彼女がのぞむ月の向こう

内山恭一

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起き上がってあかさは手をついた拍子についた砂を払おうと手をはたいたが、そこには何もついていなかった。
何せ床はピカピカに磨かれた大理石で、掃除の手が行き届いている。
白と金色に輝くこの空間はどうやら宮殿の廊下らしかった。
らしい、というのもヨーロッパにあるような歴史ある宮殿など生まれて一度も目の当たりにしたことなど無いのだから。
あかさはずり下がったグローブを上げ直した。
レースが美しく、薄くつややかだ。
肘まであるグローブを伸ばすと、僅かに裾を持ち上げて歩き出した。
コツコツとヒールの鳴らす音が美しく響き、自然と背筋が伸びる。
「今回はドレスなのね、いいじゃない」
あかさは慣れてきたせいか、いちいち驚くこともなくなっていた。
もちろん、不安ではあるし、困惑もする。
今も、手に触れたドアの開け方がわからず、困っていた。
「茶会までにはお戻りください、お嬢様」
どこから見ていたのか、タイミング良くドアが開け放たれた。
誰?
見ればドアの裏手に白い制服の男性がかしこまったまま立っていた。
のぞき込み、やがて目が合い、あかさはすかさず前をむき直し、
「行ってきます」
と歩き出す。
そんな言葉が口をついて出てきた自分にびっくりだが、先ほどの男性が明らかに外国人であり、しかも言葉が通じていることに動揺した。
それを見透かされまいと、大股で突き進む。
「どこ?外国なの?」
汗がどっと噴き出してくる。
「慣れたと思ったけど、やっぱ、びっくり」
思い返しても、見たことない人がいて、しかもそれが外人で、何故だか言葉が通じる、変な世界。
現実世界で経験できないだろう、こんな状況。
まだ廊下は続く。
階段が見えるが、まだ相当に遠い。
反響するヒールの音が鼓動に合わせるように早まる。
窓越しに差し込む光がまばゆい。
揺れる木立が下に見え、ここが一階ではないことは確かだ。
「近衛隊長がお見えです」
階下から声が聞こえた。
前方の階段よりさらに向こうにある扉がゆっくり開こうとして、ドキドキの止まらないあかさは歩みを早め、階段を駆け下りる。
ヒールが慣れない。
もう少しで踊り場なのに、あかさは足がもつれて体が倒れ込む。
何かさっきもこけたような気がするのに、何て日なの!
ドスン。
「意外と軽いね」
あかさが倒れ込んだのは床ではなく、格好良い男性の腕の中でもなく、男装したちかやの胸の中だった。
「あ、おどろ…」
緊張で体がこわばっていたことに気づくあかさは、きっと奇妙な顔をしていただろう。
「意外って?重そうに見える?」
「いや、新調の割にって意味で…」
たじろぐちかやに、
「うそ、冗談。ありがとう。ともかくあえて良かった、また一人かと思った」
「いや、何人もいるよ、部下がたくさん」
「何それ」
手を借り立ち上がるあかさ。
「私はこの城の近衛兵の隊長らしい。いいでしょ、この服?」
ちかやに男装させても似合うだろうと思っていたあかさは、間違いに気づいた。
この方がより女らしさが際立つ。
それとも背後から差し込む光がまたそう見せつけるのかも。
にこりとする顔はとても女の子らしい。
もしかして楽しんでる?
それはもう愚問だと気づき、飲み込むあかさだった。
「ここはどこ?」
この質問も相当に馬鹿げた問いだったが、
「さぁ。でも外に出かけないといけないみたいだよ」
「なぜ?」
「隊長として姫をエスコートしないといけないらしいから。」
「姫?」
あ、私のことかと、言ってから気づくあかさ。
これはもう凄い夢ではないか。
いわば私が主人公なのだから。
しかし、あかさの心は楽しむよりも疑問ばかりが先にたつ。
「姫、行きましょう」
根拠は無いがちかやが頼もしく見え、大丈夫だという気すらしてくるから不思議である。
エスコートされるままにちかやについていく。
一階の広間を抜け、玄関へ。
やたらと背の高いドアが開けられると、辺り一面僅かに揺らぐ水面で、雲に滲んだ太陽の光が乱反射して美しい。
馬がひかれてやってくるのを見つめるちかや。
徐々に近づく馬に、あかさはその大きさに後ずさる。
顔も大きければ、体も大きい。
人に言わせれば当たり前のことを改めて感じたあかさだが、宮殿も馬も目の当たりにするのは初めてなのだからしかるべき驚きで、
「これに乗るの?」
「そうですよ、姫様」
「乗れるの?ちかや」
「乗れたよ」
あかさはその言葉の意味をすぐに実感した。
ちかやの手に捕まり、馬の世話係の肩があかさをやさしく押し上げる。
凄い高さだ。
まるでバスから見下ろすかのようで、足下の景色が俯瞰で見える。
乗ってしまうと怖さは影を潜めた。
ちかやが先導して、あかさがついていく。
二頭の馬の蹄が水面を打つ度、波紋が広がり、飛沫が宝石のごとく輝き、あかさは見とれた。
太陽は近そうなのに暑くはなく、風は爽やかに、先ほどまでの焦りが全部忘れられる。
何一つとしてぶれることなく歩みを進める馬の上で、景色を味わうあかさ。
あかさはさっき聞けなかったあの言葉を、今度は問いかけた。
何となく答えはわかっていたが、確かめたかったのだ。
「楽しい?」
「楽しいよ。こんな経験、できないじゃん」
「どうして楽しめるの?この意味のわからない世界を」
「どうしてかな。よくわかんない。」
そうじゃないよね?
ちかやは続けた。
「でも、楽しむときは楽しまないと。本気だったら何でも楽しいんだ」
ちかやらしい言葉だ。
まだ全然付き合いは短い、お仕着せなイメージかも知れない、でもそこは自信がある。
そしてその言葉は期待した答えだったか、あかさはもうそれ以上考えるのを止めた。
木々の匂いも日の暖かさも体全部で受け止める。
もう一度、あかさは景色を楽しんだ。
ちかやを受け入れるのと同義なのだ、この時間、この経験。
先ほどよりもっと視界が広がった気がした。
馬は黙々とプログラムされた機械のごとく、リズミカルな躍動と水音を伴いその歩みを進める。
こんな現実はあり得るはずがないのだが、悦楽に夢も現実も関係ない。
咲奈はどうして怖がっていたのだろう。
あの時の顔は容易に今でも思い出せる。
きっとここは、悦楽の園なのだ。
大きく息を吸い、両手を広げる。
空気がするりと指の間を流れていく。
「この先が城門。外に出られるんじゃない?」
「うん」
ちかやの笑顔につられてあかさもほほえむ。
心からの笑顔だった。
馬は進み、高い塀の向こうに出た。
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