金糸雀ーカナリアー

なつき

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第一章

4.糸

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 『【専属】を受けてくれただぁ!?おいお前、俺を騙そうとしてるんじゃないだろうな!?』

 半信半疑の亮の声に、思わず口端が上がる。

 「そう言うだろうとは思ったが、事実だ!悪いな、彼女は今日から俺の【専属】だ!」

 きっぱり言ってやると、受話器の向こうから悔しそうな声が聞こえて来た。

 『くっそ~!一体どうやってあの夏妃嬢を陥落させやがった!吐け、このやろ!』

 「どうやってって、普通に話してただけだよ」

 『普通に!?そんな訳ないだろ!話せコラ!』

 口うるさく訊かれたが、とりあえず無視し、優越感たっぷりの笑いを返す。

 「詳しい事は俺と夏妃の秘密だ!」

 『何だよそれ!すっげぇ気になるじゃねぇか!』

 しつこく粘られても、教えてやる気にはならない。もっとも、俺自身まだ信じられない気分ではあるのだが。

 (本当に、本当なんだよな)

 彼女が、俺の【専属】になってくれた。未だに夢のようだと思う。

 『本当に本当か確認してやる!』と捨て台詞を残して電話を切った亮は、数分と経たずに電話をかけ直して来た。

 『ほ、本当だった……』

 開口一番に聞かされたその言葉に、密かに胸をなで下ろした。とりあえず、夢だった訳では無いという事だ。

 「な?」

 内心でホッとしていたのを隠し、自信満々に言葉を返せば、またもや悔し気な声が返って来た。

 『くっそーーーー!お前っ、俺だって夏妃嬢は狙ってたのに!』

 「それはご愁傷さま。今後は一切話せないからな。まあ、特別に彼女の近況くらいは話してやってもいいぞ。時々、な」

 昔から何かと敵わない従兄弟に勝てた。そんな幼い優越感が俺を満たす。

 『お前、いい性格してるよな』

 「何とでも言え。とにかく夏妃は俺のだから」

 『はいはい。まったく、我が従兄弟殿は仕事だけじゃなく女にも抜け目ねぇな』

 「お前に言われたくねぇよ」

 色々とやり手なのは周知の事実である。女遊びもまた然り、だ。

 『ま、うまくやれや』

 「おう」

 短く返事をして電話を切ると、後からじわじわ嬉しさが込み上げて来た。

 「本当に、本当、なんだな……」

 あらためて実感する。彼女が、俺の、俺だけのものになった。たとえそれが、電話越しの声のみだとしても。俺と彼女を繋ぐものは、声。ただそれだけ。

 (今はまだ、だろ)

 いつか、本当の意味で彼女を手に入れればいい。金糸雀と客ではなく、ただの男と女になれる日が来るよう、頑張らなければ。そう思いながら、かけ慣れた番号に電話を繋ぐ。彼女と俺を繋ぐたった一つの糸。楽園へ……。


 **********

 仕事に追われる日々は、相変わらず忙しない。

 「……と、……が、……で」

 部下に指示を出しながら、自分も作業の手を休めない。

 「それじゃあ、俺は出る。本日中には戻れないだろうから、後は頼んだよ」

 そう言い残し、オフィスを出た。これからすぐ取引先との会食が待っている。今日の相手はなかなかにやり手だ。気が抜けない。

 車を走らせて着いた高級レストランで、取引先の社長と対面し、笑顔で言葉を交わす。

 「景気がよさそうで何よりだね」

 「いえ。溝口社長のところほどでは」

 互いに社交辞令を述べながら、腹の探り合いをする。どんな美味い料理も、ビジネスディナーでは砂を噛むようなものだ。

 「それではまた後日」

 「はい。今日は有難うございました」

 御辞儀をして見送った後、深い溜息を吐く。腹黒な人間を相手にするのは、いつも疲れる。もっとも、そういう自分だってよほど腹黒なのだろうが。会社役員など、腹黒くなければ務まらない。何しろ周りは皆、いつ穴が開くか、機会を虎視眈々と狙っている連中ばかり。善良なだけではつけこまれる隙を与えかねない。俺が身を置いているのは、そういう世界なのだ。

 (早く夏妃と話したい)

 彼女の声が聴きたい。そうすれば、疲れなんてすぐに吹っ飛ぶのに。そんな事を思いながら、また会社へと戻る。今日中に決裁しなければならない書類がまだ山ほどあるのだ。

 (夏妃……)

 車を走らせながら、彼女へ思いを馳せる。本当に彼女を手に入れられるなら、どんな代償だって払うのに。そんな事を考えながら夜は更けていく。そして俺は、再び楽園への扉を開いた。いつもどおり。彼女は変わらず俺の大好きな声で迎えてくれる。それが嬉しくて、少し寂しい。

 「大分慣れて来た?」

 『は……じゃない!うん』

 「う~ん、まだ、みたいだねぇ」

 『うっ……!ご、ごめんなさ……ごめん』

 ぎこちない『ごめん』に、俺は「仕方ないなぁ」と笑った。

 『だって!ずっと敬語だったんですよ?切り替えるのって、なんか難しいです』

 【楽園】は紛れも無い正真正銘の高級倶楽部だ。そこの〝嬢〟たる彼女の話し方は実に礼儀正しく、心地良いものだった。それを、俺の希望で崩して貰おうとしているのだ。なかなか慣れないのも仕方ないのかもしれない。

 『呼び捨てだって、未だにちょっと抵抗あるんですよ?』

 「そうなの?まあ、仕方ないって言えば仕方ないのかな。君、結構真面目だもんね」

 会話していていつも思っていた。丁寧で、素直で、しかも真面目。そんな性格が滲み出ているような話し方をする子だな、と。

 『コージぃ、あんまりいじめないで下さい~~』

 「いじめてないよ。ま、ゆっくりいこうよ。ね?」

 こういう事は、焦っても仕方がない。

 「気長に待つよ。君が気軽に話せるようになるのを、ね」

 そう。ゆっくり待つ。少しずつでも、彼女との距離が縮まるのを。

 『ありがとう……ございます』

 「いや、今の、後半はいらないからね?」
 
 『うっ、つ、つい……』

 どうやら、先はまだ遠そうだ。

 「まあ、焦らずいこう。ゆっくり、ね」
 
 『は、うん!』

 微妙に間違った返事を返して来た彼女に、思わず笑いが零れる。

 『や、笑わないで下さいよぉ~』

 「ごめんごめん。悪かった。君は一生懸命なんだよね、うん」

 『わ~ん、コージのばかぁ』

 「お、今のいいね!自然っぽい。その調子その調子」

 満足気に言うと、ふぅ~っと溜息が聞こえた。

 『……ど、努力します』

 生真面目な彼女の事だ。きっと頑張って俺の希望を叶えようとしてくれているに違いない。俺のささやかな望み、敬語なしで会話する事。それが叶う日は、そう遠くない。きっと。
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