彼女がいだく月の影

内山恭一

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「ちょっと美月」
どうして加織があんなことを言ったのかしっくりこない、舞綺亜には森弘美月の顔つきにそんな印象を受けた。
そして確かに美月は何かすっきりとしない頭の中がむず痒い感じがずっとしていて、振り向いた先にいつもの笑顔に含みのありそうな舞綺亜の顔を見つけて、
「なんで加織、あんなこと言ったの?」
と、投げかけた。
「わっかんない」
「どういう意味かな」
「加織、歌いたかったんじゃない?本当は」
「えー、ありえない」
舞綺亜は小さく声を出して笑ったが、美月はそれどころではない。
二人とも加織とは仲が良いと思っていただけに、あれが歌いたいだけの立候補宣言とは考えづらく、十中八九美月の提案の意味を知っていて妨げたとしか捉えられなかった。
あかさが彼の言う歌のうまい私の同級生のはず。
彼が主催のいつかのライブにもあかさは来ていたと聞いている。
しっかり見ておけばよかったと、あの時ガンガン熱中していたことにすっかり後悔したのを覚えている。
入学してからクラスメイトを一人ひとり疑ってみたが、可能性が高いのはあかさしかいない。
少し化粧っ気があって、ちょっとだけ飛び抜けた印象で、私とは違う空気を感じた。
彼の好きそうな顔のような気もするし。
違う。
目鼻立ちのはっきりした顔というなら自分だって同じだ。
あかさよりも他の子よりも断然自分の方が長い時間一緒にいるんだし。
「お腹すいた」
と、呑気な舞綺亜に同意することもせず言葉も返さなかったのは、本当に空腹感がなかったことともう一つ理由があった。
実はそっちの方が、天秤にかけたら重すぎてびくともしないくらいの重大事件。
舞綺亜がぼそっと、
「元カレのこと、考えてるんでしょ?」
そのキーワードにはズキンと心が激しく揺さぶられた。
動揺しながらも懸命に、
「いやまだ、元じゃないから」
「でも、言われたんでしょ?もう来ないでくれって」
「まあね。だって、でもそれは受験があるから…」
工業高校三年生にして、この夏休みからは高等専門学校の受験生。
試験まで間に合わないといっていたが、成績はトップクラスでおそらく問題ないとバンドメンバーから聞いたことがある。
受験対策にしても、自分との付き合いをなくす理由にはならない、そうでしょ?
わかってはいても、自分の解釈に納得しきれない、彼の言葉を鵜呑みにはできない、そう心が叫んでいて、美月はここ数日気が休まることがなかった。
もうあかさに何かを仕掛けるのはやけっぱちとも思えたが、せずにはおれなかったのだ。
そこへ加織のあかさへのフォロー。
もう意識が混濁しそうで、帰路を辿る美月の耳に蝉の声が幾度も反響して脳内でこだましていた。
「バンド、やめちゃったんでしょ?」
「一つはね。もう一つは大人と一緒だから、続けるみたい」
「へー」
思うことがありそうな舞綺亜の反応に美月はいつものようには気が付かなかった。
反射神経で生きているんじゃないかとからかわれたことがあるくらいに、昔から美月は行動派だし、それは自慢でもあった。
とにかく行動すること。
それなのに、こと彼のことになると、どうしても慎重になってしまう。
今までに経験したことない心情に戸惑う美月は、きっとこれが本当の恋なのだと思っていた。
だから、なんでもしてあげたい、行動の源泉たるその気持ちは今までのそれよりずっと強く、元気を与えてくれた。
年が近いとはいえ初めて社会人と組んだバンドは楽しそうで、美月としても俄然やる気になっていた。
チケット代も多少は頑張ったし、知り合いという知り合いにはたくさん配って、盛況に終えることができた。
彼の役に立てた、それが何より気持ちよかった。
それがまさか自分の首をしめるとはつゆ知らず、あの時のライブにあかさが来ていたと聞いて愕然とした。
疑念が確信に変わった気がした。
「じゃぁこれからも通えばいいじゃない、彼のとこ」
「そうだけど。ああ言われるとね」
「美月っぽくないよ、それ」
聞けばよいのだ、彼に。
それは重々わかっていて、余計に怖くて動けない。
すっきりしない美月に、
「やっぱ、他に本命がいるんじゃない?」
他の友達は言わないその質問、というよりも指摘か、以前も舞綺亜に問いただされたことがある。
そして、見透かされたのだと感じていた。
彼の影で見えない彼女の存在。
その影を見ようと思い出を手繰り寄せて、寡黙になってしまう美月。
結局あれはあかさではなかったのかも。
ちらつく影を追って角を曲がったらたまたまそこにあかさがいた、たった一度の偶然と言えないだろうか。
勝手に彼に気に入られていると思ったのも、本当は錯覚。
舞綺亜は猪突猛進で青春満喫中な美月の次の言葉を、隣でともに歩きながら、しかし口は閉じたままだ。
罪悪感が言葉を紡ぐ。
「余計なこと、しちゃったかも」
「確かめたかったんでしょ?あかさかどうか」
「その女はもう来ないっていってた。今更わかっても、ね」
舞綺亜はここ数日の美月の様子でピンと来ていたし、話も聞いていた。
そして今、美月の吐露した言葉にいつもは見られない何かを感じ、肩を何度も揺さぶった。
「荒い、荒いから」
ぐんぐん頭が揺れて、しかし笑顔である。
「いいじゃん、歌がうまいかわかるだけで。面白そうじゃん」
これだから美月の周りにいると楽しいのだと、舞綺亜は再認識した。
自分だったら遠慮したいが、顛末を聞くのはとても楽しい。
だから、もう一つ、話を盛り上げてみたかった。
「ね、美月」
「何?」
「バンドの人、あのかっこいい先輩」
「格好いい?誰」
美月は冗談抜きで真剣に迷っていて、舞綺亜はあきれ顔で、
「ベースのあの人」
「あ、照星さんのこと?」
「そう。この前言ってた話があるじゃんか。」
「なんだったっけ?」
「新しくバンドを組みなおしたいって話、あったんでしょ?」
「あ…、あった」
「しっかりしなって」
また舞綺亜に肩を揺さぶられ、しかし今度は頭が冴えた。
「あかさを?」
「女の子でもいいんでしょ?」
「私に声かけるくらいだから、そうなんだと思う」
「だったら…」
美月は迷った。
それは少し違う気がした。
美月の考え込む姿を見るや、
「その先輩に紹介するくらいは、別にいいんじゃない?」
「うん、まあね」
「連絡先、知ってるんだよね?」
美月はあまり気乗りしなかったが、
「わかった。言ってみる」
「でも、彼から言ってもらった方が良かったりするのかな?」
と、わざとらしく舞綺亜が口を押え、
「あ、ごめん、元カレか」
そんな訳知り顔で言ってのける舞綺亜に、美月はすかさず肩を払おうと手を伸ばしたが、
「冗談だって」
うまいこと避けた舞綺亜は、楽しげにそういうと、またニタリと笑みをこぼしたが、背ばかり追っていた美月にはそれは見えなかった。
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