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「やっと終わったぁ」
あかさはチャイムの音に軽やかさを感じながら、大きく伸びをした。
答案用紙が回収されていくのを涙を浮かべた瞳で眺めた。
もちろん、あくびで出た涙である。
いくら同級生や他校の生徒と遊んでいようが、やるときはやるのだとあかさは思っている。
一方で、ある程度離れた関係だとこれが遊び呆けているようにみえるのが、あかさの残念なところだった。
そんなことに気づきもしないのがまたあかさらしいとも言えた。
加織との一件の後、散々ともに勉強に励んだのだ。
おかげで終了時間前にはすっかり記入し終えていた。
もちろん、分からないところはそのままにしてあって、全く持って潔い。
ともかく、このテストの感触だと悪い点ではないはずだと、テスト中にもかかわらず寝てしまうほど余裕があったあかさだった。
遠くの席の加織が振り向いて、目が合うやニコリとほほ笑むので、きっとあちらも手ごたえがあったのだろうと、あかさも微笑み返した。
一緒に勉強中、あかさのわからないところは大抵加織もわからないという、あきらめるしか選択肢がなく勉学の神から容赦がない二人は、勉強に関してはとてもよく似ていた。
そう思えばこの学校に二人が通うことになるというのは自然なことだったのかもしれない。
決して勉強ができないわけではない二人だったが、このテストにぎりぎり間に合ったのは、高校受験からそう遠い時間が経過していたわけではないこと、加えて担任、荻原のサポートのおかげでもあった。
それを思うと、前の席にいるはずのひさきの椅子が寂しげに見えて仕方なかった。
そもそも萩原のサポートは体調不良でしばらく登校してこないままのひさきに向けられていたもので、それを暗黙の了解を得て、加織と二人、シェアしているのだ。
電話口では普段通り元気そうにしていた分、相変わらず会えず仕舞いでいるのが気がかりで仕方なく、心配も二人で共有している。
ひさきの病気が何にせよ、これで安心して見舞いにも行けるというものだと、期末テストの終了を告げるチャイムの余韻を聞いていた。
あとはホームルームが終われば自由なのだ。
そう思うと笑顔が自然とあふれてくる。
「霧村。お前、自信あるの?」
隣の席の佐村に不意に声をかけられ、あかさはドキッとしてしまう。
「うん、まあね。多分大丈夫」
平静を装い、するりと無難な言葉で返すあかさだったが、そんなこと気遣っている自分に対して何とも釈然としないでいる。
私が佐村に対して思うところは何もない、はずだ。
以前、佐村とあの世界にトリップしたことを思い出し、あの自分が自分でないことを知っていてもいまだに恥ずかしさを禁じ得ない。
あかさとしては、あくまで以前と変わらずに接することが自然の流れなのだと思っている。
ただ、自分ばかりがコマのようにくるくる回っている気もして、少々腹に据えかねているのも事実であり、
「佐村はどうなの?」
と、あれ以後呼び捨てにすることにしていた。
「全然問題なし」
予想外の反応に少々訝ってはみたものの、よく考えれば佐村が勉強が苦手だと思っていたのはあかさの思い込みに過ぎなかったと、佐村の自信ありげな顔に気づかされるあかさだった。
スポーツに熱中する人はその分勉強が苦手。
中学の頃の男子の姿や、スポーツ界出身のテレビタレントの言動を見るに、その思いに至るわけだが実際は各々違いがあって、宗里ちかやみたいに頭も良いうえ、スポーツ万能という天の理を超越した人だっているのだと、最近悟った。
「二人で対策してたんだろ?」
視線を外さずに佐村が親指で刺す方向を目で追ったあかさは、ニヤリとする加織と目が合ってビクッと驚いた。
「ま、まあね。」
後で何を言われるやら、あかさは自分に取り立てて才能があるとは思っていないが、こと加織との会話に限っては何故だか予見できるのである。
「俺も混ぜてくれたら良かったのに」
急に真顔になって言うものだから、冗談なのか本気なのかよくわからない。
「言わなかったじゃん。それに問題なかったんでしょ?」
「そりゃそうだけど」
不貞腐れて腕組みしたまま机に突っ伏す佐村。
そのうずめた顔から眼をのぞかせると、
「なぁ、あの時の夢の話…」
あかさは焦って言葉を遮ぎるように、
「その話はまた今度。ほら、ホームルームだ」
タイミングよく担任の荻原が教室に入ってくるのを見て、ほっとするあかさだった。
「じゃぁ、ホームルーム始めるよ」
そそくさと話を切り出す荻原に、クラス全員が前を向き直し椅子がガタガタと騒がしい。
「みんな、うまくできた?」
「まぁね」
「難しかったぁ」
皆が思い思いにしゃべりだして、一斉に安堵の空気が教室を満たしてまるで休み時間のようだ。
荻原は机をバンバンとたたいて、
「その様子なら大丈夫だね」
と、通る声で場を制した。
いつもと違う声量に皆がまた担任に目を向ける姿を見て、あかさは不思議と笑いがこみあげてきてそれを必死に抑えるばかりだった。
何しろ自分と加織だけは結果的に特別扱いであった、そのおかげであかさにはあまり高揚感がないからだろう。
あかさに今大事な事柄、それは加織とちかやとしおんと自分が一緒に誰の夢にトリップするのだろうかということ。
通う高校は違えど、夏休み前の期末テストというのは共通のはずなのだが、それにも係らず一度だけみんなでトリップしたことがあった。
テスト対策はそっちのけでちかやとしおんに会ってみたいと切望する加織を制して、これでは勉強にならないと仕方なしにトリップで会おうという代案を提示してみせたあかさ。
短時間で済むはずだったし、その実短い時間だったのは事実で、あかさの期待通りであった。
しかし、それは時間の問題だけであり、トリップせずに普通に話をしていたほうが断然がっかりせずに済んだと、あかさは今では思っている。
トリップの最中、ちかやにされるがままのあかさの姿を傍で見ても止めることをしないばかりか、それはもう楽しそうに笑い転げていたのだから。
加織が大人な社交性の持ち主であるという見立ては、自分勝手に過ぎなかった。
その点では冷ややかな視線を浴びせてきたしおんの方が断然大人な反応を示したといえる。
あの場面ではひいていた、という方がしっくりくる気もするが、そこはこだわらないことにする。
面白い世界だったのは違いないが、加織が元通りに元気な姿を見せてくれたことにあかさは心底安堵した。
だが、やはり気がかりはいつも付きまとう。
ひさきのことである。
加織たちとのトリップ以上に、今最も大切なのはひさきと会ってどんな具合なのかこの目で確かめたい、そして話をしてみたいということだった。
もう直に夏休み。
それなら時間はたっぷりある。
ひさきに合わせることなど容易だろう。
早く夏休みにならないだろうか、あかさはそんなことばかりに頭を巡らせ、担任の話など耳を素通りにしてやり過ごしていたが、
「霧村さん、ちょっと来て」
と、急に名前を呼ばれて、まるでプレーリードッグよろしく伸びをしてキョロキョロしながらその声の源を探すあかさは、すでに話を終えて教室を後にする荻原の後ろ姿に誰に呼ばれたのがやっと分かって立ち上がった。
きっとひさきのことだ。
他に思い当たることはない。
ぼぅっとしていただけに、椅子を激しく鳴らせてドギマギしつつも、放ったまま走り追いかけた。
横に並ぶと、
「ひさきのこと、ですか?」
一呼吸の間、あかさに目を合わせうなずくが、言葉はない。
物静かという印象が先に立ち、決してあかさに対してだけ冷たい印象は持たないが、さっきの教室での元気良さがないことが気になる。
追い求める表情は変わらず、感情が読めない。
「なかなかつかまらなくて」
ポカンとするあかさ。
何が捕まらない?
何か凶悪な動物を捕獲するのだろうか、などと見当違いしていると、
「京恵さん、一度お母さんとお会いしてみないといけないと考えてるんだけどね」
少し遅れてついていくあかさに話しているのか、それとも独り言なのだろうか。
聞き取りづらく言葉を咀嚼するかのようにしてやっと意味を理解できたあかさは、ひさきのことが余計心配になって仕方ない。
教員室にともに入り、
「そんなに酷い病気なんですか?電話では元気みたいなのに」
ギシリと椅子を軋ませて、担任は机に向かった。
「酷いかどうか。それはわからない。一度だけ電話では話せたけど」
「ひさきのお母さんとは?」
「連絡は取ってる。ただ…」
「何かあったんですか?」
短く唸り、それ以上は言わない、というよりも言えないのかもしれない。
「とにかく追試しないといけないのは、決まっていることだから」
パサリとフォルダーから二部のプリントを机に広げる担任は、そのうちの一つをあかさの前に差し出した。
「これを京恵さんに会った時でいいから渡してくれない?」
とこともなげに言うが、その枚数は結構な量になる。
これを一人で準備したのだろうか?
「いつでもいいから」
「追試はいつです?」
「学校に来れるならいつでも」
あかさを見ないようにしていた節のある担任と視線が合うと、
「どう?」
意を決したように、そうあかさは感じた。
静かだか絶対に譲ることのない気迫を見た気がした。
大袈裟であろうが、少なくともあかさには意志が伝わった。
会おう、絶対。
「わかりました」
「お願いね」
笑顔を見せる担任は、一呼吸おいて再度、
「何かわかったら教えて、どんなことでもいいから。お願い」
あかさは担任から書類を受け取ると、教室に戻るつもりだったが、背後から、
「霧村さん」
足を止め、
「はい?」
小気味良くふわりとスカートが翻る。
「少し…。変わった?」
「うん?」
「前よりしっかりしてきたなって」
「そう、ですかね?」
意味も分からず照れ笑いを浮かべるあかさ。
しっかり筋のぶれない姿の担任に姉の姿を重ねて見ていたからだろうか。
「前からこんな感じ。本質は変わらないでしょ?人間って」
思わず姉と話す口調になって、でもうまく元に戻せないままなことにあかさは少し決まりが悪かった。
「ううん、変わった。人は人と一緒に生きていくから、変わっていくのよ」
姉のようだ、そう思った。
どことなく、なんとなく。
だったらついでに言ってみよう。
「大人になったから、かな?」
あかさの、まるで決め台詞のごとき言動を一つくすりと笑って聞き過ごした担任に、
「だったらおとなしくしてなさい」
と、スカートをひらりとめくられて、慌てて裾を抑えるあかさだった。
教室に戻り、ほとんどの生徒が帰宅するなか、加織が出迎える。
「ひさきのことでしょ?」
「うん」
「すごいプリントの数…」
言われて改めて眺めると、確かに多い。
担任の授業外の科目まで範囲を決めて解説してある。
文字はすべて同じ調子で印字されている。
おそらく担任が編集したのだろう。
できる人間というのはどこまでもできるもんだ、と感心しきりのあかさである。
「それ、持っていくんでしょ?」
「どう?」
「もちろん」
加織はあかさが呼ばれた理由を悟っていたらしく、鞄も抱えて準備万端の様子。
「なら、行こう」
手早く帰り支度を整えると、あかさ持参のグミを二人してポイッと口に放り込む。
グミの酸っぱさに頬が上がる。
「でもいいのぉ?」
「何が?」
「優仁くん」
「んん?」
あかさには思い当たるまで結構な時間が必要だった。
はっとして教室を見回し、生徒の姿がほとんどないことに息をついた。
顔が熱い。
佐村のことだ。
「何も進展なし?」
「まあね。それに大体…」
あかさの言葉に重ねて話す加織は、
「何とも思ってないもんねぇ」
と、おどけてはあかさをからかうのである。
からかわれるのは仕方ない。
自分の内から好きだの嫌いだのはっきりしたものがあるのなら話は簡単なのに、佐村の方が自分を好きかもしれないしそうじゃないかもしれないという困った立ち位置であり、やじろべいのごとく気持ちがぶらぶらと揺れているのだ。
いい人っぽいけど、どうなんだろう、私。
それに、佐村にはあの夢のこと、トリップ自体のことすら、自分が知りえている情報のほとんどを教えていないのだ。
「どうして教えてあげないの?」
加織の疑問はもっともである。
でも、そんなにっちもさっちもいかない状況にあるのに、一緒にトリップする羽目になったらどうすればいいの?
楽しめる?
あかさには自信がない。
大体なんで私の方がこんなに悶々としてないといけないの?
その怒りはもっともである。
眉毛をぴくつかせながら、加織と共に教室を後にする。
「今週はずっと部活ないんだから、話せばいいのに」
「話すことはないよ、何も」
「佐村君の方が。聞きたいことたくさんあると思うんだけど」
加織のしたり顔にも慣れてきて、あかさはもう動じることもない、つもりである。
「うーん」
こればかりはその場にならないと考えがまとまりそうにないと、あかさは堂々巡りの思考をストップさせている。
「電話とかはあるんでしょ?」
「たまにね」
「隣同士で。変な関係」
全生徒が帰宅するために少し混雑している玄関口に差し掛かったところで、不意に背後から声をかけられる二人。
「ひさきはどう?」
馴染みのある声に、あかさも加織もすぐに誰なのかわかる。
隣のクラスの吉崎カンナだ。
おとなしそうな雰囲気を醸しているのに対して内実は積極的に行動するタイプらしく、少なくとも一日一回はあかさたちのところに顔を出していた。
最近はひさきが姿を見せなかったせいか、あまり見かけない。
あかさと加織は頭を横に振って、しかしカンナの表情は変わらない
カンナはあかさが抱えたフォルダーを指さしていて、
「それ、何?」
「ひさきの追試の資料」
「それ全部?すごい量だねー」
前髪で隠れがちな目が驚きの表情を見せる。
カンナと知り合うことになったきっかけは同じクラブ員だったからであり、しかも時を同じく幽霊になってしまったもの同士という関係性。
あかさはもうあまり覚えていないが、会ったのは最初で最後のクラブ活動に出席した時だったように思う。
というのも、そもそもカンナが地味な印象であり、あかさとは会話はなかった、はずだからである。
「今日も来てないんだよね?まだ具合悪いの?」
「わかんない。どうなんだろう」
本当に悪いのだろうか?
そのくらいに電話では普通だし、つらそうでもないし、ただ電話がつながらないことの方がほとんどで、話せても学校を休むことに関しては話題を変えてお茶を濁すばかり。
登校拒否、というにはあかさがピンとくるような理由は見当たらない。
だったら、カンナの方が何か知ってるかも?
あかさ達三人の中で一番気が合うのがひさきだと言えたからだ。
ちかやといい、カンナといい、そして自分が、ひさきを中心にして惑星が回っている、そんなイメージをあかさは思い浮かべた。
それに、休日にひさきと一緒にいたという話は何度も耳にした。
まだひさきが学校に出てきているころの話ではあるが。
あかさは一縷の望みを託して、
「電話してみた?」
「たまにかけてるけど、全然つながらないもん」
「一回も?」
「一回も」
「やっぱり、か。」
三人は靴をはきかえ、並んで歩く。
晴れ渡る空に、まだまだ少ない蝉の鳴き声が滲む。
見上げる日差しは強くて思わずしかめっ面になるが、しかしテストという重荷が取れて、爽快な気分のあかさだった。
校門を出ると、すかさずあかさはひさきに電話をしてみる。
「…現在電波の届かないところ…」
「ダメ。つながらない」
「そうかー」
「ねぇ、あかさ?」
「ん?」
「やっぱり行ってみる?」
加織と二人、心は決めていたが、連絡つかないのであれば足を運んでも会えるとは思えなくなってしまった。
むしろ無駄足の可能性が高い。
でも…。
「行ってみる。何かわかるかも」
加織はニコリとして、
「そうだね。やっぱ、行こう」
「じゃぁ私も」
と、三人で向かうことにした。
期待した結果は得られないとわかっていても、じっとはしていられない。
あかさはチャイムの音に軽やかさを感じながら、大きく伸びをした。
答案用紙が回収されていくのを涙を浮かべた瞳で眺めた。
もちろん、あくびで出た涙である。
いくら同級生や他校の生徒と遊んでいようが、やるときはやるのだとあかさは思っている。
一方で、ある程度離れた関係だとこれが遊び呆けているようにみえるのが、あかさの残念なところだった。
そんなことに気づきもしないのがまたあかさらしいとも言えた。
加織との一件の後、散々ともに勉強に励んだのだ。
おかげで終了時間前にはすっかり記入し終えていた。
もちろん、分からないところはそのままにしてあって、全く持って潔い。
ともかく、このテストの感触だと悪い点ではないはずだと、テスト中にもかかわらず寝てしまうほど余裕があったあかさだった。
遠くの席の加織が振り向いて、目が合うやニコリとほほ笑むので、きっとあちらも手ごたえがあったのだろうと、あかさも微笑み返した。
一緒に勉強中、あかさのわからないところは大抵加織もわからないという、あきらめるしか選択肢がなく勉学の神から容赦がない二人は、勉強に関してはとてもよく似ていた。
そう思えばこの学校に二人が通うことになるというのは自然なことだったのかもしれない。
決して勉強ができないわけではない二人だったが、このテストにぎりぎり間に合ったのは、高校受験からそう遠い時間が経過していたわけではないこと、加えて担任、荻原のサポートのおかげでもあった。
それを思うと、前の席にいるはずのひさきの椅子が寂しげに見えて仕方なかった。
そもそも萩原のサポートは体調不良でしばらく登校してこないままのひさきに向けられていたもので、それを暗黙の了解を得て、加織と二人、シェアしているのだ。
電話口では普段通り元気そうにしていた分、相変わらず会えず仕舞いでいるのが気がかりで仕方なく、心配も二人で共有している。
ひさきの病気が何にせよ、これで安心して見舞いにも行けるというものだと、期末テストの終了を告げるチャイムの余韻を聞いていた。
あとはホームルームが終われば自由なのだ。
そう思うと笑顔が自然とあふれてくる。
「霧村。お前、自信あるの?」
隣の席の佐村に不意に声をかけられ、あかさはドキッとしてしまう。
「うん、まあね。多分大丈夫」
平静を装い、するりと無難な言葉で返すあかさだったが、そんなこと気遣っている自分に対して何とも釈然としないでいる。
私が佐村に対して思うところは何もない、はずだ。
以前、佐村とあの世界にトリップしたことを思い出し、あの自分が自分でないことを知っていてもいまだに恥ずかしさを禁じ得ない。
あかさとしては、あくまで以前と変わらずに接することが自然の流れなのだと思っている。
ただ、自分ばかりがコマのようにくるくる回っている気もして、少々腹に据えかねているのも事実であり、
「佐村はどうなの?」
と、あれ以後呼び捨てにすることにしていた。
「全然問題なし」
予想外の反応に少々訝ってはみたものの、よく考えれば佐村が勉強が苦手だと思っていたのはあかさの思い込みに過ぎなかったと、佐村の自信ありげな顔に気づかされるあかさだった。
スポーツに熱中する人はその分勉強が苦手。
中学の頃の男子の姿や、スポーツ界出身のテレビタレントの言動を見るに、その思いに至るわけだが実際は各々違いがあって、宗里ちかやみたいに頭も良いうえ、スポーツ万能という天の理を超越した人だっているのだと、最近悟った。
「二人で対策してたんだろ?」
視線を外さずに佐村が親指で刺す方向を目で追ったあかさは、ニヤリとする加織と目が合ってビクッと驚いた。
「ま、まあね。」
後で何を言われるやら、あかさは自分に取り立てて才能があるとは思っていないが、こと加織との会話に限っては何故だか予見できるのである。
「俺も混ぜてくれたら良かったのに」
急に真顔になって言うものだから、冗談なのか本気なのかよくわからない。
「言わなかったじゃん。それに問題なかったんでしょ?」
「そりゃそうだけど」
不貞腐れて腕組みしたまま机に突っ伏す佐村。
そのうずめた顔から眼をのぞかせると、
「なぁ、あの時の夢の話…」
あかさは焦って言葉を遮ぎるように、
「その話はまた今度。ほら、ホームルームだ」
タイミングよく担任の荻原が教室に入ってくるのを見て、ほっとするあかさだった。
「じゃぁ、ホームルーム始めるよ」
そそくさと話を切り出す荻原に、クラス全員が前を向き直し椅子がガタガタと騒がしい。
「みんな、うまくできた?」
「まぁね」
「難しかったぁ」
皆が思い思いにしゃべりだして、一斉に安堵の空気が教室を満たしてまるで休み時間のようだ。
荻原は机をバンバンとたたいて、
「その様子なら大丈夫だね」
と、通る声で場を制した。
いつもと違う声量に皆がまた担任に目を向ける姿を見て、あかさは不思議と笑いがこみあげてきてそれを必死に抑えるばかりだった。
何しろ自分と加織だけは結果的に特別扱いであった、そのおかげであかさにはあまり高揚感がないからだろう。
あかさに今大事な事柄、それは加織とちかやとしおんと自分が一緒に誰の夢にトリップするのだろうかということ。
通う高校は違えど、夏休み前の期末テストというのは共通のはずなのだが、それにも係らず一度だけみんなでトリップしたことがあった。
テスト対策はそっちのけでちかやとしおんに会ってみたいと切望する加織を制して、これでは勉強にならないと仕方なしにトリップで会おうという代案を提示してみせたあかさ。
短時間で済むはずだったし、その実短い時間だったのは事実で、あかさの期待通りであった。
しかし、それは時間の問題だけであり、トリップせずに普通に話をしていたほうが断然がっかりせずに済んだと、あかさは今では思っている。
トリップの最中、ちかやにされるがままのあかさの姿を傍で見ても止めることをしないばかりか、それはもう楽しそうに笑い転げていたのだから。
加織が大人な社交性の持ち主であるという見立ては、自分勝手に過ぎなかった。
その点では冷ややかな視線を浴びせてきたしおんの方が断然大人な反応を示したといえる。
あの場面ではひいていた、という方がしっくりくる気もするが、そこはこだわらないことにする。
面白い世界だったのは違いないが、加織が元通りに元気な姿を見せてくれたことにあかさは心底安堵した。
だが、やはり気がかりはいつも付きまとう。
ひさきのことである。
加織たちとのトリップ以上に、今最も大切なのはひさきと会ってどんな具合なのかこの目で確かめたい、そして話をしてみたいということだった。
もう直に夏休み。
それなら時間はたっぷりある。
ひさきに合わせることなど容易だろう。
早く夏休みにならないだろうか、あかさはそんなことばかりに頭を巡らせ、担任の話など耳を素通りにしてやり過ごしていたが、
「霧村さん、ちょっと来て」
と、急に名前を呼ばれて、まるでプレーリードッグよろしく伸びをしてキョロキョロしながらその声の源を探すあかさは、すでに話を終えて教室を後にする荻原の後ろ姿に誰に呼ばれたのがやっと分かって立ち上がった。
きっとひさきのことだ。
他に思い当たることはない。
ぼぅっとしていただけに、椅子を激しく鳴らせてドギマギしつつも、放ったまま走り追いかけた。
横に並ぶと、
「ひさきのこと、ですか?」
一呼吸の間、あかさに目を合わせうなずくが、言葉はない。
物静かという印象が先に立ち、決してあかさに対してだけ冷たい印象は持たないが、さっきの教室での元気良さがないことが気になる。
追い求める表情は変わらず、感情が読めない。
「なかなかつかまらなくて」
ポカンとするあかさ。
何が捕まらない?
何か凶悪な動物を捕獲するのだろうか、などと見当違いしていると、
「京恵さん、一度お母さんとお会いしてみないといけないと考えてるんだけどね」
少し遅れてついていくあかさに話しているのか、それとも独り言なのだろうか。
聞き取りづらく言葉を咀嚼するかのようにしてやっと意味を理解できたあかさは、ひさきのことが余計心配になって仕方ない。
教員室にともに入り、
「そんなに酷い病気なんですか?電話では元気みたいなのに」
ギシリと椅子を軋ませて、担任は机に向かった。
「酷いかどうか。それはわからない。一度だけ電話では話せたけど」
「ひさきのお母さんとは?」
「連絡は取ってる。ただ…」
「何かあったんですか?」
短く唸り、それ以上は言わない、というよりも言えないのかもしれない。
「とにかく追試しないといけないのは、決まっていることだから」
パサリとフォルダーから二部のプリントを机に広げる担任は、そのうちの一つをあかさの前に差し出した。
「これを京恵さんに会った時でいいから渡してくれない?」
とこともなげに言うが、その枚数は結構な量になる。
これを一人で準備したのだろうか?
「いつでもいいから」
「追試はいつです?」
「学校に来れるならいつでも」
あかさを見ないようにしていた節のある担任と視線が合うと、
「どう?」
意を決したように、そうあかさは感じた。
静かだか絶対に譲ることのない気迫を見た気がした。
大袈裟であろうが、少なくともあかさには意志が伝わった。
会おう、絶対。
「わかりました」
「お願いね」
笑顔を見せる担任は、一呼吸おいて再度、
「何かわかったら教えて、どんなことでもいいから。お願い」
あかさは担任から書類を受け取ると、教室に戻るつもりだったが、背後から、
「霧村さん」
足を止め、
「はい?」
小気味良くふわりとスカートが翻る。
「少し…。変わった?」
「うん?」
「前よりしっかりしてきたなって」
「そう、ですかね?」
意味も分からず照れ笑いを浮かべるあかさ。
しっかり筋のぶれない姿の担任に姉の姿を重ねて見ていたからだろうか。
「前からこんな感じ。本質は変わらないでしょ?人間って」
思わず姉と話す口調になって、でもうまく元に戻せないままなことにあかさは少し決まりが悪かった。
「ううん、変わった。人は人と一緒に生きていくから、変わっていくのよ」
姉のようだ、そう思った。
どことなく、なんとなく。
だったらついでに言ってみよう。
「大人になったから、かな?」
あかさの、まるで決め台詞のごとき言動を一つくすりと笑って聞き過ごした担任に、
「だったらおとなしくしてなさい」
と、スカートをひらりとめくられて、慌てて裾を抑えるあかさだった。
教室に戻り、ほとんどの生徒が帰宅するなか、加織が出迎える。
「ひさきのことでしょ?」
「うん」
「すごいプリントの数…」
言われて改めて眺めると、確かに多い。
担任の授業外の科目まで範囲を決めて解説してある。
文字はすべて同じ調子で印字されている。
おそらく担任が編集したのだろう。
できる人間というのはどこまでもできるもんだ、と感心しきりのあかさである。
「それ、持っていくんでしょ?」
「どう?」
「もちろん」
加織はあかさが呼ばれた理由を悟っていたらしく、鞄も抱えて準備万端の様子。
「なら、行こう」
手早く帰り支度を整えると、あかさ持参のグミを二人してポイッと口に放り込む。
グミの酸っぱさに頬が上がる。
「でもいいのぉ?」
「何が?」
「優仁くん」
「んん?」
あかさには思い当たるまで結構な時間が必要だった。
はっとして教室を見回し、生徒の姿がほとんどないことに息をついた。
顔が熱い。
佐村のことだ。
「何も進展なし?」
「まあね。それに大体…」
あかさの言葉に重ねて話す加織は、
「何とも思ってないもんねぇ」
と、おどけてはあかさをからかうのである。
からかわれるのは仕方ない。
自分の内から好きだの嫌いだのはっきりしたものがあるのなら話は簡単なのに、佐村の方が自分を好きかもしれないしそうじゃないかもしれないという困った立ち位置であり、やじろべいのごとく気持ちがぶらぶらと揺れているのだ。
いい人っぽいけど、どうなんだろう、私。
それに、佐村にはあの夢のこと、トリップ自体のことすら、自分が知りえている情報のほとんどを教えていないのだ。
「どうして教えてあげないの?」
加織の疑問はもっともである。
でも、そんなにっちもさっちもいかない状況にあるのに、一緒にトリップする羽目になったらどうすればいいの?
楽しめる?
あかさには自信がない。
大体なんで私の方がこんなに悶々としてないといけないの?
その怒りはもっともである。
眉毛をぴくつかせながら、加織と共に教室を後にする。
「今週はずっと部活ないんだから、話せばいいのに」
「話すことはないよ、何も」
「佐村君の方が。聞きたいことたくさんあると思うんだけど」
加織のしたり顔にも慣れてきて、あかさはもう動じることもない、つもりである。
「うーん」
こればかりはその場にならないと考えがまとまりそうにないと、あかさは堂々巡りの思考をストップさせている。
「電話とかはあるんでしょ?」
「たまにね」
「隣同士で。変な関係」
全生徒が帰宅するために少し混雑している玄関口に差し掛かったところで、不意に背後から声をかけられる二人。
「ひさきはどう?」
馴染みのある声に、あかさも加織もすぐに誰なのかわかる。
隣のクラスの吉崎カンナだ。
おとなしそうな雰囲気を醸しているのに対して内実は積極的に行動するタイプらしく、少なくとも一日一回はあかさたちのところに顔を出していた。
最近はひさきが姿を見せなかったせいか、あまり見かけない。
あかさと加織は頭を横に振って、しかしカンナの表情は変わらない
カンナはあかさが抱えたフォルダーを指さしていて、
「それ、何?」
「ひさきの追試の資料」
「それ全部?すごい量だねー」
前髪で隠れがちな目が驚きの表情を見せる。
カンナと知り合うことになったきっかけは同じクラブ員だったからであり、しかも時を同じく幽霊になってしまったもの同士という関係性。
あかさはもうあまり覚えていないが、会ったのは最初で最後のクラブ活動に出席した時だったように思う。
というのも、そもそもカンナが地味な印象であり、あかさとは会話はなかった、はずだからである。
「今日も来てないんだよね?まだ具合悪いの?」
「わかんない。どうなんだろう」
本当に悪いのだろうか?
そのくらいに電話では普通だし、つらそうでもないし、ただ電話がつながらないことの方がほとんどで、話せても学校を休むことに関しては話題を変えてお茶を濁すばかり。
登校拒否、というにはあかさがピンとくるような理由は見当たらない。
だったら、カンナの方が何か知ってるかも?
あかさ達三人の中で一番気が合うのがひさきだと言えたからだ。
ちかやといい、カンナといい、そして自分が、ひさきを中心にして惑星が回っている、そんなイメージをあかさは思い浮かべた。
それに、休日にひさきと一緒にいたという話は何度も耳にした。
まだひさきが学校に出てきているころの話ではあるが。
あかさは一縷の望みを託して、
「電話してみた?」
「たまにかけてるけど、全然つながらないもん」
「一回も?」
「一回も」
「やっぱり、か。」
三人は靴をはきかえ、並んで歩く。
晴れ渡る空に、まだまだ少ない蝉の鳴き声が滲む。
見上げる日差しは強くて思わずしかめっ面になるが、しかしテストという重荷が取れて、爽快な気分のあかさだった。
校門を出ると、すかさずあかさはひさきに電話をしてみる。
「…現在電波の届かないところ…」
「ダメ。つながらない」
「そうかー」
「ねぇ、あかさ?」
「ん?」
「やっぱり行ってみる?」
加織と二人、心は決めていたが、連絡つかないのであれば足を運んでも会えるとは思えなくなってしまった。
むしろ無駄足の可能性が高い。
でも…。
「行ってみる。何かわかるかも」
加織はニコリとして、
「そうだね。やっぱ、行こう」
「じゃぁ私も」
と、三人で向かうことにした。
期待した結果は得られないとわかっていても、じっとはしていられない。
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