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[起]転承乱結Λ
29話 信仰と右手。
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オビタル帝国は女神ラムダを唯一神として奉ずる。
帝国の国教であり、女帝から臣民に至るまで忠実な信徒である事が求められた。
それら教義と信仰を統べているのが、教会と歴代教皇である。
教皇は聖都アヴィニョンを領有する諸侯であり、当然ながら独自の軍隊を持っていた。
さらに、各地の女神ラムダを奉ずる聖堂では、頑迷な司祭が帝国臣民の信仰心へ監視の目を光らせている。
こうして諸侯の中でも特別な地位を持ち、歴代女帝の頭に冠を授けてきたのが教皇であった。
これに異を唱えているのが、グノーシス船団国なのである。
帝国と教会は異端であると糾弾しており、あえてグノーシス異端船団国と呼称した。
グノーシス派の教義に触れる事は、帝国においては重罪とされる。
ところが――、
そのシンボル――サークル内に十字を穿った徴が、ベルニク領邦領主の屋敷に存在したのだ。
セバスが怯え、テルミナが驚愕するのも当然だろう。
この場で、呑気な表情を浮かべているのは、トールだけだった。
「さあて、今日は何を読もう。やっぱり、ベネディクトゥスの続きかな」
嬉しそうに呟きながら書架の間をゆっくりと歩いている。
セバスに連れられ初めてここを訪れた日、トールは歓喜した。
夢中になり時が経つのも忘れ、リアルな書籍を読むことに没頭したのだ。
ロベニカ達の心労を増やし、セバスの秘密が露見する結果を招いたのだが――。
無論、EPRネットワークを使えば、溢れるほどの活字があるとは分かっている。
とはいえ、彼は飢えていた。
――夢の中でも、やっぱり本が好きなんだなぁ。
感慨深く書架から取り出した一冊の表紙を撫でる。
表紙には「ベネディクトゥス 観戦武官の記録」と書かれていた。
――Kindleも好きだけど、やっぱり本屋さんはいいよね。
――目が覚めたら、すぐ本屋さんに行こうっと。いや、会社が先か……。
少し気が重くなったトールである。
「テルミナさんも好きなの読んでいいですよ」
先ほどから後についてくる彼女に言った。
「そういえば、ベネディクトゥスの戦いって知ってますか?」
「――知るかよ」
彼女は頭をフル回転させ、現在の状況を分析している最中である。
トールの呑気な問いに、まともに答える余裕など無かった。
異端は重罪である。
テルミナが告発すれば、領主であったとしても逃れる事など出来ない。
むしろ告発するのが責務であり、これを秘せばテルミナも同罪となるのだ。
そういう意味では、既にセバスは共犯者という立場になる。
実際、セバスは怯え切っていた。
先ほどからひたすら女神ラムダに許しを請うている。
「おい、トール様よ」
書架から取り出した本をパラパラと繰っている領主に声を掛けた。
「え、はい。何ですか?」
――コイツ分かってんのか?
――どれほど、ヤバい状況かって事を。
トールが冒している罪は、オリヴァー・ボルツなどと比べるまでもなく重い。
オリヴァーは領主に対する反逆だが、異端は神への反逆なのだ。
「火あぶりだぞ、てめぇは」
テルミナは壁面にあるグノーシスの徴を指差した。
「え――ああ、なるほど!」
何のことだという表情を浮かべた後、ようやく合点がいったらしい。
――そういえば、あれってグノーシス派の目印だ。
――けど、何だって屋敷の地下にあるんだろ?
セバスがやたらと怯えていた理由もようやく理解できた。
――太陽系は実はグノーシス派の巣窟でした、的な設定をボクが考えてるのかも。
――面白そうだけど、宗教とか書くの面倒だな……。
「確かにグノーシスの徴がありますね。いや困ったな」
あまり困ってなさそうにトールが告げる。
セバスは成り行きを不安そうに見守っており、今にも気を失ってしまいそうだ。
「――チッ」
テルミナは愛用のバヨネットを持ち合わせていない事を悔やんだ。
領主の屋敷に入るには、全ての刀類を守衛に預けなければならない。
――殺される。
そうとしか考えられなかった。
セバスの部屋でトールと出会った時、殺すほかないと決断したのだろう。
トールは帯剣しており、セバスという共犯者までいる。
――逃げられんねーな。
諦めと同時に、彼女に湧いてきたのは怒りだ。
何を考えているのか?
領主でありながら異端にうつつを抜かし、領邦を危険に晒している。
露見すれば領主個人の問題では済まされない。
領邦全体が、異端審査の対象となるだろう。
教会の持つ聖骸布艦隊が押し寄せ、無数の天秤衆――異端審問官が領民を調べ上げるはずだ。
下手をすれば、ヴォイド・シベリア送りとなる。
「さっさと殺せよ。ボンクラ」
「は、はい?」
「殺せっつてんだよ!はなっからそのつもりなんだろうがッ」
テルミナの怒りは、まだトールに届かない。
「殺すわけないでしょう――あ、口封じという意味ですか」
「白々しい野郎だな」
「確かに、口外されると困ります」
――艦隊戦の前に捕まっちゃうのは不味いよね。
「だから戻っても内緒にして下さいね。お願いします」
「へ――?」
テルミナには理解できなかった。
余裕なのか、アホなのか、それとも罠なのか。
「ボクも別に異端を信じてる訳じゃないんですよ。たまたまアレがあったというだけで」
その点は事実である。
エルヴィン・ベルニクが遺し、セバスに案内されただけであった。
トールの興味は、この部屋にある書籍のみに向けられている。
「危ないから、あの徴は、どうにかしましょうか。セバスさん」
「も、勿論で御座います。トール様!テルミナ殿!」
場を取りなそうとするかのように、セバスが慌てて答える。
「じゃあ、てめぇは異端じゃないってのか?」
「違います。グノーシスとか信じてませんし――」
さらに決定的な言葉を付け加えた。
「――まあ、実はラムダさんも信じてませんけども」
ひぃ、とセバスが短い悲鳴を上げる。
穏便な決着への道筋が絶たれた瞬間に思えたからだ。
「信じて――ねぇ――だと――」
テルミナの顔から表情が消える。
――怒らせちゃったのかも。
――夢なのに都合良くいかないもんだなぁ。
この時、トールに幸いした事が一つあるとすれば、テルミナ・ニクシーの半生があまりに不幸であった点だろう。
憲兵隊の徽章を着け、心身を鍛え、傲岸不遜な態度で世間に相対して生きてきた。
そんな彼女ですら言語化できなかった禁忌がある。
女神ラムダへの不信――。
テルミナの心の底にも眠っていたのだ。
他の姿に偽装し、本人にすら気付かれないよう暗い森の奥に。
だが、それを明確に認めることは不可能だ。
過去の異端者達ですら、女神ラムダの完全なる否定など成し得なかった。
遺伝子コーディネートする過程で組み込まれた種としての制約なのかもしれない。
「あは、あは、ふひっ」
テルミナは揺さぶられた。
オビタルが超えられぬ、決して犯してはならない禁忌を、いとも簡単に口にした事実に。
不遜である。あまりに不遜であった。
それを他者に聞かせるなど無謀の極みである。
テルミナは、唇の端から垂れていた涎を拭きとった。
「わ、分かった――ふひっ――言わねぇよ。ひひひ」
こみ上げる奇妙な笑いが治まらない。涎も止まらない。
――いいじゃねぇか、おい、最高じゃねぇかよ!
会ってみて、冴えない奴と判断したが、間違いであったと思い直す。
――コイツはとびきり――いいや、底が抜けてやがんだ。
「ふぅ、良かった。ではお願いしますね」
◇
「あ?任務を止めろだ?」
テルミナが不穏な声を上げる。
楽しい読書タイムが終わり、トールは仕事に戻るため地下通路を歩いていた。
「ガウス少将にはお願いしたんですけどね」
――さすがに、こんなロリなコに無茶はさせられないよ。
――目が覚めないから、夢の中で解決しないとな。
「ふざけろよ。もうちょっとなんだぞ。ゴミクズの口が軽くなってきてるから――」
「でも、それだと、そのう――お風呂とか色々――」
ハッキリ言うのは憚られて、少しばかり語尾を濁してしまう。
「ははぁ――そういう事か。そっちを心配してんだな」
テルミナが了解したとばかりに頷いた。
意図が伝わったと思い、トールは胸を撫でおろす。
「ええ。ですから、あまり無茶な事は――」
「安心しな」
テルミナはトールの腕を軽く叩いた。
「処女だから」
そう言って、彼女は右手を妖しく宙で動かした。
帝国の国教であり、女帝から臣民に至るまで忠実な信徒である事が求められた。
それら教義と信仰を統べているのが、教会と歴代教皇である。
教皇は聖都アヴィニョンを領有する諸侯であり、当然ながら独自の軍隊を持っていた。
さらに、各地の女神ラムダを奉ずる聖堂では、頑迷な司祭が帝国臣民の信仰心へ監視の目を光らせている。
こうして諸侯の中でも特別な地位を持ち、歴代女帝の頭に冠を授けてきたのが教皇であった。
これに異を唱えているのが、グノーシス船団国なのである。
帝国と教会は異端であると糾弾しており、あえてグノーシス異端船団国と呼称した。
グノーシス派の教義に触れる事は、帝国においては重罪とされる。
ところが――、
そのシンボル――サークル内に十字を穿った徴が、ベルニク領邦領主の屋敷に存在したのだ。
セバスが怯え、テルミナが驚愕するのも当然だろう。
この場で、呑気な表情を浮かべているのは、トールだけだった。
「さあて、今日は何を読もう。やっぱり、ベネディクトゥスの続きかな」
嬉しそうに呟きながら書架の間をゆっくりと歩いている。
セバスに連れられ初めてここを訪れた日、トールは歓喜した。
夢中になり時が経つのも忘れ、リアルな書籍を読むことに没頭したのだ。
ロベニカ達の心労を増やし、セバスの秘密が露見する結果を招いたのだが――。
無論、EPRネットワークを使えば、溢れるほどの活字があるとは分かっている。
とはいえ、彼は飢えていた。
――夢の中でも、やっぱり本が好きなんだなぁ。
感慨深く書架から取り出した一冊の表紙を撫でる。
表紙には「ベネディクトゥス 観戦武官の記録」と書かれていた。
――Kindleも好きだけど、やっぱり本屋さんはいいよね。
――目が覚めたら、すぐ本屋さんに行こうっと。いや、会社が先か……。
少し気が重くなったトールである。
「テルミナさんも好きなの読んでいいですよ」
先ほどから後についてくる彼女に言った。
「そういえば、ベネディクトゥスの戦いって知ってますか?」
「――知るかよ」
彼女は頭をフル回転させ、現在の状況を分析している最中である。
トールの呑気な問いに、まともに答える余裕など無かった。
異端は重罪である。
テルミナが告発すれば、領主であったとしても逃れる事など出来ない。
むしろ告発するのが責務であり、これを秘せばテルミナも同罪となるのだ。
そういう意味では、既にセバスは共犯者という立場になる。
実際、セバスは怯え切っていた。
先ほどからひたすら女神ラムダに許しを請うている。
「おい、トール様よ」
書架から取り出した本をパラパラと繰っている領主に声を掛けた。
「え、はい。何ですか?」
――コイツ分かってんのか?
――どれほど、ヤバい状況かって事を。
トールが冒している罪は、オリヴァー・ボルツなどと比べるまでもなく重い。
オリヴァーは領主に対する反逆だが、異端は神への反逆なのだ。
「火あぶりだぞ、てめぇは」
テルミナは壁面にあるグノーシスの徴を指差した。
「え――ああ、なるほど!」
何のことだという表情を浮かべた後、ようやく合点がいったらしい。
――そういえば、あれってグノーシス派の目印だ。
――けど、何だって屋敷の地下にあるんだろ?
セバスがやたらと怯えていた理由もようやく理解できた。
――太陽系は実はグノーシス派の巣窟でした、的な設定をボクが考えてるのかも。
――面白そうだけど、宗教とか書くの面倒だな……。
「確かにグノーシスの徴がありますね。いや困ったな」
あまり困ってなさそうにトールが告げる。
セバスは成り行きを不安そうに見守っており、今にも気を失ってしまいそうだ。
「――チッ」
テルミナは愛用のバヨネットを持ち合わせていない事を悔やんだ。
領主の屋敷に入るには、全ての刀類を守衛に預けなければならない。
――殺される。
そうとしか考えられなかった。
セバスの部屋でトールと出会った時、殺すほかないと決断したのだろう。
トールは帯剣しており、セバスという共犯者までいる。
――逃げられんねーな。
諦めと同時に、彼女に湧いてきたのは怒りだ。
何を考えているのか?
領主でありながら異端にうつつを抜かし、領邦を危険に晒している。
露見すれば領主個人の問題では済まされない。
領邦全体が、異端審査の対象となるだろう。
教会の持つ聖骸布艦隊が押し寄せ、無数の天秤衆――異端審問官が領民を調べ上げるはずだ。
下手をすれば、ヴォイド・シベリア送りとなる。
「さっさと殺せよ。ボンクラ」
「は、はい?」
「殺せっつてんだよ!はなっからそのつもりなんだろうがッ」
テルミナの怒りは、まだトールに届かない。
「殺すわけないでしょう――あ、口封じという意味ですか」
「白々しい野郎だな」
「確かに、口外されると困ります」
――艦隊戦の前に捕まっちゃうのは不味いよね。
「だから戻っても内緒にして下さいね。お願いします」
「へ――?」
テルミナには理解できなかった。
余裕なのか、アホなのか、それとも罠なのか。
「ボクも別に異端を信じてる訳じゃないんですよ。たまたまアレがあったというだけで」
その点は事実である。
エルヴィン・ベルニクが遺し、セバスに案内されただけであった。
トールの興味は、この部屋にある書籍のみに向けられている。
「危ないから、あの徴は、どうにかしましょうか。セバスさん」
「も、勿論で御座います。トール様!テルミナ殿!」
場を取りなそうとするかのように、セバスが慌てて答える。
「じゃあ、てめぇは異端じゃないってのか?」
「違います。グノーシスとか信じてませんし――」
さらに決定的な言葉を付け加えた。
「――まあ、実はラムダさんも信じてませんけども」
ひぃ、とセバスが短い悲鳴を上げる。
穏便な決着への道筋が絶たれた瞬間に思えたからだ。
「信じて――ねぇ――だと――」
テルミナの顔から表情が消える。
――怒らせちゃったのかも。
――夢なのに都合良くいかないもんだなぁ。
この時、トールに幸いした事が一つあるとすれば、テルミナ・ニクシーの半生があまりに不幸であった点だろう。
憲兵隊の徽章を着け、心身を鍛え、傲岸不遜な態度で世間に相対して生きてきた。
そんな彼女ですら言語化できなかった禁忌がある。
女神ラムダへの不信――。
テルミナの心の底にも眠っていたのだ。
他の姿に偽装し、本人にすら気付かれないよう暗い森の奥に。
だが、それを明確に認めることは不可能だ。
過去の異端者達ですら、女神ラムダの完全なる否定など成し得なかった。
遺伝子コーディネートする過程で組み込まれた種としての制約なのかもしれない。
「あは、あは、ふひっ」
テルミナは揺さぶられた。
オビタルが超えられぬ、決して犯してはならない禁忌を、いとも簡単に口にした事実に。
不遜である。あまりに不遜であった。
それを他者に聞かせるなど無謀の極みである。
テルミナは、唇の端から垂れていた涎を拭きとった。
「わ、分かった――ふひっ――言わねぇよ。ひひひ」
こみ上げる奇妙な笑いが治まらない。涎も止まらない。
――いいじゃねぇか、おい、最高じゃねぇかよ!
会ってみて、冴えない奴と判断したが、間違いであったと思い直す。
――コイツはとびきり――いいや、底が抜けてやがんだ。
「ふぅ、良かった。ではお願いしますね」
◇
「あ?任務を止めろだ?」
テルミナが不穏な声を上げる。
楽しい読書タイムが終わり、トールは仕事に戻るため地下通路を歩いていた。
「ガウス少将にはお願いしたんですけどね」
――さすがに、こんなロリなコに無茶はさせられないよ。
――目が覚めないから、夢の中で解決しないとな。
「ふざけろよ。もうちょっとなんだぞ。ゴミクズの口が軽くなってきてるから――」
「でも、それだと、そのう――お風呂とか色々――」
ハッキリ言うのは憚られて、少しばかり語尾を濁してしまう。
「ははぁ――そういう事か。そっちを心配してんだな」
テルミナが了解したとばかりに頷いた。
意図が伝わったと思い、トールは胸を撫でおろす。
「ええ。ですから、あまり無茶な事は――」
「安心しな」
テルミナはトールの腕を軽く叩いた。
「処女だから」
そう言って、彼女は右手を妖しく宙で動かした。
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