黒猫、とんぱらり

猫屋ちゃき

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縁切鋏 壱

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 その次の日。放課後になっても小夏はご機嫌だった。ずっと気になっていたあの板塀の向こうを覗けたことが嬉しかったのだ。
 覗けただけではない。招かれて、縁側に座ってお茶とお菓子までご馳走になった。憧れの、純和風の庭で。荒れ果ててはいたが、それが逆に小夏の琴線に触れたらしい。
 あれから家に帰ってからも、一晩寝て朝起きてからも、小夏は繰り返し繰り返し昨日の出来事を思い出して楽しくしていた。
 元々あまり不機嫌なことはない人間だが、それでもその日の小夏は上機嫌だった。

「小夏、部活行こう」
「うん」
「もう、本当に上機嫌だね」

 荷物をまとめて小夏の席までやってきた由里香が、ちょっと呆れたように言う。一年のときから部活が同じでかなり仲が良い彼女でも、小夏の上機嫌を理解できなかった。
 近所のお家に偶然招かれて、お茶とお菓子をいただいたのだという話は朝いちばんに話した。それが、ずっと気になっていた近所の和風の立派な家だということも。だが、小夏以外の人間にとっては、そんなこと「ふぅん」な話なのだ。

「だって、素敵だったんだもん。今度はもっと探検させてもらおうっと」
「もう、子供みたい」

 そう言って笑う由里香は、少しだけ色素の薄いサラサラの長い髪をしている。淑やかで、おっとりとして、確かにこうして並ぶと小夏がすごく子供に見える。
 子供っぽい小夏と、大人びた由里香。だが、二人はなかなかに仲良しだった。

「あ、上田!   今から部活か?」
「そうよー。さぁ、どいてどいて」
「なんだよ、つれねぇな」

 仲良く連れ立って教室を出て行こうとする小夏たちを、ひとりの男子が引き止めた。引き止めるというより、通せんぼをしている。
 小夏は露骨に邪魔っ気にする視線を向けたが、男子は気にした様子もない。元気な、爽やかと言えなくもない笑顔を小夏に向けている。

「あのさ、お願いがあるんだけど」
「断る」
「早っ!   いや、聞いてくれって。あのさ、お守りを作って欲しいんだよなー。ほら、お前、手芸部じゃん」
「お守りぃ?」

 通行の妨害をされている上、突拍子もないお願いをされて小夏はイライラした。そして、そのイライラを隠そうとしない。
 チラと隣を見ると、由里香が困った顔をして所在なげに立っている。それを見て、小夏は早く話を切り上げようと決めた。

「そんなの、マネージャーに作ってもらえばいいでしょ」
「いや、だってバド部のマネって男だし」
「男でも、マネージャーはマネージャー!   そしてあたしはマネージャーじゃないからお守りなんか作らないの!」
「あ!」

 小夏が右に避けると男子も右に、小夏が左に行くと男子も左に、としばらく攻防戦を続けたが、小夏はフェイントをかましてひょいと隙間から廊下へと抜け出した。
 そのまま、由里香がついてきているのを確認して廊下を小走りで逃げる。
 一瞬後ろを確認すると、男子は困ったように頭をかいて小夏を見送っていた。追ってくる気配はない。

「村瀬くん、困った人だね」
「全くだよ」

 部室である家庭科室の隣の空き教室に向かいながら、二人は小声で言いあった。
 あの男子・村瀬は小夏と同じ中学から来た子で、何かと小夏に絡むのだ。向こうは勝手に友達だと思っているらしい。

「でもさ、小夏は村瀬くんと仲良いよね」
「え?   そうかな。単にあいつが馴れ馴れしいだけだと思うけど」
「……そんなこと言わずに、作ってあげたらいいのに」

 あれ?  と小夏は由里香の様子が気になった。薄く微笑んで小夏を見ているけれど、何となく尖ったものを感じる。バラの棘ほどではない、木のささくれほどの。
 いつも穏やかでおっとりとした由里香の体の表面をピリッとしたものが覆っているような感じもする。
(こういうの、剣呑(けんのん)って言うのかな)
 大好きなはずの友達の顔を見ながら、小夏はそんなことを考えた。ご機嫌だった気持ちが、しおしおと萎んでいく。そして、どうすればこのピリピリしたものを由里香から剥がせるかと頭を悩ませはじめる。

「でもさ、あたし、ああいうちまちましたの縫うの苦手なんだよね」
「そうなの?」
「だって、ああいう運動部の子たちが持ってるお守りってたいていフェルトで作るでしょ?   フェルトって、縫いづらくない?」
「確かに、針が滑ってちょっとやりづらいね」
「でしょ?   だからさ、由里香も手伝ってよ!  どうせなら、他の部の子達も巻き込んでいっぱい作ってバド部に押し付けよ!」

 最後のほうは無理矢理明るく、騒がしい感じで言うと、由里香は一瞬きょとんとして、それから「わかった。仕方ないなぁ」と言って笑った。
 その顔を見て、ひとまず小夏はホッとした。
 だが、ピリピリは完全に消え去りはしなかった。そのピリピリに対して、落ち着かない気持ちになる。それは未知のものに対する落ちつかなさではなく、知っているのによく思い出せないという、そういった落ちつかなさだ。
 その落ちつかなさは、部室に到着して由里香やほかの部員たちとおしゃべりしながら手を動かしている間も、ずっとなくならなかった。



 小夏が部室でチクチクと針を動かしている頃。
 善之助は縁側に座り、ボーッとしていた。
 ボーッとしているというより、待つともなしに待っているのだ。昨日の黒猫が、またひょいと現れないかと。
 ためしに、くぐり戸も開けておいた。もしかしたら、今日は勝手に入ってくるかもしれない。
 善之助は、小夏のことが気になっていた。いい歳した男が女子高生に懸想をしたとか、そういうことではない。
 昨日、彼女の首に巻きついていた髪の毛が、やはり気になるのだ。
 あんなこと、この仕事をしていればよく目にする。というよりも、人と関わればしょっちゅう目にする。そのくらい、当たり前のことだ。そんなことにいちいち構っているほど、善之助は暇ではない。
 だが、くぐり戸からとは言え小夏がこの敷地に入ったからには、放っておけない気がした。
 ここへは、用のある人間しかやって来られないのだから。
 そして、ここへやって来た人間はすべて客として接するのが何となくの習わしだ。先代ーー善之助の祖父は、ここへ来る人たちのことはみな客として接していた。だからそれを見ていた善之助にとっても、そうするのが何となく良いような気がするのだ。
 こんな薄気味悪いことやってられるかーーそう善之助の父は言っていたから、この商売を継ぐのは必然的に善之助の役目だった。継げと言われたことはなかったが、自分はここに住むのが妥当だろうといつの頃からか感じていた。
 だから、大学を卒業するタイミングで祖父が亡くなって、自然とこの家と商売を引き継ぐことになったのだ。
 商売と言いつつも、忙しいわけでも実入りが良いわけでもない。
 実質、祖父が遺した土地や建物の不労所得で食っていっているようなものだ。
 善之助の仕事は、ここへやって来た人に、その人が必要とするものを提供するだけ。提供するものがない人は、はなからここへは来られない。
 不思議だが、そういうふうになっている。
 ということは、昨日善之助が招き入れたとはいえ、小夏はやはり客なのだ。
 つまり、放っておいていいわけはないのだろう。

「……そうは言ってもなぁ」

 名前を聞いただけで、連絡先も、どこに住んでいるかも聞かなかった。この家の近くのマンションに住んでいるとは言っていたが。
 会おうとするなら、ただ待つしかない。
 あの髪の毛は、確かに気になるが、すぐにあの子をどうこうしてしまうものではないだろう。
 だから、またあの子がふらりと訪れたときに、それとなく忠告するしかない。
(忠告で、すむかねぇ……)
 善之助は、すぐさま首を振った。すまないだろう。
 あの子はいたって平凡な、健やかな少女に見えた。だが、ああして首に髪を巻きつけていたし、ここにやってきたということは、そういったことに敏感な人間ということだろう。そういった人間は、良からぬものを寄せつけやすい上、受ける影響も強い。
 つまり、昨日大したことではなかったとしても、今日や明日はわからないということだ。

「……魚でも焼いてみるか」

 女子高生のおびき寄せ方など知らない善之助は、そんなことを独り言ちて台所へと向かった。確か朝飯用にと買っておいたメザシがあるはずだ。もしかしたら匂いにつられて帰り道に通りかかったときにまた庭先に顔を出すかもしれない。
 ただ待つにも退屈だったため、善之助は七輪と網を持ち出してきて火を起こして待つことにした。


 小夏は猫ではなく女子高生なのだが、それからしばらくして本当に吸い寄せられるようにくぐり戸を抜けてひょっこりと現れた。

「……来たのか」
「すみません。いい匂いがしたので、つい」
「座るといい」

 小夏の姿を見た善之助は驚き半分呆れ半分で、七輪を挟んで隣の場所を勧めた。小夏は嬉しそうに笑うと、ひょこっと縁側へと腰を下ろした。揃えた足はきちんと沓脱石の上だ。

「お夕飯ですか?」
「いや、このメザシは本来朝飯のために買っておいたやつだ」
「善さん、お寝坊さんなんですね」

 小夏はそれがすごくおかしいことのように、コロコロと笑った。微妙に噛み合っていない会話に困惑し、善之助は訂正しようとしたが、まさか小夏をおびき寄せるために焼いた魚だとも言えず、結局小さく鼻を鳴らすしかできなかった。

「本当に野良猫みたいなやつだな、小娘」

 焼けたメザシを皿にのせるとジッと物欲しそうに小夏が見つめてくる。そんな彼女を見て、善之助は呆れて半目になった。

「小娘じゃなくて、小夏ですよ。ちなみに、こんな名前ですけど一月生まれなんです。母が妊娠中に夏みかんがすごく食べたかったとかでついた名前なんですよ……コホッ」

 善之助にとってはどうでもいいことを話しながら、小夏はしきりに喉元を気にするような仕草をしていた。そしてついには、ケホコホと咳まで始めた。
 最初は煙でも吸い込んだのかと思ったが、よく見れば違った。目を凝らすと、小夏の首には昨日よりもはっきりと髪の毛が巻きついていた。

「こんなもん巻きつけて……何だっていうんだ」
「え……髪の毛?」

 善之助は苛立つように小夏の首から髪をむしりとった。それを見て、小夏は顔を曇らせる。自分で触れたときにはわからなかったものを突然そうして取り去られれば、誰だって気味が悪いというものだ。

「一体、どういうつもりなんだろうな」
「……それ、あたしの髪じゃありません」

 険しい顔の善之助を見て、小夏は怒られているのではないかと勘違いした。勘違いして、弁解しようとその髪をジッと見た。
 それは小夏のものよりはるかに長く、細く艶やかだった。

「君のじゃないのなら、じゃあ誰のなんだ?」
「それは……」

 ふわりと、善之助の手の上で揺れる髪に小夏はジッと目を凝らした。それは、手入れの行き届いた、少し色素の薄い髪。

「あ……」
「思い当たる人物がいるんだね。髪はね、嫉妬の象徴だ。君の首にこうして髪の毛が巻きついていたのは、この髪の持ち主が君に嫉妬して、君なんかいなくなってしまえと思っているんだよ」
「そんな!」

 ひとりの人物を頭に思い浮かべていた小夏は、善之助の言葉に動揺した。
 この綺麗な髪を持つ小夏の身近な人物といえばひとりしかいない。だが、それは小夏と仲の良い由里香のことで、彼女をそんなふうに言われるのは納得いかなかった。

「いつも一緒にいるから、きっと抜けた毛があたしの首に絡んだだけですよ」

 言いながら、小夏はまた咳こんでいた。髪の毛は取ってもらったはずなのに、喉元の違和感が消えないのだ。

「そんな不自然なことがあってたまるか。そうやって目を逸らすから、そんなふうにぐるぐる巻きにされるんだ。悪いことは言わんから、この髪の持ち主と早々に縁を切ることだな。……でなければ、死ぬぞ?」

 善之助は脅すように強い口調で言うと、立ち上がり、部屋の奥へと消えていった。そしてしばらくゴソゴソしていたかと思うと、何かを片手に戻ってきた。

「これを貸してやるから、いらないものは切ってしまいなさい」
「糸切り鋏……?」

 善之助が小夏に差し出したものは、裁縫のときに使う小さな鋏に似ていた。布ではなく糸を切るための、あの鋏に。

「縁切鋏だ。それで切れば、その髪の毛からも解放される。そうしなければ、小娘、首を落とされるか息が止まるかするぞ?」

 そうはっきりと言い切られ、小夏は善之助の顔と刃の部分にアンティークっぽい紋様の入った鋏を見比べる。

「あの……ここって何のお店なんですか?」

 怪訝そうに小夏は尋ねる。ここにきて初めて、小夏は善之助の正体というものについて考えを巡らせた。

「古道具屋みたいなものだ。頭に“ちょっと変わった”がつくがな」
「古道具屋……」
「そう。残念ながら、祓い屋とかではない。だから、私ができることはその鋏を君に貸すことだけだ」

 現実的なような非現実なことを言われ、小夏は困った。
 困って、ただ渡された鋏をギュッと握り締めるしかできなかった。
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