彼女がのぞむ月の向こう

内山恭一

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行く先々であかさは奇異の目で見られた。
実際は怪訝という方が正しかった。
何せこの世界ではお姫様なのだから。
金髪、黒髪、長身短躯、色々あれど、絢爛なドレスの裾を土で汚し、はためかせて走る淑女なんてどこにもいないだろう。
自分だってそんな変な人、好奇の目で見るに違いない。
そう思うと恥ずかしいあかさだったが、今はそんなこと言っていられない。
いくつもの角を曲がり、数多の人を掻き分けて進むその姿は、まるでバタフライ泳法のようだ。
何振り構っていられない状況なのだ。
ともかく猫の行き先を見失わないように、懸命に走った。
こんなに本気で走ったのは本当に久しぶりだ。
上がる呼吸に、定まらない視線。
普通の猫なら一瞬で取り逃がしているところだが、頭でっかニャンコは足があまり速くない。
近づいては、遠ざかる。
延々と繰り返したように感じるあかさ。
何百人と通り過ぎて、あかさは彼らの顔を全て見たわけではないが、何かを見つけた気がした。
心の闇にろうそくが小さく灯ったようだったが、それが何だかわからない。
どこかの角か、家の中か、似たような景色ばかりで定かではない。
砂色の街角を風のごとく走り抜けるあかさ。
やがて人並みが消え、明かりはふんだんだがそれ故に人のいなくなった街に怖じ気づくあかさは、普段の運動不足がたたって、もうスタミナが尽きそうにあえいでいた。
とっくに脱いでいたヒールを両手に携えていたが、裾もヒールもほっぽり出したかった。
しかし、あきらめるわけにはいかない。
唯一の道しるべの猫。
もはや猫の手を借りる、ではなくしっぽだけが頼りの行き先なのだから。
いつしか街の明かりすらほとんど無くなり、角を曲がる度に闇が広がるようで、中心街とは対照的な通りで猫は激しく壁にぶつかった。
のびてしまったのか、動かなくなった猫をヒールを放り出し抱えるあかさの、その息は荒いまま。
吐息でひげがたなびく。
気を失っているが、体を見ると、どうやら息はしているようだった。
それにしても自分の夢の産物とはいえ、何度見てもおもしろい顔つきをした猫である。
まじまじとみるあかさは、ちかやの言葉が引っかかった。
これをみて、誰一人としてネズミとは思うまい。
ネズミに見間違うことがありえるだろうか。
どう考えても無理がある。
ちかやの見たネズミってどんな顔をしてたんだろう。
ようやく息が整ってきて、あかさは転がったヒールに砂を払った足を突っ込んで立ち上がった。
月明かりで薄暗いものの、どうやら同じように見える家並みがずっと続いており、明かりはあるもののここまでは差し込んでこなかった。
少し踏み出せば闇夜が手を伸ばしてきそうだ。
猫が連れてきたかった場所はここなのだろうか?
あまりに静かなので息すら響きそうだ。
ヒールが鳴るのではないかと気になったが、砂地で音はない。
忍び足で街をさまよう。
すぐに一軒の窓らしき開口にへばりついた見覚えある後ろ姿を見つけた。
ほっとするあかさは、
「ちやか、見つ…」
すかさず渋いものでも食べたような顔で、
「しぃー」
と口に指を一本添えたので、思わずあかさも真似をして見せた。
腰を落として静かにちかやの元へ近寄る。
何だか長い旅をして、家に帰ってきた気持ちである。
少しまだ鼻息の荒いあかさは、顔を赤くして、大きく肩で息をついていた。
砂色に違和感たっぷりの真っ白い制服の男装と、丸い毛玉のような猫を抱えた若いドレスの女が夜の闇に潜んでいて、挙動不審も極まりない。
しかし、そんなあかさに目もくれないちかやの視線は窓の奥の一点へ向けられていた。
家の中に人の気配はないようだが…。
「こっち、来て」
裏手に腕を引かれ進むあかさは、人の話し声に耳を澄まし、そのうちの一人のそれに聞き覚えがあることに気づいた。
「この声」
またも「静かに」のポーズをされてもう言葉は発すまいと誓うあかさだった。
「どれだけ時間かかってるんだ。いい年して、買い物一つうまくいかないなんて。姫様とは似ても似つかないよ」
「でも、途中までは…」
「言い訳はいらないんだよ」
「すみません、お母様」
怒られているのは一目瞭然で、しおんだろうことはわかった。
暗くて見えないが、もう一方の「お母様」と呼ばれた女性は良く通る声をして、しかし一転して涙ぐみ、
「こんなことになるなんて。お前が身代わりだったら良かったんだよ」
なんだか聞いたことありそうな、使い古された台詞である。
実際にそれを聞かされる場面なんて100パーセントありはしないが、この世界はある意味現実であり、あかさにはもう現実と夢の境界が乖離していると思えなくなってきていた。
渾然一体としているのに、どうしてそれでもちかやは楽しめるのだろう。
あかさは真剣な眼差しのちかやの横顔を不思議に感じた。
「自分のことだよ」
耳打ちされ、聞き逃していないはずだが、意味がわからないあかさ。
急に目を合わせて、指をあかさに向けるちかやに、
「何が?」
努めて会話はしないために考えを巡らすが、情報が少なすぎて何を言っているのやらちんぷんかんぷんである。
「あかさがそのお姫様なの」
言われてあかさははっと気づいて、納得した。
そういうことか。
美しいドレスやあの豪奢な宮殿はそのための設定か。
そう、これは物語なのだ。
終わりに向かって読み進む舞台劇だと、あかさは理解した。
それにしても、この物語には猫も出てくるの?
脈絡無いみたいだけど、この猫は何の役?
ネズミは、そういえばシンデレラだったら魔法で馬になるはず。
シンデレラ、頭の遠く奥深くで響くキーワードだ。
「それと、私の恋人」
おそらく一字一句間違えずに解釈しているつもりだが、なかなかに理解に苦しむのは、男装しているちかやのせいかもしれない。
「どゆこと?」
「だから、あかさがこの国のお姫様で…」
途中で、絶叫に近い声が耳をつんざく。
「今日はもう寝な!」「
母親らしい役の女性が部屋を出て行く。
僅かに漏れていた小さな灯火が揺らぎ消え、一帯を静寂が支配する。
あまりの無音に耳がキーンとうるさい。
いつの間にやら満月が頭上に来ていて、ほの明かりが窓辺の二人を照らしていた。
歩く靴音が聞こえて身を縮めるあかさとちかや。
息を飲む。
ふわりと部屋からまばゆい光が漏れ出た。
それは虹色の輝きで、すぐにオレンジ色に変わった。
一人になっている今がチャンス、とちかやに耳打ちするあかさだが、何故かちかやは待ってのポーズをする。
考えが見えてこない。
おそらく部屋にいるのはしおんだろうに。
このドキドキから解放されたい衝動に駆られる。
「今の私なら救ってあげられる。でも、君は…」
小さなろうそくの灯りだけで表情はうかがい知れないが、どうやら悲しんでいるようだった。
しおんの真剣に何かに向き合う姿がそこにあった。
ほんの数歩である、近づいて話を聞いてあげることもできるのに、ちかやは動かない。
それどころか、ちかやの気配りをいち早く察したのか、
「あれはたぶん、楽しんでいるから」
あかさは話がまだよく掴めていないが、ちかやが淀みなく説明できること自体が不思議だった。
仲が良いだけでは説明できない何かがある。
ともかくあかさはピンと来た、これはいわゆる薄幸の少女に待ち受ける悲恋の物語なのだと。
「この力さえあれば」
魔法のごとく、というよりまさに魔法なのだ、一陣の風が部屋に入り込み、いや、外は平静で部屋の中だけざわついているかと思うと、また虹色に瞬く光が窓からこぼれる。
灯っていなかった燭台のろうそくが火を保つ。
それを渦巻く風で吹き消し、また着ける。
しおんの指先一つで、それはもう自由自在なのだ。
「魔法だよね?」
少し恥ずかしい響きがして、あかさは少し赤らんだ。
「そう。でも唯の魔法じゃないの」
「なんで?」
「あれ、命と引き替えが条件なの」
全ての火が消え、また部屋は暗闇に支配された。
窓辺で月に祈る姿は、彼女の衣装といい、表情といい、様になっていて、見ているこちらまで引き込まれそうになる。
しかし、さすがにこれは近い。
何かしてしまうとしおんに気づかれてしまうこと請け合いである。
はて?気づかれてもいけないことはないような…。
ちかやがそう意図しているだけで、私までそれに従う必要は無いと思われたが、当のちかやはお構いなしにあかさに耳打ちを続ける。
「しおんの想う人って私みたいよ」
男装には意味があったということか。
目だけで頷くあかさに続けて、
「私はあかさに惚れてて、あかさは別の国の王子と結婚するの」
「どうなるの?」と尋ねたいが声を出すのがはばかられて、続きを聞きたい旨の動きをしてみせる。
「結局、あかさもしおんも死んじゃう。ていうか、状況からするとあかさはもうすでに死んでるけど」
「何それ」
「いや、そういうストーリーなんだから…」
極力小声なので、二人の間隔は限りなく近く、ちかやとぶつかった肩に何やら歩く感触が伝わる。
その何かはちかやの肩からやってきたようで、もうすでに頬の所まで来ていた。
あかさは普段なら絶対に他人に見せたくないと拒絶するはずだが、動くわけにも行かず、寄り目になってそれを凝視した。
ネズミである。
正確には、ハムスターである。
種の別はわからないが、小さくてころんとして可愛いあれである。
とても可愛らしいのである。
そこにいると想像できない、居るはずがないという場合を除いて。
「ひいぃ」
悲鳴を上げるあかさと、それに一瞬ひるんだちかやは派手に尻餅をついた。
「何?誰?」
この距離で気づかれないわけもなかった。
でも会えたのだから、それはそれでいいじゃない。
しかし、しおんはそうは思っていなかったらしい。
ハムスターとあかさのように、しおんは全くあかさたちを想定していなかった。
「え?何?ちかや?」
驚いたままの顔でしおんが尋ねる。
起き上がった二人は窓に顔を出し、
「いつから居たの?」
と、問うしおんに、
「結構前から」
あっけらかんとちかやが言う。
しおんの引きつった顔は見る間に赤くなり、彼女の伸ばした指から虹が渦巻いて二人に迫る。
まさか、攻撃されてる?
あかさはゲームの類をあまりやらないので詳しくはないのだが、これが攻撃魔法なのだろうことだけは簡単に推測できた。
そして風船が弾けるように虹の光はパンと弾け、三人の耳に大きな花火の音が鳴り響いた。
私って死んでるはずなんだから、死ぬことはないよね。
あかさは大音響と光に包まれながら、命を願った。
彫刻に激しく当たったボールは大きな弧を描いて跳ね返った。
三人は彫刻の中で変わらぬ姿勢のままで居た。
唯一つ違うのは、息がかかる距離でいるしおんの耳が紅潮していたことだった。
跳ねるように飛び起きるしおんのせいで、唯でさえ二人分の重みに必死で耐えていたあかさの上に、ちかやが降ってきてあかさは目を白黒させた。
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