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前編
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嫌われたのか? 俺は、篤志に……
呼び止めるも虚しく、無情に閉まる玄関ドア。目はただドアの一点を見つめたまま、思考回路がショートしたかのように体が固まって動けない。
いったいどこで、何を間違えた。
俺はずっと、篤志に尽くしてきたはずなのに。
「あっくん……」
手の中にあるスマホがまた、鳴った。
画面を見るとそれは、アプリで知り合った相手の一人。
『もう終わりって、どういうこと?』
さっきお誘いのメッセがあって、「ごめん、こういうのもう終わりにする」って急いで送った。篤志が着替えて出ていこうとしてた時。それの返信が、これ。
他の子たちには前から断りのメッセを入れていて、その返信は『そっかあ残念です』『機会があればまた遊んでください』とかでわりとアッサリ終われたけど、この人は俺の好きな人のことまで話すほど長い付き合いではあったから、そう簡単には終われなかった。
『好きな人と、急展開』
篤志が出て行ってしまったショックで頭が回らないながらも、なんとか打ち出した。すると、すぐに既読がついて返信が来る。
『え、もしかして実った感じ?』
『いや、逆。終わった』
『終わった?』
『終わりにするって送ったあと、終わった』
『ちょっと待って展開が見えない。明日話聞かせて』
『わかった』
『じゃあ昼、学食でね』
この人は同じ大学の先輩。アプリで知り合って、プレイをしてからそれが発覚した。だからプレイ以外でもこうして校内で会って、話を聞いてもらったりしていた。
そういえば篤志に、「なんで学部が違うのに一緒にいるの? どこで知り合ったの?」って聞かれたことがあったな。説明に困って「あぁ、まあ……ちょっと」って誤魔化したら、なんか妙に拗ねてたっけ。
「あっくん……」
やっぱり、このまま終わりなんて嫌だ。
頭で考えるよりも心が勝って、電話を掛けていた。すると何故か部屋の中で聞こえる着信音。呼び出し音を鳴らしながら部屋に戻って探してみると、それは、ベッドの下に落ちていた。
スマホを拾って発信を切ると、待ち受け画面に表示されたのは、俺と篤志のツーショット写真。
「え……」
ビックリした。なんで、俺とのツーショなんて待ち受けにしてるんだろ。
「……あ、これ、高校の時のだ……」
そういえば高三の夏休みだったよな。みんなで高校最後の夏休みだからって、男五人だけで制服着てテーマパーク行って。あの時は青春してた。みんなでカチューシャつけてアトラクション乗ってはしゃぎまくって、五人で違う味のチュロス買って食べさせ合ったりしてた。レストランは高いからホットスナックで腹を満たそうってパーク内のワゴンに並んで色んなの食べたっけ。キャラクターの耳着けて美味しいって笑うあっくんが、めちゃくちゃ可愛かったんだ。それをすごく覚えてる。
あれ? でもこれ……
「二人で、撮ったんだっけ……?」
ベンチに座って肉巻きスティックみたいなのを食べてる、この時。たしか俺の隣にもう一人……あ、ほら肩が見切れてる。つまり切り取って敢えてツーショにしたってことか。でも、どうしてこんなのを待ち受けに?
よっぽど俺のことが好きなのか。待ち受けにしちゃうくらい俺のことを? なんて、冗談半分でつい自分に都合のいいように考えてしまって、それを諫めるように頭を振った。
とにかくこれで、また会える。明日になればもしかしたら、篤志も冷静になっているかもしれない。明日会って、ちゃんと話をしよう。
※ ※ ※
こんな日に限って、講義が被らない。唯一の連絡手段は俺が持っているし、朝から篤志を探しているのに、広い校内じゃ見つけようもない。あいつだってスマホが無いと不便だろうし、このまま会えなかったらやっぱり家に行ったほうがいいかもしれない。俺は篤志のスマホを手に握りながら、二時限目の講義を終えて学食に向かった。
約束をしていた窓際の席を探すと、先に俺を見つけたナギ先輩が立ち上がって手を振っている。
「コータ!」
ファッション雑誌に載ってる読モかってくらい整った容姿をしているナギ先輩は、存在自体が注目の的だ。そんな人が俺とプレイをしている仲だなんて、誰も想像は出来ないだろう。実際、俺が先輩のところへ行けば学食にいる女子たちの視線が痛いほど刺さってくる。
「ども」
「昼飯買ってきたら? 今日はB定がステーキだったよ」
「先輩は、クリームパスタですか?」
「そう。同じのにする?」
「いえ、B定にします」
「ははっ、相変わらず塩だねー」
俺が冷めた態度を取っても、この人は気にせず笑う。そういうところが、居心地よかったりする。
食券を買って定食コーナーのカウンターに出しステーキ定食を受け取ると、トレーの上に水を乗せて席に戻る。ふと顔を上げてその場所を見たら、俺がいない隙に先輩は女の子に声を掛けられていて、「うん、ごめんね~」と断りを入れる声が聞こえてきた。
「またお誘いですか?」
「そう。飲み会という名の合コン。毎回断ってるんだからいい加減広まってくれてもいいんだけどねぇ~。あの人は誘ってもダメとか、女子に興味ないんじゃない? とかさ」
「いいんですか?」
「全然いいよ。俺は隠す気ないし。聞かれれば答えるけど、聞かれないから言わないだけ」
モテる人は大変だ。自らゲイだと公表しない限り、いつまでもこうした問題が付き纏う。
「コータも大変でしょ。言い寄ってくる女の子、いるんじゃない?」
「俺は、こんなんなんで。寧ろ寄り付かれなくて助かってます」
「あー……そか。あからさまだもんね、態度」
クスクス笑いながらフォークでパスタを巻いている。この人の言う『あからさま』というのは、篤志とそれ以外への態度のことを言っているのだろうか。まあその自覚はあるけど。
「で? その彼と終わったって?」
「……はい」
「なに、何があってそんなことになっちゃったの」
「なん……ですかね。なんか、怒らせたみたいで」
「……まさか。嫌がることした?」
「いやまさか。悦ばせることしか」
「わお」
先輩は外国人みたいな反応をして、パスタを頬張る。
「じゃあなんでだろね」
鉄板の上でジューと音を立てているカットステーキ。ソースを掛けると熱せられた鉄板はさらに大きな音で鳴り、香ばしい香りが漂ってくる。
「……実は……俺のをしゃぶってみたいって、言われたんですよね」
「んんっ? げほっ」
サラッと伝えてカットステーキを箸で摘まみ、口の中へ。しかし俺の言葉を聞いたナギ先輩は、パスタに絡んだクリームが気管に入ったのか、思い切りむせていた。
「しゃぶっ……て、どういうこと?」
「わかんないっす。急に言われたから俺もビックリして」
鉄板で焼かれた熱いステーキが、噛むたびに口の中で肉汁を放つ。ご飯を一口頬張ったら、ナギ先輩がジィッと俺を見ていることに気が付いた。
「それで、コータはどうしたの」
「どうもしないですよ。だってそんな、あっくんを汚すようなことさせられないし。だから、あっくんはダメって言って……そしたらなんか、怒り出しちゃって……」
なんで突然、あんなふうに怒りだしたんだろう。俺はただ、アプリで知り合ってプレイしてる人たちとは違うから、あっくんは特別な人だから、俺の性器をしゃぶるなんてそんなこと、おこがましくてさせられない。そう思ってダメって言ったんだ。それなのに……冗談にしても何で、あんな苦しそうな顔してたんだろう。
「汚すって言うけどさ、二人がしてることは違うの? すでに汚してることない?」
「それは……篤志が望むから、俺がそれを叶えてあげてるだけなので……」
「その彼が望んだことなのに、しゃぶるのはダメなの?」
「ダメでしょ。だって、ちんこですよ? ノンケで彼女がいるあいつに、興味本位でそんなことさせられない」
「じゃあ、彼女がいなきゃいいの? 篤志くんがコッチの人間だったら普通に許した?」
「……なんなんですか、あんたさっきから」
まるで尋問だ。俺の心の奥底を探って引っ張り出そうとしてるみたいで、すごく心地が悪い。
「まあそう怒るなよ。ほら、ステーキ冷めちゃうよ」
そうやって軽くあしらって、微笑を浮かべながら自らもパスタを頬張る。
こうしたなんの気遣いも遠慮もない絶妙な性格の悪さが、時折腹立たしい。でもこういう人だから、俺も明け透けに話せるってのもあるんだけど。
付け合わせのニンジンを食べてステーキとご飯を口に入れ咀嚼しながら軽く睨みつけたら、水を飲んでいたナギ先輩がその視線に気付いてニコリと微笑む。
「まじ性格悪いっすね」
「いい性格って言ってよ。こういう性格だから、コータも居心地よくて長く付き合ってくれてるんでしょ?」
「……くそっ」
「プレイ以外でも会ってるんだから、もうトモダチじゃん。俺、親友には遠慮しない主義なの」
「話の中で段階踏んでランクアップすんのやめてもらっていいっすか」
頬杖をついてクスクス笑いながら俺を見てる。まるで、俺の心の中を見透かすみたいに。
俺はそれも癪で定食を黙々と食べ進めながら睨み続けてみるけれど、それでもこの人は楽しそうな笑みを浮かべている。もういいやと味噌汁を手に取り啜っていると、ふと先輩が何かに気付き顔を上げた。
「コータ、後ろ」
「え? あっ……」
先輩の言葉に振り返ると、すごく不機嫌な顔をした篤志が、俺の後ろに立っていた。
「篤志……」
「昨日、携帯忘れてった」
「あ、あぁ……はい、これ」
「……ども」
短い言葉を放って、気まずそうに俺からスマホを受け取る。
「もしかして、今来た?」
「うん」
「そっか。朝から探してたけど見当たらなかったから……よかった、会えて」
「朝からって……だって航ちゃん今日一限は」
「ん?」
「……いやなんでもない」
何かを言い掛けて口籠る。そして一度ナギ先輩に鋭い視線を向けると、受け取ったスマホを操作しながらとんでもないことを口にした。
「そうだ。ついでだから航太朗の使ってるアプリ、教えてよ」
「……は?」
これにはさすがの先輩も驚いたみたいで、身を乗り出したのが目の端に映る。
「え、何言ってんの」
「試してみるから。航太朗以外の人でも大丈夫か。それでイケるんだったら、今度から俺もアプリで相手探すし」
「ダメだよ、そんなの」
「なんでダメって言うの? 航太朗に俺の自由を奪う権利なくない?」
「……っ、れは……そうだけど――……彼女に知られたらどうするの」
そのワードを聞いた途端、篤志の手が止まった。眉間に皺を寄せ、瞳を揺らしながら無言で俺を見つめてくる。
「篤志くん、早まらない方がいい」
「関係ないでしょ! あなただって航ちゃんと……っ」
それ以上を言い掛けて、下唇を噛む。
「もう、航太朗に迷惑かけないって言っただろ」
「だから、俺は迷惑だなんて思ってないって!」
俺は篤志の腕を強く掴んだ。自棄になってる。昨日アレを断っただけで、どうしてこんなにも……
急展開なこの状況は理解が難しくて、俺はつい掴んでいる手に力が入ってしまう。
「……っ痛い。離せよ」
その手を篤志は振りほどいた。まるで俺を、拒絶するみたいに。
「……まいいや。あとでアプリのリンク送って。じゃ」
結局篤志は俺の顔を見ずに、冷たく言い放って行ってしまった。
「はぁー……こじれてんねぇ~……」
先輩が、溜め息交じりに言う。
俺は呆気に取られていた。というより、混乱と戸惑いで動けなくなっていた。
「一限、なかったんだ?」
「そう。だけど篤志が困ると思って早く来て……」
「ふう~ん」
「……なんすか」
「いや別にぃ」
椅子の背もたれに寄り掛かって腕を組み、ナギ先輩はニヤリと笑う。
「ほんと、どうすればいいんだろ……」
「そんなの、多少強引でも直接ちゃんと話するしかないでしょ」
そうは言われても、あれだけ拒絶されていたらとてもじゃないけど聞いてもらえる気がしない。
「弱気になるなよ。ずっと好きだった人をこんな形で手放すのか? 絶対後悔するぞ」
「わかってますよ、んなこと」
「だったら意地でも食らいつけよ。カッコ悪いとこ見せてでもさ」
そうだ。なりふり構ってられないのは解ってる。言われたままアイツに従って、後悔なんてしたくない。篤志のそばに居ることだけは、絶対に諦めたくないんだ。カッコ悪くても、何があっても。
「ねえコータ。恋は盲目って言うけどさ、やっぱ君ら、ちょっと変な方向に行ってるんじゃないかなって思うよ、俺は」
そう言ってナギ先輩は、コップに残った水を飲み干した。
「ま、二人が決めた関係性に部外者の俺がどうこう言える立場でもないけどね」
ごちそうさまでした、と手を合わせ、先輩は席を立つ。
「俺は修正できないことないと思うけどね、コータと篤志くんは」
トートバッグを肩に掛け、椅子を戻してトレーを持ち上げる。それを見計らったように二人の女子がナギ先輩に寄ってきた。
「灘木先輩! サークルのことでお話、いいですか?」
「うん、いいよ~。じゃあまたね、ちゃんと話し合いなよ」
ナギ先輩の後ろを、女子が付いて歩く。俺はその後ろ姿を見送りながら、思わず溜め息が零れ出た。
あんな感じで、話なんて聞いてくれるだろうか。いや、聞いてくれなきゃ困る。篤志が何と言おうとどれだけ拒まれようと、俺は、俺が、離れたくないんだから。
とにかく今日、もう一度ちゃんと話をするんだ。
呼び止めるも虚しく、無情に閉まる玄関ドア。目はただドアの一点を見つめたまま、思考回路がショートしたかのように体が固まって動けない。
いったいどこで、何を間違えた。
俺はずっと、篤志に尽くしてきたはずなのに。
「あっくん……」
手の中にあるスマホがまた、鳴った。
画面を見るとそれは、アプリで知り合った相手の一人。
『もう終わりって、どういうこと?』
さっきお誘いのメッセがあって、「ごめん、こういうのもう終わりにする」って急いで送った。篤志が着替えて出ていこうとしてた時。それの返信が、これ。
他の子たちには前から断りのメッセを入れていて、その返信は『そっかあ残念です』『機会があればまた遊んでください』とかでわりとアッサリ終われたけど、この人は俺の好きな人のことまで話すほど長い付き合いではあったから、そう簡単には終われなかった。
『好きな人と、急展開』
篤志が出て行ってしまったショックで頭が回らないながらも、なんとか打ち出した。すると、すぐに既読がついて返信が来る。
『え、もしかして実った感じ?』
『いや、逆。終わった』
『終わった?』
『終わりにするって送ったあと、終わった』
『ちょっと待って展開が見えない。明日話聞かせて』
『わかった』
『じゃあ昼、学食でね』
この人は同じ大学の先輩。アプリで知り合って、プレイをしてからそれが発覚した。だからプレイ以外でもこうして校内で会って、話を聞いてもらったりしていた。
そういえば篤志に、「なんで学部が違うのに一緒にいるの? どこで知り合ったの?」って聞かれたことがあったな。説明に困って「あぁ、まあ……ちょっと」って誤魔化したら、なんか妙に拗ねてたっけ。
「あっくん……」
やっぱり、このまま終わりなんて嫌だ。
頭で考えるよりも心が勝って、電話を掛けていた。すると何故か部屋の中で聞こえる着信音。呼び出し音を鳴らしながら部屋に戻って探してみると、それは、ベッドの下に落ちていた。
スマホを拾って発信を切ると、待ち受け画面に表示されたのは、俺と篤志のツーショット写真。
「え……」
ビックリした。なんで、俺とのツーショなんて待ち受けにしてるんだろ。
「……あ、これ、高校の時のだ……」
そういえば高三の夏休みだったよな。みんなで高校最後の夏休みだからって、男五人だけで制服着てテーマパーク行って。あの時は青春してた。みんなでカチューシャつけてアトラクション乗ってはしゃぎまくって、五人で違う味のチュロス買って食べさせ合ったりしてた。レストランは高いからホットスナックで腹を満たそうってパーク内のワゴンに並んで色んなの食べたっけ。キャラクターの耳着けて美味しいって笑うあっくんが、めちゃくちゃ可愛かったんだ。それをすごく覚えてる。
あれ? でもこれ……
「二人で、撮ったんだっけ……?」
ベンチに座って肉巻きスティックみたいなのを食べてる、この時。たしか俺の隣にもう一人……あ、ほら肩が見切れてる。つまり切り取って敢えてツーショにしたってことか。でも、どうしてこんなのを待ち受けに?
よっぽど俺のことが好きなのか。待ち受けにしちゃうくらい俺のことを? なんて、冗談半分でつい自分に都合のいいように考えてしまって、それを諫めるように頭を振った。
とにかくこれで、また会える。明日になればもしかしたら、篤志も冷静になっているかもしれない。明日会って、ちゃんと話をしよう。
※ ※ ※
こんな日に限って、講義が被らない。唯一の連絡手段は俺が持っているし、朝から篤志を探しているのに、広い校内じゃ見つけようもない。あいつだってスマホが無いと不便だろうし、このまま会えなかったらやっぱり家に行ったほうがいいかもしれない。俺は篤志のスマホを手に握りながら、二時限目の講義を終えて学食に向かった。
約束をしていた窓際の席を探すと、先に俺を見つけたナギ先輩が立ち上がって手を振っている。
「コータ!」
ファッション雑誌に載ってる読モかってくらい整った容姿をしているナギ先輩は、存在自体が注目の的だ。そんな人が俺とプレイをしている仲だなんて、誰も想像は出来ないだろう。実際、俺が先輩のところへ行けば学食にいる女子たちの視線が痛いほど刺さってくる。
「ども」
「昼飯買ってきたら? 今日はB定がステーキだったよ」
「先輩は、クリームパスタですか?」
「そう。同じのにする?」
「いえ、B定にします」
「ははっ、相変わらず塩だねー」
俺が冷めた態度を取っても、この人は気にせず笑う。そういうところが、居心地よかったりする。
食券を買って定食コーナーのカウンターに出しステーキ定食を受け取ると、トレーの上に水を乗せて席に戻る。ふと顔を上げてその場所を見たら、俺がいない隙に先輩は女の子に声を掛けられていて、「うん、ごめんね~」と断りを入れる声が聞こえてきた。
「またお誘いですか?」
「そう。飲み会という名の合コン。毎回断ってるんだからいい加減広まってくれてもいいんだけどねぇ~。あの人は誘ってもダメとか、女子に興味ないんじゃない? とかさ」
「いいんですか?」
「全然いいよ。俺は隠す気ないし。聞かれれば答えるけど、聞かれないから言わないだけ」
モテる人は大変だ。自らゲイだと公表しない限り、いつまでもこうした問題が付き纏う。
「コータも大変でしょ。言い寄ってくる女の子、いるんじゃない?」
「俺は、こんなんなんで。寧ろ寄り付かれなくて助かってます」
「あー……そか。あからさまだもんね、態度」
クスクス笑いながらフォークでパスタを巻いている。この人の言う『あからさま』というのは、篤志とそれ以外への態度のことを言っているのだろうか。まあその自覚はあるけど。
「で? その彼と終わったって?」
「……はい」
「なに、何があってそんなことになっちゃったの」
「なん……ですかね。なんか、怒らせたみたいで」
「……まさか。嫌がることした?」
「いやまさか。悦ばせることしか」
「わお」
先輩は外国人みたいな反応をして、パスタを頬張る。
「じゃあなんでだろね」
鉄板の上でジューと音を立てているカットステーキ。ソースを掛けると熱せられた鉄板はさらに大きな音で鳴り、香ばしい香りが漂ってくる。
「……実は……俺のをしゃぶってみたいって、言われたんですよね」
「んんっ? げほっ」
サラッと伝えてカットステーキを箸で摘まみ、口の中へ。しかし俺の言葉を聞いたナギ先輩は、パスタに絡んだクリームが気管に入ったのか、思い切りむせていた。
「しゃぶっ……て、どういうこと?」
「わかんないっす。急に言われたから俺もビックリして」
鉄板で焼かれた熱いステーキが、噛むたびに口の中で肉汁を放つ。ご飯を一口頬張ったら、ナギ先輩がジィッと俺を見ていることに気が付いた。
「それで、コータはどうしたの」
「どうもしないですよ。だってそんな、あっくんを汚すようなことさせられないし。だから、あっくんはダメって言って……そしたらなんか、怒り出しちゃって……」
なんで突然、あんなふうに怒りだしたんだろう。俺はただ、アプリで知り合ってプレイしてる人たちとは違うから、あっくんは特別な人だから、俺の性器をしゃぶるなんてそんなこと、おこがましくてさせられない。そう思ってダメって言ったんだ。それなのに……冗談にしても何で、あんな苦しそうな顔してたんだろう。
「汚すって言うけどさ、二人がしてることは違うの? すでに汚してることない?」
「それは……篤志が望むから、俺がそれを叶えてあげてるだけなので……」
「その彼が望んだことなのに、しゃぶるのはダメなの?」
「ダメでしょ。だって、ちんこですよ? ノンケで彼女がいるあいつに、興味本位でそんなことさせられない」
「じゃあ、彼女がいなきゃいいの? 篤志くんがコッチの人間だったら普通に許した?」
「……なんなんですか、あんたさっきから」
まるで尋問だ。俺の心の奥底を探って引っ張り出そうとしてるみたいで、すごく心地が悪い。
「まあそう怒るなよ。ほら、ステーキ冷めちゃうよ」
そうやって軽くあしらって、微笑を浮かべながら自らもパスタを頬張る。
こうしたなんの気遣いも遠慮もない絶妙な性格の悪さが、時折腹立たしい。でもこういう人だから、俺も明け透けに話せるってのもあるんだけど。
付け合わせのニンジンを食べてステーキとご飯を口に入れ咀嚼しながら軽く睨みつけたら、水を飲んでいたナギ先輩がその視線に気付いてニコリと微笑む。
「まじ性格悪いっすね」
「いい性格って言ってよ。こういう性格だから、コータも居心地よくて長く付き合ってくれてるんでしょ?」
「……くそっ」
「プレイ以外でも会ってるんだから、もうトモダチじゃん。俺、親友には遠慮しない主義なの」
「話の中で段階踏んでランクアップすんのやめてもらっていいっすか」
頬杖をついてクスクス笑いながら俺を見てる。まるで、俺の心の中を見透かすみたいに。
俺はそれも癪で定食を黙々と食べ進めながら睨み続けてみるけれど、それでもこの人は楽しそうな笑みを浮かべている。もういいやと味噌汁を手に取り啜っていると、ふと先輩が何かに気付き顔を上げた。
「コータ、後ろ」
「え? あっ……」
先輩の言葉に振り返ると、すごく不機嫌な顔をした篤志が、俺の後ろに立っていた。
「篤志……」
「昨日、携帯忘れてった」
「あ、あぁ……はい、これ」
「……ども」
短い言葉を放って、気まずそうに俺からスマホを受け取る。
「もしかして、今来た?」
「うん」
「そっか。朝から探してたけど見当たらなかったから……よかった、会えて」
「朝からって……だって航ちゃん今日一限は」
「ん?」
「……いやなんでもない」
何かを言い掛けて口籠る。そして一度ナギ先輩に鋭い視線を向けると、受け取ったスマホを操作しながらとんでもないことを口にした。
「そうだ。ついでだから航太朗の使ってるアプリ、教えてよ」
「……は?」
これにはさすがの先輩も驚いたみたいで、身を乗り出したのが目の端に映る。
「え、何言ってんの」
「試してみるから。航太朗以外の人でも大丈夫か。それでイケるんだったら、今度から俺もアプリで相手探すし」
「ダメだよ、そんなの」
「なんでダメって言うの? 航太朗に俺の自由を奪う権利なくない?」
「……っ、れは……そうだけど――……彼女に知られたらどうするの」
そのワードを聞いた途端、篤志の手が止まった。眉間に皺を寄せ、瞳を揺らしながら無言で俺を見つめてくる。
「篤志くん、早まらない方がいい」
「関係ないでしょ! あなただって航ちゃんと……っ」
それ以上を言い掛けて、下唇を噛む。
「もう、航太朗に迷惑かけないって言っただろ」
「だから、俺は迷惑だなんて思ってないって!」
俺は篤志の腕を強く掴んだ。自棄になってる。昨日アレを断っただけで、どうしてこんなにも……
急展開なこの状況は理解が難しくて、俺はつい掴んでいる手に力が入ってしまう。
「……っ痛い。離せよ」
その手を篤志は振りほどいた。まるで俺を、拒絶するみたいに。
「……まいいや。あとでアプリのリンク送って。じゃ」
結局篤志は俺の顔を見ずに、冷たく言い放って行ってしまった。
「はぁー……こじれてんねぇ~……」
先輩が、溜め息交じりに言う。
俺は呆気に取られていた。というより、混乱と戸惑いで動けなくなっていた。
「一限、なかったんだ?」
「そう。だけど篤志が困ると思って早く来て……」
「ふう~ん」
「……なんすか」
「いや別にぃ」
椅子の背もたれに寄り掛かって腕を組み、ナギ先輩はニヤリと笑う。
「ほんと、どうすればいいんだろ……」
「そんなの、多少強引でも直接ちゃんと話するしかないでしょ」
そうは言われても、あれだけ拒絶されていたらとてもじゃないけど聞いてもらえる気がしない。
「弱気になるなよ。ずっと好きだった人をこんな形で手放すのか? 絶対後悔するぞ」
「わかってますよ、んなこと」
「だったら意地でも食らいつけよ。カッコ悪いとこ見せてでもさ」
そうだ。なりふり構ってられないのは解ってる。言われたままアイツに従って、後悔なんてしたくない。篤志のそばに居ることだけは、絶対に諦めたくないんだ。カッコ悪くても、何があっても。
「ねえコータ。恋は盲目って言うけどさ、やっぱ君ら、ちょっと変な方向に行ってるんじゃないかなって思うよ、俺は」
そう言ってナギ先輩は、コップに残った水を飲み干した。
「ま、二人が決めた関係性に部外者の俺がどうこう言える立場でもないけどね」
ごちそうさまでした、と手を合わせ、先輩は席を立つ。
「俺は修正できないことないと思うけどね、コータと篤志くんは」
トートバッグを肩に掛け、椅子を戻してトレーを持ち上げる。それを見計らったように二人の女子がナギ先輩に寄ってきた。
「灘木先輩! サークルのことでお話、いいですか?」
「うん、いいよ~。じゃあまたね、ちゃんと話し合いなよ」
ナギ先輩の後ろを、女子が付いて歩く。俺はその後ろ姿を見送りながら、思わず溜め息が零れ出た。
あんな感じで、話なんて聞いてくれるだろうか。いや、聞いてくれなきゃ困る。篤志が何と言おうとどれだけ拒まれようと、俺は、俺が、離れたくないんだから。
とにかく今日、もう一度ちゃんと話をするんだ。
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