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カフェ開業へ

案内状

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「じゃあいこうか。」
「はい。」
春樹が先にまたがって、マキノがその後にまたがる。
「うわー タンデムの位置って思ったより高い!」 
「オレ、タンデムシートに人を乗せるのって初めてで・・。」
「ステップの位置も高い!これ不安定じゃないですか?うわぁこわい!」
「・・・。」
「あっすみません興奮しました。もうさわぎません。」
「・・・発進しますよ。」
「はあい。」

ドュルルン・・ドドドド・・エンジンがかかった。おなかにひびく音だ。
あっ、まずい。春樹さんの座席が低くて遠い。おなかに手を回せない。これ春樹さんに密着しないとダメなの?
ええ~そんな。くぅっ、つかまりたい。やだはずかしい。どうするマキノ・・。

シフトをローに落とすカシャンという音が聞こえて、春樹さんの声がかかった。
「ちゃんとつかまっててね。」
「!」
言われちゃった! ほら言われちゃったよ!!
「はい。」
意識しちゃダメ。精一杯平静を装った返事をして、春樹さんの腰の辺りに手を伸ばしたとたん、バイクがぎゅんと走りだした。
おうっ・・かろうじて春樹のウエアをつかんだが、一度後ろに体重がもっていかれて、体勢を立て直そうとしたその反動でヘルメットを春樹さんの背中にぶつけてしまった。

「ゴ・・ゴメンナサイ。」
ヘルメット越しに「大丈夫??」と声がかかった。
「大丈夫でーす。」
でも、ヘルメットをぶつけたおかげでなんとなく自然に春樹さんにつかまることができた。
これは不可抗力。・・私は荷物。私は荷物。

春樹さんがカーブでバイクを倒すと、自分の体重移動のくせが出て運転しにくいんじゃないかな?と不安になった。ブレーキがかかると春樹さんに自分の体重がのしかからないようにタンクを押さえて耐えた。発進するときは、きっといつもより重いって思ってるに違いないと勝手に考えて悶えた。
これでは、このカワサキニンジャの性能やら加速やらコーナリングやらはどうなのか、春樹さんの運転がうまいのかどうなのか、考える余裕もなければ寒さすら感じる暇もない。
駅に着くころには気をつかいすぎて神経が疲労困憊。

バイクから降りてヘルメットを脱ぐと、マキノは、全力をふりしぼって笑顔を作りお礼を言った。

「春樹さん、ありがとうごさいました!助かりました!」
「どういたしまして。あ、そのメット、電車乗るのに邪魔でしょ?預かってあげるよ。」
「バイクの運転にじゃまじゃないですか?」
「平気。」
「じゃあ、お願いします。」
「気をつけて帰っておいで。」
「はい。すぐ戻ってきます。・・またお店に来てくださいね。」
春樹さんは、軽くうなずいて、マキノのヘルメットを左腕に通し、ドゥルルルルルと走り去っていった。

マキノはふぅ・・と息をついて貼り付けた笑顔をゆるめた。
春樹さんの後姿をしばらく見送る。そして「かーっこいー。」と口にしてみた。
その後に「バイクが。」とつけたした。・・そして自分一人で照れた。

実家へと帰る電車に揺られながら、マキノは「はぁぁ・・」・・とひとりでにため息をついていた。
春樹さんは背が高くて細いイメージだったのに、思ったより頼りがいがあった。
背中が広かった。・・遠慮しないでぎゅっと・・こう・・しがみつけたらよかったんだけど。
いやぁ・・無理だ。
さっきまで、目の前にあったその背中を思い出すと、なぜか頭を抱えたくなる。あまりにもなんというか、はしたない・・わけでもないけど。
ちょっと・・。いや、とても、心残り・・・。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇


実家に戻ると、母さんのいる居間に顔だけ出して声をかけた。
「すぐあっちに戻るね。今日2時間ぐらいお店を開けてたの。明日から営業するよー。」
「ええー?明日から営業?そんな突然決めてもいいの?」
「うん。お客さん来るかどうかは期待してないの。準備とかいろいろ進めたいだけだから。」
「あなたは、いつでも、することが唐突なんだから・・。」
「母さんも万里子姉と一緒にランチ食べに来て~。」
「今日は?もう行っちゃうの?ご飯ぐらい食べて行けばいいのに。万里子も明日帰ってくるんだよ。」
「大丈夫。やりたいことがいっぱいあるから。」
「もう・・・あなたはホントに・・。」

母さんは少し不服そうだったが、今言った通り、明日からの毎日に向けてやっておきたい事がいっぱいあるのだ。ヒーターのタイマーもセットしてきたし。
「いってくるねー」と軽く声をかけて、マキノは慌ただしく車を出した。


とんぼ返りで戻ってくると、まずは車とバイクを裏庭に移動した。店の中はヒーターのタイマーが入っていて、ほんのり温かかった。使ったままになっていたサイフォンや、春樹さんの使ったカップもそのまま。つい今までそこにいたようだ。マキノは、それらを片づけてから、パソコンを立ち上げて案内状を書いた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


  ≪ Café le Repos開業のお知らせ ≫


頌春の候
希望にあふれる新しい年を迎えました。皆様には、ますますお健やかに
お過ごしのこととお喜び申し上げます。
                          さて、私こと
この度、かねてから温めてきた夢が叶い、カフェをオープンすることと
なりました。
日頃、お仕事や家事などに頑張っておられる皆様の、ひと時の憩いの場
となれるよう、お店の名前は、フランス語の「ひとやすみ」=「Repos」
という単語を選び、「Café le Repos」といたしました。
「ルポのカフェ」とお呼びください。

皆様に、心を込めて用意したランチと、香り良いコーヒーをご賞味いた
だきたく、御芳の地にてお待ちいたしております。
まずは書中をもってご挨拶申し上げます。

2019年 1月吉日
                      オーナー 菅原マキノ






◇ ◇ ◇ ◇ ◇



元旦は、御芳と実家との往復でバタバタし、2時間だけの営業と春樹さんの来訪もあり、盛りだくさんだった。
今日は2日目。マキノは、少しずつ堅実にカフェの仕事を広げていくつもりだ。
腰を据えて、落ち着いて作業をしよう。

マキノは朝早く起きて、直径25㎝ほどの真新しい寸胴をまだ火のついていないガスコンロの上に置いた。非力な女子の腕でも充分扱えて、冷蔵庫にも入るサイズのものをカレー用にしようと決めて買ったのだ。カレーなら日によって需要の差があっても作り置きができるから都合がいい。たまねぎを大量に刻んで涙を流し、ニンニクとショウガを刻んんだものから炒めはじめる。ジャガイモは傷みやすくなるから入れない。トマトは湯むきしてタネの部分を取り除いて適当に切った。具は、シチュー用の角切りの牛肉と、マッシュルームのスライスと、にんじんは1㎝ほどのさいの目にして入れることにした。
カレーを煮込んでいる間にハンバーグを仕込む。これも大量のたまねぎのみじん切りが必要だ。煮込みハンバーグは最後に煮込むのでいつでもふんわりあつあつの出来立てを出すことができて、これも作り置きがしておける。イズミさんと一緒にメニューを考えている時、試食もしたし、作るのも出すのも技術の差も関係ないので、定番にしようと決めていた。

十時過ぎに玄関の引き戸の横のフックに、昨日と同じようにOPENのプレートをかけた。昨日深く考えずに出したそのプレートに、たった一人、お客さまとして反応してくれた春樹さんのことを思い出した。
バイクまで乗せてもらって・・調子に乗りすぎたと少し反省。
しがみつきたいのにしがみつけない、あの葛藤がよみがえってくる。ああもう恥ずかしいっ。
偶然出会うことが多かったから。困った時に助けてくれたから。リョウが変な事を言ったから。バイクに乗っていたから。いくつかのキーワードがピタリとはまって、過剰に意識しているのだ。

頭をぷるっと小さく振って気を取り直す。
さて、今日こそは一人もお客様はないかも。そう覚悟しつつも、玄関の脇に置いた木の机に葛蔓を飾り、それを台にして、もう一つの店の名前を書いたプレートを立て掛けた。この机も春樹さん由来なのだ。・・また頬が緩んだ。
これからの日々が楽しくなりそうな予感がする。


厨房に戻り、ランチの下準備にかかった。オニオンとコーンのコンソメスープとサラダの野菜も用意した。キャベツを刻んでみたが、カット野菜をより長く新鮮に保ちたい。保存方法を研究しなくちゃ。炊飯器は二升釜にしたけれど、十五穀米を半分以下の量を炊くことにした。十五穀米はカレーでもランチセットでもどちらにも使える。お客様が少なくても無駄したくないから、残ってもうまく保存すれば2~3日ならピラフにできるだろう。作り置きの事ばかり考えている。


お昼前にはハンバーグを煮込むためのデミグラスソースができあがって、自分の分のお昼ごはんにハンバーグランチを最終試作してみるか・・と、小鍋にソースを取り分けた。火をつけて弱火にしてから、ランチョンボードの上にお皿やサラダの器をどうレイアウトするか考えていると、お店の外で子どもの声らしいざわめきが聞こえてきた。期待が上がる。誰か来てくれるのかな?もしかしてイズミさんファミリーかも。

手を停めてしばらく待つと、玄関の戸が開いて、思った通りイズミさんの家族がぞろぞろと入ってきた。

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