ。」
「・・・。」
「・・名前は言ったことあったっけ?」
「・・ううん。」
「シノブって言うんだ。・・一学年上で、その合宿には一日遅れで、一人でバイクに乗って来た。女子がバイクに乗るぐらいのこと、珍しくもなんともないけど、当時は、群れる女子が多いときに一人で行動してるのが新鮮だった。」
「・・・。」
「でももう忘れてるなぁ・・サークルの仲間に言われて何か買いに行かされることになって・・・。どうしてオレが行くことになったのか、とにかくシノブの後ろに乗せてもらわなくちゃいけなくなって・・・。」
そこで一春樹は旦言葉を止めた。
「ものすごく怖かったんだよ。」
「なにが?」
「バイクの後ろが。運転の仕方がほんとにひどかった。急発進、急ブレーキ、コーナーでバンクさせるのもね。冗談だったのか、新入りをからかったのかもしれないな。シートからおしりをずらすんだよ?レーサーみたいに。後ろにオレをのせてるのにさ。女性の先輩にがっつりつかまることもできないし。オレが後ろで体重移動の協力しなかったから曲がれなくて仕方なくおしり落したのかもしんないけど。・・バイクに慣れてたなぁ。小柄な女子のくせに、バイクの扱いが、かなりうまかった。」
自分の昔話を語る春樹さんは、かすかに微笑んでいた。
「彼女が事故った日は、オレにとっては普通の一日でね、いつも通りにバイトしてたんだ。」
マキノは、相槌も打てずに、黙って春樹さんの顔を見つめた。
「あのほら・・超自然的なことを言う人って、いっぱいいるじゃない?いやな予感がしたとか、最後に会いに来たとか、その瞬間に声が聞こえたとか、夢に出てきたとか。
本当は、あんなのは、ないんだ。
あれって残された人の後付けでしかないんだよね。
こうなるのは仕方なかったことだって、勝手に終わりの物語を作って納得したいんだな。
シノブの友達がね、泣きながら連絡をくれたんだけど、オレ自身は、予感なんてあるわけなかったし、ウソだろ?って、笑って信じなかった。
連絡くれた友達が怒ってた。なんで笑うの、非常識すぎるって言って。
シノブの事故ことを、詳しく教えようとするのを、オレは、もういいよって、確か止めたと思う。
彼女の死ってのを、受け入れてなかったんだな。ウソだろ?って。それしかなかった。
・・それで、葬式にまで行ってても、オレにはまだ実感がなかったんだ。
・・シノブが死んでからしばらくは、あまり感情が動かなかった。
その頃は、誰かから心配されても、好意をくれてても気づいてなかったと思う。
いつ自分を取り戻したのか、自分でもよくわかんない。
自分じゃ、ずっと普通に過ごしてたつもりなんだ。
バイトもして、授業も行き、試験も受け、飯も食べて、夜は寝て。
そのうち、周りのことも見えるようになった。
ただ、偶然交通事故の現場に出くわしたりしたら、異常に怖かったよ。
あの・・マキノが事故った時も、ホントに怖かった。
・・あれから、10年以上経ったんだなぁ。
時間が経って・・それで、トラウマ克服できたかって言うと、このとおり自信はない。」
「マキノ。」
「はい・・。」
「正直言うとさ、マキノが、バイクに乗って出かけるのを見るたび、・・・痛かった。」
春樹さんは、左手を軽く握って、自分の胸の真ん中をとんと叩いた。
「・・・。」
「今はね。オレはもう元気なんだよ。マキノ。そう見えないかい?」
「・・・ちゃんと、元気に見える。」
「だろ?
元気に見えてたって、記憶は残ってるし、思い出せば痛いときもある。
誰もがなにかを抱えて生きてるさ・・。マキノにだってあるんじゃない?
心の傷がどうとか、トラウマがどうとか、乗り越えたとか、整理がついたとか、もう忘れたなんて、簡単には言えるもんじゃない。
でももう、オレは、今は元気だし、幸せなんだ。」
「・・うん・・。」
「だからさ・・・マキノは、もう泣かなくてもいいんだって。」
マキノはさっきから、まるで別れ話でも切りだされたかのようにボロボロと泣いていた。
「・・うん。・・ずびっ。」
うなぎを食べながら。
「・・ずびっ。」
お茶をすすって
「ずずっ・・ずびっ。」
また一口食べて
「・・ずびっ。」
そして、とうとう春樹さんが音をあげた。
「誰が見ても、オレが泣かせたみたいに見えるよ。そろそろ泣き止んでくれないかな。」
「うん・・・ずびっ。」
「ここから出てしばらく国道を走ったところに駐車場があるはずだから。そこからマキノを乗せて走る。」
「・・うん。」
マキノはぐずぐずと鼻をすすりながらやっとのことでうなぎを食べ終えた。
料理屋を出て少し走ると、春樹さんの言うとおり、海岸線の自動車道が始まる手前に、小さな駐車場があった。
マキノのバイクはハンドルロックをかけて停めておいて、春樹のバイクに2人でまたがった。
やっぱりタンデムシートの位置が高い。
初めて春樹さんに乗せてもらったのは、まだ、つきあってもいない時だった。
駅までのわずかな距離だけど「バイクで送ろうか?」と言われて、うれしくて二つ返事でとびついた。そのくせ、触れていいのかためらわれて、照れくさくて、しがみつけなかった広い背中だ。
「発進しますよ?」
「はい。」
あの日と同じ声がかかった。
ドゥルルルン・・・ドドドドド・・・ブロロロォー
エンジンの音が響く。自分の心臓がドキドキしているのと、区別がつかない。
900Ninjyaはゆっくりと走りだした。
速度に合わせて、ギヤが上がっていく。
マキノは、人目をはばからず春樹さんにぴったりとしがみついた。
ぎゅうぎゅう。抱きしめていたかった。
これ以上どうやって寄り添えばいいのか、もうわからなかった。
何もできないけど。
一緒にいる。
私が一緒にいるよ。
春樹さんも、一緒にいるって言ってくれた。
ずっと一緒に・・・。
マキノは、頭が真っ白なまま春樹さんの背中に体を押しつけバイクの後ろで揺られた。
春樹さんは大きなバイクを右へ左へと道に合わせて倒して軽々と操る。
命を預けていたって、不安など、みじんも感じなかった。
2台で走っていた時よりも、加速も鋭いしスピードも上がっている。
ブォーーーン ブォン ブォーーーーン・・・
次第に、頭の中が透明になって行く。
直線になって、移り過ぎていく風景の速度が緩やかになった。マキノは泣いてぼーっとしたまま遠く水平線を見た。海岸線は複雑な姿の湾を形作っていて、美しい景色を作り、それに合わせるように緩やかなカーブが続いている。
マキノは、春樹さんの背中にあずけていた意識を、今視界に入っっているものに移した。
「海・・。」
ヘルメットの中でマキノはつぶやいた。声は、至近距離の春樹さんにすら届かない。
海の色が深かった。
透明になった世界が、だんだんと青く彩られていく。
「海がひかってる・・。」
キラキラ・・・。
「きれい・・・。」
またコーナーが深くなった。バンクする角度も深くなる。
海が途切れて海岸線の道路は木々の間を縫い景色が激しく移り変わる。
一度海に惹きつけられた意識を、今度は、バイクの前へ、進路と路面と、カーブへと方向を移していった。
カーブの手前。ブレーキング。
マキノはその時、春樹さんがふたつシフトをコンコンと落したのに気づいた。
バイクのボディーを倒したまま斜め上にコーナーの出口を見てアクセルを開きクラッチをつなぐ。
エンジンの回転が駆動力へと伝わり、予想した通りの加速Gを実感する。
春樹さんが操るバイクの動きが、バイクを乗る時のいつもの自分とシンクロした。
クラッチを握ってはつなぎ、またシフトが上がった。
マキノを乗せていてもバイクは力強くのびやかに走る。
自分自身がアクセルを握っているような気がした。
春樹さんの体重移動のじゃまにならないように、おなかに回していた手を少し緩めた。
それがわかったのか、次の直線で春樹さんの左手が一瞬ハンドルから離れてマキノの手を軽くぽんぽんと叩いた。
しっかりつかまってろ?と言う意味なのかな。
意図は分からなかったけれど、後ろに乗っている自分に、春樹さんが心を配ってくれていることが嬉しかった。
春樹さん、大好き・・大好き・・
“大好き”が溢れそうだ。
次のカーブへ。右へ。左へ。気持ちいい。
この道が、もっと続けばいいのに。
そう思ったとたん、春樹さんは自動車道路から脇道へとそれて、パーキングエリアへと入った。
走りはじめてから20分程は経っていただろうか。
春樹さんがヘルメットのシールドを上げて尋ねてくれる。
「どう?後ろは。怖くなかった?」
「・・全然。怖くないよ。私、運転の邪魔じゃなかった?」
「大丈夫。マキノが軽くなったように思って、確かめたんだ。」
「・・ああ、あの、さっき手をぽんぽんってしたの?」
「そ。」
「えー、私の事、落としたと思ったの?」
「ははは・・。」
春樹さんはそれには答えずに笑った。
「よし、ここで引き返すからね。」
「うん。」
春樹さんは休憩もなしに、ブォォンと反対車線へと走り出た。
運転が、さっきよりなめらかだ。余分な力みが消えているのがわかる。
戻り道のほうが景色が、世界が、明るく感じる。
ゴールデンウィークの真っただ中だ。反対車線を走るたくさんのライダーたちとすれ違う。ついさっきまではそんなことにも気づかなかった。
同じ道なのに景色が違って見える。
「ぶうん。ぶーーーーーーん。ふおぉーーーーん。」
マキノは自分でもアクセルを回しているつもりで、ヘルメットの中でエンジン音の口真似をした。
「カシャ。ふぉーーん。」
なんて素敵なバイク・・・。
いや、運転がいいのか、バイクがいいのか・・。
元から好きだったけど、今ほどバイクに乗ることが楽しいと思った事はなかった。
春樹さんは、本当にこのバイクを処分しちゃうつもりなのかな・・
寂しいけれど・・。このバイクをただ置いておくことよりも、春樹さんと一緒にこうして二人で乗って走ったことを大切にしたい。
900Ninjyaが、乗っている春樹さんとセットになって、たまらなく愛しい。
VTR250を置いてある場所まであっという間だった。
900Ninjyaのタンデムシートから離れるのはすこし名残惜しかったが、未練は振りきって飛び降り、自分のバイクへと向かった。
さっきより、ちゃんと地に足がついている。
「帰りもオレが先に走ろうか?」
「あ・・私も一度前を走りたいな?」
「・・道はわかるの?」
「わかると思う。」
「・・・後ろでも前でも頼りないように思うのはなんでだろう・・。」
「もう、失礼だなっ。」
「はは。じゃあ先に走ってごらんよ。」
「いいとも。」
マキノはVTR250のエンジンを始動した。
ブオンブオン・・ドゥルルル・・・・
「前を走るときは走行車線の右寄りを走るんだよ。」
「うん。」
「オレのバイクを左バックミラーで確認できるぐらいの感じでね。」
「うん。」
・・そうやって、ミラーの中にいる私をずっと気にしてくれていたんだね。
「休憩はどこでとる?」
「このまま家まで突っ走りたい気分。」
「2時間も走れる?」
「たぶん。苦しくなったら適当に休み入れるよ。」
「苦しくなったらじゃなく、なる前に休むんだよ?」
「うん。わかった。じゃあ行くよー。」
「おう。」
2台のバイクは、ぴたりと息を合わせたように、帰路を駆けた。
何か言いたそうだ。・・表情は・・穏やか。怒ってないみたい。
「マキノぉ・・。」
「はぃ・・。」
意気消沈してしまったマキノは、気持ちを立て直そうと努力して、どうにもうまくいかなかった。なにもかも顔に出てしまうこの性格・・・何とかしたい。
「マキノは・・昔のことが気になるの?」
そう言われて、申し訳なくなってうつむいた。
「・・気にしたくないけど、ひっかかっちゃう。」
「でももう、10年以上も前のことなんだよ?」
「時間じゃないもん。理屈じゃないし。」
「わかるけどね・・。」
「オレの・・昔の彼女が死んだのは、聞いたんだろ?」
「・・うん。」
「元カノの話しなんて・・聞きたいの?」
少し怖かった・・。でも、うなずいた。
聞かなかったら、いつまでも幻影にとらわれてしまう。
「勇気あるな。オレだったらマキノの元カレの話なんて聞きたくないけどな。」
「私も・・イヤなんだけど・・。」
「・・どうしても気になる?オレはいいけどさ・・うなぎ屋でする話かなぁ。」
「・・・。」
お膳が運ばれてきた。
「まずは、食べようか。」
「はぃ。」
春樹さんは、おいしそうにガツガツとうな重を食べはじめた。
「んー。うまいね。」
うなぎの身はふっくらとこおばしく焼けていて、甘辛いたれがからんで、それがごはんにしみてて、とてもおいしかった。・・おいしいのに、なかなか喉を通らない。
途中から、山椒を振りかけた。この風味も、大好きだ。
ちょびちょびと箸を動かす。お吸い物はミョウガとワカメとしめじが入っていた。
箸休めにはきゅうりとタコの酢の物。そしてお新香。
「・・うん。・・おいしいね。」
さっさと食べ終わって先に箸をおいた春樹さんが、またふっとため息をつくように笑った。
「マキノはあんまり進んでないね。・・話しするけど、聞きながらでいいから、それちゃんと食べてよ?」
「・・・・うん。」
「何から言えばいいのかな・・。あ、オレ、バイクの免許はね、大学出てから取ったんだよ。だからこのバイクはソロでしか走ったことがなかったんだ。」
「・・・。」
「一人暮らししてた時は、アパートは学校の近くだったし自転車でうろうろしてた。」
マキノは黙ってまたうなずいた。
「大学の頃はね・・オレ、体を動かすのが好きだったんだけど、真剣に部活をやる自信もなかったから、いろいろなサークルをつまみぐいしてたんだ。友達に誘われた中にバレーボールのサークルもあって、そこは遊び半分のやつが多くて、下手なのは問題なかった。いろんなレベルのメンバーがいて、それなりに楽しくやってたんだ。」
「・・・。」
「この辺にはね、そのサークルの合宿で一度来たんだ。先輩や友達の車に分乗して。合宿って言ってるけど、体のいい夏休みの旅行だよ。」
「・・・。」
「・・名前は言ったことあったっけ?」
「・・ううん。」
「シノブって言うんだ。・・一学年上で、その合宿には一日遅れで、一人でバイクに乗って来た。女子がバイクに乗るぐらいのこと、珍しくもなんともないけど、当時は、群れる女子が多いときに一人で行動してるのが新鮮だった。」
「・・・。」
「でももう忘れてるなぁ・・サークルの仲間に言われて何か買いに行かされることになって・・・。どうしてオレが行くことになったのか、とにかくシノブの後ろに乗せてもらわなくちゃいけなくなって・・・。」
そこで一春樹は旦言葉を止めた。
「ものすごく怖かったんだよ。」
「なにが?」
「バイクの後ろが。運転の仕方がほんとにひどかった。急発進、急ブレーキ、コーナーでバンクさせるのもね。冗談だったのか、新入りをからかったのかもしれないな。シートからおしりをずらすんだよ?レーサーみたいに。後ろにオレをのせてるのにさ。女性の先輩にがっつりつかまることもできないし。オレが後ろで体重移動の協力しなかったから曲がれなくて仕方なくおしり落したのかもしんないけど。・・バイクに慣れてたなぁ。小柄な女子のくせに、バイクの扱いが、かなりうまかった。」
自分の昔話を語る春樹さんは、かすかに微笑んでいた。
「彼女が事故った日は、オレにとっては普通の一日でね、いつも通りにバイトしてたんだ。」
マキノは、相槌も打てずに、黙って春樹さんの顔を見つめた。
「あのほら・・超自然的なことを言う人って、いっぱいいるじゃない?いやな予感がしたとか、最後に会いに来たとか、その瞬間に声が聞こえたとか、夢に出てきたとか。
本当は、あんなのは、ないんだ。
あれって残された人の後付けでしかないんだよね。
こうなるのは仕方なかったことだって、勝手に終わりの物語を作って納得したいんだな。
シノブの友達がね、泣きながら連絡をくれたんだけど、オレ自身は、予感なんてあるわけなかったし、ウソだろ?って、笑って信じなかった。
連絡くれた友達が怒ってた。なんで笑うの、非常識すぎるって言って。
シノブの事故ことを、詳しく教えようとするのを、オレは、もういいよって、確か止めたと思う。
彼女の死ってのを、受け入れてなかったんだな。ウソだろ?って。それしかなかった。
・・それで、葬式にまで行ってても、オレにはまだ実感がなかったんだ。
・・シノブが死んでからしばらくは、あまり感情が動かなかった。
その頃は、誰かから心配されても、好意をくれてても気づいてなかったと思う。
いつ自分を取り戻したのか、自分でもよくわかんない。
自分じゃ、ずっと普通に過ごしてたつもりなんだ。
バイトもして、授業も行き、試験も受け、飯も食べて、夜は寝て。
そのうち、周りのことも見えるようになった。
ただ、偶然交通事故の現場に出くわしたりしたら、異常に怖かったよ。
あの・・マキノが事故った時も、ホントに怖かった。
・・あれから、10年以上経ったんだなぁ。
時間が経って・・それで、トラウマ克服できたかって言うと、このとおり自信はない。」
「マキノ。」
「はい・・。」
「正直言うとさ、マキノが、バイクに乗って出かけるのを見るたび、・・・痛かった。」
春樹さんは、左手を軽く握って、自分の胸の真ん中をとんと叩いた。
「・・・。」
「今はね。オレはもう元気なんだよ。マキノ。そう見えないかい?」
「・・・ちゃんと、元気に見える。」
「だろ?
元気に見えてたって、記憶は残ってるし、思い出せば痛いときもある。
誰もがなにかを抱えて生きてるさ・・。マキノにだってあるんじゃない?
心の傷がどうとか、トラウマがどうとか、乗り越えたとか、整理がついたとか、もう忘れたなんて、簡単には言えるもんじゃない。
でももう、オレは、今は元気だし、幸せなんだ。」
「・・うん・・。」
「だからさ・・・マキノは、もう泣かなくてもいいんだって。」
マキノはさっきから、まるで別れ話でも切りだされたかのようにボロボロと泣いていた。
「・・うん。・・ずびっ。」
うなぎを食べながら。
「・・ずびっ。」
お茶をすすって
「ずずっ・・ずびっ。」
また一口食べて
「・・ずびっ。」
そして、とうとう春樹さんが音をあげた。
「誰が見ても、オレが泣かせたみたいに見えるよ。そろそろ泣き止んでくれないかな。」
「うん・・・ずびっ。」
「ここから出てしばらく国道を走ったところに駐車場があるはずだから。そこからマキノを乗せて走る。」
「・・うん。」
マキノはぐずぐずと鼻をすすりながらやっとのことでうなぎを食べ終えた。
料理屋を出て少し走ると、春樹さんの言うとおり、海岸線の自動車道が始まる手前に、小さな駐車場があった。
マキノのバイクはハンドルロックをかけて停めておいて、春樹のバイクに2人でまたがった。
やっぱりタンデムシートの位置が高い。
初めて春樹さんに乗せてもらったのは、まだ、つきあってもいない時だった。
駅までのわずかな距離だけど「バイクで送ろうか?」と言われて、うれしくて二つ返事でとびついた。そのくせ、触れていいのかためらわれて、照れくさくて、しがみつけなかった広い背中だ。
「発進しますよ?」
「はい。」
あの日と同じ声がかかった。
ドゥルルルン・・・ドドドドド・・・ブロロロォー
エンジンの音が響く。自分の心臓がドキドキしているのと、区別がつかない。
900Ninjyaはゆっくりと走りだした。
速度に合わせて、ギヤが上がっていく。
マキノは、人目をはばからず春樹さんにぴったりとしがみついた。
ぎゅうぎゅう。抱きしめていたかった。
これ以上どうやって寄り添えばいいのか、もうわからなかった。
何もできないけど。
一緒にいる。
私が一緒にいるよ。
春樹さんも、一緒にいるって言ってくれた。
ずっと一緒に・・・。
マキノは、頭が真っ白なまま春樹さんの背中に体を押しつけバイクの後ろで揺られた。
春樹さんは大きなバイクを右へ左へと道に合わせて倒して軽々と操る。
命を預けていたって、不安など、みじんも感じなかった。
2台で走っていた時よりも、加速も鋭いしスピードも上がっている。
ブォーーーン ブォン ブォーーーーン・・・
次第に、頭の中が透明になって行く。
直線になって、移り過ぎていく風景の速度が緩やかになった。マキノは泣いてぼーっとしたまま遠く水平線を見た。海岸線は複雑な姿の湾を形作っていて、美しい景色を作り、それに合わせるように緩やかなカーブが続いている。
マキノは、春樹さんの背中にあずけていた意識を、今視界に入っっているものに移した。
「海・・。」
ヘルメットの中でマキノはつぶやいた。声は、至近距離の春樹さんにすら届かない。
海の色が深かった。
透明になった世界が、だんだんと青く彩られていく。
「海がひかってる・・。」
キラキラ・・・。
「きれい・・・。」
またコーナーが深くなった。バンクする角度も深くなる。
海が途切れて海岸線の道路は木々の間を縫い景色が激しく移り変わる。
一度海に惹きつけられた意識を、今度は、バイクの前へ、進路と路面と、カーブへと方向を移していった。
カーブの手前。ブレーキング。
マキノはその時、春樹さんがふたつシフトをコンコンと落したのに気づいた。
バイクのボディーを倒したまま斜め上にコーナーの出口を見てアクセルを開きクラッチをつなぐ。
エンジンの回転が駆動力へと伝わり、予想した通りの加速Gを実感する。
春樹さんが操るバイクの動きが、バイクを乗る時のいつもの自分とシンクロした。
クラッチを握ってはつなぎ、またシフトが上がった。
マキノを乗せていてもバイクは力強くのびやかに走る。
自分自身がアクセルを握っているような気がした。
春樹さんの体重移動のじゃまにならないように、おなかに回していた手を少し緩めた。
それがわかったのか、次の直線で春樹さんの左手が一瞬ハンドルから離れてマキノの手を軽くぽんぽんと叩いた。
しっかりつかまってろ?と言う意味なのかな。
意図は分からなかったけれど、後ろに乗っている自分に、春樹さんが心を配ってくれていることが嬉しかった。
春樹さん、大好き・・大好き・・
“大好き”が溢れそうだ。
次のカーブへ。右へ。左へ。気持ちいい。
この道が、もっと続けばいいのに。
そう思ったとたん、春樹さんは自動車道路から脇道へとそれて、パーキングエリアへと入った。
走りはじめてから20分程は経っていただろうか。
春樹さんがヘルメットのシールドを上げて尋ねてくれる。
「どう?後ろは。怖くなかった?」
「・・全然。怖くないよ。私、運転の邪魔じゃなかった?」
「大丈夫。マキノが軽くなったように思って、確かめたんだ。」
「・・ああ、あの、さっき手をぽんぽんってしたの?」
「そ。」
「えー、私の事、落としたと思ったの?」
「ははは・・。」
春樹さんはそれには答えずに笑った。
「よし、ここで引き返すからね。」
「うん。」
春樹さんは休憩もなしに、ブォォンと反対車線へと走り出た。
運転が、さっきよりなめらかだ。余分な力みが消えているのがわかる。
戻り道のほうが景色が、世界が、明るく感じる。
ゴールデンウィークの真っただ中だ。反対車線を走るたくさんのライダーたちとすれ違う。ついさっきまではそんなことにも気づかなかった。
同じ道なのに景色が違って見える。
「ぶうん。ぶーーーーーーん。ふおぉーーーーん。」
マキノは自分でもアクセルを回しているつもりで、ヘルメットの中でエンジン音の口真似をした。
「カシャ。ふぉーーん。」
なんて素敵なバイク・・・。
いや、運転がいいのか、バイクがいいのか・・。
元から好きだったけど、今ほどバイクに乗ることが楽しいと思った事はなかった。
春樹さんは、本当にこのバイクを処分しちゃうつもりなのかな・・
寂しいけれど・・。このバイクをただ置いておくことよりも、春樹さんと一緒にこうして二人で乗って走ったことを大切にしたい。
900Ninjyaが、乗っている春樹さんとセットになって、たまらなく愛しい。
VTR250を置いてある場所まであっという間だった。
900Ninjyaのタンデムシートから離れるのはすこし名残惜しかったが、未練は振りきって飛び降り、自分のバイクへと向かった。
さっきより、ちゃんと地に足がついている。
「帰りもオレが先に走ろうか?」
「あ・・私も一度前を走りたいな?」
「・・道はわかるの?」
「わかると思う。」
「・・・後ろでも前でも頼りないように思うのはなんでだろう・・。」
「もう、失礼だなっ。」
「はは。じゃあ先に走ってごらんよ。」
「いいとも。」
マキノはVTR250のエンジンを始動した。
ブオンブオン・・ドゥルルル・・・・
「前を走るときは走行車線の右寄りを走るんだよ。」
「うん。」
「オレのバイクを左バックミラーで確認できるぐらいの感じでね。」
「うん。」
・・そうやって、ミラーの中にいる私をずっと気にしてくれていたんだね。
「休憩はどこでとる?」
「このまま家まで突っ走りたい気分。」
「2時間も走れる?」
「たぶん。苦しくなったら適当に休み入れるよ。」
「苦しくなったらじゃなく、なる前に休むんだよ?」
「うん。わかった。じゃあ行くよー。」
「おう。」
2台のバイクは、ぴたりと息を合わせたように、帰路を駆けた。
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