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カフェをめぐる物語(1)続
二人の一日・・
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翌日、遊が出勤してきて言った。
「おはよう。マキノさん、今日カレンダーのまるの日だね。」
そうなのだ、とうとう丸のついた日がきたのだ。
「遊、おはよう。」
マキノは、わざともったいぶって挨拶をした。
「で、何の日なの?」
「わたしの、お休みの日。」
「いるじゃん・・。」
「これからでかけます。・・もうすぐイズミさんが来ます。留守を頼みますよ。」
「・・ふうん。」
今朝は、この間ショッピングモールでメイクの見本をしてもらい勉強したのを思い出しながら、いつもよりは丁寧にお化粧をしたのだ。
新品のジーンズとセーターを着たが、ジャケットはいつものだし、シューズがちょっとくたびれている。・・・残念だ。
「マキノさんいつもと違うね。女の人みたい。」
遊めっ、失礼な。じろりと睨んだが、今日は反論する余裕がなかった。
自分の事でいっぱいいっぱい。女性に見えるならよいとする。
春樹さんが迎えに来てくれるまでは、普通に仕事をする。
ああでも、もうすぐ迎えに来てくれる時間。ドキドキしすぎて、天に昇りそう。
約束の9時の少し前に、今日の担当のイズミさんが来た。
「あらマキノちゃん、可愛くできてるよ。」
「ありがとう!」
マキノがくるっとまわってとろける顔をした・・ところへイズミさんの後ろから春樹さんが入ってきた。
「おはよう。何だろ、その、なんていうか、しまらない感じの顔だね。」
「う・・。」
「おっ、君が遊君?うわさ通りのイケメン君だね。はじめまして。」
「はじめまして。おはようございます。」
遊は、小さな声で返事はしたがこの人誰?と言う顔をしている。
教えてあげないからね。
マキノは、もう一度遊をじろりと睨んでから、自分で頬をパシパシと叩いた。
「では、いってきます。あとお願いします。」
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
「はーい。」
玄関を出てから、イズミさんの小さな笑い声が聞こえた。
遊には、イズミさんが春樹さんの正体を説明しているだろう。
マキノは、春樹さんから「どうぞ。」と促されて、助手席に乗り込んだ。
春樹さんの車は、スバルのスポーツカーだ。・・かっこいい。
はっ・・・
熱を出した時も、事故した時も、この車の後ろの座席に乗ったはず。
病院ばっかり・・・。
「この車には、私にとって不名誉な歴史が刻まれてる気がする。」
「っふふ。そうだね。」
変な事だけ思い出して、何を話していいのかわからなくなったので、マキノは笑顔を貼りつけたまま固まっていた。
「さっきはあんなこと言ったけど、今日のマキノちゃん、かわいいよ。」
ボッ
「あっ、ありがとうございますっ。」
また、また顔に火がついたっ。
スルッと言った。
かわいいだなんて。・・だなんて。
「いろいろ考えたんだけど、いいところ思いつかなくて・・」
マキノは口元が変に緩んでしまうのを気にして、両手で自分の頬を押さえながら春樹の方をちらりと見た。
ダメだ・・・ただ車を運転しているだけなのに、かっこよく見えてしまう。
これは、なんかのフィルターがかかっている。・・冷静に冷静に。
「マキノちゃん、県北部のお寺巡り行ったことある?」
「うん。いつだったか、遠足で行きました。」
「大きな仏像なんかを見たの?」
「それそれ。見たよ。」
「マキノちゃんは県内の人じゃないから、有名どころしか知らないと思うけど。その近くの街並みには工房が点在する通りがあって、いろんな体験ができたりするんだよ。オレ、そこでやってみたいことがあってさ。」
「体験って好きですよ、わたし。どんなのでも。」
「やっぱり。そう言うと思ったんだ。」
「で、なんの体験?」
「ろうけつ染め。」
「へー。やったことない!」
「実は、オレも初めていくから、どんなとこかわかってないんだけど。予約は午後にしてあるから、それまで近くの公園を散歩したりランチしたりして待機。」
「うん。わかった。」
春樹さんは、池の近くの駐車場に車を止め、そのそばにあった古い神社の中を勝手に通行した。境内に敷かれた玉砂利を踏むとざくざくと音がする。シューズで正解だったな。ヒールなんて履いたら、このスピードにはついていけないもん。
マキノは、そんなことを思いながら、春樹さんのななめ半歩後ろをついて歩いた。
春樹さんが、不意に振り返って、マキノに手を出した。
!! うひょう。
マキノがその手をつかむと、春樹さんは、つないだ手を自分のジャケットのポケットに入れた。
何度目だろ。マキノは春樹さんの横顔をそっと見上げた。
少し照れているようにも見える。
大胆だぁ・・。でも、あったかい。春樹さんの体温・・あー、しあわせだな。
朝からずっと、ドキドキが止まらない。
境内を歩いたのに、その神社には興味がないらしくお参りもせず、また公園の中にも入りある方向にまっすぐに歩く。目的の通りがこの辺りのようだ。
春樹さんは、すこし歩幅が大きい。トコトコと速度を合わせる。まぁ許容範囲です。
「あ、歩くの早かったかな。」
「大丈夫。」
春樹さんが、振り返って自分の存在を気にしてくれてるのが、嬉しい。
「11時半か、ちょっと早いけどお昼にする?」
「うん!」
「この通りにはカフェもたくさんあるんだよね。研究したいんだって言ってたよね?」
「言いました!」
「好みもわからないから、マキノちゃんが選ぶ?」
「あ、んと、実はさっき目をつけてたお店が・・、お店の前にうちと同じオリーブの木があって、黒板にワッフルってメニュー書いてあったところ、見てみたいの。」
「目ざといね。じゃあ、そこにしよう。」
古い街並みに溶け込むような外観だ。落ち着いた雰囲気の木の扉を開けると、店内はあまり広くない。ひとつひとつの席がきちんと区切られ独立した空間になっていて、50~60歳ぐらいの上品な感じのご婦人が、レトロなワンピース姿で席を回ってサーブしていた。
床が板張りになっていて、そのおばさまが歩くと、靴のコトコト音と木のきしむギッギッという小さな音がした。
オーダーを尋ねられて、ワンプレートのランチと和風のランチをそれぞれ注文。
「これ、手作りコロッケっていいね。こういうのも作りたい。」
自分たちの食べる物はもう注文してしまったのに、マキノはしばらくその手作りのメニューを眺めていた。
「勉強だね。」
「そう。次にしようと思うことが見つかるとワクワクするの。」
料理が運ばれてくるたびにスマートフォンで写真を撮って画像を保存する。
知識が少ない自覚もあるし、食べ物の流行もある。
こんな風に地に足のついた経営をしておられるお店を観察すると、とても参考になる。
「うちのお店でコロッケを出すとしたら、どんなのがいいかな・・。」
「個人的な好みだけど、オレは、クリームよりポテトコロッケがいいな。」
「家庭料理だね。でもポテトでも何か工夫もできそうだね。」
春樹さんが笑った。
「ワッフルはどうするの?考えることがいっぱいありそうだけど。」
「予約の時間は・・大丈夫かな?ワッフルも食べますよー。」
マキノは、ジェラートとフルーツとシロップで飾られたワッフルを、しっかりと画像に残してから、少し食べるスピードを上げ、春樹さんにも手伝ってもらって食べ終えた。
ワンピースのマダムにごちそうさまと挨拶をして、次のろうけつ染め工房へと向かうため席を立った。
次の目的地は、3階建の小さなビルの3階。屋根裏部屋のような小さな工房だった。
その部屋に入るまでの廊下や階段に、その作家さんが染めたのであろう布が、ところどころに飾られていて、古い無機質なビルなのにコンクリートの壁すらおしゃれに見えた。
2階より上に登るのは、その工房に用のある者だけらしく、来た人を歓迎するためのディスプレイがされている。
春樹さんよりももう少しぐらい年上の、小柄で、リネンのすとんとしたスモックを着た女性が、笑顔で迎えてくれた。この人がワークショップを指導してくれるようだ。
ろうけつ染めは、蝋を溶かしたもので布に筆で図を描いて、その周りを染料で染めることで模様が浮かび上がるものだ。染めた布を、スカーフか、パネルにするのかを選べるようになっている。
模様は、フリーハンドで好きなようにも描けるし、型紙を使って描いたりもできる。
蝋を塗った部分は、染料をはじくので、それを利用して色を変えるのも良いし、蝋を塗っていない場所では、違う色を混ぜたりにじませたりもできる。どのようにしてもいいから遊べばいいということだった。
「きれいなセーターなのに汚さないように気をつけないとね。」
春樹さんから声がかかった。
「・・ちゃんと気を付けますよ。」
・・。おニューのセーターだと気づいてくれたのかな。
作業は、下書きからだ。まずどんな模様にするのか考えて、紙に鉛筆書きをして、構図が出来上がると、下書きを元にして今度は布にえんぴつで下書きをする。
その線は、蝋を落すときに消えてしまうので気にしなくていいらしい。
春樹さんは下書きから、本作業まで、豪快にフリーハンドで幾何学的な模様を描いていく。
マキノは、桜の型紙を使ってちまちまと模様を描いた。花びらを一つづつ、色も考えながら描くのでずいぶん時間がかる。
春樹さんは、比較的短時間で仕上げてしまって、マキノが必死で描いているのを、楽しそうに眺めながら待っていてくれた。
マキノは、最後に、ひらかなで「るぽ」と描いた。パネルができてきたら、お店に飾りたい。
出来上がりは1か月半後に郵送されるとのことだった。
作業には思ったより時間がかかって、夕方の5時になっていた。カフェの営業が終わる頃なので、様子を聞くためにイズミさんに電話をしてみた。
お店は万事つつがなく終了。レジのお金は金庫に入れて、遊を追い出して、戸締まりをしておいてくれる、との報告を受けた。
マキノは、イズミさんに礼を言って電話を切った。
夕ご飯は、小さなステーキハウスでおいしいお肉をごちそうになった。
カウンターの中の鉄板でシェフが目の前で焼いてくれる。
鉄板の上で炎があがった。
「こんな豪快なフランベは・・うちでは無理だ。」
「コンセプトが違うから仕方ないよ。」
料理は腕だというけれど、素材だけでなく道具も演出もモノを言うと思う。
そして、食事のあとは夜景を見に県境の峠のドライブウェイを走った。
標高が上がるにつれて、木々や山の間から街の光が広がっていくのがわかる。
眠らない都会の街を見下ろせる広場に車を停めて、春樹とマキノは肩を並べた。
三月、山の上の夜は、とても寒い。
ダイナミックに広がる街の灯りは、光の海のようだった。
マキノは春樹さんから「寒い?」と聞かれて、とても寒かったのに「大丈夫。」と答えた。
「きれいでしょ?」
「うん、すごい・・。こんなの初めて見た。」
「町の中にいると、思いもよらない景色なんだよね。」
と、春樹さんは、マキノの肩を抱いた。
どきーん・・。
しばらくの沈黙の後、春樹がゆっくりと話しかけてきた。
「オレね・・・いろいろ考えました。」
「・・なにを?」
「退院した日にさ、マキノちゃんに意地悪なこと言ったの覚えてる?」
「んーと・・あ、言ったね!私が誰にでもごはん作るって!」
「うん。それ。」
「・・でも、否定できませんでした。」
春樹はふふっと笑った。
「それでいいんだよ。」
ぽりりとこめかみのあたりを掻いて、春樹は続ける。
「それと、もう一つ、夕ご飯は作らなくてもいいよって、言ったのは覚えてる?」
「うん。・・・寂しいこと言うなぁって思った。」
「あれはね、逆なんだよ。マキノは、オレを元気づけようとしてるけど、オレは本当は、君に無理をさせたくなかったんだ。」
「・・・。」
「マキノちゃんが以前言ってたでしょう。誰かの力になりたいとか、居場所になりたいと思ってるって。」
「・・・うん。」
「オレ、マキノちゃんが必死でやろうとしてることを応援しようって、早い時期から思ったんだけどね。」
「・・・。」
「オレにはオレなりの理想があってね、でも本当にそれができてるか?って自問自答して、やっぱ弱くて、頼りなくて、嫉妬なんかしたりもして、オレって小さい人間だなってね。失格かぁって思ったりね。」
勝手に失格にしないでほしい。
そして、いつの間にか呼捨てになってるよ・・。
「この前も、言ったよね。好きだって。」
「・・・。」
マキノは黙ってうなずいた。
「でも、ある時分かった気がしたんだ。まぁいっか・・って。このままのオレでも・・マキノなら大丈夫かなって。」
春樹さんは、まだ街を見下ろしたまま。
マキノはその横顔を、また見上げた。
ああダメだ・・また・・胸がきゅんとする。
だって・・
「だって・・私・・最初から・・」
引き受けたいって思ったのに。こんな私でもいいなら、春樹さんの痛みを癒せるものなら。
あの泣き顔にキスしたときに・・。
「うん。知ってた。オレが勝手にいろいろ思っただけ。・・だれのどこが少々ダメなところがあったとしても、マキノはそれを包める人間だって・・わかってた。」
春樹はゆっくりと、言葉をつづけた。
「だからオレは、オレなりの精一杯で向き合えばいい・・って。分かったんだ。」
マキノの肩を抱いていた手が少し動いて、春樹さんは、こちらを向いた。
「マキノ、好きだよ。」
春樹さんは、マキノの耳にそっと手を添えて、やさしく包むようなキスをした。
そして「かえろっか。」と言った。
その夜、春樹はマキノの家に泊まり、朝早く帰っていった。
「おはよう。マキノさん、今日カレンダーのまるの日だね。」
そうなのだ、とうとう丸のついた日がきたのだ。
「遊、おはよう。」
マキノは、わざともったいぶって挨拶をした。
「で、何の日なの?」
「わたしの、お休みの日。」
「いるじゃん・・。」
「これからでかけます。・・もうすぐイズミさんが来ます。留守を頼みますよ。」
「・・ふうん。」
今朝は、この間ショッピングモールでメイクの見本をしてもらい勉強したのを思い出しながら、いつもよりは丁寧にお化粧をしたのだ。
新品のジーンズとセーターを着たが、ジャケットはいつものだし、シューズがちょっとくたびれている。・・・残念だ。
「マキノさんいつもと違うね。女の人みたい。」
遊めっ、失礼な。じろりと睨んだが、今日は反論する余裕がなかった。
自分の事でいっぱいいっぱい。女性に見えるならよいとする。
春樹さんが迎えに来てくれるまでは、普通に仕事をする。
ああでも、もうすぐ迎えに来てくれる時間。ドキドキしすぎて、天に昇りそう。
約束の9時の少し前に、今日の担当のイズミさんが来た。
「あらマキノちゃん、可愛くできてるよ。」
「ありがとう!」
マキノがくるっとまわってとろける顔をした・・ところへイズミさんの後ろから春樹さんが入ってきた。
「おはよう。何だろ、その、なんていうか、しまらない感じの顔だね。」
「う・・。」
「おっ、君が遊君?うわさ通りのイケメン君だね。はじめまして。」
「はじめまして。おはようございます。」
遊は、小さな声で返事はしたがこの人誰?と言う顔をしている。
教えてあげないからね。
マキノは、もう一度遊をじろりと睨んでから、自分で頬をパシパシと叩いた。
「では、いってきます。あとお願いします。」
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
「はーい。」
玄関を出てから、イズミさんの小さな笑い声が聞こえた。
遊には、イズミさんが春樹さんの正体を説明しているだろう。
マキノは、春樹さんから「どうぞ。」と促されて、助手席に乗り込んだ。
春樹さんの車は、スバルのスポーツカーだ。・・かっこいい。
はっ・・・
熱を出した時も、事故した時も、この車の後ろの座席に乗ったはず。
病院ばっかり・・・。
「この車には、私にとって不名誉な歴史が刻まれてる気がする。」
「っふふ。そうだね。」
変な事だけ思い出して、何を話していいのかわからなくなったので、マキノは笑顔を貼りつけたまま固まっていた。
「さっきはあんなこと言ったけど、今日のマキノちゃん、かわいいよ。」
ボッ
「あっ、ありがとうございますっ。」
また、また顔に火がついたっ。
スルッと言った。
かわいいだなんて。・・だなんて。
「いろいろ考えたんだけど、いいところ思いつかなくて・・」
マキノは口元が変に緩んでしまうのを気にして、両手で自分の頬を押さえながら春樹の方をちらりと見た。
ダメだ・・・ただ車を運転しているだけなのに、かっこよく見えてしまう。
これは、なんかのフィルターがかかっている。・・冷静に冷静に。
「マキノちゃん、県北部のお寺巡り行ったことある?」
「うん。いつだったか、遠足で行きました。」
「大きな仏像なんかを見たの?」
「それそれ。見たよ。」
「マキノちゃんは県内の人じゃないから、有名どころしか知らないと思うけど。その近くの街並みには工房が点在する通りがあって、いろんな体験ができたりするんだよ。オレ、そこでやってみたいことがあってさ。」
「体験って好きですよ、わたし。どんなのでも。」
「やっぱり。そう言うと思ったんだ。」
「で、なんの体験?」
「ろうけつ染め。」
「へー。やったことない!」
「実は、オレも初めていくから、どんなとこかわかってないんだけど。予約は午後にしてあるから、それまで近くの公園を散歩したりランチしたりして待機。」
「うん。わかった。」
春樹さんは、池の近くの駐車場に車を止め、そのそばにあった古い神社の中を勝手に通行した。境内に敷かれた玉砂利を踏むとざくざくと音がする。シューズで正解だったな。ヒールなんて履いたら、このスピードにはついていけないもん。
マキノは、そんなことを思いながら、春樹さんのななめ半歩後ろをついて歩いた。
春樹さんが、不意に振り返って、マキノに手を出した。
!! うひょう。
マキノがその手をつかむと、春樹さんは、つないだ手を自分のジャケットのポケットに入れた。
何度目だろ。マキノは春樹さんの横顔をそっと見上げた。
少し照れているようにも見える。
大胆だぁ・・。でも、あったかい。春樹さんの体温・・あー、しあわせだな。
朝からずっと、ドキドキが止まらない。
境内を歩いたのに、その神社には興味がないらしくお参りもせず、また公園の中にも入りある方向にまっすぐに歩く。目的の通りがこの辺りのようだ。
春樹さんは、すこし歩幅が大きい。トコトコと速度を合わせる。まぁ許容範囲です。
「あ、歩くの早かったかな。」
「大丈夫。」
春樹さんが、振り返って自分の存在を気にしてくれてるのが、嬉しい。
「11時半か、ちょっと早いけどお昼にする?」
「うん!」
「この通りにはカフェもたくさんあるんだよね。研究したいんだって言ってたよね?」
「言いました!」
「好みもわからないから、マキノちゃんが選ぶ?」
「あ、んと、実はさっき目をつけてたお店が・・、お店の前にうちと同じオリーブの木があって、黒板にワッフルってメニュー書いてあったところ、見てみたいの。」
「目ざといね。じゃあ、そこにしよう。」
古い街並みに溶け込むような外観だ。落ち着いた雰囲気の木の扉を開けると、店内はあまり広くない。ひとつひとつの席がきちんと区切られ独立した空間になっていて、50~60歳ぐらいの上品な感じのご婦人が、レトロなワンピース姿で席を回ってサーブしていた。
床が板張りになっていて、そのおばさまが歩くと、靴のコトコト音と木のきしむギッギッという小さな音がした。
オーダーを尋ねられて、ワンプレートのランチと和風のランチをそれぞれ注文。
「これ、手作りコロッケっていいね。こういうのも作りたい。」
自分たちの食べる物はもう注文してしまったのに、マキノはしばらくその手作りのメニューを眺めていた。
「勉強だね。」
「そう。次にしようと思うことが見つかるとワクワクするの。」
料理が運ばれてくるたびにスマートフォンで写真を撮って画像を保存する。
知識が少ない自覚もあるし、食べ物の流行もある。
こんな風に地に足のついた経営をしておられるお店を観察すると、とても参考になる。
「うちのお店でコロッケを出すとしたら、どんなのがいいかな・・。」
「個人的な好みだけど、オレは、クリームよりポテトコロッケがいいな。」
「家庭料理だね。でもポテトでも何か工夫もできそうだね。」
春樹さんが笑った。
「ワッフルはどうするの?考えることがいっぱいありそうだけど。」
「予約の時間は・・大丈夫かな?ワッフルも食べますよー。」
マキノは、ジェラートとフルーツとシロップで飾られたワッフルを、しっかりと画像に残してから、少し食べるスピードを上げ、春樹さんにも手伝ってもらって食べ終えた。
ワンピースのマダムにごちそうさまと挨拶をして、次のろうけつ染め工房へと向かうため席を立った。
次の目的地は、3階建の小さなビルの3階。屋根裏部屋のような小さな工房だった。
その部屋に入るまでの廊下や階段に、その作家さんが染めたのであろう布が、ところどころに飾られていて、古い無機質なビルなのにコンクリートの壁すらおしゃれに見えた。
2階より上に登るのは、その工房に用のある者だけらしく、来た人を歓迎するためのディスプレイがされている。
春樹さんよりももう少しぐらい年上の、小柄で、リネンのすとんとしたスモックを着た女性が、笑顔で迎えてくれた。この人がワークショップを指導してくれるようだ。
ろうけつ染めは、蝋を溶かしたもので布に筆で図を描いて、その周りを染料で染めることで模様が浮かび上がるものだ。染めた布を、スカーフか、パネルにするのかを選べるようになっている。
模様は、フリーハンドで好きなようにも描けるし、型紙を使って描いたりもできる。
蝋を塗った部分は、染料をはじくので、それを利用して色を変えるのも良いし、蝋を塗っていない場所では、違う色を混ぜたりにじませたりもできる。どのようにしてもいいから遊べばいいということだった。
「きれいなセーターなのに汚さないように気をつけないとね。」
春樹さんから声がかかった。
「・・ちゃんと気を付けますよ。」
・・。おニューのセーターだと気づいてくれたのかな。
作業は、下書きからだ。まずどんな模様にするのか考えて、紙に鉛筆書きをして、構図が出来上がると、下書きを元にして今度は布にえんぴつで下書きをする。
その線は、蝋を落すときに消えてしまうので気にしなくていいらしい。
春樹さんは下書きから、本作業まで、豪快にフリーハンドで幾何学的な模様を描いていく。
マキノは、桜の型紙を使ってちまちまと模様を描いた。花びらを一つづつ、色も考えながら描くのでずいぶん時間がかる。
春樹さんは、比較的短時間で仕上げてしまって、マキノが必死で描いているのを、楽しそうに眺めながら待っていてくれた。
マキノは、最後に、ひらかなで「るぽ」と描いた。パネルができてきたら、お店に飾りたい。
出来上がりは1か月半後に郵送されるとのことだった。
作業には思ったより時間がかかって、夕方の5時になっていた。カフェの営業が終わる頃なので、様子を聞くためにイズミさんに電話をしてみた。
お店は万事つつがなく終了。レジのお金は金庫に入れて、遊を追い出して、戸締まりをしておいてくれる、との報告を受けた。
マキノは、イズミさんに礼を言って電話を切った。
夕ご飯は、小さなステーキハウスでおいしいお肉をごちそうになった。
カウンターの中の鉄板でシェフが目の前で焼いてくれる。
鉄板の上で炎があがった。
「こんな豪快なフランベは・・うちでは無理だ。」
「コンセプトが違うから仕方ないよ。」
料理は腕だというけれど、素材だけでなく道具も演出もモノを言うと思う。
そして、食事のあとは夜景を見に県境の峠のドライブウェイを走った。
標高が上がるにつれて、木々や山の間から街の光が広がっていくのがわかる。
眠らない都会の街を見下ろせる広場に車を停めて、春樹とマキノは肩を並べた。
三月、山の上の夜は、とても寒い。
ダイナミックに広がる街の灯りは、光の海のようだった。
マキノは春樹さんから「寒い?」と聞かれて、とても寒かったのに「大丈夫。」と答えた。
「きれいでしょ?」
「うん、すごい・・。こんなの初めて見た。」
「町の中にいると、思いもよらない景色なんだよね。」
と、春樹さんは、マキノの肩を抱いた。
どきーん・・。
しばらくの沈黙の後、春樹がゆっくりと話しかけてきた。
「オレね・・・いろいろ考えました。」
「・・なにを?」
「退院した日にさ、マキノちゃんに意地悪なこと言ったの覚えてる?」
「んーと・・あ、言ったね!私が誰にでもごはん作るって!」
「うん。それ。」
「・・でも、否定できませんでした。」
春樹はふふっと笑った。
「それでいいんだよ。」
ぽりりとこめかみのあたりを掻いて、春樹は続ける。
「それと、もう一つ、夕ご飯は作らなくてもいいよって、言ったのは覚えてる?」
「うん。・・・寂しいこと言うなぁって思った。」
「あれはね、逆なんだよ。マキノは、オレを元気づけようとしてるけど、オレは本当は、君に無理をさせたくなかったんだ。」
「・・・。」
「マキノちゃんが以前言ってたでしょう。誰かの力になりたいとか、居場所になりたいと思ってるって。」
「・・・うん。」
「オレ、マキノちゃんが必死でやろうとしてることを応援しようって、早い時期から思ったんだけどね。」
「・・・。」
「オレにはオレなりの理想があってね、でも本当にそれができてるか?って自問自答して、やっぱ弱くて、頼りなくて、嫉妬なんかしたりもして、オレって小さい人間だなってね。失格かぁって思ったりね。」
勝手に失格にしないでほしい。
そして、いつの間にか呼捨てになってるよ・・。
「この前も、言ったよね。好きだって。」
「・・・。」
マキノは黙ってうなずいた。
「でも、ある時分かった気がしたんだ。まぁいっか・・って。このままのオレでも・・マキノなら大丈夫かなって。」
春樹さんは、まだ街を見下ろしたまま。
マキノはその横顔を、また見上げた。
ああダメだ・・また・・胸がきゅんとする。
だって・・
「だって・・私・・最初から・・」
引き受けたいって思ったのに。こんな私でもいいなら、春樹さんの痛みを癒せるものなら。
あの泣き顔にキスしたときに・・。
「うん。知ってた。オレが勝手にいろいろ思っただけ。・・だれのどこが少々ダメなところがあったとしても、マキノはそれを包める人間だって・・わかってた。」
春樹はゆっくりと、言葉をつづけた。
「だからオレは、オレなりの精一杯で向き合えばいい・・って。分かったんだ。」
マキノの肩を抱いていた手が少し動いて、春樹さんは、こちらを向いた。
「マキノ、好きだよ。」
春樹さんは、マキノの耳にそっと手を添えて、やさしく包むようなキスをした。
そして「かえろっか。」と言った。
その夜、春樹はマキノの家に泊まり、朝早く帰っていった。
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