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第四章
天馬の宝珠
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魔物が出た場所はよりにもよって商業地区。最も人通りの多い場所だ。一般人が魔物と戦おうなど無謀も無謀で、立ち向かえば待つのは死のみであろう。
しかし民衆も馬鹿ではない。魔物の方から反対方向に全員が一斉に逃げていっており、残すは魔物と、その足の下に残る人のような残骸だけになっていた。
軽鎧とフード、そして灰色に輝く宝珠はアンジェラの証言通り。彼女の宝珠をすり替えた男がこの騒ぎを起こした愚か者でもあるようだ。
ところが愚かとも言えない一面も無いことはない。それは物を見る目だった。
宝珠から現れたのは召喚魔法七レベルで呼び出される神獣、スレイプニル。これだけの獣を呼び出せる呪刻が為された宝珠は大変珍しいものだろう。
それもそのはず、呼び出された生物の神々しく輝く毛並みはまさに神の生み出せり極上の軍馬のもの。尊き身を覆う鎧は紫色にまばゆく、蹄には炎を模した装具が取り付けられている。
しかも頭部に存在する鬣のように鋭い武具には男の返り血が付いており、この一点の貫きが彼の命をいとも簡単に奪ったのだと一目でわかる。
その天馬の美しさと強靭さに、彼らが目を見張っているその間に、突如、神獣の俊足が空を切った。
四人めがけて繰り出された突進は、彼らが反応する間もなく襲い掛かってくる。
それを何とか阻止したのはカイネ。五レベルの操原魔法、“フォースフィールド”がギリギリで発動され、四人の周りに不可視のバリアが展開される。
その力に弾かれてのけぞったスレイプニルだが、こんなものでは当然あきらめるわけがなく、次なる突進を身構えている。
しかしこちらも冒険者。ただ黙ってそれを見守るはずもなかった。
マデリエネは素早く屋台の天井に飛び乗ると、高所からナイフを投擲し、神獣の気を逸らしている。攪乱しつつ投げているからか、いくつかのナイフは鎧に弾かれて地に落ちるが、ひとつが逞しい馬の太ももに突き刺さり、少しの間だけ獣の動きを封じた。
それを逃さず軍馬に近寄ったザルムは自慢の大盾を魔物の顎に向けて振り上げると、そのまま鎧の境目を狙ってブロードソードを突き立てた。
それによって神馬は弱ったかに見えたが、なんとすかさず、頭に付けた武具で勢いよくザルムを貫こうとした。じっとりと血で濡れた棘が勢いづく。
しかしその直前に収束された風の衝撃が神獣の頭に力を振るった。アロイスが発生させた風の爆発は頭の武具を吹き飛ばし、めまいを起こすほどの破壊力だ。
しかしそれでもスレイプニルは止まらない。後ろ脚を支えにして立ち、前足を空に振り上げる。
ドンと地を叩く足元にはザルムの姿はないが、彼が後ろに避けた先には三本もの槍が追い打ちのように天空から降り注ぐ。
後ろに飛び退く度に槍が落ちてきて、気付けば魔物との距離は大きく離れてしまった。落ちてきた槍はもう消え去っているが、その先に見える天馬はさらに力を蓄えている。
マデリエネは相手が何をしているのか察すると、それを邪魔するように懐から幾つものナイフを取り出して投げつけた。
ザルムが傷を負わせた箇所を狙って投げられたナイフは器用に避けられたが、集中を乱すには十分だったようで大量の槍が降ってくる気配はない。
代わりに、アロイスの魔法によって生み出された石つぶてが、彼の元からスレイプニルに降り注いだ。
四レベル創成魔法“ストーンバレット”は、武具を失った軍馬の頭部に何発もの石弾を放っている。
勢いよく射出される石は効いたようで、魔物はおぼつかない足取りで後退する。それに続いてカイネが操原魔法を詠唱した。そうして現れた不可視の大きなハンマーは、無慈悲にも再び、スレイプニルの頭部に叩き込まれる。
彼女によって注がれた力は神獣の頭を激しく強打し、意識の座を破壊する。それを見計らって天に舞い上がったマデリエネはヒラリと舞う青葉の如し。
しかしふんわりとはためくドレスアーマーのスカートは可憐かつ妖艶。その鮮やかな彼女の手に握られた鋼のダガーは神獣の首を深く貫き、それによって天馬スレイプニルは、一瞬の内に光の粒子となって消え去っていった――。
フードの男が遺した宝珠を確認すると、既に輝きは失われており、もう二度と魔法が発動することはないだろうと予想された。召喚した神獣が制御を失って暴走したことで緻密に計算された力の流れが破綻してしまったことが原因のようだ。
正しく使えば莫大な価値があるものであっただけに、アロイスは非常に残念に思った。
しかしこれだけのものがどうして市場に出回ったのか。それを疑問に思って魔法店の店主に聞いてみると、奇妙な文様のローブを着た魔術師風の男がこの宝珠を売りに来たのだとか。
その彼は美しく輝く魔法がかけられていると言っていたそうだが、店主からしてみれば提示された金額が相当に安かったために特に気にしなかったそうだ。
都合が良かったからそのまま仕入れたが、まさかそれ以上の価値とはいえ危険になり得るものだったとはと店主は戦慄していた。
街中の衛兵隊による事情聴取で聞こえてきた内容については、全員呆れてものも言えない状態になっていた。
宝珠を盗んだ彼はビクビクした様子と顔を隠す怪しげなフードのおかげで衛兵に呼び止められるや否や宝珠の力を解放したらしいのだ。
あれだけの神獣を目にして逃げてしまった衛兵は責めることはできないし理解もできるが、ただ呼び止められてしまっただけでスレイプニルを呼び出す彼は愚行が過ぎる。何たってここは街中なのだから。
事情聴取が終わり、危険はなくなったので貴婦人に事情を説明しながらアンジェラと共に宝珠を見せに行ったが、夫人はそんなものに興味はなくなったわと突っぱねた。
宝珠が戻ってきたアンジェラにはそれなりの朗報であったが、ザルムとマデリエネには相当な我慢が必要だったようだ。
片や拳を握りこんで必死に青筋を隠そうとし、片やナイフをこっそりと撫でつけて落ち着き払おうとしていた。これを宥める二人はこっちの身にもなってほしいとも思ったりもしたが、理解もできるために何とも言えない感情を抱えることとなった。
事態を収拾して豪傑の虎亭に戻ると、火氷風雷の先輩と共に、ミアとファムは嬉しそうにストレンジを迎えてくれた。
何でも衛兵隊から少なくない金額が送られてきたことで疑問を浮かべるファムが事情を聞くと、街中に現れたスレイプニルを退けたと言うではないか。
犠牲者はそれを召喚した男だけに留まったと言うし、それはそれは感激したそうだ。
店の名声がうなぎ上りだから。
こうして先輩メンバーの依頼達成祝いも含めてミアがまた必死に料理を作ることになり、大忙しになる厨房をモレノはまた手伝っていた。
ファムに断るということを教えられたミアは今度モレノに特別メニューを振る舞うという約束をしている。
それをファムはヒゲを整えながら見ていたが、やがて彼は活躍した冒険者たちに少し高いお酒をサービスして爽やかに微笑んでいた。
しかし民衆も馬鹿ではない。魔物の方から反対方向に全員が一斉に逃げていっており、残すは魔物と、その足の下に残る人のような残骸だけになっていた。
軽鎧とフード、そして灰色に輝く宝珠はアンジェラの証言通り。彼女の宝珠をすり替えた男がこの騒ぎを起こした愚か者でもあるようだ。
ところが愚かとも言えない一面も無いことはない。それは物を見る目だった。
宝珠から現れたのは召喚魔法七レベルで呼び出される神獣、スレイプニル。これだけの獣を呼び出せる呪刻が為された宝珠は大変珍しいものだろう。
それもそのはず、呼び出された生物の神々しく輝く毛並みはまさに神の生み出せり極上の軍馬のもの。尊き身を覆う鎧は紫色にまばゆく、蹄には炎を模した装具が取り付けられている。
しかも頭部に存在する鬣のように鋭い武具には男の返り血が付いており、この一点の貫きが彼の命をいとも簡単に奪ったのだと一目でわかる。
その天馬の美しさと強靭さに、彼らが目を見張っているその間に、突如、神獣の俊足が空を切った。
四人めがけて繰り出された突進は、彼らが反応する間もなく襲い掛かってくる。
それを何とか阻止したのはカイネ。五レベルの操原魔法、“フォースフィールド”がギリギリで発動され、四人の周りに不可視のバリアが展開される。
その力に弾かれてのけぞったスレイプニルだが、こんなものでは当然あきらめるわけがなく、次なる突進を身構えている。
しかしこちらも冒険者。ただ黙ってそれを見守るはずもなかった。
マデリエネは素早く屋台の天井に飛び乗ると、高所からナイフを投擲し、神獣の気を逸らしている。攪乱しつつ投げているからか、いくつかのナイフは鎧に弾かれて地に落ちるが、ひとつが逞しい馬の太ももに突き刺さり、少しの間だけ獣の動きを封じた。
それを逃さず軍馬に近寄ったザルムは自慢の大盾を魔物の顎に向けて振り上げると、そのまま鎧の境目を狙ってブロードソードを突き立てた。
それによって神馬は弱ったかに見えたが、なんとすかさず、頭に付けた武具で勢いよくザルムを貫こうとした。じっとりと血で濡れた棘が勢いづく。
しかしその直前に収束された風の衝撃が神獣の頭に力を振るった。アロイスが発生させた風の爆発は頭の武具を吹き飛ばし、めまいを起こすほどの破壊力だ。
しかしそれでもスレイプニルは止まらない。後ろ脚を支えにして立ち、前足を空に振り上げる。
ドンと地を叩く足元にはザルムの姿はないが、彼が後ろに避けた先には三本もの槍が追い打ちのように天空から降り注ぐ。
後ろに飛び退く度に槍が落ちてきて、気付けば魔物との距離は大きく離れてしまった。落ちてきた槍はもう消え去っているが、その先に見える天馬はさらに力を蓄えている。
マデリエネは相手が何をしているのか察すると、それを邪魔するように懐から幾つものナイフを取り出して投げつけた。
ザルムが傷を負わせた箇所を狙って投げられたナイフは器用に避けられたが、集中を乱すには十分だったようで大量の槍が降ってくる気配はない。
代わりに、アロイスの魔法によって生み出された石つぶてが、彼の元からスレイプニルに降り注いだ。
四レベル創成魔法“ストーンバレット”は、武具を失った軍馬の頭部に何発もの石弾を放っている。
勢いよく射出される石は効いたようで、魔物はおぼつかない足取りで後退する。それに続いてカイネが操原魔法を詠唱した。そうして現れた不可視の大きなハンマーは、無慈悲にも再び、スレイプニルの頭部に叩き込まれる。
彼女によって注がれた力は神獣の頭を激しく強打し、意識の座を破壊する。それを見計らって天に舞い上がったマデリエネはヒラリと舞う青葉の如し。
しかしふんわりとはためくドレスアーマーのスカートは可憐かつ妖艶。その鮮やかな彼女の手に握られた鋼のダガーは神獣の首を深く貫き、それによって天馬スレイプニルは、一瞬の内に光の粒子となって消え去っていった――。
フードの男が遺した宝珠を確認すると、既に輝きは失われており、もう二度と魔法が発動することはないだろうと予想された。召喚した神獣が制御を失って暴走したことで緻密に計算された力の流れが破綻してしまったことが原因のようだ。
正しく使えば莫大な価値があるものであっただけに、アロイスは非常に残念に思った。
しかしこれだけのものがどうして市場に出回ったのか。それを疑問に思って魔法店の店主に聞いてみると、奇妙な文様のローブを着た魔術師風の男がこの宝珠を売りに来たのだとか。
その彼は美しく輝く魔法がかけられていると言っていたそうだが、店主からしてみれば提示された金額が相当に安かったために特に気にしなかったそうだ。
都合が良かったからそのまま仕入れたが、まさかそれ以上の価値とはいえ危険になり得るものだったとはと店主は戦慄していた。
街中の衛兵隊による事情聴取で聞こえてきた内容については、全員呆れてものも言えない状態になっていた。
宝珠を盗んだ彼はビクビクした様子と顔を隠す怪しげなフードのおかげで衛兵に呼び止められるや否や宝珠の力を解放したらしいのだ。
あれだけの神獣を目にして逃げてしまった衛兵は責めることはできないし理解もできるが、ただ呼び止められてしまっただけでスレイプニルを呼び出す彼は愚行が過ぎる。何たってここは街中なのだから。
事情聴取が終わり、危険はなくなったので貴婦人に事情を説明しながらアンジェラと共に宝珠を見せに行ったが、夫人はそんなものに興味はなくなったわと突っぱねた。
宝珠が戻ってきたアンジェラにはそれなりの朗報であったが、ザルムとマデリエネには相当な我慢が必要だったようだ。
片や拳を握りこんで必死に青筋を隠そうとし、片やナイフをこっそりと撫でつけて落ち着き払おうとしていた。これを宥める二人はこっちの身にもなってほしいとも思ったりもしたが、理解もできるために何とも言えない感情を抱えることとなった。
事態を収拾して豪傑の虎亭に戻ると、火氷風雷の先輩と共に、ミアとファムは嬉しそうにストレンジを迎えてくれた。
何でも衛兵隊から少なくない金額が送られてきたことで疑問を浮かべるファムが事情を聞くと、街中に現れたスレイプニルを退けたと言うではないか。
犠牲者はそれを召喚した男だけに留まったと言うし、それはそれは感激したそうだ。
店の名声がうなぎ上りだから。
こうして先輩メンバーの依頼達成祝いも含めてミアがまた必死に料理を作ることになり、大忙しになる厨房をモレノはまた手伝っていた。
ファムに断るということを教えられたミアは今度モレノに特別メニューを振る舞うという約束をしている。
それをファムはヒゲを整えながら見ていたが、やがて彼は活躍した冒険者たちに少し高いお酒をサービスして爽やかに微笑んでいた。
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