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3 -Trois-

心に傷を負った過去の恋の話

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 翌日のランチタイムが終わり少し経った頃、おじいちゃんの本屋にリュカさんが来た。

「Bonjour」
「リュカさん」
「やっぱり気になって、放っておけなくてさ」
「優理、俺はフェリックスの所に行ってくるから。ちょっとだけ店を見ててくれるか」
「あ……うん、わかった」

 僕たちの雰囲気を察してなのか、急におじいちゃんが用事を思い出したように席を立ち、店から出て行った。リュカさんの肩を、そっと叩いて。
 僕は店内に置いてあるスツールを持ってきてリュカさんに差し出すと、デスクに戻ってイスに座る。

「日本で、何があったのか……聞いても大丈夫?」
「あー……」

 正直、あまり口にはしたくない。けれど自分の内側に閉じ込めておきたくないとも思っている。リュカさんは日本の人じゃないし、ここも日本じゃない。今ここで、抱え込んでいるものを吐き出したら、少しは楽になれるのだろうか。聞いてくれるというこの人に、曝け出してしまったら。
 そんなことを悶々と考えている間も、リュカさんは一言も発することなく僕の言葉を待ってくれている。
 だから僕は、思い切って話をしてみることにした。

「……日本で、付き合ってた人がいたんです。その人は学校の先生で、美術を教えてくれていました。身長が高くて、スラッとしたイケメンで、明るくて……みんなから好かれているような人。高校二年からの選択で、僕は美術コースを選択して、先生に教えてもらっているうちに、好きになってました。先生の印象に残るようにたくさん質問しに行ったり、わざと美術室に残って、放課後絵を描いたりして。夏に思い切って告白したら、オッケー貰えちゃって、僕はすっかり浮かれてた。だけどみんなにバレるわけにはいかないから、デートの場所にも気を遣って、キスも、その先も、外での振る舞いもしっかり配慮してたのに……」

 実際、先生はどう思ってたんだろう。僕のこと、ほんとに好きになってくれてたのかな。
 ここまでの話を、リュカさんは静かに頷きながら聞いてくれている。
 この先の話をするのには勇気がいるけれど、僕はじっくり時間をかけて意を決し、自分の腕を強く握って口を開いた。

「……見つかっちゃったんです。学校の人に。同じクラスの、お調子者の男子でした。僕が先生とデートをしていた時、少しだけと油断して……手を繫いで、キスを……せがんでしまったところを。でもソイツには、先生からキスをしたように見えたみたいで、翌日学校に行くとみんなに言い触れ回っていました。先生が松下にキスしてるところを見た! って」
「ひどいね、それは……」
「僕はなんとか言い訳をして、先生を救おうとしました。先生は悪くないって。だけど僕のクラスに言い訳をしに飛んできた先生が、言ったんです。『松下くんから誘われた! 僕はそれに付き合ってあげていただけだ!』って。先生は僕を、突き放しました。先生に謝ろうと思っても学校では目も合わせてくれなくなって、僕は……いじめにあいました。心無い言葉を掛けられて、好奇の目で見られて、男子数名にヤらせろ、しゃぶって気持ちよくしてくれ、とかって……何度も、強要されて……っ」

 あの時の地獄を思い出して、体が震えてくる。

「そんなことがあっても、その先生は、護ってくれなかったの?」

 僕は、ただコクリと頷いた。

「なにそれ……」

 美術準備室で密会したり、休日にはドライブして遠くへ連れて行ってもらったり、他にも楽しかった思い出は、たくさんあったはずなのに……先生だって、笑ってたはずなのに……あの日々の全部が、幻だったんじゃないかとも思える。
 僕が俯いたまま自分を抱き締めるように腕を強く握っていたら、リュカさんが徐に席を立って、僕の背中を擦ってくれた。

「そんなツラいことかあったなんて……思い出させて、ごめんね。話してくれてありがとう」

 目線を合わせ、僕の心に寄り添うようなその声が、今はじんわり胸に沁みる。

「テオに聞かれたら、話しても大丈夫かな? テオ、何があったんだってすごく心配してたから」
「……大丈夫です。でも、こういうことがあったからムリなんだってことも、伝えてください。テオさんは、雰囲気がどこか、先生に似てるんです」
「……うん、わかった」
「リュカさん、話……聞いてくれてありがとうございました」
「お礼なんて……」

 リュカさんは驚いた顔をして僕を見る。そして感極まったように眉を潜めると、優しく包み込むように僕の体を抱き締めてくれた。

「相談事とかあったら、いつでも話聞くから。また、店に来てね」
「……はい」


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