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第五章 スイミング・プール・サイド Swimming Pool

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 ニコラの後について表に出る。夜の外気は蒸し暑かった、さすがに真夏ほどではなかったが。

 プールサイドは琥珀色アンブルイルミネーションイリュミネが眩しく、ライトアップエクレハージュされたライトブルーブル・クレィアのプールの水面みなもにも、その明かりが反射していた。庭園を囲んで、棕櫚しゅろの木々が黒くそびえている。
 プールの周囲には、カバナめいた、チュールの白いカーテンリドを垂らした大きな天蓋が幾つもしつらえられ、その中の卓子タブルも白いクロスナップで覆われている。
 大勢のざわめきがめ、給仕たちは気取った様子ですり抜けながら歩み去る。カリプソを奏でるスティールパンの響きが、それらしい雰囲気アトモスフェアを漂わせ。すでに九月だと言うのに、誰もが南の島のふりをして、真夏のヴァカンスを満喫していた。
 
 レストランの中で、ひときわ眼を引いたのが、海外からの旅行客トゥリストらしい女の子のグループだ。日焼けした肩や背中をあらわにした鮮やかなソワレをひらめかせ、賑やかに喋りやまず——英語と日本語と自国語を混ぜて——、彼女たちのたむろするバーカウンターの辺りは非常に華やいでいた。そんな彼女らが、大いにはしゃいで取り巻いていたのが、田坂さんだった。
 アイボリーイヴォワールリンネルで仕立てたスーツコスチュームに、ホワイトシャツ、ジレはごく淡い灰色グリィ、くすんだ薔薇色ローズ蝶ネクタインヌ・パピヨン。上背のある彼は、とても上手く着こなしている。ソワレをまとった若い女たちを侍らせて——一人とは腕を組み、別の一人が前腕に手を置き、身を屈めた彼の耳元に話しかけている——、映画の一場面のようだ。彼の表情は得意げで、大きく見開いたひとみをきらめかせ、むしろその光景は彼のポジションに相応しかった、僕の隣に居るよりも。

『……せめて、僕への当てつけなら、こんなふうに心をかき乱される甲斐もあるんだけれど、単に自分の賛美者をそばに置いておいきたいだけなの?』

 ニコラと僕の気配を察したせいなのか、田坂さんは彼女たちから距離を取った。だが、僕の非難を込めた眼線とぶつかっても、悪びれるどころか、にっこりと笑い、右手でボトルブテイユを頭上に放り投げ、背面にまわした左手で受け止めてみせた。

 カウンターのバーマンにボトルを渡し、田坂さんが女の子たちに別れの挨拶をすると、彼女らは一人ずつ彼に抱きつき、頬にビズではなく、キスをした。頬についた口紅を指の腹でこすりながら、お詫びの言葉を述べ、またしても別れがたく抱きしめる。

「きりがないから、先に行こう」とニコラは冷静に言い、僕の手を取った。

 予約した卓子タブルで、ニコラは母親に僕の到着を告げた。真っ黒いアイライナーとマスカラ、赤い口紅が印象的な彼女は、白地に黒い墨で引いたような花模様を描いたCHANELのノースリーブサンマンシュワンピースローブ姿だった。派手やかであると同時に、気配りの身についた慎ましさも感じさせ、つまり、社交慣れした大人の女性だった。

「いらっしゃい、はじまして。花子ちゃんは一緒じゃないの? ようくんたちのママとは、大学でサークルが一緒でね」と僕に言い、ニコラには、「ニコ、恥ずかしい格好して! さっきのワンピースはどうしたの」

「ママ、間違えてるよ」とニコラが遮った。「花子ちゃんじゃなくて、花ちゃん。葉くんは、花ちゃんの弟じゃなくて、従弟」

「まあ、ごめんなさいね。花ちゃんは?」

「先約があったみたい」とニコは拗ねたように言った。「ニコも、葉くんみたいな可愛い服が着たいの、ママの可愛いは可愛くない」

 ニコラの母親は、自分の席の隣りに僕を掛けさせようとしたが、先にニコラが坐ったので、僕はその横の椅子に腰を下ろした。

 給仕が、三種類ほどのタパスを運んで来た。抑えた声で説明してくれる。フォイエ(フォアグラ)とトルティーヤ(スペイン風オムレツ)とソロミーリョ(サーロインステーキ)、それと、ヒルダ(オリーブ、アンチョビ、酢漬けの青唐辛子のピンチョス)。飲み物はノンアルコールサンズアルコルのサングリア。

 ニコラが、女の子たちに対する、田坂さんの態度をからかいながら話した。

「あの方たちの中にキュレーターさんがいらしてね、貿易商の社長さんがご紹介くださったの。つい最近、漫画を原作にした日本映画の企画展を開催されたみたいで」とニコラの母親が言った。

 すると、彼女の向かいのお爺さんが、戻って来た田坂さんの姿を認めて、

「ちょうど佳思けいしが来たところだったから、見せびらかしに、ニコのパパが連れてったんだよ。コレも、日本映画の俳優の端くれだからね」

「これでもね」と田坂さんが軽口をたたいた。

「自分から進んでついてったんでしょ?」と、ニコラは田坂さんに向かって辛辣に言った。

「彼女、初めて日本の映画を観たのは十二歳のときで、松本敏夫の『薔薇の葬列』だったって。それから、『大魔神』や円谷プロの作品を観て、日本の文化が好きになったらしいよ。連絡先、交換してもらえた」と、田坂さんはニコラの指摘には答えず、僕たちを見回しながら話した。

「キュレーターになる人は違うわねぇ」ニコラの母親が、感嘆して言った。

 田坂さんは、卓子の端の誰も使っていない椅子を持って来て、割り込むように僕のそばに坐った。

「『大魔神』の橋本ちからが、大映ユニオンズの外野手だったの知ってるか?」とお爺さんが言った。「その縁で、ケガで二軍落ちした際に、大映の野球映画に出演してさ*」

「勿論、知ってる」とニコラが被せるように言った。「大叔父ちゃんが教えてくれたじゃん、忘れたの?」

 田坂さんは上機嫌だった。
 彼の頬はまだ、口紅をぬぐった跡に染められているように見えた。僕は彼に注意を促し、ナプキンセルヴィエットを押しつけるようにして残った口紅を取ってあげたのだが——断る前に触れてしまったので、僕はよほど苛立っていたのだろう——、僕に嫉妬する権利が?



*  正しくは、大魔神の中の人・橋本力が入団したのは毎日オリオンズ。後に大映ユニオンズと合併し、「大毎オリオンズ」となった。
 wikipedia調べ。

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