彼女がいだく月の影

内山恭一

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ダメなときは何をしてもだめな時もあるものだが、反対にうまくいくときは順風満帆、エスカレーターに乗ったようにスイスイと事が運ぶ。
今回は…、ほぼ完ぺき。
即答できないのには理由がある。
悪いとは思いながらデート中のあかさを呼び出すことには成功した。
あかさには疑われているとしても言うままに来てくれることは予感があった。
だましてしまうことになるのは承知の上。
本当にごめん、と後で謝るつもり。
でもそれもあかさのことだからすぐに許してくれる予感もあるところが、さらに加織のいたずら心をくすぐった。
川の両端に沿って続く公園に、加織とちかやとしおんの三人が、その対岸に何か探す様子のあかさと並んで歩く佐村の姿があった。
この公園、彫刻ばかりが立ち並び、あかさだってこんな場所に呼び出されたらいやでもそれらを目にするし、警戒もする。
特に佐村とのトリップには慎重な対応を取っているあかさのこと、彫刻は避けてしまう可能性もあった。
そんな分が悪いにも程がある高い可能性をはねのけ、あかさは携帯一本で、宇宙ステーションにドッキングする宇宙船よろしく操られるがままにベンチに腰掛けようとした。
隠れながらも「よし」と大きな声を出したちかやの口を二人して抑える三人は、見事通行人から不審な目で見られていた。
他人の目などものともしない三人に、さらにラッキーは続く。
トリップの順番は賭けだった。
先に加織たちがトリップしなければならない。
これには重要な意味があるが、ともかくこれも加織の思う壺。
見事先に加織たちが世界に向かい、ベンチに腰掛けたあかさたちももややあって同じ世界にトリップした。
そもそもトリップできる確実性、必然性につながる何かが加織たちにあるわけでもなかったが、胸のわくわくは見事それを呼び寄せた。
そして、最後。
散り散りに始まった夢の中、合流できた三人があかさと佐村の姿を発見することができたという、加織の台本通りの筋書きも、ここまで来ると神がかり的である。
ただ、である。
加織としては、できればしおんの幻想世界か、せめて加織にまつわる世界を望んでいた。
デートをするのは彼らであり、シチュエーションは極めて重要。
楽しむ方はもちろん、それを見守る方にとっても、である。
それなのに…。
来た先はちかやのお菓子の世界。
これ、幼いころの本気の夢じゃない?
確かに夢心地の素敵な世界ではある。
が、それは当のちかやにとって、である。
遮蔽物には事欠かない世界であることは唯一特筆すべきありがたいことかもしれないと、しおんの言葉に加織は救いを見出す。
空中宮殿にいる女神様のようなひらひらして純白の可愛らしいワンピースも、すっかりクリームだらけである。
「まだ気づいてないよね?」
「たぶん」
三人はふんだんにクリームで飾られた大きなビスケットの壁の向こう、話声の聞こえる方へ意識を集中していた。
「でも、これじゃ見えない」
ビスケットだけあって、軽く押してみたところで本当に家の壁のように固く、壊れそうにない。
こういう世界だからちかやが力を発揮するかと思ったが、固い素材にてこずって役に立ってくれそうもない。
そんなわけで、聞き耳を立てて様子をうかがうしか手がないのである。
「何を喋ってるんだろう。聞こえる?」
「濁ってよく聞こえない」
おそらくあれは綿あめなのではないかという雲が、はちみつ色の太陽を隠し奇妙な色に空を染めていて、全体的にかすみがかって遠景は望めないほどにぼやけている。
足音のしないふわりとした地面は、加織たちが息をひそめて歩くのに適していたが、あかさ達を音を頼りに追うのには不適だった。
お菓子の家並みを壁から壁へ渡り歩く三人。
「ちょっと覗いてみたら?」
「ばれるんじゃない?」
「どこか隙間ないかな」
徐々に話声が遠くなる。
焦ってちかやがひょいっと飴細工の茂みから頭を出して、触れた葉っぱがからんからんと風もないのにそよぐ音を立てて、二人に引っ張り戻される。
「大丈夫だって」
「ばれちゃう」
「どうだった?」
「食べてないね。興味ないんだろうね」
「いや、そうじゃなくて…」
ちかやの返答に頭を抱える加織としおん。
「何してた?」
「あっちの方に歩いてる」
ちかやは指さして、三人同じ方を見る。
「歩いてるだけ?ちゅーしてなかった?」
しおんが表情と言葉を裏返しに言い、ちかやが小動物の動きで何度も横に首を振った。
そんな二人を放っておいて見つめる街並みの先、ぼんやり浮かぶのは丘のような影。
「なんだろうね?あれ」
首を横に振る二人。
「とにかく、行ってみよう」
「はぐれたら、何しに来たかわからないんだから」
「さぁ、ダッシュ」
ティアラを輝かせる三人の姫は、お菓子の町の中を二人を追ってクリームだらけのおかしな姿で駆け抜けた。
この世界の中で特徴的な目立つ場所。
お菓子に気を向けない二人があの丘に向かうのは自然に思えた。
あの頂上からなら見通せそうだからだ。
だが、二人を追ってたどり着いた麓から見上げた三人は、頂上まで行くのが容易ではないと悟った。
ムースやクリームが縦じま模様になったケーキの壁が頭上まで迫り、行く手を阻んでいたからだ。
楽しそうな話声がその向こうから聞こえる。
あかさの声だ。
どこからか入れるのだろうと、壁伝いに入口を探す。
ほどなくしてそれは見つかった。
アーチ状の看板は砂糖菓子とねじった飴でできており、誇らしげに文字をたたえている。
「まぜ?」
「いやいや加織ちゃん」
ちゃん付けされるのが新鮮で、頬が少し熱い。
いや、そうではなく、ちかやの言い方で即間違ったことを悟ったからだが、
「何だっけ?」
「迷路って意味」
「そっか。英語、苦手なんだよね」
「て、海外好きなのに、そんなんじゃ旅行いけないじゃん」
「読み書きが苦手なの」
「こっちに栄養がいってるんじゃないの?」
「あふぅ」
不意のちかやのお触りに、妙な声をあげてしまう加織だった。
「あかさほどじゃないな」
「じゃぁ、ちかやはどうなの」
飛びかかろうとする加織と胸を隠すちかやのやりとりを冷ややかに見つめて、
「行くんでしょ」
指を立てて口に当て小声で言うしおんに、
「そうだった」
小走りな加織を先頭に、連なって迷路に入っていく三人。
中も外も同じような柄が続いていて、確実に迷いそうな雰囲気がある。
ただ、外周よりも壁の背は低いようで、つま先立ちなら頭だけはぴょこんと奥まで見通せた。
霞の中、明らかに佐村と思しき突き出た頭と、見え隠れするあかさの頭がうかがえる。
延々続く迷路はなだらかな丘に沿って広がり、ところどころに櫓のような高い建物が見える。
頭を出せば見えるものの、当然相手からも見えるわけで、壁を飾っているクリームを両手にとって壁に乗せ、穴を作ってそこから覗いた。
手近に見える櫓を二人は目指しているようで、しかし近づいたり遠ざかったりして見えた。
一瞬、二人と目があった気がした加織はドキリとして頭を下げてしまうが、クリームに隠れて見えないはずと思い直し観察を続ける。
腰をかがめて素早く移動する三人。
移動先でまた、クリームで小山を作っては覗き、見えづらくなったらまたまた移動と、幾度も幾度も懲りもせずに繰り返す。
全ては加織の仮説を証明するためなのだ。
振り返れば大中小のクリームの後がたくさんできて、あれを気に留めない方がおかしいくらいに不自然さに満ちている。
両手も服もクリームだらけだが、もう気にもならないが、まとわりつくクリームを力いっぱい食べそうなちかやが食べないところだけは丸い視界に覗くターゲットと同じくらいに気になる。
動きの変化に乏しいし、飽きてきたのが正直なところ。
「ねぇ、ちかや」
「何?」
「いつもはあんなに食べるのに、どうしてこの夢のお菓子は食べないの?」
「そんな、野獣扱い…」
「いや、野獣でしょ」
どうやらしおんも気になっていたようだ。
「だってこの間の真ん丸ドームだって、すごい食べたでしょ」
「何?それ」
「勉強の息抜きにって、この前…」
「あ、テスト期間中は行かないって決めてたのに?」
「自分が言い出したのに、ね」
「ま、まぁ、それはいいじゃない。ちょっとだけだったし」
「その時はまたバカ食いしてて…」
「バカはいらない、そこ」
「私、することなかったもん」
「味見したじゃん。おいしかったでしょ?」
「まぁね。好きな味」
ニタリとするちかやとしおん。
「もうなくなっちゃったお店のケーキなの、あれ。好きだった。洋酒がすごい効いてるの」
「普通はあんなに入ってない」
ケーキショップ隣に住んでいるだけに言葉に重みがある、ような気がする。
「これはさぁ」
と、ちかやは手で口を拭うようにして人差し指のクリームをなめ、周りをクリームだらけにした口をもぐもぐ動かし、
「今はあんまり得意じゃない感じ」
まんざらでもない表情なのがまたおかしい。
「さっきの飴とかビスケットとか、もうあんまり食べないじゃん。大きくなって好きな感じが変わったの。だから、なんかねぇ…」
加織は自分になぞらえて、うなずいた。
もしかしたら、この夢は昔小さな子供だったころのみんなの夢の形なのかもしれない。
壁を指で撫でて、もう一度口に運ぶちかやは、
「でも、悪くないかも」
と、眉をぴくりぴくりとあげて満足げである。
靄が少し晴れて黄色だった世界がピンク色に変わる。
「でね、昔好きだったのがびっくり箱…」
変化に気づいた加織が口に指を当て話を止める。
すっかり話し込んでしまったと、気が付いたときにはもうあかさ達は階段を上る途中まで来ていた。
ここからだと丸見えになってしまう。
後方を見回し、どこか逃げ場はないかと動き出す三人。
「加織」
ビクッとして進軍が止まる。
振り返ると加織たちに手を振るあかさと隣に佐村の姿を見つけた。
「あらら」
誰が言ったか、しかしその気持ちを共有した疑いようもない。
しかし、目的が果たせなかったわけではないと、加織の気持ちの切り替えは早かった。
立ち上がり、屈み続けていた足や腰が解放されて喜び痺れる。
会釈を交わす佐村とちかやに、笑顔を佐村に向けたままにしおんが小声で、
「ちゅーしたかな」
「してないよ、たぶん」
視線を外さずに加織が返した。
「何してるの?」
「迷ってる最中」
知ってて入ったのに、変な返答だと気づきそうであるが、
「何か用があったんじゃないの?」
加織は照れ隠しの笑顔を使いまわして誤魔化そうと必死である。
「ここってゴールあるのかな?」
「上の方までずーっと迷路みたい」
「ゴール、行けそう?」
加織の視線が辺りを彷徨う。。
どこにもターゲットの姿が見えない。
「誤魔化してるよね?」
ばれたか。
さすがに無理があったと、加織はあきらめてあかさの方へ歩み寄る。
「気づいてた?」
「ずっと」
あかさが空を指さし、加織がそれを追う。
「ぴーちゃん、飛んでるんだもん」
加織の見上げたおでこめがけて鳥が停まる。
動けない加織。
「クリームの山がいっぱいあるね」
返す言葉を失った加織は、あかさに向き直した。
鳥が羽ばたいて飛んでいく。
「あかさの猫は?」
「どこだろう」
話の流れをつかむためのもので、答えは求めていなかったが、
「あそこにいる」
振り返った先に、迷路の壁の上をひたすらに走るフジの姿が入ってはすぐ消えた。
「あ、落ちた」
苦笑したまま時間が止まったような三人の脇をのそのそとカピバラが通り過ぎる。
加織は振り向きざまに、
「ちっちゃいあかさはどこ?」
真剣な顔に戻る加織が佐村に問う。
期待したターゲットは、あかさ、ではなく、小さい方のあかさ、である。
ややこしいが、加織の仮説は至って単純なものである。
思念の形が変わるのはあかさから聞いていた。
なら、舞綺亜が絡んできて心変わりしているなら、思念の形も変わっていておかしくないはず。
なるべくなら差し障りの無いようにこっそり確認しておきたかったのは、そのためである。
全ての仮説が加織の思う通りならば、あかさには衝撃であるはずだから。
この夢は登場人物すべてにとって、夢のような世界ではなくなる。
今は、佐村をディーラーとしたカードゲームのテーブルにいるのだ。
たった一枚のカードが命運を決める。
自分たちにできることは何もない、運任せ。
カードが配られた今、ただ祈るのみ。
裏返しにされているカードの山に佐村が手を伸ばし、一枚つまむ。
その動きは緩慢で焦らすようであり、ゲストをやきもきさせた。
手の平を返す。
絵柄が見え、食い入るように前屈になるゲストたち。
テーブル中央に丁寧に置かれたその一枚の絵に、三人はもちろん、あさかも、当の佐村も度肝を抜かれた。
櫓の奥から姿を現したのは、一匹の熊だった。
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