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小さな世界
しおりを挟むside カイル
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「大きくなったら、僕の妃になってくれる?」
「もちろん!私、ずうっとアスランと一緒にいるね」
そんなやりとりを、穏やかな気持ちで見守っていた。
歳は変わらないけれど、俺にとって二人は何よりも大切で、守ってあげたい存在。
アスランとレイラ、そして俺。
そんな小さな世界で、十分だった。
温かくて優しいものだけをつめこんだような、幸福の宝箱みたいな、そんな世界にずっといたかったんだ。
____俺たちが初めて会ったのは、五つになったばかりの春。
当時の王妃殿下は一人息子のアスランと歳の近い貴族の子どもたちを呼んで、茶会を開いた。
王宮で退屈していたアスランに友人をつくってあげたかったのだろう。
結局、人見知りの激しかったアスランと気が合ったのは俺とレイラの二人だけだったが。
アスランは俺とレイラによく懐いた。
とりわけレイラにはひどくご執心で、三人でいても熱い眼差しでレイラばかりを見つめていた。
そんな姿さえ微笑ましく思っていた俺は、歳も変わらないくせに、二人をどこか弟や妹のように思っていた節がある。
そんな優しい世界が壊れたのは、それから五年程たった頃だった。
アスランが毒殺されたのだ。
正確には、毒殺未遂。
数ヶ月前に同じ方法で王妃殿下が殺害されたばかりで、毒味だって徹底されていた。
そんな状況で殺害計画を実行できる人間なんて限られている。
王宮に図太く根を生やし、かつ、アスランが死んで得をする人間。
そんなの側妃だったあの女くらいのものだろう。
前回も今回も、証拠なんて微塵も残していない徹底ぶりで、あの女を捕えることは難しかった。
結局、その命を守るため、俺の大切な幼馴染は死んだこととなり、一人ひっそりと隣国に渡ったのだ。
当時の俺はそんなこと微塵も知らなかったけれど。
_____アスランは死んだ、そう思い込んでいた。
アスランという大切な歯車を失った小さな世界は呆気なく崩れ去り、残ったのは悲しみに塗れた子どもが二人。
塞ぎ込んで、世界を拒絶して、
二人の兄だなんて自負していたくせに、大切な妹のような彼女を見捨ててしまっていたことに気が付かなかった。
自分のことで精一杯だった、なんて言うのは言い訳にすぎない。
ようやく外の世界を視界に捉え始めた頃、彼女はすっかり壊れてしまっていた。
彼女の顔から花が咲くような笑みは消え、どこか宙を見て変わらない表情。
随分と大人びて、心底冷えきった瞳は本当にあのレイラなのだろうか。
「…レイ、ラ?」
「カイル?なんだか久しぶりだね」
にこりと貼り付けた笑みは完璧に作られた仮面のようで、少しだけ怖くなった。
「長い間遊びに来なかったけれど、忙しかったの?」
「っ、レイラ、お前…大丈夫なのか?」
「何が?」
なんのことかさっぱりわからないといった様子で首を傾げるレイラ。
「…もう、大丈夫なのか?」
「え?」
「だから、あんなことがあって、どうしてそうも平気そうなんだよ…!」
あんなにアスランを慕っていたのに、あんなにも熱い想いを抱いていたのに、お前はこんなにもあっさりと前を向けるのか?
彼女が元気なのは喜ばしいことであるのに、理不尽な苛立ちが募る。
「だから、何が?あんなことって…?今日のカイルおかしいよ」
「っ、ふざけんな!」
「どうして怒ってるの??私カイルに何かしちゃった?」
そう言ってへにゃりと眉を下げるレイラ。
いつもアスランと繋がれていた手が、今日はドレスの裾をぎゅっと握りしめる。
「アスランが、死んだんだぞ…?なんで、どうしてそんなにあっさり、」
「ねえ」
俺の言葉を遮るように、レイラは口を開いた。
「アスランって、誰?」
______彼女は、壊れてしまっていた。
どうしようもなくつらい記憶を消し去ってしまったのは、彼女が生きる為の術。
そうでもしなければ、耐えられなかったのだろうとレイラの主治医は言っていた。
レイラは、俺なんかよりもずっとずっと強い想いをアスランに抱いていたのだと思う。
レイラはアスランの唯一で、アスランはレイラの唯一だったから。
三人の世界だと思っていたそこは、俺が見守る二人の世界だったのだと、今更になって理解した。
だったら俺は、アスランの代わりにレイラを守っていこう。
せめて俺だけでも、あの優しい世界を心に留めておけるように。
「俺がずっと、レイラの傍にいる」
「カイルが?」
「だからレイラも、勝手に消えてなくならないでくれ」
「何それ、変なカイル」
そう言って笑った彼女の目は、やっぱりどこか色褪せているように見えた。
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アスランが死んで五年が経った。
国の宰相である父に連れられてやって来たのは、隣国のとある屋敷。
縁もゆかりも無いようなこんなところに連れてきてどうするつもりだと何度父に尋ねても結局答えてくれることはなかった。
「お待ちしておりました」
恭しく案内する屋敷の執事はどこか縋るような瞳で俺たちを見つめている。
通された一室に、そいつはいた。
「お久しゅうございます。アスラン・マグナ・エーテルニタス第一王子殿下」
「っ…!?」
父の声に思わず目を見開く。
空いた口が塞がらないとはこのことだろうか。
それは予想もしていなかった再会だった。
黄金色の髪は腰まで伸び、着ているのは淡いブルーのドレスで、どこからどう見ても同年代くらいの少女にしか見えない。
「何言ってるんだよっ」
「カイル、混乱するのはわかるが、よく見ろ」
父に促されてそいつを見つめる。
エメラルド色の瞳と視線が交差した。
オーロラを詰め込んだようなきらきらと輝く緑色。
揺らめく赤、橙、桃色。
こんな色持っているのは、本当に、信じられないことだが…俺の知る限りでは、アスランしかいない。
あの頃よりも幾ばくか大人びて、見た目なんて女そのものなのに、そいつは間違いなくアスランたった。
「アスラン…?」
「……」
「っ、おい、アスランなのか?」
覇気のない表情で、そいつはこくりと頷く。
「殿下、今まで辛い思いをされましたね。本日は少しでも貴方の心の慰みになればと、愚息をお連れした次第です」
「…ああ」
「もう少しの辛抱ですから、どうか、お気をしっかり。殿下が壊れてしまっては元も子もありません」
「…わかってる」
抑揚のない声で話すアスランも、あの頃とは変わってしまっているのかもしれない。
レイラが壊れてしまったように。
「久しぶり、カイル」
「っ、ああ…生きてたのか」
「まあね。悪運強いみたい」
こんなにも乾いた笑い方をする男じゃなかったはずだ。
あどけないアスランを脳裏に思い浮かべてどうしようもなく泣きたくなった。
「ねえ」
「…なんだ」
「レイラは、元気?」
「ああ、元気にしてる」
「はは、僕がいなくても元気なんだ」
そう言ったアスランの横顔は俺なんかよりずっと泣き出しそうだった。
「お前の訃報を聞いて、レイラの心は壊れたんだ。アスランのこと、大好きで大切で、忘れてしまわなければ生きていけなかった」
「え?」
「今のレイラは、アスランなんて人間を知らない。記憶ごと心の奥底に閉じ込めちまったんだよ」
それはひどく残酷な真実だった。
しばし反応もできずに呆然としていたアスランは、噛み締めるようにゆっくりと目を閉じる。
「レイラの世界に、もう俺はいないんだね」
「っ…」
「だったらもう、俺なんて本当に消えてなくなっちゃえばいいのに」
ぽつりと零された本音。
レイラの全てがアスランだったように、アスランの全てもレイラだった。
どうしたら目の前のそいつが生への執着を取り戻せるのか少しばかり思案して口を開く。
「レイラ、最近モテるんだ」
「…へ?」
「婚約の申し込みが後を絶たない。今のところ断ってるけど、そろそろ何か手を打たないといけないって思ってた」
「…うん」
「だから先週、俺とレイラの婚約を発表したんだよ」
幸いレイラは、俺を兄のように慕っているから断る理由もなかったようだった。
俺は俺で、小さな世界を守ることに必死で手段なんて選んでいられなかったのだ。
「このまま行けば、レイラの隣にずっといるのはお前じゃなくて俺ってことになるな」
「っ、」
「お前、それでいいの?」
「……やだ」
発破をかけるような俺の言葉に、アスランは唇を噛み締めて首を横に振る。
「レイラが僕じゃない人間と幸せになるなんて考えただけでゾッとする。そんなの、いやに決まってるだろ!」
「嫌なら、自分で奪いに来いよ」
「…奪いに行ったら、返してくれるの?」
恐る恐るといった様子で、アスランはそんなことを問う。
「レイラは、お前の妃なんだろ」
「っ、うん」
俺の役目は、記憶を封じ込めたお姫様がもう一度最愛の王子を見つけるまで、傍らで見守り支えてあげることなのだろう。
だって俺は、二人の兄なのだから。
可愛い弟や妹には、誰よりも幸せになって欲しいのだ。
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