君主たる魔導書-マスターグリモワール-

逸れの二時

文字の大きさ
20 / 37
第三章 足掻き、突き進む者

賢者

しおりを挟む
 あれからアマデウスは、助けてもらったアンナにお礼として宝石を一つ差し出して、息子のジスに何か良いものを買ってあげてほしいと頼んだ。宝石はかなりの金額になるものだが、それは内緒だ。

 命の恩人なのだからこれでも足りないくらいなのだが、アマデウスにも目的があるため、財産の半分くらいのものを渡した。

 それから自身もここの通貨を手に入れるために、アンナに聞いた王都に近い街にあるという質屋へと向かった。何かあった時のためにと宝石類を入れておいた腰袋が海に流されずそのまま身に着けていたのは幸運だった。満足にお礼もできずに見知らぬ土地で職を探す羽目にならずに済んだのだ。

 適度に休息をとりながら何とかたどり着いた王都近郊の街にて、向かった質屋の店主は見るからに柄の悪そうな赤髪の男。そして案の定相手が年寄りだからということでかなり安く買い叩こうとしてくる。

 その額がいくらなんでも非常識だったため、頭にきたアマデウスは眉間にシワを寄せてこう告げる。

「それならお前さんのところには売らん。こんな上物の宝石は滅多にお目にかかれないと思うがな。ついでにこの街の住人にお前はこんな老人にも手厳しい非常識な男だと言いふらしてくれるわ」

 すると店主はよっぽどアマデウスの剣幕が恐ろしかったのか、顔を真っ青にしてわかったよときちんと相場通りの額を提示してきた。

 だがそれにアマデウスが満足するはずもなく、その二割増しで手を打たせてホクホク顔で店を出た。別の地域の通貨の知識があって本当に良かった瞬間である。

 しかしその頃にはもう空が暗くなり始めていたのでアマデウスは仕方なく宿をとって今日は休むことにする。

 本当はそのままアンナの息子、ジスに聞いた崩落都市なる場所に行きたかったのだが、食事も何もかもアンナの家の世話になるのは気が引けたのだ。わざわざ王都に来たのは時間のロスだったが仕方がない。

 そうして今晩の宿をとることができたアマデウスは、宿の一階で食事をとってから明日に備えて休むことにした。崩落都市の探索に全力を尽くすためだ。

 アンナの言っていた決して消えることのない炎という言葉。これがアマデウスはずっと引っかかっていたのだ。

 知識が豊富な彼は地獄界という場所は何もかも焼き尽くす赤黒い炎に満ちているということを知っていた。そしてそれが現界、すなわちこの人間の住まうこの世界に顕現すれば、対象を焼き尽くすまで決して消えることのない炎となるということも覚えていたのだ。

 そしてアマデウスには魔導書を追うことでいつかディルクと再会できるだろうという思いもあった。邪悪な野望に支配された魔術師がいるということを知っていてなおそれを止めようとする男はそういない。

 何より騎士団長としてその職務を全うしていた次世代の若者が、魔術師のせいで苦しむのを止めてやりたかったのだ。

 だから何としてでもあの魔術師の暴挙を食い止めて、魔術が暴走するのではなく、自然と受け入れられる世界を目指さなくてはならない。その方法はアマデウスにはまだ思いつかないが、それは5界の魔導書を暴走させることではないのは確かだ。

 各国の王に逆らうことはできない。最後の最後までなんとか中立を保っていたゴスリック王国が近隣諸国の圧力に負けて魔術を禁止してしまったことは残念だが、こんな方法であっていいわけがないのだから。

 あの危険な魔術師と対決して勝てるわけがないと彼は悟ってはいたのだが、だからといって何もしないことは大賢者アマデウスにはできなかった。それは彼の生い立ちとも関係している。

 貧しい平民の生まれだった彼は、例に漏れず領主や貴族から差別的な扱いを受けた。必死に畑を耕しても両親ともどももっと税を収めろと冷たく言い放たれる。自分たちが食べる穀物も足りていないというのにだ。

 不作の年だってそれは変わらなかったし、母親が病気で倒れた時でもそうだった。道を歩いていればすれ違った貴族に服装を馬鹿にされ、足を引っかけられて転ばされたこともある。

 でも平民だからといつの間にか納得して、悔しい思いも燻ってやがて凍った。両親と同じように。

 しかしそんなとき彼の人生を大きく変えたのが魔術だった。アマデウスのお気に入りの場所だった街外れの大きな木の陰で、壮年の男性が休憩していたのが始まりだ。

 その男性はアマデウスを見てニッコリと笑い、魔術の楽しさ、偉大さを教えてくれた。あまり長い時間でもなかったし、その一日だけだったが、アマデウスが魔術に夢中になるのには十分だった。

 アマデウスはその壮年の男がどんな人物なのか知らなかったしあえて聞こうともしなかったが、彼はなんと紛れもなく現職の宮廷魔術師だったのだ。

 職務に嫌気が差しこっそりと抜け出して、幼いアマデウスに出会った。そういう偶然だった。

 それからアマデウスは教えてもらった魔術の基礎を何度も繰り返し、修練を続けていった。その魔術師はアマデウスに魔術を教えたかったわけではなく、ただ見せてあげたかっただけなのだが、手の平から炎が溢れ、風が起こり、氷の欠片が舞えば子供は夢中になるのだ。

 そして何より、アマデウスには魔力が備わっており、少し真似ただけでほんのわずかだが魔術を使うことができたのだ。

 それからアマデウスは街の人々を魔術で助けながらお金を貯めて、念願の魔導書を一つ買った。それを機にどんどんとできることが増え、魔術の幅が広がり、やがて大人になった彼は魔術の伝道師となった。

 魔力を扱える人々にその使い方を教え、力を持つ者の正しき倫理観を教えた。

 そして大賢者、そう呼ばれて数十年経った頃、なんと魔術が禁止され始める。いくらアマデウスが魔術師たちに倫理観を教えても、魔術を脅威と見なす人間は世の中には沢山いた。自分が扱えず、どんな仕組みかも知らないものはみんなが怖がった。

 それはアマデウスには残念だったが、仕方がないと割り切るしかなかった。それは国が決めたことで逆らうことは叶わない。そして恐怖心は最もだし、魔術は使い方を誤れば危険なのは間違いないからだ。

 だからまたいつか魔術が認められる日が来ることを信じて、そしてそのチャンスが訪れることをずっと心待ちにしていた。

 それなのにあの灰色の魔術師は大量虐殺をしたあげく力で魔術を認めさせるために5界の魔導書を集めようとしている。これでは認められるものも認められなくなってしまうのは明らかだ。

 そうなれば魔力を持った平民も、魔術によって豊かさを享受できたはずの人々もみな横暴な領主と狭量な貴族たちに酷い扱いを受けてしまう。それは許すことができない。

 そういう理由があってアマデウスは、今は束の間の休息を取りながら、あの魔術師の野望を阻止しようと決意を固めるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

処理中です...