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3話 城
しおりを挟む到着したのは、それは見事な城館だった。
無骨だが洗練された古典様式の錬鉄の門をくぐって流れの穏やかな渓流に渡された橋を渡り、その先の並木道を通り抜けてさらに幾つかの門をくぐり抜けたその先に、大きな湖を隣に置いた城が悠然とそびえ立っていた
王族ではなく一介の伯爵の住居だが、それは”屋敷”と呼ぶにはあまりにも大きく堅牢な石造りの建物であった。その姿は魔物が存在していたくらい数千年もの昔、この場所はクラウン王国の一部ではなく独立した小国の城だったのかもしれないと想像させた。
城の奥には広い草原と深く生い茂った針葉樹の森があり、そのさらに先には山がそびえ立ち、まさに最果ての孤城といった雰囲気を漂わせていた。
見上げた空は薄い雲に覆われており昼間だというのに明るさは仄かで、リーンは以前アイビーから聞いたミドガルド領の話を思い出した。アイビーの思い出話は楽しい内容が殆どだったが、天候についての話はあまり芳しいものではなかった。『太陽があまり顔を出さない、雨と霧に包まれた土地』だと言っていたはずだ。
今日は霧が出ていないだけましな方なのだろう。遠くの山々まで見渡すことが出来た。
リーンとギィが乗った馬車が到着すると、城門の前に立っていた二人の青年が敬礼をした。
「……留守の間、屋敷の警備をご苦労。変わりはなかったか」
「はい、異常ございません」
ギィのねぎらいに対してキビキビと答えたのは向かって左側に立った青年だった。短く切りそろえた青灰色の髪に銀のフレームの眼鏡をかけ、ピンと背筋を伸ばし指先まで揃えた敬礼を、主人への報告の間少しも崩すことはなかった。
「ところで閣下、そちらがかの有名なリーンハルト殿下ですか?」
そう陽気な声をかけてきたのは向かって右側に立った青年だった。セットされた赤毛をオールバックにした伊達男は、あっという間に敬礼を崩して興味津々と言った様子でリーンの顔を覗き込んだ。そして一瞬目を丸くし、それから人懐っこい笑顔を浮かべた。年頃の娘達から随分と騒がれていそうな男だ。
「初めてお目にかかります殿下。ミドガルド閣下の警備兵団長、オスカー・フォードと申します。お見知りおきを。いやそれにしても噂以上にお美しい方だ!まるで雪の精霊のような……」
「もうその男は”殿下”ではない。オスカー」
リーンが答える前にギィがオスカーの言葉を遮り一蹴した。オスカーはやれやれといった風に首を振り、左に立っていた青年は主人とその客人への非礼をたしなめるようにオスカーをジロリと睨みつけた。赤毛の伊達男は、眼鏡の青年からの注意もどこ吹く風といった様子ではあったが。
「オスカー、ジュード」
ギィの呼びかけに、オスカーは崩していた敬礼の姿勢をもう一度作り直し、ジュードと呼ばれた左側の青年は完璧な敬礼の姿勢を崩していなかったのでそのまま変わらぬ立ち方で、二人の青年は主人の言葉を待った。
「これから”リーンハルト士爵”はこのミドガルド邸の客人として暮らすことになる。しかし邸の主は私だ。お前達はリーンハルト士爵の命に従う必要はない。以上」
そう言って、ギィは二人に対して手を振った。もう下がって良い、ということらしい。
ジュードはきっちり90度の角度で礼をし、オスカーはリーンにウインクをしてその場を立ち去った。
ギィからは特に二人の紹介はされなかったが、オスカーの自己紹介の内容と彼らが揃いの制服を身につけていたことから、ジュードもオスカーと同じく警備兵団の一員なのだろうと推測出来た。
俺にこの城での権限も知識も与えないって訳ね。まあそれもそうか、監禁して頃合いを見計らって暗殺、もしくは飼い殺しにするつもりなんだろうから。
黙って門の奥へと進むギィの後を追ってリーンも歩を進めた。
門から屋敷までの道のりも中々長く、その道すがらリーンは庭園を眺めながら歩いた。
……これは”庭園”と呼べるものだろうか?
城と見まごうほどの立派な屋敷だが、その敷地は庭園とは呼べないほど草が生い茂り無秩序に庭木が立っていた。
ギィが進んでいく道も”庭園に作られた美しい小道”ではなく、人の行き来で踏みしめられそこだけ草が生えないただの獣道のようであった。
ミドガルド領の庭師はとんでもなく怠惰な人間なのか、それとも美的センスの狂った三流なのか……。
リーンは胸の内でため息をついた。これからしばらくの間この屋敷がリーンの住居になるのだ。庭園だって居心地が良い場所であるに超したことはない。ケチな偏屈伯爵はどうせリーンにこの屋敷での権限を与えないつもりだろうが、それでも庭師に会ったら一言文句を言ってやろうとリーンは思った。
しかし、その思いも屋敷にたどり着きギィが屋敷の重い扉を開けた瞬間打ち砕かれることになった。
「「お帰りなさいませ、閣下」」
そう言ってギィとリーンを出迎えた使用人はたったの二人。口元を覆うような白い髭を蓄えた白髪の老執事と、桃色の髪を頭の上で二つお団子にしてまとめている小柄なメイドの少女だけだった。
「今日からこの屋敷の客として迎えるリーンハルト士爵だ。滞在期限はない。世話をするように。ただし命令は聞かずともよい」
それだけを二人に言い捨てるようにして伝え、ギィは屋敷の階段を登りどこか……恐らく彼の自室へと姿を消してしまった。
その場に残されたリーンをメイドの少女がしげしげと興味深げに眺めていた。しかしリーンと目が合うとサッと老執事の後ろに隠れてしまった。
「申し訳ございません、リーンハルト様」
主人の無礼についてか、少女の行動に対してか、何に対してかは明確ではなかったが、老執事が穏やかに謝罪を口にした。
「私めは執事長のピッポと申します。こちらはメイド長のステラでございます。これステラ、リーンハルト様にご挨拶をしなさい」
ピッポはステラを前に出しリーンに挨拶させようとしたが、少女はピッポの燕尾服のズボンに皺が出来るほどしっかり握りしめて首を振り、リーンに顔を見せなかった。ステラは愛らしく整った顔立ちをしていたため大人びて見えたがその振る舞いは幼く、もしかしたら小柄な体格そのままの、年齢の幼い少女かもしれない。
ピッポはしがみついてくるステラを服から引き剥がせず挨拶をさせるのを諦めたようで、また穏やかに「申し訳ございません」と謝罪をした。
この幼気な少女がメイド”長”で、この穏やかだが非力そうな老人が執事”長”。
そして中に入った屋敷は一見綺麗に整えられているが、隅の方や使用頻度の高くなさそうな部分には埃が溜まっている。
庭師に文句をつけてやる、どころではなさそうだ。薄々察しがついてきた、この屋敷の内情についての見当を確信に変えるため、リーンはニコニコと微笑む老執事に尋ねた。
「ピッポ、念の為確認したいのだけれど、君たち以外の使用人は?」
「屋敷の使用人は私たちだけでございます。リーンハルト様」
庭師は怠け者でも狂人でもなかった。そもそも存在すらしていなかったのだ。そしてこの老執事も幼いメイドも決して怠惰な訳ではなく、あまりにも大きな屋敷と広大な庭に対して圧倒的に人手が足りないのだ。リーンは表情を変えないまま、胸の内では頭を抱えた。
案の定、と言うべきかピッポに案内された屋敷の中には雑然とし埃を被っている場所が何カ所もあった。
ミドガルド辺境伯は魔鉱石の採掘で財を成しているはずなのに、何故屋敷をしっかりと管理できるだけの人数の使用人を雇わないのかが不思議でならなかった。
それとなくピッポに尋ねてみたら、老執事は山羊のような白い髭を撫でつけながら「閣下は人嫌いですからね。雇ってもすぐ解雇してしまうのです」との答えが返ってきた。
その答えが真実なのかただはぐらかされているだけなのかリーンには分からなかったが、どちらにせよあのケチで傲慢で人使いの荒い”偏屈伯”の意向であることに間違いは無さそうだった。
ライブラリーや食堂などを簡単に案内された後、最後にリーンの私室として用意された部屋に通された。
自分を嫌っているらしいあの伯爵が用意した部屋などきっと今までのどの部屋よりも荒れ果てて居るに違いないと思っていたが、予想に反して通された部屋は清潔に整えられていた。
ベッドに掛けられたシーツはパリッと白く清潔で、壁紙も素朴な風合いながらつい最近張り替えられたような新しさ、床も埃一つなく掃き清められていた。そして壁には少し古いが王都の風景画が飾られていた。
リーンが目を瞠って部屋の中を眺めていると、ピッポから声が掛けられた。
「気に入って頂けましたか?」
振り向くと老執事はニコニコと微笑んでおり、この居心地が良さそうな部屋は彼が用意してくれた心遣いなのだと気がついた。きっと壁紙も、リーンが来ると伝えられてつい最近本当に張り替えられたものなのだろう。
リーンが礼を言うと、ピッポはステラにも伝えておくと嬉しそうに言った。リーンの部屋の準備はピッポとステラ二人で行ったそうで、壁の風景画をライブラリーの奥から見つけ出して飾ったのはステラだったそうだ。
ステラはあの最初の顔合わせの後、初対面の相手を警戒する猫のようにピュッとどこかへ走っていってしまった。ピッポが言うには「夕食の支度をしに行っただけだからお気になさらず」とのことだった。
「突然こちらに来られることになって、心細いこともおありでしょう。少しでもリーンハルト様にとって居心地の良い場所を作れたらと思ったのです」
ピッポの押しつけがましくない素朴な心遣いが、リーンの捻くれた心にも素直に染みこみ胸を暖めた。
何故だろうか。ピッポとは初対面のはずなのに、その思いやりと同じ種類の優しさをリーンはどこかで以前感じたことがあった。
「……”あの子”は元気にしていますでしょうか?」
ハッとしてリーンはピッポを見た。
ピッポは目尻に皺を寄せて懐かしそうに目を細めた。
そうだ。アイビーが何故ミドガルド伯と関わりがあったのかその理由。アイビーの”義父”が『ミドガルド伯の屋敷で働いていた』のではなかったか。
「ああ、アイビーは王宮の皆から愛され支えられている。きっと優しく正しい良い王になるはずだ」
ピッポは嬉しそうに頷いた。
「私はあの子を信じています。まだ未熟なところも多い子ですが、人を見る目は確かな子です」
ピッポの茶色の瞳にランプの灯火が映り込んで暖かく光った。
「私は、あの子が庇い、守ろうとした貴方を信じています。リーンハルト様」
ピッポの穏やかな微笑みと、記憶の中のアイビーの笑顔が重なった。
愚かなことだ。そんな簡単な理由で安易に他人を信じるなど。そんな愚か者は他者に食い物にされて痛い目に遭うのがこの世の常だ
しかし、不覚にもリーンの鼻の奥がツンと痛んだ。敵意と悪意を受けることには慣れておりそれらへの対処の仕方は既にリーンの体に染みついていたが、純粋な善意への対応については、赤子同然の経験しかなかった。いつもなら良く回る口がまるで使い物にならずリーンは言葉に窮した。こんな場面にはどんな台詞とどんな表情を作るべきか、演じ方を見失ってしまう。
あろうことか目頭まで熱くなり、誤魔化すように横を向く。
「やはり兄弟なのですね。照れた時に横を向く仕草が良く似ておられる」
誰もがリーンとアイビーを正反対だと言い、リーン自身腹違いの弟とは容姿も性格も全く似ていないと自負していた。しかし、ピッポは心から『リーンとアイビーは似ている』と、そう思っているようだった。
「恐らく貴方は、ミドガルド閣下が考えておられるような方ではありませんね。リーンハルト様。貴方にお会いできて私は嬉しい」
”良く似ている”のは、そう言うピッポとアイビーの方だとリーンは思った。
血の繋がりはなくとも、彼らは本当の親子だった。
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