【完結】終末世界を神さまと

霜月

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第1話 漂う雲

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 人類の果てしない欲が星を蝕んだ。そんな世界でも命は逞しく生き続けている。
 これは破滅へと向かう世界で安住の地を求め漂う、神と人の物語。
 ※※※
 陽の光が水面に反射し、鮮やかな青が一面に広がっている。
 倒壊したビル群に打ち付けるさざ波をBGMに、年端も行かない少年が一人。ビルの縁に座り、釣り竿を垂らしていた。
 命の気配はない。竿を揺らすのは爽やかな潮風だけ。
 しかし少年は静かに竿を握って、その時を待っていた。
「……!」
 ピクリと竿が揺れた。それはこれまでの揺れとは異なる命の揺らぎ。
 少年は一気に竿を上げる。すると、糸の先には紫色のイボが複数付いた魚が食い付いていた。
 ※※※
 バケツの中で元気に泳ぐ魚を連れ、ビルとビルとを繋ぐ後付けの骨組みの目立つ通路を歩き、少年は今日の拠点へと帰ってきた。
 そこはかつて誰かが過ごしていたビルの一室。帰ってくることのない主を待ち続けるその部屋に向かって少年は声を掛ける。
「ただいまー」
「おうユタ。どうじゃった?」
 出迎えたのは、人とは異なる風体をした女だった。
 頭頂部に二つある大きな狐耳に、オレンジ掛かった赤と白のコントラストが美しいモフモフの大きな尻尾。巫女を思わせる格好も相まって、それはまさに人に化けた妖狐と呼ぶに相応しい姿だ。
 そんな女の問いにユタと呼ばれた少年は腰に手を当てると、ムフーと鼻から息を吐いて、自慢気にバケツを突き出した。
「まさか本当に釣れるとはのぉ! どれどれ? おぉ、これは……。まぁ……何とも小さな魚じゃのう」
 ユタの自信満々の様子とは異なる成果に、女の声は尻すぼみに小さくなっていく。
 女の大きな耳が垂れた様子を見て、ユタは大きく頬を膨らませた。
「何だよ! 頑張って釣ったんだぞ!」
 怒るユタに女は手で口を隠して小さく笑う。そして怒る少年の頭を優しく撫でた。
「冗談じゃよ。よく釣ったのぉ。今夜はこの魚がメインディッシュじゃな」
「ふふん。やっぱりそうだよね。ココンだったら一匹も釣れないよ!」
 おだてられて気分が良くなったのか、ユタは誇らしそうに鼻を掻く。
 チョロいなと思いつつも、ココンは態度には出さず、にこやかにその様子を見守った。
「これはね、素焼きにするんだ。ココンにも食べさせてあげるからね」
「そうか? 嬉しいのぉ。でもまだ夕飯には早いからの。どうじゃ? 水浴びにでも?」
「うん! 行く!」
 ココンの提案にユタは満開の笑顔と共に飛び跳ねた。すると足がバケツに当たり、水が飛ぶ。
 ユタは揺れるバケツを慌てて押さえた。そして中身を確認すると、ホッと胸を撫で下ろす。
「ほれ行くぞ」
「待っててね。また後で来るから」
 魚に別れを告げると、まるで返事をするかの様に魚が跳ねる。
「ねぇ、待ってよー」
 ユタは先に歩み始めたココンを追って走った。
 ※※※
 迷路の様に入り組んだビル同士を繋げる道を、二人は慣れた足つきで進んで行く。
「あそこ通れたら楽なのにね」
 ユタは多くの車が沈んでいる平坦な道を見て言った。
「ここは土地が低いのか全部沈んでしもうとるからの。だからこそ昔の人間はこうやって新たな道を作ったんじゃろうが」
「昔の人達、もっと楽な道作ってくれたらよかったのに」
「まぁ、その頃は船でもあったんじゃろ。今と昔とではあまりに環境が違い過ぎる」
「むー」
 むくれた様子で頬を膨らますユタを横目に、ココンは先頭を進んで行く。
 そして五分ほど歩いて行くと、倒れたビルに囲まれた深い湖が現れる。
 二人は倒壊したビルにより出来た道を降りて、湖の元へと降りる。
「水浴びできる場所があってよかったの。久しぶりに汚れを落とせる」
 そう言うと、ココンはおもむろに服を脱ぎ始めた。
 収められていた豊満な体が露わになる。
「わわわ! 何してんのココン!」
 ユタは見ないように赤らめた顔の前に手を出した。
 しかしココンは恥じらう様子を一切見せず、胸を張る。
「何を一丁前に気にしとんじゃ。ほれ、さっさとユタも脱がんか」
 まるで追い剥ぎ。ココンはユタを捕まえるとポポイと服を脱がせた。
「うぅ……。ひどいよ」
「なーにがひどいよじゃ。だーれも見とらんのに何を気にする必要がある」
「ボクだって男だぞ!」
 恥部を隠し、涙目で怒るユタを見て、ココンはプッと嘲笑った。
「ガキンチョが生意気な」
「うわっ!」
 そしてユタを湖へと突き飛ばした。
 ドボンッと盛大に水飛沫が上がる。
 慌ててユタが水面に顔を出すと、続けてココンが目の前に飛び込んだ。
 すると先程よりも大きな水飛沫が上がり、ユタは波にのまれる。
「ぷはぁ!」
 顔についた水を拭い、ユタが目を開くと、ココンがニッと嬉しそうに笑っていた。
「どうじゃ? 気持ちいいじゃろ」
 ココンの求めている返事は分かっていた。しかし敢えてユタは沈黙で返した。
「何じゃ、怒っとるのか?」
 そしてココンが近付いた次の瞬間、ユタはおもいっきりその顔面に水を掛けた。
「どわぁ⁉」
 突然の攻撃にココンが水の中に倒れる。
 それを見てユタはしめしめといった様子でニタッと笑った。
「やりおったな!」
 水掛けの応酬が始まった。
「やめてよ!」
「まだまだ!」
 お互い何も気にせず全力ではしゃいだ。
 水飛沫が二人の笑顔を明るく照らす。水底に沈むガラス片が太陽の光を反射する。
 まるで宝石の海。それが偽物であっても、それ以上の価値がこの瞬間にはあった。
 そうして満足しきるまで遊び切ると、二人はぷかぷかと空を見て黄昏れていた。
「空というものは美しいのぉ」
「そうだね」
 雲一つない真っ青な空。さしずめ二人はそこに現れた気ままな流れ雲。
 雲は行先すら決めずに漂っていた。
 ※※※
 散々遊んだ後にやることは一つ。
 拠点に戻ってくると、部屋の前の道路で二人は夕食の準備に取り掛かった。
 ココンは大人が余裕で収納出来るほど大きなリュックから固形燃料を取り出す。爪で軽く小突くと、固形燃料は火を吹き始める。
「ねぇココン……」
 着々と準備が進む中、ユタが悲しそうにココンの名を呼ぶ。
「魚、死んじゃってる」
 ユタの覗くバケツの中には、それまでいた元気に泳ぐ姿はなく、代わりに力なく浮いている魚がいた。
「仕方ないの。バケツの中じゃ空気がなくなる。生かしておきたかったなら、水の流れがある場所に入れておくべきじゃったな」
 しかしココンは分かっていたように返事をした。
 そして、ユタの手ほどの大きさの魚を手に取ると、再度リュックを漁る。
「申し訳ないと思うんじゃったら、せめてちゃんと食べてやるんじゃな」
「そうだね」
 部屋の中から持ち出したテーブルの上にあるまな板の上に魚を置くと、ココンは包丁をユタに差し出す。
「ほれ。ユタ、捌いてみい」
「ボクが?」
「当たり前じゃろ。お主が釣った魚じゃ。最後まで責任を取らんか」
「出来るかなぁ」
 不安げな表情をするユタ。しかしココンは差し出した包丁を引かない。
「奪った命に申し訳ないと思うのなら、自分の手でその命を糧とせい」
「……分かったよ。やってみる」
 上手く出来る自信はない。けれど、最後までその命に責任を持つことが大切だとユタも理解していた。
 覚悟を決めて包丁を受け取ると、ユタは魚と向き合う。
「うぅ、多いなぁ」
「よいか? まずは芽を取るんじゃ。しっかり取るんじゃぞ。万が一にでも食べることがないようにせねばならん」
「分かってるよ」
 魚の身体には【芽】と呼ばれる紫色の小さなイボが何個か付いていた。
 それは生物にとっては有害なもの。食べればたちまち不調をきたす。
 ユタは慎重に包丁を入れると、身の柔らかさと、石のように硬い芽の感触が同時に伝わってくる。身を削りすぎないように、しかし芽は残さないように、一つ一つ丁寧に切り取っていく。
「うむ。上手いの」
 そうしてココンのアドバイスを受けつつ、全ての芽を取り除くと、大きく身の削れた魚だけが残った。
「どう?」
「上出来じゃ。しかし結構量が多かったのぉ。ま、今のご時世、生きたものが食せるだけでも感謝せねばならんか」
 ココンは薄くなった魚を取ると、火元の上に置いてあった金網型の台に載せる。
 続けてそこに以前見つけた缶詰を二つ並べた。
 時間が経つにつれて、缶詰のコトコトという音と魚の香ばしい匂いが食欲を刺激して、口の中に唾液が溜まってくる。
「そろそろかの」
 ココンは熱さなんてどこ吹く風といった様子で魚の尻尾を手掴みすると、ユタの持つ皿に移す。
 そして高温に熱せられた缶詰も容易く手に取ると、ユタと共にテーブルへと移動した。
「さてと。今日のご飯は豪華じゃな」
「いいの? この缶詰珍しいやつなんじゃないの?」
 テーブルに並ぶのはユタの釣った魚の素焼きに合成肉の缶詰。普段の食事が味気のない固形食糧ばかりなことを考えると、魚は除いたにしても、あからさまに豪華だった。何かあったのかと勘ぐってしまう。
 それ故のユタからの質問。しかしココンは変わりなく答える。
「良いか。儂らも含め、形あるものはいつかはなくなる。確かにこの缶詰は貴重じゃ。だがな、だからといって後生大事にしまっておいて、その結果食べられずに死んだら、ただの阿呆じゃ。だから儂は今日、食べるべきじゃと判断した。まぁそれに、今日はユタが初めて一人で魚を釣ってきたからの。その祝いというのが本当の理由じゃよ」
「祝いって。そんなすごいことじゃないよ」
 ユタは謙虚な姿勢を示した。実際、魚を一匹釣ったことなんて盛大に祝われることでもない。
 だがココンの考えは違った。
「何を言っておる。祝いごと、祭りごと、人生を豊かに生きるためには必要なことじゃ。そういったことのない人生というのは次第に空虚になっていく」
「別にそうは思わないけどなぁ」
「ほう」
 ユタは納得する気配を見せない。そんな様子に、ココンは意地悪げな顔をする。
「ならこの缶詰は全て儂が食べてもよいということじゃな?」
「あ! そんなこと言ってないじゃん!」
「もう遅いわ。お主は自分が釣った魚だけ食べとれ」
 そう言うとココンは缶詰に手を伸ばした。
「だめ!」
 するとユタがその腕にしがみついて阻止してくる。
 薄っすらと涙を浮かべる姿を見て、ココンはわざと申し訳なさそうな態度を出して謝る。
「冗談じゃ。一緒に食べような」
「うん……」
 若干不貞腐れた様子を見せるユタに、ココンはいじらしさを覚えつつ、フォークを渡した。
「ほれ。それじゃあ手を合わせて」
 ココンの前には缶詰一つ。ユタの前には缶詰と魚を置いて、手を合わせる。
 そして二人は同時に「いただきます」と、今日の食事に感謝を示した。
 しかしまぁ子供というのは単純なもので、食べ始めるとそれまでの不機嫌などたちまち消えていく。
「おいしいね」
「そりゃそうじゃ。自分で取った食料は格別じゃろ」
 なんてはにかみつつ、二人は食事を楽しんでいった。
 ※※※
 食事を終えた頃には、夕焼けが一帯を照らしていた。
 二人はユタが魚を釣った場所に来ていた。
「じゃあまたね」
 ユタが手に持った魚の骨を捨てると、その姿は波にのまれて消えていく。
「うむ。これで命は巡っていく。いつかあの骨を食べた生物が、儂らの前に現れるかもしれん」
 波打つビルの上、地平線の彼方に沈みゆく太陽が、二人を導く様にオレンジの道を作り出している。
「綺麗だね」
「こんな世界だからこそ見れる景色というやつじゃろうな」
 そんな幻想的ともいえる光景を、二人は胸に刻みつつ、どこか悲しげな心持ちで眺めていた。
「あの海の向こうまで行けば誰かに会えるかな」
「それを証明する為に儂らは歩んでおる。その歩みを止めん限りいつかは会えるじゃろう」
 二人はまだ見ぬ世界に思いを寄せ、その場を後にした。
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