氷の伯爵(旦那様)が記憶を失くされたようです

千羊

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行儀見習いは恐れているようです 後編

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「どうしたの?」

 石が落ちる音がしたからだろう。それを聞きつけたヴィヴィアナが出てきてヒュっと息を呑んでしまった。彼女は固まるイネスと同僚を見て、その視線の先の石像に気付いたようだ。そして二人の下へ近づくと、床に転がる白い頭を拾い上げた。

「これって、まさか……?」
「これは……」

 後ろにいたはずのカルリトヴァも合流してその頭をのぞき込む。そしてヴィヴィアナは驚いた表情をし、カルリトヴァは深刻そうに眉を寄せた。

「ひいおじいさまの作品よね?」
「ええ、ヴィヴィアナ様が気に入ってらしたので嫁入り道具に追加したものです」
「も、申し訳ございません!」

 ヴィヴィアナたちの会話を遮るように同僚が頭を下げたことにイネスもはっとし、すぐに同じく謝罪をする。でもよかった。身内の作品ということは、そんなに高価なものではないのだろう。心の中で少し胸を撫で下ろした。弁償となれば多少お金がかかるだろうが、そこは両親になんとかしてもらおう。今一番避けるべきは二年前の行儀見習いが自分であったことをバレないようにすることだ。さっき一瞬目が合ったが、なにも反応がなかった。もしかしたらヴィヴィアナは覚えていないのか、もしくは噂通り優しい人で過去のことは水に流してくれたのかもしれない。そうならいい。
 なるべく顔を見えないようにしばらく頭を下げたままでいたが、ヴィヴィアナはなにも言わず、少し時間が経過してから顔を上げるよう命じられて恐る恐るそうした。すると、目の前には少し困った表情のヴィヴィアナがいた。

「あなたたちを怒りたいわけではないのよ。でも、事実確認をしなければならないわ」

 そう言うとヴィヴィアナはイネスと震える同僚を部屋に招いた。ヴィヴィアナがソファに優雅に腰を下ろし、カルリトヴァの手で机の上に壊れた彫刻が置かれる。布がはがされたそれは、布を纏った裸婦の像だった。

「これはわたしのひいおじいさまが彫刻された貴重な美術品なの。値段は――――いくらだったかしら?」
「一千万ルラはくだらないです」
「いっ、せんまん……!?」

 その金額に同僚とともに声を上げた。一千万ルラなんて小国の国家予算レベルだ。驚きに開いた口が塞がらない。

「ええ、だってひいおじいさまはルトルカス二代目当主だったのよ? それくらいはするわ」

 くらりと眩暈がした。まさかルトルカスの作品だったとは。ルトルカス二代目当主がひいおじいさまということは、つまりヴィヴィアナはルトルカス子爵家のものなのだろうか? ヴィヴィアナが低爵位の出身とは聞いていたが、実際の名前まではだれも知らなかった。それもそのはず、みな彼女の話題を避けていたからだ。もしかしたら上級使用人たちなら知っているかもしれないが、そんな噂は回ってこなかった。
 がたがたと身体が震えだす。そんな高価なものを弁償することなんてできない。

「こ、この子が転んで落としました!」

 突然同僚がイネスを指さしてそう言った。とっさにそちらを見ると、青ざめた顔で必死にヴィヴィアナに弁明している。
 イネスは黙ったままでいるわけにはいかなかった。このままではイネスのせいとされてしまう。

「待ってください! 私じゃない! 彼女が私を押したんです!」
「そ、そんなことしてないわ!」
「アンタ嘘つくんじゃないわよ!」
「落としたのはイネスでしょ!?」
「そこまでよ」

 言い争いを始めたイネスたちを手をパチンと鳴らして止めた。そして眉を下げてまた困ったように微笑むと、息を小さく吐いた。

「わたしは事実確認をしたいだけよ。真実を教えてちょうだい。まずはあなた」

 そういわれ、先に同僚が指名された。そして同僚は先ほどのとおり、イネスが勝手に転び、石像を壊したのだと言った。次にイネスが話をした。

「私は彼女に突き飛ばされました。自分で転んだわけではありません。彼女の言ったことは嘘です」

 二人の言い分を聞き、ヴィヴィアナは頬に手を当ててそうねぇと悩み始めた。だが、どちらが真実か明白だろう。怯える態度にも出ているが、明らかに同僚はイネスに罪をかぶせようとしている。
 ヴィヴィアナは少しの間考えると、おっとりと笑って、同僚を指さした。

「――――貴女でしょう? 真実を言ってくれているのは」

 同僚は、ほっとしていた。だが、イネスはそうもいかなかった。驚きに目を見開く。こんなのありえない!

「な、なぜですか!? そ、そういえば、ヴィヴィアナ様の護衛の方が見ていらっしゃるはずです! カルリトヴァさんも見ているかも!」

 そうだ、護衛とカルリトヴァに聞けばわかるはずだ。同僚を勝ち誇ったように見る。こちらは証人がいるのだ。これで同僚が嘘をついているとわかるはずだ。
 ヴィヴィアナは事実確認をするといったのはその通りのようで、自分の侍女を見て尋ねた。

「リトはみたのかしら?」
「いえ、通り過ぎた後に音がしたものですから見ておりません」
「カーニャは?」

 扉の外の護衛を呼び、尋ねると彼女は首を振った。

「敵の気配はなかったのでぼーっとしていました」
「そん、な…………」

 膝から崩れ落ちた。まさか二人とも見ていないなんて。一千万ルラなんて両親が払えるはずがない。弁償できなければ、最悪の場合器物損壊罪で投獄されてしまう。

「なんで私がこんな目に……」
「なぜって簡単でしょう?」

 ヴィヴィアナは頭が悪い子を見ているかのように哀れそうにイネスを見つめた。

「――――だって、貴女が嘘つきって知ってるもの」

 美しい人形のような顔が綺麗に笑顔を作った。
 イネスは打ちのめされる気分だった。一千万ルラに気を取られて二年前の件を忘れていた。『虚偽の申告』をした罰が今になって別の形で返ってくるとは。ヴィヴィアナはあの時のことを忘れていなかったのだ。偶然イネスが起こしたこの機会に自分に報復する気なのだ。

「ま、まって、貴族に嘘をつくのは罪なのでしょ? それならこの子は……!?」

 最後のあがきだった。同僚を指さしてイネスは叫んだ。そっちがその話を持ち出してくるなら、今回の件だけでも同僚のせいにして帳消しにしたい。
 だが、ヴィヴィアナは動じることなく首を振ってため息をついた。

「貴女はなにを言っているの? 嘘か本当か決めるのは貴族の私なのよ」

 その一言で、イネスが逃れられる道はなくなった。確かに二年前もイネスの言葉の真偽を決めたのは貴族でも立場が上である伯爵だった。ヴィヴィアナを見ると、酷く楽しそうに笑っていて、これから自分がどうなるかわからないことが恐ろしくて身震いをした。
 床に座り込んで青ざめて震えるイネスをよそに、ヴィヴィアナはなにか思いついたようで後ろに立つカルリトヴァを見上げた。

「ねぇ、この屋敷の給金は年間でいくらなのかしら?」
「行儀見習いは約二十万ルラです」
「まぁ、それでは最低五十年もかかるのね」

 うんうん、とヴィヴィアナはなにかを考えて頷くと、にっこりとイネスに笑いかけた。可愛らしいのに今は悪魔の微笑みにしか思えなかった。

「私、優しいの。半分の二十五年にしてあげましょう。それで今回の件は許してあげるわ」
「なに、を……?」
「なにってもちろん貴女の処罰よ。実家を売り渡しても一千万ルラを返すのは無理でしょう? だから半額分働いたら借金を失くしてあげようと思って。それとも全額払って弁償してくれるのかしら?」
「……無理、です。で、でもっ、私には婚約者がいてっ、半年後には結婚をする予定なんですっ!」
「それなら大丈夫よ。その方には新しい子をあてがってあげる。うーん、そうねぇ、貴女はどう?」

 そういってヴィヴィアナは同僚を指さした。彼女は驚きはしたが、願ってもない提案だったようで嬉しそうにうなずいた。

「あら、よかったわ。準備がいるでしょう? リトに手配させるわ。それに顔合わせも必要でしょうから行儀見習い期間がなるべく早く終わらせられるようにするわ」
「ありがとうございます!」
「ねっ? これで大丈夫」

 ヴィヴィアナは心配することはないでしょう? とイネスに問いかけた。とんとん拍子に決まってしまい、頭が付いていけない。同僚についてはもう用済みになったのだろう。ヴィヴィアナは仕事に戻っていいと彼女を部屋から出した。浮足立ったうしろ姿が恨めしい。

「さて、貴女も出発の準備をしてもらわないとね」
「出発って、どこに……? 私はこれからずっとここに仕えるのでは……?」

 突然意味の分からないことを言い出したヴィヴィアナに途切れ途切れに質問する。彼女の考えが全く読めない。おびえて見上げると、ヴィヴィアナは嬉しそうに笑った。

「私、優しいの。給金の全て弁償の返済に使っていたら大変でしょう? だからもっといい給金の場所を紹介しようと思って」

 そういってカルリトヴァを見上げると、侍女は全て察したように頷いた。

「ノイスファンス前侯爵が住んでいらっしゃる屋敷が募集を行っていました。侍女としての登用ですから給金は今よりも多少上がります」

 ノイスファンス侯爵家についてはあまり知らないが、前侯爵が色狂いだということは伯爵領の一豪族に過ぎないイネスが知っているほど有名だ。その侍女ということは、相手もさせられるということではないだろうか。

「い、いやよっ……!」
「貴女に拒否権はないわ」

 逃げ出そうとするイネスをカルリトヴァが羽交い締めにする。華奢な見た目に反して力は強く、いくら暴れても解けることはなかった。そしてタイミングよくラトルシュカが現れ、イネスにとって見覚えのあるトランクを渡される。それはイネスがこの屋敷に持ってきた自分のものだった。

「私、優しいの。こんな雪の時期でしょう? 馬車を用意するのは大変だから、特別に手配しておいてあげたわ」

 この手際の良さは全て、最初から仕組まれていたのだと今になって理解した。今回の荷運びの指名も、自分を妬んでいる同僚がいたことも、石像を運んだことも、転んだことも全て!

「いやっ、いやっ、いやぁぁぁぁ!!」

 叫び声が屋敷をこだまする。それ以来、イネスの姿を見たものは誰もいなかった。
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