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第8話 滅びた村
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「そろそろ燃料を補充しておきたいが、どこかに給油施設はないかの」
一面に広がるのは圧巻とまで言える舗装だけされた何もない地平線。世界から全てが消え去ったと勘違いしてしまいそうな光景を見ながら、ココンは呟く。
「あそこ! 何かあるよ!」
「あれは村か?」
ユタの指差す先、遥か遠くに、蜃気楼のように揺らいでいる村の影があった。
「でかしたぞユタ」
ココンは進路を変えると、蜃気楼の先に無アがあると信じて車を走らせた。
※※※
車を走らせてどれくらい経っただろうか。
太陽の包み込むような光が眠気を誘う中、目的地が姿を現す。
「ここは……」
「壊れてる……」
しかしそこにあったのは、遥か昔に滅びて放置された廃村だった。家は倒壊し、生活を担っていたと思われる大きな施設も見る影がないほどに崩壊している。
「誰かーいませんかー」
村に入っていく車の中から呼びかけられるユタの声に返事はない。
あるのは孤独な空気と、錆びた鉄の臭いだけだ。
「無駄足じゃったかのぉ」
これでは給油設備も期待はできない。
期待することもなく車が進んで行き、角を曲がると、村の真ん中に出た。すると鎮座する人影を二人は発見する。
「あれ人じゃない?」
「いや待て! あれは……!」
ココンは急ブレーキを踏んだ。タイヤの摩擦が音を響かせ、二人の体は慣性で投げ出されそうになる。
痛みを堪えるユタをよそに、ココンは急ぎ、座席にセットしてある拳銃を手に取る。冷えた鉄の感触が、より緊張を高まらせる。
「そこのお二人。大丈夫ですよ」
不意に背を向けている人影から声が掛かった。
今にも消え去りそうなか細い男の老人の声だった。
「ココン、人じゃん。なんなんだよ急に」
痛む鼻を押さえ、無意味だった行動に怒りを表すユタに、しかしココンは以前、銃を下ろそうとはしなかった。
「よく見てみろ。あの体。芽に覆われておる」
「え?」
言われてユタが注意深く老人を見てみると、その体には、おびただしい数の芽が生えていた。
その衝撃的な光景にユタは呆然とした。風に乗ってきた臭いが、その光景に嘘がないことを証明してくる。
「で……でも、喋ってたよ……」
「今はまだの」
状態を見るにいつ成れ果てと化してもおかしくはない。まだ人である内に、被害を受ける前に駆除する。
ココンは拳銃を持ったまま、車を降りた。
慎重に近付いていくにつれ、その醜悪な肉体が鮮明になる。
動く気配はない。ココンは背後から、老人の頭に銃を突きつけた。
「申し訳ありませんが、それでは私を殺すことは出来ませんよ」
「やってみんと分からんじゃろ」
乾いた音と共に空薬莢が飛ぶ。しかし、老人は倒れることなく、球の転がる横で、姿勢そのままに座っていた。
「貴様、人ではなかったか」
「はい。私も貴方と同じです」
芽に覆われて、遠くからでは判別出来なかったが、老人の小さな背には大きな甲羅が付いていた。
「……神も、成れ果てになるのか」
「なりはするでしょうが、私はまだ大丈夫です。何となくですが分かるのです」
「そういう意味じゃったのか」
「もしよければ、私のお願いを聞いていただけませんか」
老人の願いに対し、ココンが返事をせず、車の方へ目をやった。すると捨て猫のように車から顔を出すユタと目が合う。
「ココン、大丈夫なの⁉」
「大丈夫じゃ。お主もこちらに来い」
若干の怯えを覚えながらも、ユタはココンと老人の元まで走ってくる。
その小さな足音に、老人は小さく笑った。
「貴方達は二人で旅をしているのですか?」
「そうじゃ。人が安心して暮らせる地を探しておる」
ココンはユタを抱き寄せ、老人の前に回る。
「これって……」
フジツボのように付いた背中の芽とは異なり、人畜無害そうな老人の顔は芽と一体化して、その原型をほとんど保っていなかった。
「よくもまぁこの状態で正気を保っていられる」
そのおぞましい姿にユタは思わず吐き気を覚え、目を逸らし、口を押える。鼻で呼吸をし、胃の動揺を必死に抑えた。
「ですが、それもあと少しの話です」
その声は悲しげだが、どこか安堵しているようで、老人の顔はほころんでいた。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前はタラマル。かつてこの村の神だった者です」
「儂はココン」
「ボクはユタだよ」
軽い挨拶を終え、ユタは村を見渡し、疑問を口にする。
「この村、もう誰もいないの?」
「随分と前に、成れ果ての襲撃に合い、私を残して全員いなくなってしまいました」
答えるタラマルの目は悲しげで、その奥には後悔の波が荒れている。
語りたくはないことなのだろう。だが、聞かねば理解は出来ない。
ココンは躊躇することなく、その荒波に入っていく。
「それは村人が全員死んだということでいいんじゃな?」
「その通りです」
想定通りの返事。それならばココンは聞かねばならない。
「では何故貴様は生きておる」
神とは人がいてこそ存在を許される。ココンはユタがいるから存在を保てているし、かつて出会った白蛇仙人も村を支配し、人を管理することで己という存在を確立し続けていた。
ではタラマルはどうか。村は滅び、信仰する人間もいない。村の様子を見るに果てしない時間が経っている。にもかかわらず、タラマルは未だ存在している。あまりにも異常だ。
そんな疑問に、タラマルは変わらぬ、静かな口調で答える。
「耐えているだけですよ。砕け行く体を、一心に抱き締め、抑えているだけです」
「そんなことが出来るのか」
「いえ、これは奇跡に近いことだと思います。本来ならば、信仰が途切れたその時、神の肉体は消え去る。ですが、この村の人々の想いが、私をここに繋ぎ止めてくれているのです」
タラマルは「それももう限界ですが……」と悟った様子で口にして続ける。
「長い時の中で、私の中には芽が入り込んでしまった。その影響なのか、自らの意思で消えることも出来ない。それに分かるのです。徐々に体を乗っ取られていく感覚が。このまま私が消えても、成れ果てと化し、この村で起きた出来事を繰り返してしまう。ですから……」
タラマルは一拍置いてから、真っ直ぐな目で祈るように依頼する。
「私を介錯してはいただけないでしょうか。もう自力で動くことすら出来ない体なのです。貴方達に頼るしか、私には方法がないのです」
「介錯って……」
ユタにもその言葉が意味する行動は理解出来ていた。頼む理由も分かる。しかしそれはつまり、罪もない命をただ奪うということ。
白蛇仙人の時とは状況が異なる。ユタは困惑した様子でココンを見た。
ココンの目は揺らがず、タラマルの目を見ていた。その言葉に迷いも嘘もないことを感じ取り、答えを探していた。
それは時間にしては一瞬。しかし、ココンの中では長い時を掛けて考えられた返事。
「銃で無理なら、儂の炎しかない。よいのか? 儂の炎では長く苦しむことになる」
「この体が無駄に命を奪うくらいなら、喜んで焼かれます」
同様に迷いのない真っ直ぐな返事だった。
「分かった」
「ココン!」
そんな二人のやり取りを聞いて、ユタが声を上げる。
「何でそんなことするんだよ! もっと別の方法をココンなら探せるでしょ!」
それは怒りの声だった。ココンなら他の解決策を見つけられるという信頼。
しかしココンは断言する。
「無理じゃ。儂はお主が思うほど優れてはおらん。これが儂に出来る唯一の行いじゃ。それとも何か。お主はタラマルがこのまま成れ果てとなってしまってもよいと考えるのか?」
「そんなこと……、そんなことって……」
受け入れがたい現実にユタが打ちひしがれる中、タラマルが語りかける。
「ユタさん。ありがとうございます。貴方は優しいお人だ。まだ知り合って間もない私をこんなにも気にかけてくれて。ですが、これしか方法はないのです。ココンさんも考え抜いてくれた結果でしょう」
「ココン……」
今だ消せぬ希望にすがろうとするユタだが、ココンは無言という返事で突き放す。
「ところで、貴方達はこの村に何の用事で立ち寄ったのですか?」
「車の燃料を探しに来たんだよ」
「そうでしたか。ではあそこにある工場に行くといいでしょう。もしかすると燃料が残っているかもしれません」
「ありがとう」
廃工場に視線を向けるタラマルに、ユタは明るく礼を言う。
この状況を受け入れられてはいないが、それでも納得しようとする子供の精一杯の行動だ。
「いつ始める」
「いつでも。貴方達に会えたことで、この村は忘れ去られずに済む。私の心残りはもうなくなりました」
「そうか」
ココンは迷うことなく、タラマルに炎を向けた。
タラマルもとっくに決まっていた覚悟を胸に、目を瞑る。
「まって!」
しかしそこにユタが割って入った。
「やっぱり今すぐお別れなんて嫌だよ。もっとお話聞こうよ!」
必死の形相で訴えるユタに、しかしココンは炎を消すことなく淡々と返す。
「長く付き合えば、その分別れが辛くなる」
「分かってるよ!」
「その分、タラマルは芽の浸食に苦しむことになる」
「でもかわいそうだよ!」
ユタの訴えに、ココンは拳を握りしめる。
「お主は自分のことしか考えておらん!」
ココンの怒号が空気を揺らす。そのあまりの迫力に、ユタは思わず後ずさりをした。
「今はまだタラマルは自我を保っている。しかしもういつ成れ果てに変わってもおかしくはない。かわいそう? こうして願いを先延ばしにして、苦しみを長引かせることの方がかわいそうだとは思わんのか! 成れ果てと化し、人を襲うことになれば、苦しむのはタラマルじゃ! 貴様の発言は独り善がりな自己満足じゃ!」
息を切らしながら叫ぶココン。
ユタはそのナイフのように鋭い言葉に涙を流す。
ココンにも心がある。葛藤がある。しかしそれを出さず、奥歯を噛み締め、タラマルに正面から向き合い、決断した。決して軽くない、命を奪うという決断を。
そんな互いの考えが衝突し合う中、落ち着いた声が二人を制する。
「申し訳ありません。お二人が私の為にそこまで考えて下さっていたことに気が付きませんでした。どうか、どうか争わないでください。老い先短い老人の為に、二人の仲が引き裂かれるなんてあってはなりません」
「ではどうする。まだ始めぬというのか」
「そうですね。私はこの命をどう終わらせるかばかり考え、貴方達を見ていなかった。その結果、二人には更なるご迷惑を掛けることとなってしまいました。もしよろしければ、貴方達のことを聞かせていただきたい。村の者達への土産話として」
心を清める清流のような言葉に、いつしか二人の荒波は静まり、タラマル野間園い腰を下ろしていた。
「ボク達、色んなところ行ったんだよ」
語られるのは他愛もない日常の日々。しかし、二人で歩み刻んできた確かな道のり。酸いも甘いも分け合って乗り越えてきた途方もない旅の記録。
今まで語られることのなかった日常は、振り返られることすらなかった。しかし、今この瞬間蘇り、思い描かれていく。
「こんな世界でも楽しい日々を送って日々を送っていらっしゃるのですね。それはきっとお二人が一緒だからでしょうね」
「一人であったならば、旅の記憶も色褪せていたじゃろうな」
朗らかな陽光のような空気に満ち、話が弾む中、「そういえば」とユタが疑問を口にする。
「ロトンさんの時もだけど、何かお願いされるね」
「それは一人でいた方ですか?」
「うん」
ユタの返事を聞いて、タラマルは持論を語り始める。
「一人を好む者はいます。ですが孤独に耐えられる者はいない。個ではなく群れで生きる人間にとって孤独とは耐え難いものなのです。そしてそれは人の祈りから生まれた神も同じ。誰かに何かをしてもらうことで、自分はここに存在していると、確かに生きていたと他人を通して証明してもらいたいのです」
「なんか難しいね」
「ユタには少し早かったのぉ」
「貴方達は二人で旅をしている。お互いに覚え合っているのですから、こんなこと考える必要もないでしょうね」
タラマルは過去を懐かしむように茜色に染まりゆく空に漂う雲を見る。
「一人だけの記憶はいずれ消えていきます。私もこうしてお願いをしているのは、この村で生きた人々のことを誰かに覚えていてほしいからなのです」
そうして日が沈み切り、月夜が村を見守る頃、別れの時はやってくる。
「ではお願いします」
「待って、最後に聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょう」
「タラマルさんは、成れ果てって何だと思う?」
その身が成れ果てと化そうとしている者に聞くのは失礼極まりない内容だろう。しかし、そんな相手だからこそ、成れ果てとは何か分かることがあるかもしれない。
ただ命を奪うだけの行為に、何か意味があるのだとすれば、ユタの村が母が、そしてタラマルの村が滅びたことに意味が見出せるかもしれない。
そんなユタの質問に、タラマルは少し考え込んでから口を開く。
「これは私の持論ですが、成れ果ては使命を持って、命を刈り取っています。それがこの星の意思なのかどうかは分かりませんが、体が浸食されていくにつれ、声が聞こえるのです。星を浄化しろという声が。ですから私は、成れ果てはこの星をリセットする為に星が作り出した使者なのではないかと考えます。人によって穢れてしまった星を戻すことが、成れ果ての役割なのではないかと」
「そう……なんだね。ありがとう」
望んでいた答えなんてユタにも分からなかった。しかし、ユタの想いを汲み、発せられた考えに、ユタは何処か胸が軽くなった気がしていた。
「ではいくぞ」
やり取りが終わるまで見守っていたココンは、暗闇の中に煌々と光る火の玉を作り出す。
もうユタも止めはしない。涙を呑んで、行く末を見守る決意を固めていた。
「お願いします」
タラマルの合図で、その体に火がくべられる。
村全体を照らすように、大きな炎が上がり始める。
「ありがとうございます。こんなつらい役割を引き受けてもらって」
「儂らが死なぬ為にやっただけじゃ」
冷たい返事だった。しかしそれが優しさ故だとタラマルは充分理解していた。
痛みもない。苦しみもない。その身に感じるのは人の温かさだけ。
タラマルは静かに目を瞑り続ける。
その傍らで、ユタが千切れんばかりの強さで、ココンの服を握る。
「ユタ。家に行け。これから続くのは長く辛い光景じゃ」
子供が見るべき光景ではない。ココンは離れるよう促すが、ユタの目はタラマルから微動だにしない。
「見るよ。ボクも見届ける。二人が頑張ってるのに、ボクだけ逃げれない」
本当は目を逸らしたい筈だ。それでも残酷なこの世界の姿を真正面から受け止める覚悟を持っている。
ココンは感服し、その頭に手を置いた。
「お主が決めたのなら、儂に言うことはない」
二人は揺れる炎の奥を見つめ続けた。ただ静かに、命の輝きをいっぺんも見逃さぬよう。
どれくらいの時が経ったのだろうか、変わらぬ星空の元、炎が弾ける音だけが村に響き続ける中、突然タラマルの呟きが聞こえ始める。
「ユリナ。カロウ。テン。リョウシル……」
それはかつての村人の名前だった。
まるでそこにいるかのように、タラマルは村人の名を呼び始める。
「キリシロ。シャン。リン。ヘルト。ユウリナ……」
誰一人として欠けることなく、タラマルに刻まれた思い出と共に名が紡がれていく。
それは途方もない時間を掛けた行為だった。しかしタラマルにとっては一瞬で過ぎ去るほどに短い時間。村人との濃密な思い出は、どれだけの時を掛けても辿り着くことはない。
そうして全ての村人の名を言い終えた時、タラマルの目から零れた雫が泡となって消えていく。
「ありがとう……ございました」
消えゆく声と共にタラマルの体が発光し始める。
「元気でな」
「バイバイ」
その体が光と化すと、朝日に溶け込むように消えていった。それと同時、まるで別の世界に旅立っていくような爽やかな風が、村には吹いていた。
※※※
廃工場に備え付けられた給油設備で車に給油を行っている最中、ユタは大きな欠伸を隠すことなく披露する。
「徹夜したんじゃ。寝ておれ」
「うん……。ねぇココン、タラマルさん、言ってたよね。ボク達は互いに覚え合ってるって。それって幸せなことなのかな?」
「そうじゃろ。タラマルもかつて出会ったロトンも孤独じゃった。記憶は薄れ改竄されていく。しかし儂らは常に互いを感じ取り、覚え続けられる。これはこの世界ではきっと幸せなことじゃ」
「そうなんだね」
ユタは毛布を引っ張り出すと、包まりながら目を瞑った。
こほっと小さな咳を一つすると、ユタは瞬く間に寝息を立て始める。
「安心せい。儂はお主のことを忘れたりはせんよ」
ココンも座席に戻ると、ユタの毛布に入り、目を瞑った。
一面に広がるのは圧巻とまで言える舗装だけされた何もない地平線。世界から全てが消え去ったと勘違いしてしまいそうな光景を見ながら、ココンは呟く。
「あそこ! 何かあるよ!」
「あれは村か?」
ユタの指差す先、遥か遠くに、蜃気楼のように揺らいでいる村の影があった。
「でかしたぞユタ」
ココンは進路を変えると、蜃気楼の先に無アがあると信じて車を走らせた。
※※※
車を走らせてどれくらい経っただろうか。
太陽の包み込むような光が眠気を誘う中、目的地が姿を現す。
「ここは……」
「壊れてる……」
しかしそこにあったのは、遥か昔に滅びて放置された廃村だった。家は倒壊し、生活を担っていたと思われる大きな施設も見る影がないほどに崩壊している。
「誰かーいませんかー」
村に入っていく車の中から呼びかけられるユタの声に返事はない。
あるのは孤独な空気と、錆びた鉄の臭いだけだ。
「無駄足じゃったかのぉ」
これでは給油設備も期待はできない。
期待することもなく車が進んで行き、角を曲がると、村の真ん中に出た。すると鎮座する人影を二人は発見する。
「あれ人じゃない?」
「いや待て! あれは……!」
ココンは急ブレーキを踏んだ。タイヤの摩擦が音を響かせ、二人の体は慣性で投げ出されそうになる。
痛みを堪えるユタをよそに、ココンは急ぎ、座席にセットしてある拳銃を手に取る。冷えた鉄の感触が、より緊張を高まらせる。
「そこのお二人。大丈夫ですよ」
不意に背を向けている人影から声が掛かった。
今にも消え去りそうなか細い男の老人の声だった。
「ココン、人じゃん。なんなんだよ急に」
痛む鼻を押さえ、無意味だった行動に怒りを表すユタに、しかしココンは以前、銃を下ろそうとはしなかった。
「よく見てみろ。あの体。芽に覆われておる」
「え?」
言われてユタが注意深く老人を見てみると、その体には、おびただしい数の芽が生えていた。
その衝撃的な光景にユタは呆然とした。風に乗ってきた臭いが、その光景に嘘がないことを証明してくる。
「で……でも、喋ってたよ……」
「今はまだの」
状態を見るにいつ成れ果てと化してもおかしくはない。まだ人である内に、被害を受ける前に駆除する。
ココンは拳銃を持ったまま、車を降りた。
慎重に近付いていくにつれ、その醜悪な肉体が鮮明になる。
動く気配はない。ココンは背後から、老人の頭に銃を突きつけた。
「申し訳ありませんが、それでは私を殺すことは出来ませんよ」
「やってみんと分からんじゃろ」
乾いた音と共に空薬莢が飛ぶ。しかし、老人は倒れることなく、球の転がる横で、姿勢そのままに座っていた。
「貴様、人ではなかったか」
「はい。私も貴方と同じです」
芽に覆われて、遠くからでは判別出来なかったが、老人の小さな背には大きな甲羅が付いていた。
「……神も、成れ果てになるのか」
「なりはするでしょうが、私はまだ大丈夫です。何となくですが分かるのです」
「そういう意味じゃったのか」
「もしよければ、私のお願いを聞いていただけませんか」
老人の願いに対し、ココンが返事をせず、車の方へ目をやった。すると捨て猫のように車から顔を出すユタと目が合う。
「ココン、大丈夫なの⁉」
「大丈夫じゃ。お主もこちらに来い」
若干の怯えを覚えながらも、ユタはココンと老人の元まで走ってくる。
その小さな足音に、老人は小さく笑った。
「貴方達は二人で旅をしているのですか?」
「そうじゃ。人が安心して暮らせる地を探しておる」
ココンはユタを抱き寄せ、老人の前に回る。
「これって……」
フジツボのように付いた背中の芽とは異なり、人畜無害そうな老人の顔は芽と一体化して、その原型をほとんど保っていなかった。
「よくもまぁこの状態で正気を保っていられる」
そのおぞましい姿にユタは思わず吐き気を覚え、目を逸らし、口を押える。鼻で呼吸をし、胃の動揺を必死に抑えた。
「ですが、それもあと少しの話です」
その声は悲しげだが、どこか安堵しているようで、老人の顔はほころんでいた。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前はタラマル。かつてこの村の神だった者です」
「儂はココン」
「ボクはユタだよ」
軽い挨拶を終え、ユタは村を見渡し、疑問を口にする。
「この村、もう誰もいないの?」
「随分と前に、成れ果ての襲撃に合い、私を残して全員いなくなってしまいました」
答えるタラマルの目は悲しげで、その奥には後悔の波が荒れている。
語りたくはないことなのだろう。だが、聞かねば理解は出来ない。
ココンは躊躇することなく、その荒波に入っていく。
「それは村人が全員死んだということでいいんじゃな?」
「その通りです」
想定通りの返事。それならばココンは聞かねばならない。
「では何故貴様は生きておる」
神とは人がいてこそ存在を許される。ココンはユタがいるから存在を保てているし、かつて出会った白蛇仙人も村を支配し、人を管理することで己という存在を確立し続けていた。
ではタラマルはどうか。村は滅び、信仰する人間もいない。村の様子を見るに果てしない時間が経っている。にもかかわらず、タラマルは未だ存在している。あまりにも異常だ。
そんな疑問に、タラマルは変わらぬ、静かな口調で答える。
「耐えているだけですよ。砕け行く体を、一心に抱き締め、抑えているだけです」
「そんなことが出来るのか」
「いえ、これは奇跡に近いことだと思います。本来ならば、信仰が途切れたその時、神の肉体は消え去る。ですが、この村の人々の想いが、私をここに繋ぎ止めてくれているのです」
タラマルは「それももう限界ですが……」と悟った様子で口にして続ける。
「長い時の中で、私の中には芽が入り込んでしまった。その影響なのか、自らの意思で消えることも出来ない。それに分かるのです。徐々に体を乗っ取られていく感覚が。このまま私が消えても、成れ果てと化し、この村で起きた出来事を繰り返してしまう。ですから……」
タラマルは一拍置いてから、真っ直ぐな目で祈るように依頼する。
「私を介錯してはいただけないでしょうか。もう自力で動くことすら出来ない体なのです。貴方達に頼るしか、私には方法がないのです」
「介錯って……」
ユタにもその言葉が意味する行動は理解出来ていた。頼む理由も分かる。しかしそれはつまり、罪もない命をただ奪うということ。
白蛇仙人の時とは状況が異なる。ユタは困惑した様子でココンを見た。
ココンの目は揺らがず、タラマルの目を見ていた。その言葉に迷いも嘘もないことを感じ取り、答えを探していた。
それは時間にしては一瞬。しかし、ココンの中では長い時を掛けて考えられた返事。
「銃で無理なら、儂の炎しかない。よいのか? 儂の炎では長く苦しむことになる」
「この体が無駄に命を奪うくらいなら、喜んで焼かれます」
同様に迷いのない真っ直ぐな返事だった。
「分かった」
「ココン!」
そんな二人のやり取りを聞いて、ユタが声を上げる。
「何でそんなことするんだよ! もっと別の方法をココンなら探せるでしょ!」
それは怒りの声だった。ココンなら他の解決策を見つけられるという信頼。
しかしココンは断言する。
「無理じゃ。儂はお主が思うほど優れてはおらん。これが儂に出来る唯一の行いじゃ。それとも何か。お主はタラマルがこのまま成れ果てとなってしまってもよいと考えるのか?」
「そんなこと……、そんなことって……」
受け入れがたい現実にユタが打ちひしがれる中、タラマルが語りかける。
「ユタさん。ありがとうございます。貴方は優しいお人だ。まだ知り合って間もない私をこんなにも気にかけてくれて。ですが、これしか方法はないのです。ココンさんも考え抜いてくれた結果でしょう」
「ココン……」
今だ消せぬ希望にすがろうとするユタだが、ココンは無言という返事で突き放す。
「ところで、貴方達はこの村に何の用事で立ち寄ったのですか?」
「車の燃料を探しに来たんだよ」
「そうでしたか。ではあそこにある工場に行くといいでしょう。もしかすると燃料が残っているかもしれません」
「ありがとう」
廃工場に視線を向けるタラマルに、ユタは明るく礼を言う。
この状況を受け入れられてはいないが、それでも納得しようとする子供の精一杯の行動だ。
「いつ始める」
「いつでも。貴方達に会えたことで、この村は忘れ去られずに済む。私の心残りはもうなくなりました」
「そうか」
ココンは迷うことなく、タラマルに炎を向けた。
タラマルもとっくに決まっていた覚悟を胸に、目を瞑る。
「まって!」
しかしそこにユタが割って入った。
「やっぱり今すぐお別れなんて嫌だよ。もっとお話聞こうよ!」
必死の形相で訴えるユタに、しかしココンは炎を消すことなく淡々と返す。
「長く付き合えば、その分別れが辛くなる」
「分かってるよ!」
「その分、タラマルは芽の浸食に苦しむことになる」
「でもかわいそうだよ!」
ユタの訴えに、ココンは拳を握りしめる。
「お主は自分のことしか考えておらん!」
ココンの怒号が空気を揺らす。そのあまりの迫力に、ユタは思わず後ずさりをした。
「今はまだタラマルは自我を保っている。しかしもういつ成れ果てに変わってもおかしくはない。かわいそう? こうして願いを先延ばしにして、苦しみを長引かせることの方がかわいそうだとは思わんのか! 成れ果てと化し、人を襲うことになれば、苦しむのはタラマルじゃ! 貴様の発言は独り善がりな自己満足じゃ!」
息を切らしながら叫ぶココン。
ユタはそのナイフのように鋭い言葉に涙を流す。
ココンにも心がある。葛藤がある。しかしそれを出さず、奥歯を噛み締め、タラマルに正面から向き合い、決断した。決して軽くない、命を奪うという決断を。
そんな互いの考えが衝突し合う中、落ち着いた声が二人を制する。
「申し訳ありません。お二人が私の為にそこまで考えて下さっていたことに気が付きませんでした。どうか、どうか争わないでください。老い先短い老人の為に、二人の仲が引き裂かれるなんてあってはなりません」
「ではどうする。まだ始めぬというのか」
「そうですね。私はこの命をどう終わらせるかばかり考え、貴方達を見ていなかった。その結果、二人には更なるご迷惑を掛けることとなってしまいました。もしよろしければ、貴方達のことを聞かせていただきたい。村の者達への土産話として」
心を清める清流のような言葉に、いつしか二人の荒波は静まり、タラマル野間園い腰を下ろしていた。
「ボク達、色んなところ行ったんだよ」
語られるのは他愛もない日常の日々。しかし、二人で歩み刻んできた確かな道のり。酸いも甘いも分け合って乗り越えてきた途方もない旅の記録。
今まで語られることのなかった日常は、振り返られることすらなかった。しかし、今この瞬間蘇り、思い描かれていく。
「こんな世界でも楽しい日々を送って日々を送っていらっしゃるのですね。それはきっとお二人が一緒だからでしょうね」
「一人であったならば、旅の記憶も色褪せていたじゃろうな」
朗らかな陽光のような空気に満ち、話が弾む中、「そういえば」とユタが疑問を口にする。
「ロトンさんの時もだけど、何かお願いされるね」
「それは一人でいた方ですか?」
「うん」
ユタの返事を聞いて、タラマルは持論を語り始める。
「一人を好む者はいます。ですが孤独に耐えられる者はいない。個ではなく群れで生きる人間にとって孤独とは耐え難いものなのです。そしてそれは人の祈りから生まれた神も同じ。誰かに何かをしてもらうことで、自分はここに存在していると、確かに生きていたと他人を通して証明してもらいたいのです」
「なんか難しいね」
「ユタには少し早かったのぉ」
「貴方達は二人で旅をしている。お互いに覚え合っているのですから、こんなこと考える必要もないでしょうね」
タラマルは過去を懐かしむように茜色に染まりゆく空に漂う雲を見る。
「一人だけの記憶はいずれ消えていきます。私もこうしてお願いをしているのは、この村で生きた人々のことを誰かに覚えていてほしいからなのです」
そうして日が沈み切り、月夜が村を見守る頃、別れの時はやってくる。
「ではお願いします」
「待って、最後に聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょう」
「タラマルさんは、成れ果てって何だと思う?」
その身が成れ果てと化そうとしている者に聞くのは失礼極まりない内容だろう。しかし、そんな相手だからこそ、成れ果てとは何か分かることがあるかもしれない。
ただ命を奪うだけの行為に、何か意味があるのだとすれば、ユタの村が母が、そしてタラマルの村が滅びたことに意味が見出せるかもしれない。
そんなユタの質問に、タラマルは少し考え込んでから口を開く。
「これは私の持論ですが、成れ果ては使命を持って、命を刈り取っています。それがこの星の意思なのかどうかは分かりませんが、体が浸食されていくにつれ、声が聞こえるのです。星を浄化しろという声が。ですから私は、成れ果てはこの星をリセットする為に星が作り出した使者なのではないかと考えます。人によって穢れてしまった星を戻すことが、成れ果ての役割なのではないかと」
「そう……なんだね。ありがとう」
望んでいた答えなんてユタにも分からなかった。しかし、ユタの想いを汲み、発せられた考えに、ユタは何処か胸が軽くなった気がしていた。
「ではいくぞ」
やり取りが終わるまで見守っていたココンは、暗闇の中に煌々と光る火の玉を作り出す。
もうユタも止めはしない。涙を呑んで、行く末を見守る決意を固めていた。
「お願いします」
タラマルの合図で、その体に火がくべられる。
村全体を照らすように、大きな炎が上がり始める。
「ありがとうございます。こんなつらい役割を引き受けてもらって」
「儂らが死なぬ為にやっただけじゃ」
冷たい返事だった。しかしそれが優しさ故だとタラマルは充分理解していた。
痛みもない。苦しみもない。その身に感じるのは人の温かさだけ。
タラマルは静かに目を瞑り続ける。
その傍らで、ユタが千切れんばかりの強さで、ココンの服を握る。
「ユタ。家に行け。これから続くのは長く辛い光景じゃ」
子供が見るべき光景ではない。ココンは離れるよう促すが、ユタの目はタラマルから微動だにしない。
「見るよ。ボクも見届ける。二人が頑張ってるのに、ボクだけ逃げれない」
本当は目を逸らしたい筈だ。それでも残酷なこの世界の姿を真正面から受け止める覚悟を持っている。
ココンは感服し、その頭に手を置いた。
「お主が決めたのなら、儂に言うことはない」
二人は揺れる炎の奥を見つめ続けた。ただ静かに、命の輝きをいっぺんも見逃さぬよう。
どれくらいの時が経ったのだろうか、変わらぬ星空の元、炎が弾ける音だけが村に響き続ける中、突然タラマルの呟きが聞こえ始める。
「ユリナ。カロウ。テン。リョウシル……」
それはかつての村人の名前だった。
まるでそこにいるかのように、タラマルは村人の名を呼び始める。
「キリシロ。シャン。リン。ヘルト。ユウリナ……」
誰一人として欠けることなく、タラマルに刻まれた思い出と共に名が紡がれていく。
それは途方もない時間を掛けた行為だった。しかしタラマルにとっては一瞬で過ぎ去るほどに短い時間。村人との濃密な思い出は、どれだけの時を掛けても辿り着くことはない。
そうして全ての村人の名を言い終えた時、タラマルの目から零れた雫が泡となって消えていく。
「ありがとう……ございました」
消えゆく声と共にタラマルの体が発光し始める。
「元気でな」
「バイバイ」
その体が光と化すと、朝日に溶け込むように消えていった。それと同時、まるで別の世界に旅立っていくような爽やかな風が、村には吹いていた。
※※※
廃工場に備え付けられた給油設備で車に給油を行っている最中、ユタは大きな欠伸を隠すことなく披露する。
「徹夜したんじゃ。寝ておれ」
「うん……。ねぇココン、タラマルさん、言ってたよね。ボク達は互いに覚え合ってるって。それって幸せなことなのかな?」
「そうじゃろ。タラマルもかつて出会ったロトンも孤独じゃった。記憶は薄れ改竄されていく。しかし儂らは常に互いを感じ取り、覚え続けられる。これはこの世界ではきっと幸せなことじゃ」
「そうなんだね」
ユタは毛布を引っ張り出すと、包まりながら目を瞑った。
こほっと小さな咳を一つすると、ユタは瞬く間に寝息を立て始める。
「安心せい。儂はお主のことを忘れたりはせんよ」
ココンも座席に戻ると、ユタの毛布に入り、目を瞑った。
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