死者と竜の交わる時

逸れの二時

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第七章

標を求めて

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ファムに途中経過を報告し、マデリエネとカイネが斥候ギルドに、アロイスは知識ギルドに行き、ザルムは久々の軽鎧に着替えてゲルセルと出発の準備を整えていた。

ザルムは黙々とやるべきことをやっていくゲルセルの手際の良さを褒め、彼にクロスボウで狙いを定めるときのコツを聞いていた。湿地のような足場の悪い場所では接近戦だけとは限らないからだ。

弓とクロスボウでは勝手は違うかもしれないが、ゲルセルの指導はわかり易い。それはおそらく彼が自力で弓の腕を磨いてきたことで、一通り失敗や苦労を経験してきたからだろう。そのことは会話の最中でもザルムには伝わる。

「森で暮らす中で弓の扱いを覚えたなんてヤツはそうそういないだろうな。直々に狙いの定め方だけでも教えてもらえてうれしいぜ」

「難しいことは……やってない……」

「おいおい、それじゃあ俺は簡単なことすら今までできてなかったみたいじゃねえか」

「そういう……ことじゃ……」

「わかってるって。お前に悪気がないことくらいはな。でも他の奴は勘違いしちまうかもしれないぜ? 文化の違いってヤツで伝わらないこともある」

「う……」

「そんな顔するなって。行き過ぎた謙遜は嫌みにもなるってことを言いたかっただけだぜ。お、ちょうどみんな帰って来たし、お前の手際の良さを褒めてもらわないとな」

ザルムはそう言いながらゲルセルの有能さを仲間に伝えていた。

マデリエネに褒められると、ゲルセルは目線を下げて彼女の賛辞を否定しかけた。だが密かにザルムの言葉を思い返すと、そう言ってもらえてよかったとマデリエネに向けて少しだけ口元を緩めた。彼は素直らしい。

準備も整いましたし湿地へ急ぎましょうとアロイスが言うのに、もちろん全員が賛成してカルムの街を出て湿地へと向かって行く。

ゲルセルは今まであまり感情と言うものを感じたことはなかったが、初めて喜びというものを理解した気がした。

それが証拠に、真夏にも関わらず、厚さの煩わしさなど感じなかったから。


カルムの街から出て約八時間、歩き疲れてきたところでようやくハーメルム湿地に到着した。もちろんその頃には日は落ちていた。

湿地に入る前に野営して、明日の朝天賦の恵水を探す運びとなる。

その際に改めて湿地についての情報を確認した。マデリエネが持ってきた地図を火の灯りで見てみると、湿地はその奥地までかなりの距離があることがわかる。

マデリエネはその情報に付け加え、そこまで行って帰って来た者はここ最近にはいないと情報屋から聞いたとたった今口にした。

ここに来る前にマデリエネはそのことを一言も話していなかったためにザルムとカイネは見るからに動揺する。

ゲルセルはどうかはわからないが、翼を持つ彼には湿地の水たまりなどどうってことはないのかもしれない。

アロイスは当然、天賦の恵水の入手難易度の高さを知っていたようで、まあまあとブレーキをかける役目に回っていた。

何のブレーキかと言うとお察しの通り、なんで先に言わなかったんだというザルムと、言っても心配になるだけじゃないと主張するマデリエネの口論に対するブレーキだ。

そのおかげもあって、ザルムは気が済んだように先にテントの中に入っていった。

怒りは収まったらしいが先に見張りの番をしろという仰せらしい。

マデリエネが渋々辺りを警戒し始めたので、アロイスとゲルセルがそれに倣って警戒態勢を敷いた。

カイネはザルムとの後半の見張りに備え、テントの中で眠った。

前衛の頑丈さと後衛の支援力をバランスよく分配する形に自然と落ち着く。

ザルムとカイネが寝ているテントに忍び寄るゴブリンとコボルトが現れたときには、ゲルセルの矢が前衛のマデリエネを煩わせることなく的確に魔物を打ち抜き、暗闇からスケルトンが出たときには、アロイスの火炎弾が骸骨の怨念を燃やし尽くした。

近くに水源がないからか、真夜中には亜人種たちが水を求めて湿地にやってくるようだ。

殺戮を求める怨念の主、アンデッドは、その水を求めてやってくる魔物を駆逐するべくして現れている。

そんな理由もあって、いつも以上に見張りの番は重要だった。

しかし押し黙っていても集中力は続かないものだとわかっている彼らは、魔物を退治しながらその合間に他愛もない話をしていた。

「こんなことなら湿地に入ってからテントを張るべきだったかしら。魔物がそこら中からやってくるわね」

「魔物の数は確かに減るでしょうが、湿地の中でも魔物は現れると思いますし、何より暗くて足場の悪い場所で戦うのは危険ですよ」

「やっぱりそうよね。幸いあなたと彼のおかげで私は楽できてるけど、ザルムは大変そうね。可愛いカイネちゃんには攻撃は似合わないもの」

「……彼女も……強い……大丈夫だ……」

「そうですね。操原魔法にも攻撃魔法はありますし、聖句を唱えればアンデッドは為す術なしでしょう」

「もちろん彼女の強さを疑ったわけじゃないの。ただ彼女の力は味方の支援に活用するのが最も輝くと思っているだけでね。女の子に味方するなんて、ゲルセルは優しいわね」

そう言われてゲルセルはやはり戸惑ったように目を泳がせる。アロイスはそれを温かく見守りつつ優しげに声をかけた。

「ゲルセルさんには本当に感謝しているんですよ。仲間になると言って即座にパーティの申請用紙に拇印していただいて」

「……こちらこそ……感謝している……俺は……上手く話せないのに……」

「そんなの大したことじゃないわ。文字が書けないのだって学べばいいだけだもの。なんなら今度教えてあげるわ」

「……感謝する……」

「今や仲間だもの。気にすることないわ」

マデリエネはこの通り、ゲルセルには優しかった。捨てられた子……彼が口にしたこの事実がどんなことを意味するかよく知っていたからだ。

彼女がまだ幼く、あどけなかった頃。自分の夫が盗賊だとわかった途端、彼女の母親は掛け替えのない一人娘のマデリエネをおいて、どこか遠くへ消えてしまった。

そのおかげで今の彼女にとって母親とは、突然消えてなくなる霞のようなものなのだ。

自分を生んだ母親に会ってみたいという気持ちと、自分を裏切ったも同然の女を軽蔑する気持ちがこれからも永遠に込み合って、彼女を煩わせるのだろう。

欠けた心のピースにぴったりと合うものが見つかることは、これまでもこれからも決してないのだ。

一向に晴れない霧を振り払うかのように、マデリエネはときたま現れる魔物にナイフを投げつけては思案するのだった。
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