氷の伯爵(旦那様)が記憶を失くされたようです

千羊

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旦那様は悲しみに暮れているようです

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 目覚めてから、信じられないことばかりでギルバートは心がついていけなかった。過ぎた時間、もう会えることのない家族、裏切った叔父と婚約者、そして初対面の妻。
 あの日、アルバストにここは十年後の世界で、家族とアリアンがいないことを教えてもらった。しかし、詳細を聞き出せたのは昨日のことだった。半月経ってやっと、だった。
 目覚めた当初はアルバストと呼んで来たのが孫であり幼馴染の方だったから驚いた。それについては四年ほど前に身体を壊して亡くなったのだと後々聞いた。じいは生まれたころから仕えてくれた家族ともいえるくらい大事な執事だった。自分の記憶の中の状態ですでに高齢だった。だから老いて、という理由が分からないでもないが、受け入れるには時間がかかった。
 理由は様々だが、この十年で失った大切な人が多すぎた。
 だが、唯一得た人いる。二年前に結婚をしたらしい、妻だ。とはいっても、幼いころに婚約したアリアンとずっと結婚すると思っていたから実感がない。彼女は名をヴィヴィアナといって、今十九歳だそうだ。アリアンは年下だったから、年上の相手がいると現状にどうすればいいかわからない。

「旦那様、今日はハーブティーをお持ちいたしました」

 ヴィヴィアナが手ずから茶を淹れてくれる。アリアンは今までこんなことしてくれなかった。彼女は少しわがままだったからお茶を淹れてくれといったら逆に言いくるめられてギルバートがすることになっていただろう。そんなところも頼られている気がして好きだった。正直裏切られただなんていう事実が、まだ、信じられない。

「今日は旦那様が少しでも元気になれるようにブレンドをしてみました」

 慣れた手つきでテーブルにハーブティーが茶菓子とともに綺麗に並べられる。きっと普段からこうしているのだろう。
 ヴィヴィアナは優しく笑うと、ベッドのギルバートに手を差し出した。これは歩く補助をしてくれる合図だ。最初は侍従たちに任せると言って断ったが、大丈夫ですと言われて親切を無碍に断るわけにはいかずお願いをしたら、いつの間にか慣れてしまった。
 重いだろうからなるべく体重をかけないようにしているが、軋む身体がそうはさせてくれない。左側の腕と足は骨折で動かせないのでどうしても寄りかかる形になってしまう。夫婦とは聞いているが、今の記憶上では会って間もない彼女にこんなことをさせてしまい、申し訳ない。だが謝ると、好きでしているのだからと怒られてしまった。謝罪よりも感謝の言葉を聞きたいと言われて、それからはなるべくお礼だけを言うようにしている。

「ありがとう」

 席に着くと、柑橘系の香りが鼻をくすぐった。動いていないはずなのにお腹が空いてきて、ぐぅと音を立てた。恥ずかしさについ顔が赤くなってしまう。

「ふふっ、今朝はお疲れでまだ朝食を召し上がっていませんものね。やはりご飯のほうがよかったでしょうか?」
「いや、せっかく用意してくれたんだ。これがいい」

 そういってお菓子をつまむと、ヴィヴィアナは嬉しそうに笑った。

「柑橘系はさっぱりしますでしょう? 目覚めにちょうどいいと思ったのです」

 指を組んでどうですか? と聞いてくる姿はアリアンとは違った系統のかわいらしさがある。だが、昨日の彼女は美人という言葉のほうが当てはまる表情をしていた。
 ――――両親と兄姉の事件を知り、昨日は現実を受け止められなくて悲しみに暮れた。誰も部屋に入れないように、一人にしてくれと言っていたが、眠っている間に彼女は部屋に入ってきたようだ。目覚めると手を握られていた。部屋に籠ってずっと嘆いていると、自分がまるで世界に一人取り残された気分になった。誰もいなくて寂しかった。けれど、彼女の手のぬくもりがそうじゃないと気付かせてくれた。
 窓からは月あかりが差していて、時間は夜中を回っていると分かった。いつからかはわからないが、ずっと彼女はついてくれたのだ。目覚めたその日もこうして手を握ってくれた。
 ぎゅっと、手を握り返す。きっと起きているのはこれで気づかれてしまった。けれどそれでいい。今はただ、この世界に誰かといるという感覚があるだけで。
 落ちる瞼の合間、薄目で彼女が笑うのが見えた。穏やかにほほ笑むその表情は美しく、一枚の絵のようであった。
 それからまた眠り、起きてみれば彼女はお茶を用意していたのだ。寝ているのか不安になって聞いてみたが、よく眠れましたとはぐらかされてしまった。ギルバートに余計な心配を駆けたくないのだろう。

「うん、初めて飲んだけど、おいしい」
「それは嬉しいですわ!」

 ヴィヴィアナも綺麗な手つきでお菓子を口に運んだ。思えば一日一回のお茶会が日課になってきている。だが、交流するにはいい機会だった。ギルバートはなるべく彼女のことを知ろうと質問をするようにしている。

「ルトルカスということは、君もなにか得意なことがあるのだろう?」
「いえ、わたしは特別自慢できるような才能はございません。父のように絵をかいたり、長兄のように楽器を奏でたり、叔母のように歌を歌うことはありますが、全て趣味の延長線上で人に見せるものではありませんわ」

 彼女は首を振って言った。けれど、その声は全く悲嘆するものではなかった。

「以前旦那様がおっしゃってくださったのです。どれもほどほどにできるというのも一つの才能だと。それがとても、とても嬉しかったのです」

 当時のことを思い出すように懐かしそうに目を細めた。いかに『旦那様』であるギルバートを愛してるか、その表情が語っていた。他人事のようで、なんだが少し、悔しい気がした。

「――そういえば、今日は昼食は一緒に食べられそうか?」
「あら、お菓子を食べたばかりですのに」

 ヴィヴィアナはくすくすと笑った後、少し考えて残念そうに眉を下げた。

「申し訳ありません。今日は打ち合わせを約束しております。この後軽く食べてから会議ですわ」

 最初はギルバートが起きた時間に合わせて一緒に食べていたのだが、最近彼女は領地の経営の一部を担っているらしくなかなか時間が合わなくなってきた。ギルバートも何か手伝えればと思ったのだが、アルバストに見せてもらった資料はちんぷんかんぷんで、仕方がないから今勉強中だ。アルバスト曰く、ヴィヴィアナの腹心であるソイという文官がかなり優秀なので時間は簡単に作ることができるらしい。今日の午後もその時間になるだろう。

「そうか。僕も早く勉強して手伝えるようにするよ」
「十年分の知識を取り戻すのは容易ではありませんわ。今は身体を治すことが一番重要ですもの。無理なさらないでくださいね」

 ヴィヴィアナがそういうと、ちょうど部屋に引き上げる時間になったらしい。侍女の伝言を聞いてテーブルを片付けようとする。しかしギルバートはそれを止めた。

「こちらで片付けてもらうから大丈夫だ。軽食とはいえ急いで食べるのはよくない。これで少しは時間に余裕が持てるだろう?」
「ええ、ありがとうございます」

 ヴィヴィアナは少し驚いたようだったが、やはり時間がなかったのだろう。少し急ぎながら部屋を後にした。
 残されたギルバートは下げられていく茶器を眺める。こうして静かになると、家族と婚約者がいなくなったはずなのに、こうして少しでも幸せを感じている自分に困惑してしまう。そしてまた途方もない悲しみが襲ってくる。胸が、いたい。息が苦しくて、身体を丸めた。

「ギルバート様、こちらを」

 コトリ、と何かが置かれた音がして視線を移すと、そこには見覚えのあるロケットがあった。確か母がいつも大事そうに持っていたものだ。中を見てみると、家族の絵があった。それはギルバートが十歳になった祝いに描いてもらったものの写しだった。

「事故で少し形がひしゃげてしまったので、修理に出しておりました。ずっと持ってらした奥様の形見でございます」

 アルバストはそれだけいうと、片づけをしていた侍従たちとともに部屋から出ていった。
 絵を描いてもらった時の思い出がよみがえる。なるべく動かないようにしてはいたが、だんだん疲れてきて、しまいにはしゃがみ込んでしまったのだ。それを見て家族は声を上げて笑っていた。それはもう帰らぬ時間。幸せな、過去。

「――――みんな、会いたいよ……」
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