君主たる魔導書-マスターグリモワール-

逸れの二時

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第二章 救いを追い求めて

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 ディルクたちは今、整備された街道を馬で駆け抜けている。時間がないと判断した彼らは、高額をちらつかせて無理やり馬を借りたのだ。

 元騎士だけあって乗馬はお手の物のディルクに対し、馬になど乗ったこともなかったアマデウスは、ディルクの腰になんとかしがみついているといった様相だ。

 細く続く道に沿って、遮るものが何もない大らかな平原を颯爽と進んでいく。途中で往来の人を避けると、馬が体勢を変えるからかアマデウスが小さく悲鳴をあげている。

 しかしそれでも遅くするわけにも衝突するわけにもいかないので、我慢してもらうしかなかった。

 そうやってなんとか着いた乗船所はそれなりに多くの人で賑わっているようで、遠くからでも人の声が聞こえてくる。普段ならば栄えているという意味で良いことなのだが、人探しにおいては人が多いという事実はあまり良いものとは言えない。

 そういうこともあり時間を無駄にはできないので、彼らは素早く馬から降りて、近くの丁度良い木の杭に手綱を巻いた。そして踏み込んだ乗船場の木の床の先には、天井の高い木製の屋根の下で目の前の大きな船に乗れるのを待つたくさんの人が見える。

 海沿いに乗り出したその部分は人が海に落ちないように木のフェンスが丁寧に設置されているが、船に乗る箇所だけは木の板が渡せるように空白になっていた。そんな便利な設備を利用できるのは主にお金を持っている貴族や商人などの類であり、平民姿のディルクとアマデウスは少々浮いている。

 だがしかし、それはおそらく書店の店主の兄も同じこと。相手が目立っているのならそれは好都合だった。

 人々が待っていることを考えれば、出港までにはおそらく間に合ったのだろうと思われるが、目的の人物の手がかりを手っ取り早く得るため、ディルクは近くの乗組員に話しかけた。

「確認だがラベール大陸行きの船はまだ出ていないな?」

「はい、まだですよ。準備が整い次第出港しますので、乗船するならお早めにどうぞ。書類はお持ちですか?」

「いや、船に乗りたいわけではないんだ。ある人を探しているのだが――」

この難しい事態を説明し終える前に、突然後ろから悲鳴が聞こえてくる。反射的に振り向いた二人の目に飛び込んできたのは、黒い魔力を纏った魔術師が後からやって来た人を手にかける姿だった。

 倒れる人を見て人々は逃げ惑うが、邪悪な魔術師に退路を塞がれて、みな押し込まれるように船に乗り込んでいる。そんな混乱の中で、ディルクはアマデウスに向かって叫んだ。

「アマ、アルヴァー! 例の人を頼む!」

「任せておけ! ディルク殿、死ぬでないぞ!」

「ああ!」

 ディルクは剣を引き抜いて、真っ直ぐ魔術師の元に向かう。走ってきた勢いのまま、ディルクの剣筋は物凄い勢いでカイルを捉えた。

 しかしそれはカイル自身を切りつけることはできず、差し出された手の黒い魔力によって塞き止められてしまった。カタカタと震える剣。肉薄するディルクとカイル。彼らは均衡する力をそのままに言葉を交わす。

「もうここまでやって来たか。懲りないものだな騎士団長殿」

「ほざけ! 追って来いとほのめかしたのはそちらだろう。それに俺はもう騎士団長ではない」

「ほう。では元騎士団長殿。汝はなぜ我を追っている? 何のために戦うのだ?」

「決まっているだろう。貴様のような愚か者を成敗して、平和を取り戻すためだ!」

「詭弁だな。汝は我が意志のもと役目を果たすが良い!」

衝撃波と共にディルクは吹き飛ばされる。大きく仰け反った体を立て直している間、乗船所から警備兵が三人ほど集まってきてディルクの前に立ちカイルに警告した。

「邪悪な魔術師め! 大人しく降伏しろ!」

ところがカイルの赤い瞳が見開かれた瞬間に膨大な魔力が空に展開される。それは次々に巨大な文様を織り成し、瞬時に熱エネルギーへと姿を変えた。

炎の侵略ブレイズ・インベイジョン

 魔術の発動と同時に巨大な炎の塊が警備兵たちに降り注ぐ。みな右往左往して避けようとするものの、結局誰一人逃れることもできずに燃え盛る炎に体を投げ出されてその身を焦がされた。

木製の乗船所には一瞬の内に炎が燃え移り、辺り一帯が地獄と化し焦土となった。だが何故かディルクにだけは炎の洗礼はやってこない。

「何故……俺を殺さない? 憐れんでいるつもりか!?」

「我に憐みの心があるとでも思うか。汝には我が魔術の脅威を国に知らしめることを期待しておるのみ。それ以上何かあるとでも思ったか?」

 そのとき、たくさんの人々がパニックになって乗り込んだ船が、とうとう海原へと進みだしてしまった。船の乗組員が慌てた様子で乗船所に繋いであったロープを解き、操舵室に向けて合図している。

 おそらくディルクが魔術師を足止めしている間に船を出発させて逃げてしまうつもりなのだろう。

 もう既に碇は上げてあるようで、帆に風を受ける船はどんどんと陸から遠ざかっていっている。カイルはそれに不機嫌さを露わにし、小さく舌打ちをすると突然ディルクを無視して空に飛び上がった。

 ディルクはそれを必死で追いかけるが、建物に燃え移った火を避けながら進むディルクに対し、空中を浮いているカイルの方が圧倒的に速い。

 そして浮遊したまま乗り場から海に出たカイルは、遠ざかっていく船をものともせず、ゆっくりとその甲板に降り立った。

 その姿はまるで死神。ふわりと舞った灰の髪が、ゆるりとなびく茶色の外套が、これから起こる悲劇の前兆のようで。これからあの船で見るに堪えない痛ましい事件が起こるに違いない。

 それなのにディルクは海に突き出た乗船所の乗り場の上で、ただ船の様子をうかがうことしかできない。

 やがて火が屋根の上までどんどんまわって、彼は仕方なく陸の方へと引き返す。

 それでも船の方をずっと見ている彼は、巨大な竜巻が船を呑みこみ始めても何もできない無力な自分の姿に暗澹と打ちひしがれるのだった。
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