【完結】忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される

雑食ハラミ

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第9話 秘密の兄

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皇帝の結婚式は、多数派の理解が得られるまでは延期ということになった。レグルスは大層憤慨したが、彼の一存でどうにもならないので仕方ない。何よりみなに祝福される夫婦でありたいと願っていたロザリンドは、この決定に異存なかった。

正に獣人の王の名にふさわしい佇まいのレグルスだが、時間が経つにつれ、彼の立ち位置は、必ずしも盤石ではないということが朧気ながら分かって来た。カルランスの国王から聞いた話と微妙に異なっている。

30にもなっていない彼が皇帝の座に就いたのは19歳の時。急に即位した彼は今の地位を築くまでに相当苦労したらしい。そして、今なお、彼の周りで権力闘争は続いている。先日ハンナが教えてくれたように強硬派と融和派の対立。そして、融和派の中でもカルランス人のロザリンドをよく思わない一派があると聞いた。つまり、この国の上層部は、過半数が彼女を歓迎していないのだ。

それでもカルランスにいた頃よりはましだ。歓迎されていないのはどこでも同じだが、自分に好意的な存在がわずかでもいるだけで、心持ちが全く違うことを初めて知った。なので、しきりにハンナが同情してくれるのだが、今の自分はどこが恵まれないのかピンと来ないところがある。

「ロザリンド様の精神力の強さには驚くばかりです。見た目が小柄なので、もっと繊細な方だと思いました。皇帝の妻になるにふさわしい強靭さだと思います」

「強靭だなんてそんな……ただ私はどう振舞っていいのか分からないだけかもしれない。前の環境も決していいとは言えなかったから、感覚が麻痺しているのよ」

ロザリンドは苦笑しながらハンナに説明した。一番身近な人が自分を信頼してくれるからそれだけで十分だ。そう思えるのに、相手の好意に素直になれない自分がもどかしくて仕方ない。それは、レグルスに対してもそうだった。

「最近つれないじゃないか。ライオンの姿で会っていた時の方が、何でも素直に話してくれた。今の方が見えない壁を感じる。何かあったのか?」

「いいえ、ただ恥ずかしいだけです。お気になさらずに」

ロザリンドは即座に否定したが、レグルスは更に眉をひそめた。彼が納得してないのを見て取って更に説明する。

「陛下のお姿が余りにも威厳があって正視できないのです。私みたいな者が本当に妻でいいのかと、もっとふさわしい人がごまんといるんじゃないかとそんなことばかり考えてしまって……」

やっとの思いでそう言ったロザリンドを、レグルスは丸々の目で見つめると、やがてぷっと吹き出した。

「なんだ、そんなことか。もっと深刻な理由だと思っていた。つまり、獣の姿の方が変に意識しなかったということか?」

ロザリンドは、真っ赤な顔でこくこくと頷いた。そんな彼女をレグルスは愛おしそうに見つめる。

「大丈夫だよ。私だって欠点だらけの人間だ。それなら前みたいにライオンの姿になってやろうか?」

「いえ! そんな滅相もない! 今のままで大丈夫です!」

レグルスは、慌てて否定する彼女が愉快でたまらないようだ。彼女と一緒にいる時のレグルスはいつもよりリラックスしているように見えるのは気のせいだろうか? ロザリンドは緊張して仕方ないというのに。どくんどくん跳ねる心臓の音を聞かれたらどうしようと冷や冷やしてばかりいる。

確かにライオンの姿と対峙していた時の方が、自分の心を素直にさらけ出すことができた。今では、何でも変に意識してしまいスムーズに言葉が出てこない。中身は同じ人なのに、どうしてここまで違うのか不思議でならなかった。

レグルスは、わずかな合間を見つけてロザリンドに会いに来てくれるが、彼の多忙さは遠まきから見てもよく分かる。皇妃ともなれば自分も政治に参加するようになるだろうが、今は婚約者の身なので表舞台に出ることはない。暇を持て余した彼女は、宮殿の中を散策することが増えた。

宮殿の中は迷路のように複雑で、ライオン姿のレグルスと出会った庭の他に無数の庭園が存在することが分かった。庭園と言っても木が生い茂り森に近いものもある。熱帯雨林からツンドラのようなものまで気候がバラバラなのが不思議だ。これだけ気候が違う生態系の庭園を狭い同一空間にどうやって成り立たせているのだろう。獣人は人ならざる力を持つと言われているが、その謎はまだ完全に解明されていない。未知の力にじかに触れたロザリンドは、ただ圧倒され放しだった。

(あれ、ここどこだろう……?)

無我夢中で散策をしていたロザリンドは、調子に乗って自分が迷子になってしまったことに気付いた。大人にもなって迷子なんて恥ずかしい。そう思い、一人真っ赤になったが、手をこまねいても仕方ない。恥を忍んで誰かに聞かなければ……しかし、周りには誰もいないし、誰かに会える気配もないので、途方に暮れてしまった。

庭園に目を向けると、一人の人影がちらりと見えた。緑の背景の中に白い姿だったので、目に付きやすかった。ロザリンドは廊下から庭園に下りてその人物を追う。

「あの、すいませんルチア宮へはどう行けばいいですか?」

しかし、振り返った人物を見て、思わず息を飲んだ。真っ白な髪の毛で片目が隠れ、真っ白な皮膚は女性のように滑らか。片方だけ見える切れ長の目の色は赤く、この世の者とは思えないほど妖しく美しい。細い体はぽっきりと折れそうだが、どうやら男性のようだ。獣人の男性は大体がっしりした体躯が多く、このように中性的な姿をした者は珍しい。それでも、レグルスと同じ形をした獣の耳が付いているから、彼もまたれっきとした獣人なのだ。

「こんなところまで人が来るとは珍しい。しかも人間じゃないか。もしかして、君が噂の婚約者さん?」

ガラス細工のように繊細な彼は、ほっそりとした通りの良い声で話しかけた。嫌な感じはなく、どこか愉快そうな色が混じっている。

「はい、カルランスから来たロザリンドと申します」

「まさか、君に会えるなんて思ってもみなかった。彼が会わせるはずがないから。それなのに、君の方から来てくれたなんて」

相手の奇妙な発言にロザリンドは首を傾げた。このお方は何を言っているのだろう? 彼とは誰のことなんだろうか? 着ているものを見ると簡素な服ではあるが、高級な生地を使っており、それなりに地位は高そうである。

「あの、一体どういう……」

「僕のこと聞いてない? レグルスから?」

まさかここでレグルスの名前が出て来るとは思わなかったので、ロザリンドは飛び上がりそうになった。しかも敬称なしで彼を呼ぶ間柄とは何なのだろう?

「すいません……まだ何も知らなくて……」

「別に謝ることじゃない。僕の存在は限られた者しか知らないから当然のことだ。レグルスに兄がいるなんて。しかもアルビノの」

「えっ……お義兄さま、ですか?」

ロザリンドは息を飲んで彼を見つめた。しかもアルビノ? アルビノとは、色素細胞が生まれつき少なく、髪の毛や肌の色が薄い生き物を指す。まさか、レグルスにアルビノの兄がいたなんて、思いもしなかった。

「そう、僕は、レグルスの兄のリゲル。生まれつきこの体なんで王位継承から外れている。アルビノって知ってるだろう? とても珍しいが、この国では凶兆とされているんだ。しかも、色々と体調も思わしくなくてね。皇帝の激務は僕には務まらない」

淡々と語るリゲルを、ロザリンドは穴のあくほど見つめた。確かに彼は色素が薄い。髪の毛や肌のみならず、長いまつ毛まで雪のように真っ白だ。唯一色素があるのが赤い目だけなので、随分不思議な印象を受ける。こんなにしげしげと見つめたら失礼なのは承知しているが、人を引き付けずにはいられない妖しい魅力をまとっているのは事実だ。男性とも女性とも言えない独特の美しさがある。美しいと言う形容は兄弟一緒だが、何から何までレグルスとは対照的だ。

「ごめんなさい、リゲルさまの宮殿とは知らず足を踏み入れてしまって……どうかお許しください」

ロザリンドは頭を深く下げて謝ったが、リゲルは何ら臆することなく、微かに笑いながら答えた。

「お気遣いなく。さっきも言ったように、僕は公にされていない存在だから、気を使う必要は一切ない。周りの者は、皇帝の兄ということで遠慮して丁重に扱ってくれるけど、何の権限も持ってないから。むしろ、君の方が地位は高い。不敬なのは僕の方で、本来対等に話せる相手じゃないんだ」

「そんな、結婚しても何も変わることはありません。リゲル様こそお気遣いなさらないでください。偶然とはいえ、お会いできて光栄です」

ロザリンドはそう言うと、膝を折って敬礼した。王侯貴族相手に対する挨拶の仕方だ。リゲルはそれを見て苦笑した。対等じゃないと言いつつ、ロザリンドに対して下に出ることもしない、とらえどころのない人物だ。

「ありがとう……君はいい奥さんになれるね。二人続けて良縁に恵まれるなんてレグルスは運がいい」

前妻の存在をほのめかされるとは思ってなかったので、ロザリンドは一瞬びくっとした。

「え、ええ。前妻の方はとても素敵な方だったと伺ってます。肖像画も拝見しました」

「そうだろう。美しい人だった。外見も中身も」

リゲルがしみじみとした口調で言うと、しばらく無言の時が流れた。前の妻について何も知らないロザリンドは、胸がざわめくのを抑えられなかった。そんな彼女を見て何かを察したのか、リゲルは静かにこう告げた。

「もし聞きたいことがあったら僕のところにおいで。周囲も何かと遠慮して、そう簡単に教えてもらえないことも出て来るかもしれない。ここでは君は異邦人だからね。僕は特にやることもないし、いつでも相手できる。何かの助けになるかもしれない」

リゲルはそう言い終えるとニコッと笑った。相手の心を溶かすような、甘くやわらかな笑みだ。彼に魅入られた者は、心の内を全てひけらかしてしまいそうな、そんな危うさもはらんでいる。何となくだがそんな気がした。

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