氷の伯爵(旦那様)が記憶を失くされたようです

千羊

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文官は心配しているようです

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「雪が……」

 ソイニは書類に落としていた視線を上げ、窓の外を見た。そこは昨日とは打って変わって先が見えぬほどの吹雪が吹き荒れている。冬も半ばになり、雪の乙女の恋煩いが拗れに拗れ始めたからか今日は一段と風も強かった。子爵領は雪が降ってもすね丈まで積もるほどなので、ここまでの吹雪は初めてみる。一度、子爵領に雪が降ったとき、子爵邸の子供たちで雪合戦をした。あの時のヴィヴィアナはまだ幼くて、小さな手で雪をかき集めては頑張って追いかけて兄たちに雪玉を当てていた。ソイニが手伝うと、あまり動かない表情を崩して笑ったのをよく覚えている。今では懐かしい記憶だ。
 ふっと思い出に笑みを零すと、もう一度書類に視線を戻した。伯爵の今年の収支についてだが、なんと無駄の多いことか。伯爵は優秀だと聞いていたが、部下はそういうわけではなかったのだろう。ひな形がしっかりしているのでなんとか見れるものになってるが、それを十分に活かしきれていない。

「ソイニ、今時間あるか?」

 書斎をノックの音とともに、ラトルシュカが返事も聞かず入ってきた。最近は家令は伯爵についている時間が長く、この部屋はほぼソイニのものになりつつある。だが元々侍従だったというから、慣れた仕事に戻れて嬉しいだろう。

「昨日の顛末を話そうかと思って」

 ラトルシュカは持ってきた紅茶セットで茶葉を蒸しながら話を始めた。子爵領で好まれている少し癖のある紅茶の香りが広がった。

「計画については聞いていたので大体予想はつきますが」
「まあそういうな。少しくらいは付き合え」

 慣れた手つきで紅茶をカップに注ぎ、ソイニに手渡した。その手は少しごつごつしていて、ヴィヴィアナのそばにいるために騎士を辞め、侍女になったとはいえ未だに剣を握っていることが分かった。

「イネスという行儀見習いは昨日のうちに伯爵領を出てノイスファンス前侯爵邸には半月以内には着きそうだ。もう一人の行儀見習いも雪がひいている昨日中に家に帰した。婚姻を結ばせる手続きがまだ残っていて少し面倒だが、それくらいで済んだのは僥倖だろう」
「天候が我等に味方をしてくれてよかったです」
「ソイニが統計データを解析してくれたお陰だろう? 助かった」

 ソイニがしたことは過去の天候を記した業務日誌や日記をもとに予測したに過ぎない。この土地では冬の中旬から下旬にかけてずっと吹雪の日々が続くが、その前に数日晴れの日がある。その期間を利用して馬車の手配やら婚約関係の根回しやらをしたのだ。それに合わせてヴィヴィアナの部屋の移動を開始したのだが、本音を言えばそんなことはさせたくなかった。しかし、伯爵が視察に行っている間庭を見に行きやすい部屋に居を移していたという言い訳がずっと続かないのはわかり切っていた。ヴィヴィアナの最終目的を果たすためには仕方がないとは言え、やはりなにかあってはと心の内では心配だ。

「天候についてはソイニがなんとかしてくれると分かっていたから心配はなかったが、私としてはカルが行儀見習い本人を思いっきり突き飛ばさないか、はたまた拘束の時にそのまま絞め殺したりしないかと冷や冷やした。ユニィの報告ではあの時のお嬢様は打撲が多数、足と手首に軽い捻挫もしたらしいからな。医者だって屋敷のは愛人に回されてるから外部の人を呼ぶのに時間がかかったらしい。行儀見習いが押したわけではないとしても、正確な証言をしていれば医者にもっと早く見てもらえただろうに」
「僕としては殺しても良かったのですが、やはりあのような身の程知らずには一瞬の苦痛では足りないですから」
「それに関しては同意する。誰一人殺すなんて生温いことで済ませる気はない」
「ではまずは精神的苦痛からですね」

 ソイニの言葉にラトルシュカは頷いた。

 人がなにを一番恐れるかと聞いたら、ヴィヴィアナは表情も変えずに『未知』だと答えた。自分の知らないこと、理解できないこと、予想できないこと、得体の知れないもの。それら全ては恐怖だ。彼女は冬の間閉ざされた屋敷の中でその『未知』を演出したいとおっしゃった。
 裏切られてもなお伯爵に尽くす健気でお優しい方。けれど本当だろうか? 冬の合間に伯爵の愛人が贔屓にしていた行儀見習いが消え、関わりのほとんどなかった行儀見習いもいつの間にか去っていた。片方は最後に最近来た侍女に拘束され、叫んでいたことだけが知られている。本当にお優しい方なのだろか? 自分もなにかされるのではないか? 彼らにとってヴィヴィアナはすでに『未知』の存在になった。『未知』が近くにあることはどんなに恐ろしいだろうか。
 お嬢様の状況を見て見ぬ振りをした奴らにじわじわと恐怖を与えていく。なんて素晴らしい復讐だろうか。

「この天気だ。個人への報復が後回しになってしまうのは仕方がないが、奴らには今すぐにでも消えて欲しい。お嬢様に接触させないようにはしているが、そのうち爆発させる馬鹿が出るぞ」
「そのためのカーニャでしょう?」
「ああ、カーニャは私よりも強い。だから実力を疑っているわけじゃない。ただ危険の多いこの場所から去って、……お嬢様には早く子爵領に戻って欲しいだけだ」
「それは、……そう、ですね」

 これまで卒ない受け答えをしていたソイニだったが、ここで初めて声を落とした。
 二年前、伯爵家に嫁いで行ったヴィヴィアナ。その先で待ち受けていたのは裏切りと屈辱だった。
 伯爵の本来の計画では愛人のことを一切漏らさない予定だったらしい。けれど偶然領内で災害が起き、伯爵はその事後処理を行うために屋敷をあとにした。愛人が暴挙を企てていると知らずに。そして起きてしまった愛人とヴィヴィアナの対面。帰ってきた伯爵には寝耳に水だっただろう。けれど当時妊婦であった愛人の強行を止められるものは誰一人いなかった。それから伯爵はもう隠しようがないとヴィヴィアナに真実を告げた。愛はないのだと。そしていつか愛人との子供を養子にしてもらう予定だったことも。
 伯爵も詰めが甘い。愛人という不安要素をちゃんと把握していなかったせいでそんなことが起きたのだ。だがそれだけ焦っていたのだろう。愛人とは一緒になりたいが、社交界での弱みは見せたくない。愛人の妊娠で慌てて特徴が似ている中立派閥のヴィヴィアナを選んだのであろうが、それが今になってあだになるとは思いもよらないだろう。確かに後継者教育を受けていない少年が伯爵領を持ち直させたことに関しては称賛する。だが、たった数年で身に着けた付け焼刃の実力と情報力ではルトルカスの『魔性』についてきちんと調べられなかったようだ。ルトルカスの人間・・が『魔性』と呼ばれるのは、素晴らしい作品を生み出す彼らは狂信的なものまで集めてしまうからだ。ルトルカスに魅入られ、ルトルカスの為につくし、ルトルカスのためならば悪魔のような所業も厭わない。ソイニたちこそ『悪のような』をもつ『魔性』の正体の一つである。それを知らぬまま喧嘩を売った伯爵はなんと愚かか。ルトルカスがただの芸術馬鹿だけの一族だと思ったのだろうか? それに関しては否定はしないが、周りのものの『魔性』を知らなかったからと言って容赦する気はない。
 カップの中身はいつの間にかなくなり、ラトルシュカに手渡すとお代わりを継ぎ足してくれた。すると、ふと思い出したようにソイニを見た。

「――――そういえば、愛人は見つかったのか?」

 思えばその話はまだ共有していなかった。ソイニは一度紅茶を口に含むといえ、と返す。

「足取りは追っていますが、まだ見つかっていないと聞いています。この雪ですから次の報告は冬明けでしょうね」

 伯爵と一緒に事故に遭った愛人だが、その場で姿を消している。どうやら伯爵がかばったことで彼女はそこまで怪我を負わなかったようで、一頭の馬と一部の金品ともに行方が知れなくなってしまった。このことは伯爵邸ではすでに噂として広がっていて、その場で事件に巻き込まれたというよりは逃げたという見解が強い。
 ソイニたちも愛人は逃げたのだと考えている。だがヴィヴィアナに物理的に害した彼女をやすやすと逃すわけがない。国外に出たとしても追って報復してやるつもりだ。

「今はなにもできないことが、少しもどかしい」
「この天気では仕方がありません。その代わりに計画に穴がないように見直しましょう。ああ、あと帰る準備も少しずつでいいですから進めましょうか。もうこの地域で冬を迎えることはないので」
「そうだな」

 ラトルシュカは返事をすると時計を見上げ、そろそろ時間だと片づけを始めた。

「お嬢様は今日は一日中部屋ですか?」
「ああ、伯爵との食事以外は部屋に籠るとおっしゃっていた。カルが画材を用意していたからおそらく絵を描くのだと思う」
「わかりました。では夕食後に一度報告に参りますと伝えてください」
「わかった」

 短く応えると、ラトルシュカはそのまま出ていった。
 彼女が置いて行ってくれたお菓子を一つ手に取ると、口に運んだ。北部特有の素朴な味わいは、甘いものが好きなヴィヴィアナにはきっと物足りないだろう。

「早く、片付けなければ……」

 書類を手に取る。早くこの書類を済ませ、春からの予算案を完成させてヴィヴィアナの下へ行く準備をしたい。
 これはソイニしか知らないことだが、ヴィヴィアナが絵を描くのは好きな景色があったときと、なにか悩みがあり心を無にしたいときだけだ。こんな先も見えない天気に好きな景色があったとは思えないから、今回はおそらく後者だろう。
 ヴィヴィアナは今回の復讐を乗り気でやってはいるが、だんだん疲れてきているのではないかと思っている。彼女は演技の天才ではあるが、演技をずっと続ける気力があるわけではない。そのうち糸が切れたマリオネットのように崩れて倒れるのではないかと心配だ。そのためにもなるべく早くこの復讐劇を終わらせたい。子爵領に戻れば前と同じく好きなことを好きな時に好きなようにできるだろう。それで心も癒えるはずだ。ヴィヴィアナには一刻も早くこの伯爵や愛人、この場所での出来事を忘れてほしい。
 そういえば一つ、とてもいい方法があるじゃないか。恋を忘れるには新しい恋を。

「――――今度はこの気持ちに気付いてくれますでしょうか?」
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