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3 -Trois-
それでもテオは僕のところに来る
しおりを挟む時刻は夜の八時。
「じゃあおじいちゃん、僕先に戻るね」
「あぁ」
閉店の作業をしているおじいちゃんに声を掛け、僕は夕飯を作るためにエレベーターで住居階へ昇った。階段を上ってセキュリティーを解除しドアを開ける。すると、歩廊の前にテオさんが立っているのが目に入った。柵に寄り掛かり腕を組んで待つ姿が、なんだか妙にカッコイイ。夜の空の隙間から月明かりが射し込んで、テオさんを照らしている。彫りの深い目元にシュッと高い鼻筋。唇の形も良くて、横顔を眺めるだけでもまるで芸術品を見ているみたい。
それまで何か考え込んでいるような神妙な顔をしていたのに、ふと顔を上げて僕の存在に気付いたテオさんは、コロッと表情を明るくして笑顔を見せる。そんな軽く手を振り近づいてきた彼に、僕は警戒心むき出しで後ずさった。
「Bonsoir!」
「待ち伏せですか?」
「つれないなぁ」
怪訝な僕の態度に、テオさんは苦く笑う。それでも気を取り直したように、彼は「はい、どうぞ」と紙袋をさしだしてきた。
「なんですか? これ」
「うちのクロワッサン。明日の朝にでも食べてよ」
「え……」
「あ! クロワッサンじゃない方が良かった?」
「いえそうじゃなくて、なんで……」
顔を上げてテオさんを見ると、彼は真剣な顔をして僕を見つめている。その表情に、僕は思わず口を噤んだ。
「リュカから聞いた。日本でのこと」
そう言うとテオさんは一瞬眉間に皺を寄せ、目を細めて顔を歪ませた。そしてそれを見せまいとするかのように僕をふわりと抱き寄せると、大きな手で何度も頭を撫でてきた。
「ちょ、っと」
「つらかったな。悲しかったな。ユウリはよく頑張った」
僕にちゃんと伝わるように、ゆっくり、丁寧に紡がれる言葉。
そんな真っ直ぐな優しさを受け止めて涙がグッと込み上げてくるのに、ふとまたあの人の笑顔が浮かんでしまって、ダメだった。あの人もよくこうして頭を撫でてくれた。あの人に褒められたくて、頑張っていた。そんなあの時の自分すら、情けなく思えてくる。
「っ、やめてください」
僕は思わずテオさんの体を押していた。
「そんな優しい言葉、いらないです」
「ユウリ……」
「もう、誰にも甘えたくない」
甘えるのが怖い。弱さを見せるのが怖い。もしまた誰かを好きになってしまって、好意を見せて例え思いが通じ合ったとしても、何があるか分からない。裏切られて、突き飛ばされるかもしれないんだから。あの時みたいに。
「それに、一目惚れなんて一番信用できないです」
顔を見なくても解る。この覗き込んでいる彼はきっと、僕を心配して様子を窺っているんだって。
「……すみません」
僕はなけなしの良心が痛んで、なんとか日本語で謝罪の言葉を口にした。
テオさんには通じていない。当然だけど。
こんな意地悪な僕をそれでも気遣って、顔を覗きながら「quoi ?」と聞いてくれる。
彼はきっと、僕みたいなのを放っておけない優しい人なんだろうな。
だからこそ、ダメだ。この人に関わったら絶対にダメ。僕の本能が言ってる。僕に刻まれた過去が言ってる。あの人も、そうだっただろって。
彼の顔を見ずに胸を押して離れると、僕はそのまま歩廊を渡っておじいちゃんの家へ帰った。彼の視線を、ずっと背中に感じながら。
これでいい。これできっともう、諦めてくれたはず。
そう、思っていたのに……
「Bonjour!」
「は?」
翌朝おじいちゃんと家を出て歩廊を渡ったら、まるで僕を驚かすように、渡り切った歩廊の横からテオさんが顔を覗かせてきた。
なんなんだ、この人。なんなんだ!
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