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プラチナの永遠(前)

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 同じ季節は穏やかに巡り、一年後。
 大事な司書資格取得のかかっている後期の試験や就活の調整に追われる四年生、卒業まであと僅か、の一月。月末の提出を目指していた卒論も無事に片付き、大学から帰って“卒論提出報告”をするべく真っ直ぐに伯母の家に来ていた私は、彼の部屋で脱力していた。


「ふぇー。魂抜けたー。終わったよー」


 連日睡眠時間を削られていた私は、疲れがピークを超えていた。もっと時間に余裕をもってやればよかったとか、色々反省はあるけれど、終わってしまえばこっちのもの。
 部屋に入るなり彼のベッドに身を投げたら、そのまま眠ってしまいそうになっている私に、机に向かっていた彼が振り向いて笑った。


「お疲れさま」
「んん。その節はお世話になりましたー」


 もぞもぞと起き上がり、正座して頭を下げる。


「なぁ律。卒論完成祝いに、たまにはどこか食事に行こうか」
「ん?んー、忙しそうだし、別にいいよぅ」
「勿論土曜日の夜とかだよ」
「あ、なるほどー」
「あのカフェでいいかな?」
「はーい。おっけーでーす」


 彼の香りに安心して、もう既に夢心地。
 私は再び布団に倒れ、軽く意識を飛ばしかけていた。


「こら、俺はいいけどあっちの家に帰らなきゃダメだろ」


 彼が近づき、私の頬をつついている。何を言われても動けない。


「律」


 仰向けにひっくり返されて、目を開ける間もなく唇が塞がれる。力の入らない私の唇に、舌が容易く割って入る。


「ん………やだ。眠い、から………」
「うん。だから目を覚ましてあげようかと思って」


 キスの隙間から至近距離で彼が囁く。決して大きくはない胸を揉まれて、吐息が熱を帯びていく。

 彼の舌を口中に感じてから、私の眠気はほぼ飛んでいた。なのに腕はベッドに投げ出されたまま、力が入らないのがもどかしい。
 スカートの裾を割って太腿にさわさわと彼の手のひらを感じた時、さすがの私も飛び起きた。


「やっ、やだっ。今からここでなんて冗談よね?」
「ん?うん、まぁ半分冗談、半分本気」


 ただ今、夜の十時。


「無理だから。お泊り無理だしケジメは大事っ」
「ま、そうだね。仕方ない」


 あっさり私の上からどいた彼がニヤリと笑う。
 何度身体を重ねても、常に彼は余裕たっぷりで、、私ばかり疲労度が半端ない。
 春からは自宅に近い職場に車で通うし、益々運動不足になってしまう。本気で体力、どうにかしなきゃ。それにはやっぱり自転車通勤かしら。

 

 その週末、土曜日の夜。
 前に二人で昼間一度だけ訪れたカフェに私たちはやってきていた。
 ディナーの時間帯、テーブルの上にはキャンドルの灯り。


「律は前と同じケーキバイキング付きのミニセットでいい?」
「あ、うん」


 入り口でコートを預け、店内に入るとキャンドルのおかげかログハウス風の店内は、色調も柔らかい。


「昼間と雰囲気が違うんだね」
「だな。意外に混んでるみたいだし、予約しておいて良かったよ」


 前に暑い時期に来た時とは違うスイーツのラインナップに、私たちはまたあれこれと感想を言い合い、お行儀が悪いけど、ちょっとずつ交換して食べたりもした。

 そうして一時間が過ぎる頃、さすがに「当分甘いものは見たくない」くらいにはデザートを堪能し、私たちは言葉少なに休憩モードになっていた。そんな中、ポツリ、彼が切り出した。


「前から言ってたことだけど………」
「うん?」
「卒業と同時に、俺と結婚してくれる?」
「……………はい?」


 え、ちょっと待って。何の心構えもなかったよ。今日って確か、卒論完成祝いだよね?


「これ以上、待つのが辛いっていうか。散々一緒にいた延長線上ではあるから、律は全然急ぐつもりはなかったかもしれないけど」
「え、まぁ………」


 それは図星だ。まだ早いもの。
 だって私はこれから就職するのだ。


「俺なりに、ただ自分が早く職場で結婚指輪をするようになりたいからそこに思い至ったのか、本当に一緒になりたいのか考えたんだ。でも、そんな事より、何より律と早く同じ家で暮らしたいって、前から思ってたから。それが一番の理由かな。………付き合い始めたら、もっと近くにいたくなった。俺は欲張りになったんだ」


 それは私だっていずれは、って思ってるけど。
 私も、もっと欲張りになってもいいの?


「ずーっと私の片想いだと思ってたんですけどねー」


 少しだけ、茶化してみる。


「最近は律も意地悪言うようになったよね」
「意地悪はそっちでしょ」
「もう降参だよ。律のいない未来は、いらない」


 突然顔が変わるから。私の心臓の鼓動も跳ねる。


「ゴールドの時と同じサイズで大丈夫そうだから、はいこれ」


 黙ったままの私の目の前には、深い碧の小箱。中身が何かなんて、わかりすぎる程わかっている。私はお腹が苦しいのも忘れて、惚けたように小箱を見ていた。


「律、返事は?」
「あっ、はい!こちらこそ、よろしくお願い致します」
「これからも、ずっと一緒にいよう」
「はい」


 頭をぺこりと下げて目を上げると、一瞬だけ不安げに揺らめいた瞳はもう、自信に溢れて輝いている。
 その輝きを見つめるだけで、大きく手を引かれていっぺんに前進したみたい。

 こういう場面で泣くことを想定されていたらどうしよう。でもね、嬉しくて私なら笑顔になるの。
 だって、あなたとの未来は、ずっと私の憧れだったから。


「ありがとう。さて。腹ごなしに少しドライブしようか。少し遅くなるから、家に連絡入れておいて」
「うん」


 疑うことを知らない私は、彼の言う通りに母に電話をかけていた。
 と、彼が私のスマホを取り上げる。


「あっ、ちょっと!!」
「もしもし。あ、叔母さん。今夜律を借りてもいいかな。叔父さんにも後で怒られるから、お願いします」


 スマホの向こうで明るい母の笑い声が聞こえる。


『いいわよー。避妊してねー』
「もちろんだよ。ありがとう、叔母さん」
「やだ、ちょっと待っ………」


 ……………切られてるし。


「さて、叔母さんの同意も得たし、これから指輪をはめる儀式をしに行こうか」
「“儀式”って一体どこに………」
「まぁまぁ。それは着いてからのお楽しみってことで。せっかくのお祝いだし、な」


 その後の私は、用意周到な彼によって予約されていたお洒落なホテルに連れ込まれ、ベッドで、バスルームで、と散々身体を貪られ、翌日、朝食も取らずにチェックアウトぎりぎりまで爆睡したのだった。


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