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帰省 (後)

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 帰省してからというもの、忙しくしていないとぼんやりしてしまいそうで、家事を手伝ったり真珠まなみと遊んだりして過ごした。
 幼稚園のお遊びの会にも付き添って、ほんの僅かママ気分を味わったりもした。
 真珠の新しいおともだちに『まなちゃんのママ?』と聞かれて返答に困ったけれど、真珠が『ちがうの。りおちゃんなの』っていちいち訂正しているのも面白かった。

 午後は母に頼まれたものを買いに出た。スーパーだけで済まないような内容だったから、久しぶりに自分の車を運転してショッピングモールへ向かった。
 なかなか帰省できないし、たまにしか乗らない車なんて維持費がかかるだけだからいずれ処分しようとは思っているけれど。
 それとも商店街でどこか駐車場でも借りようかしら。車も持っていれば何かと便利なのは分かってるし。
 

 そんなことを考えつつ、色々と買い込んで荷物を車に積み込んだら、ちょっと休憩。
 カフェでひと息ついていると、忘れていたはずの記憶がわたしのすぐ横を通り過ぎ、そして立ち止まった。
 そのまま何事もなかったように歩いて行って欲しかったのに。


「澤山………?」


 あぁ、こんな場所で会うなんて。


「園田くん、久しぶり」


 思ったよりも冷静にその人を見ていた。
 この人、こんな顔してたかな。


「一人?」
「そっちこそ」
「………まぁね」


 あの頃はお互いに気まずくて、思えばきちんとさよならしていなかったな。

 元同僚で、そして元彼の園田くんが同意も得ずにわたしの座るテーブルの正面に座った。
 うっかり表情かおに出てしまいそうな嫌悪感を隠して、「久しぶり」なんて言って笑ってみる。


「………東京、行ったんだっけ」
「うん、まぁ」


 言葉が続かないけれど、今のわたしには何も言う事はない。


「………雰囲気、変わったな」
「え。そう、かな」
「何ていうか、柔らかくなった。俺、澤山のスーツ姿しか知らなかったからってのもあるんだけどさ。澤山って、こんなに可愛い系だったっけ」


 そんなの知らないよ。何寂しそうに笑ってるのよ。自分だけ先に幸せになったくせに。


「こんな所で油を売っていていいの?お家であなたの可愛い奥さんが待ってるんでしょ」
「あー。まぁ何というか。結構気の強いヤツで時々疲れるんだよなぁ……」
「そんなの最初から承知の上でしょ」


 笑えてくる。
 わたし、こんな男のどこが良かったんだろう。
 ライバルだった。仕事で競うのが楽しかった。
 きっと二人はただそれだけの関係だったんだ。
 恋じゃなかった。この人と終わって辛かったのは別に悲しかった訳じゃないんだ。
 確かに一時期抜け殻のようになったけれど、それもわたしには必要な時間だったんだ、って今ならわかる。


「あの頃さ……、もし周りに付き合いを隠さないでいたら、今頃こんな事にはなっていなかったかな」
「“もし”はないよ。わたしは今がいい。わたし、あなたとは違う未来を選んで良かったと思ってるの」
「………ああ。今の澤山の方が、ずっと綺麗だ。あの頃も、小柄なクセに颯爽と歩く姿が密かに自慢だった。コソコソと優越感に浸ってないで、堂々としていれば良かったな」
「それはどうか分からないけど。そうね、もしわたしが変わったんだとしたら………」
「ん?」
「ううん、何でもない。もう行くね。……さよなら、ありがと」


 今のわたしを作ってくれてありがとう。わたしは、今のわたしが好き。
 さよなら、もう会わないと思うけど。


 あのね、綺麗になったってもしも本当にそう思ってくれてるのなら。それは多分心から大切で、愛しいと思える人を見つけたから。
 等身大の、ただの“わたし”を見てくれる人に出会ったから。

 ーーー会いたいな。

 ひとつ区切りをつけたからじゃない。
 それはきっと、そんな人と寄り添える奇蹟に気付いたから。

 姿を見るとドキドキする。 
 声を聞くだけで嬉しくなる。
 彼が他の女性と話していると、苦しくなる。
 触れられたら、胸が、身体が熱くなる。
 心がほわんと暖かくなる、やさしい気持ちに満たされる。
 その全てで、“恋”になる。

 そのまま気付かないふりでいられると思ってた。なのに自覚したら、もう心が騒ぎ出していた。

 今は六歳も年下なのにわたしより大人びた、瞳も、そして心まで綺麗な彼のもっと近くにいたい。
 釣り合うかどうかじゃなく、彼がわたしとの未来を、たとえ今だけでも望んでいてくれるなら。 
 わたしは、少しは自信を持ってもいいのかな。
 その胸に、飛び込んでもいいのかな。



 ーーー帰ろう。大切な人の待つ、あの商店街へ。



 夕ご飯を終えて、母と少しお茶を飲みながら話した。


「もう明日戻るのね」
「うん。あっという間だったな」
「今度はふたりで帰っていらっしゃいね」
「はい?!」
「透くんと」
「な、なんの事やら………」


 目が泳ぐ。お茶を吹き出すところだった。


「離れてみて分かることもあるわよね。まぁ、あんたは素直になればそれだけでいいのよ」
「……………」
「こっちに着いた時には“どうしよう”って顔してたけど、落ち着いたみたいじゃない。………もうなかなか帰って来なくなるかもしれないわね。でも、それが娘ってものなのよね。覚悟はしてたけど、いざとなると、やっぱり寂しいわ」


 ポツリ、ポツリと話す母に「そんなことないよ、もっと帰ってくるようにするよ」って言いたいのに、言葉にならない。
 透くんとのことを抜きにしてもわたしはもう、商店街の人間でもあるから。わたしの帰る場所は、あのやさしい街だから。



 母と食器を片付けてから兄のパソコンを借りた。自分の出した答えに確信を持つ為に、最後のキーワードを調べる。

 《マム》の花言葉は。
 〈あなたを愛しています〉。

 それならカクテル《BlueMoon 》の意味は。
 〈完璧な愛〉の方……?


『今日、マムという花の花言葉を知りました。透くん分かっていて選んだの? そうだったらいいな、と思っているわたしがいます。ここに来て、今までで一番あなたの事を考えています。答えはもう、わたしの中で出ているのかもしれません。今日の月、昨日よりまた少し丸いかな。明日も晴れていますように。おやすみなさい。』


 花言葉を知って、自分の部屋から思わず告白のようなメールを送ってしまった。一人で赤面していたけれど、返信がすぐに来てドキドキが止まらない。
 透くん、心臓に悪いよ。


『今日の月は、さらに輝きを増して綺麗ですね。マムの花言葉ですが、お花屋さんで教えてもらったので知っています。愛する人に贈る為の花を買いに来たことバレバレだったみたいです。俺は今だけでなくずっと璃青さんの事を考えています。商店街を歩いていても、仕事をしていても心が璃青さんを探してしまっています。明日戻ってくるのを待っています。お休みなさい。いい夢をお楽しみください』


 彼の真っ直ぐすぎる言葉が、今なら信じられる。
 水のように、わたしの心の隅々まで行き渡る。

 今も同じ月を見上げているかな。
 明日のわたしは、今よりもっと素直になれるかな。


「透くんが、好き」


 初めて声に出したら胸の中で、ぽん、と花の開く音が聞こえた気がした。

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