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第3章 黒江くん、突っ走る

第19話

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 たぶん、わたしの顔、真っ赤になったと思うから、あわてて顔をそらす。

 ――と、早足でわたしたちを追い抜こうとする女の子が視界に飛びこんできた。
 佐久間さんだ!

「おはよう、佐久間さん」

 ためらうことなくあいさつする黒江くん。わたしもあわてて同じようにあいさつした。

「お、おはよう……」

 一瞬、そのままスル―しそうだった佐久間さんも、意を決したようにこちらに顔を向ける。

「おはよう」

 そして、そのまま行ってしまった。
 とりあえず、無視されなかったからホッとしたよ。
 佐久間さんの背中を見つめながら、黒江くんは静かに言った。

「まあ、時間が解決してくれるよ」

 黒江くんが、遠藤くんとも関係の修復を図っているのをわたしは知っていた。遠藤くんに話しかけているのを何度か見たの。
 あの一件ですっかり元気がなくなってしまった遠藤くんだけど、照れ臭そうに少し笑っていたから、黒江くんが言う通り、時間が解決してくれるかもしれないね。

 ……ん? 同じようなことを昔、言われた気がする。
 小学生のころ、友だちとケンカして。そのとき誰かがアドバイスしてくれたんだ。

 ――お互い、言いたいことを言い合って、それでケンカになったのなら、しこりは残らない。でも、勇気を出して、早目に声をかけることが大切。それができれば、あとは時間が解決してくれるさ。

 ……あれ? これって、例の夢のなかで、黒猫のクロエが言ってくれたんだっけ?
 ああっ、夢と現実がごっちゃになってるよ! もう……わけわかんないっ!

「赤木さん、大丈夫……?」
「へっ?」

 知らず知らず、わたしは眉間にしわを寄せて、頭をかかえていた。

「あっ、大丈夫、大丈夫! えへへ……」

 笑ってごまかすわたし。
 はぁ。わたしの記憶どうなってるんだろう? ウイルスに侵されたパソコンみたいにおかしなことになってる!


   ◆ ◆ ◆


 部室のなかは静かだった。
 紙に鉛筆を走らせてイラストを描く音、あとは本のページをめくる音だけがする。
 外からは、吹奏楽部が練習している音、グラウンドにいる運動部のかけ声がきこえてくるけれど、わたしたちの集中を乱すほどではない。

「ぐふふ……」

 もうっ! せっかく、いま読んでいるファンタジーの世界に没頭していたのに~。
 興奮がダダ漏れになっている門倉部長の声で、我に返ってしまった。

 わたしの隣には、今日から入部した黒江くん。持ってきたミステリー小説を読んでいる。
 その姿をチラチラ見ながら、イラストを描いている門倉部長。
 黒江くんをモデルにスケッチしているのかと思って、なにげなく、そのイラストを見たら――。黒江くんっぽいイケメンが勇者みたいな格好をして、大きな剣を持っていた。
 思わずイスから落ちそうになる。
 創作意欲が刺激されちゃったのね。

 それにしても……この文芸部の部室に、黒江くんみたいなイケメンがいるなんて!
 教室とは違って、わたしの左隣にいるから、なんだか新鮮な感覚があった。
 ただ本を読んでいるだけなのに、その佇まいは優雅で、絵になる。

 見とれていたら、黒江くんがこちらを見て、目が合った。ほほ笑んでくれる黒江くん。
 ドキッ。時が止まる――。

「あっ! そこ! 見つめ合わない!」

 門倉部長が立ち上がり、わたしたちを指さす。

「部内恋愛、禁止だからね!」

 ジトーッとした目つきで言い放つ門倉部長。

「だから違いますってば!」

 いつからそんな決まりごとができたっけ? と思いつつ、あわてて否定するわたし。

「わたしたちは友だちです! ねえ、黒江くん?」
「うん」

 黒江くんがうなずくと、戸をノックする音がきこえた。返事する前に戸が開けられ、「失礼します!」と入ってきたのは――。

「宮島……」
「宮島くん……」

 びっくりしてつぶやいた黒江くんとわたしを見るや、宮島くんは手を上げて。

「よっ! 黒江! 赤木! ……こっち、こっち、入って」

 宮島くんが手まねきすると、わたしの知らない女の子が入ってきた。
 一年生のようで、手にはクラリネットをもっている。

「この子、クラリネット担当でさ。まだ経験が浅いから、指導できる先輩がいるといいよなあ。できれば、やさしいイケメンが……」

 宮島くんの言葉で、「ああ、そういうことね」と理解した。まだまだ宮島くんは勧誘をあきらめていないらしい。

「ちょっと吹いてみて」
「はい」

 宮島くんに促され、女の子はクラリネットを吹きはじめた。ゆっくりとしたテンポの、やさしいメロディが部室のなかに広がる。
 あっ、これは『アメイジング・グレイス』だ。
 女の子が吹き終わると、宮島くんはメガネを押し上げて言った。

「どうだい、黒江? なにかアドバイスを……」

 腕組みして真剣に聴いていた黒江くんは、表情をゆるめた。

「すごくいいね。まあ、俺なんかがアドバイスしてもいいものかどうか……」

 言いつつ、黒江くんは女の子に近づいた。

「ただ……マウスピースをくわえすぎかな。もう少し浅く……。そう、そんな感じ。あまりりきまなくていいからね。ええと……名前は……くま……」

 名札の「熊谷」を見つつ、読み方に迷う黒江くん。

「あっ、くまがいです!」
「じゃあ、くまがいさん。リラックスして、腹式呼吸を意識しながら、もう一回吹いてみて……」
「は、はい!」

 熊谷さんは顔が真っ赤で、夢見心地といった感じだ。そりゃもう、一瞬でれちゃうよね。見ているだけのわたしも、ポーッとなっている。
 うらやましい……。熊谷さん、そこかわってほしい。
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