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お嬢様は行動を開始されるようです

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 死への悲しみというのはそう簡単に拭えないものらしい。
 同情する気はさらさらないが、旦那様は十年の内に亡くした人が多すぎた。身体はその時間を刻んできたが、精神はそうではない。頼ることができる人がだれか一人でも残っていればよかったが、そういった人も亡くしている。心の傷を癒すには時間がかかるだろう。
 だが、ヴィヴィアナの復讐をやめるつもりはかった。むしろ好都合でもあったからだ。心を預けられる人がいないのであればヴィヴィアナがそうなればいい。家族が必要ならば、姉を、妹を、妻を演じて見せよう。そうすれば旦那様はより一層ヴィヴィアナに依存するだろう。時間はかかってもいい。こちらは二年も恨みを募らせておいたのだ。待つ忍耐はある。――――ああ、唯一の存在を失くしたとき、旦那様はどんな表情をするだろうか。想像するだけで胸がすくようだ。
 部屋で優雅にリトにマッサージをしてもらいながらほくそ笑む。最近は旦那様の面倒に仕事も加わり、夜にはぐったりと疲れてしまう。

「あっ、そこ気持ちいい……」

 背骨周りの筋肉が凝っていたので重点的に解してもらう。リトは女装こそしているが男なので少し強めのちょうどいい力加減に身体がとろけそうだ。このまま眠ってしまいたい気分だが、後で旦那様と夕食の約束をしている。それが終わったらそのまま眠りたいので、今のうちに報告を聞いておかなければならない。状況は? と聞くと、リトはいつもののんびりした口調で答えた。

「順調ですね~。伯爵は優秀と聞いてましたけど、屋敷内はガタガタですぅ」

 ヴィヴィアナは居を移したためラトリトの調査で初めて知ったのだが、愛人がこの家に来た三年ほど前から屋敷の内情は少しずつ悪くなっていったらしい。愛人が女主人としての振る舞いを知らず、全てにおいて采配が悪かったのもあるだろうが、決定的に崩れていったのはヴィヴィアナが別館に移動してから数か月後に侍女頭が辞職したからだろう。愛人の機嫌を酷く損ね、愛人が旦那様に嘆願したことで彼女はこの屋敷を去った。侍女頭は伯爵家に長く仕え、旦那様が家族を亡くした後も屋敷の中を整えてくれていた人だというのに。
 侍女頭が辞職し、愛人に聞こえのいいことばかり言う侍女がその職に就いた。そして屋敷はある意味無法地帯らしい。前侍女頭の下にいたものがなんとかしようとしているが、現侍女頭が自分の思い通りにしようとする人でなかなかうまくいっていないそうだ。

「今は姉さんが味方を増やしていますぅ。このままいけばあと数か月で、リストにいた人以外は味方にできますよ~」
「さすがラトね」

 この短期間で屋敷を掌握しつつあるラトに感心してしまう。ルトルカス子爵家は家族全員芸術に特化しているせいで貴族が担うべき仕事に関してまるで使えない。むしろ手を出させたら芳醇な財源に目がくらんで自分の好きな芸術関連の道具を片っ端から買い漁るので子爵家は三日で財政的につぶれるだろう。そのため子爵家に仕えるものは主がなくても自分たちで完結できるように鍛えられている。この復讐もヴィヴィアナが関わらなくてもやり遂げてしまうだろうが、どうせなら自分の手で彼らを絶望まで追い詰めたい。
 ちなみにリストとは確実に報復を行う予定のものたちのことだ。家令を筆頭に護衛や侍女頭、そして数人の侍女や使用人が記載されている。

「そういえばぁ、侍女頭さんが逃げる算段を立てているって噂がありましたぁ」
「あらあらまぁ、虎の威を借る狐が虎をなくしただけでそんなに慌てるなんて、ねえ? 一応聞くけれど、その噂を流しているのは?」
「実際にそういった動きもありましたからぁ、僕が流しておきましたぁ」

 予想通りだった。ラトは表立った行動が得意だが、裏で手を回すことに関してはリトのほうが得意だ。ルトルカスに仕える人間は主たちが生み出す作品を売り出すために世界をまたにかけて情報戦をしている。こんな狭い世界で鼻を高くして威張っているだけの侍女頭が対抗できるはずがない。

「もちろん彼女の実家には手を回してあるのでぇ、逃げることは出来ないようになってますぅ」

 なんとまあ、うちの侍女(男)は優秀なのだろうか。
 ヴィヴィアナは当然把握していないが、ルトルカスは莫大な金を生む商品を売り出しているので商人とのつながりが広くあるらしい。そこを利用して侍女頭の実家になにか仕掛けたのだろう。

「さすがリト! とってもかわいいわ!」

 起き上がって、リトの頭を撫でる。くすぐったそうに笑う表情がすごく可愛い。ラトとリトは双子の姉弟だが、勇ましさはラトに、可愛らしさはリトに、とお腹の中できっぱりと別れてしまったようだ。顔立ちは瓜二つだが、表情と仕草で全く違う印象を受ける。そんな二人は出会った当初から傾倒している幼いヴィヴィアナにかっこいいね、かわいいね、とそれぞれ言われてしまったものだから、今でもそれを極め続けている。一番の誉め言葉は、ヴィヴィアナからの可愛い、なのだ。

「お待たせいたしました」

 よしよしとリトの撫でている間にラトが帰ってきたようだ。夕食用の服を手に持っている。もうそろそろ夕食の時間だった。旦那様と食べるときは形式上服を変えなければいけないので面倒なことこの上ないが、すぐに着替えをお願いした。

「お嬢様、なんだかうれしそうですね?」

 二人の手を上げて、下げて、という声に合わせながら立っていただけのつもりだったが、つい口元が緩んでしまっていたらしい。

「考えたのよ。みんなが優秀でことが順調に進んでいるから、そろそろ一人目に動き出そうと思って」
「ついにリストを潰していくんですね~!」
「それは楽しみです」

 リトからの報告を聞いて思ったのだが、リストに名が乗っている人は少なくはない。そろそろ一人くらい消してもいいころあいだ。
 ラトリトの流れるように早い作業のお陰で、化粧直しまであっという間に終わり、旦那様の部屋に向かう。愛人が暮らしていた部屋は使いたくなかったので、本館に戻ってきてからもこの屋敷に来た当初愛人が用意してくれた旦那様の部屋から一番遠いところをありがたく使わせてもらっている。だから少し距離があるのだ。
 無駄に長い廊下を歩いていると、掃除終わりの一人の行儀見習いがヴィヴィアナに気づいて慌てて頭を下げた。先ほどちょうど思い浮かべていた一人目である。タイミングが良すぎて、急いでいるのについ声をかけてしまった。

「遅くまで仕事熱心ね。いつも掃除をしてくれてありがとう」
「い、いえっ! 仕事なので!」

 ヴィヴィアナに話しかけられたのが予想外だったようで、びくびくと肩を震わせた。リトが流してくれた噂のお陰で優しくて健気な奥様というイメージが屋敷に広がりつつあるというのに、そんな反応をされてはなにか後ろめたいことがあると言っているようなものだ。だがあえて気づかないふりをした。

「まあ、体調が悪いの? 顔が青ざめているわ。今日はもう遅いもの。ラトから侍女頭に休ませたと言っておくから、もうお休みなさい」
「はっ、はい!」

 急いでその場を去る姿は、相変わらずなにかに怯えていて面白い。

「もしやあの子ですか?」

 優秀な侍女ラトが行儀見習いに話しかけた意図を察したようでそう訊ねる。ヴィヴィアナはゆっくり頷いた。

「そうよ。――――彼女から始めましょう」

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