47 / 52
47.青の魔女の統べる世界
しおりを挟む
春の花が咲き乱れる広大な王宮の庭園の一角で、7歳くらいの少女が泣きじゃくっていた。
ビクトールは突然目に飛び込んで来た光景を見てぎょっとした。何だこれは? 想像していたものと違う。彼はアレクサンドラに会いに来たはずだった。しかしここにいるのは幼い頃のリリアーナではないか。一瞬薬の調合を間違えたのかと思った。
(ああ……そういうことか。リリアーナの心象風景は今でもこうなのか)
彼自身この薬の効能を理解しきれてないところがあった。何せ殆ど誰も作ったことがない薬なのだから前例がない。リリアーナの思念に入るとはどういう意味なのか、手探りで理解しながら動く必要があった。これが意味するところは、リリアーナという人間の核は今でも庭園の迷路で泣きじゃくる子供のままで、それを何とか隠そうと痛々しいほどの努力と虚勢を重ねたのが今の姿ということなのだ。少なくとも彼はそう解釈した。
(それなら解放してやろう。あの子を庭園の迷路から)
ビクトールは幼いリリアーナに声をかけようとしたが、この少女はまだ自分を知らないということに気付いた。知らない人に話しかけられたら却って怯えてしまうだろう。そこで、代わりに懐から杖を取り出し一匹の蝶を出してやった。
「何これ? きれい!」
それまで顔を埋めて泣きじゃくっていた少女は上を向いてひらひら跳ぶ蝶に目を奪われた。そして、蝶に引き寄せられるように後を追って行った。このまま行けば迷路から出られるだろう。少女の姿が見えなくなるまで見送ったビクトールは満足そうに一息ついた。
すると視界が開けて別の人物の姿を認めた。金髪の豊かな髪をたなびかせ、ゆったりと安楽椅子でくつろぐ女性。ビクトールはこんな美しい女性を見たことがなかった。ハニーブロンドの髪は優雅に波打ち、紺碧の瞳は高価な宝石よりも神々しい輝きを放っている。彼女に比べればリリアーナはまだ親しみやすさがあるが、目の前の女性は余りに完璧すぎて声をかけるのも恐れ多いような近づき難さを持っていた。間違いない。彼女がアレクサンドラ・オズワルドだ。リリアーナの中に彼女は「生きている」のだ。
(とうとう見つけた。彼女が青の魔女だったんだ)
ビクトールはごくりと唾をのみこんだ。するとアレクサンドラはビクトールに目を向け、全く驚いた様子を見せずにこやかに微笑んだ。
「おめでとう、そしてありがとう。こんなに早く迎えに来てくれるとは思わなかった」
**********
しばらく二人は無言で対峙した。緊張を隠せないビクトールと、柔和な笑みを浮かべるアレクサンドラ。先に口を開いたのはアレクサンドラの方だった。
「禁書庫の書置きを見つけてくれた? まさか本当にあれを発見する人がいるとは思わなかったわ。どうやって答えにたどりついたの? ねえ教えて」
「それより先に聞きたいことがある。どうしてこんな面倒なことをした?」
喜びを隠せず無邪気にはしゃぐアレクサンドラに対し、ビクトールは警戒心を解かず厳しい表情で接した。
「リリアーナのためよ。あの子を一人にしておくのは不安だったから。だから私があの子の中に入り込んだ」
「嘘だ。それよりも魔法使いとしての野望が先にあったんじゃないか? 肉体を捨てる代わりに娘の中で生き延びる。そして娘が王太子妃になった時に娘の体を乗っ取って自分がなり替わる」
それを聞いたアレクサンドラは声を上げて笑い出した。
「やあねえ。この術は人格までは乗っ取らないのよ。リリアーナは自分を失うわけじゃない。私の強大な魔力をあの子に移すようなものなの」
「そんな簡単な話じゃない。あんたは三つの魔法をかけた。王太子に一つ、リリアーナに二つ。リリアーナにかけた魔法は守護魔法だけじゃない。自分の魔力を娘に与えると同時に、人格の一部を移す、つまり彼女の中で自分が生き続けるという、未だかつて誰もやったことのない術だ。完全な乗っ取りではなくても、あんたの意思を一部介在することはできる、それもリリアーナには気づかれずに。現に、王太子が彼女に杖を向けた時、力の一部を使っただろう。本来は、二人が結婚しなければ術は開放されない条件だが、相手が王太子だったから例外的に可能だったんだ。無事二人が結婚すれば、作戦は完全に成功するはずだった。娘を通じて世界を統べる天才魔術師の誕生だ」
ビクトールは黒髪の隙間から射抜くような視線をアレクサンドラに投げかけた。一瞬でも気を抜くとあっという間に取って食われそうな圧を感じる。アレクサンドラの方は、睨まれると却って嬉しそうに顔をほころばせた。
「すごい。そこまで到達できたなんてあなた本当に優秀なのね。でもそれじゃまるで私が悪人みたいじゃない。そんな風に思われるなんて心外だわ。娘を愛するからこその行動よ。リリアーナは不憫な子だから」
アレクサンドラはそう言うと、微かに眉をひそめた。
「あの子は本当にかわいそうなの。魔力以外は申し分ないのに。認められようと必死に努力していたのを見て来たわ。でもプライドが高いから逆に誤解ばかり与えてしまって。王太子もあの子のこと全く理解しようとしなかった。魔力だけが全てじゃないと言ったのは最初の一回だけ。それからは周りに流されてだんだんあの子を邪険に扱うようになった。あの子もたった一言のために何年も頑張り続けて。それなら私があの子に唯一欠けてるものを授けようと思ったの。親の愛よ」
それを聞いたビクトールは吐きそうな顔になって言い返した。
「どうだか。愛と自己犠牲だけであの書置きを残すとは思えない。魔法使いとして前人未到の高みに到達したいという野心と我欲しか感じ取れなかった」
「それが分かるのは、あなたも同じ思いをしたからでしょう?」
ここでアレクサンドラの笑みが深くなった。
「リリアーナの中からあなたのことずっと見ていたわ。スラム街の貧民に強大な魔力を与えるなんて神様も遊びが過ぎるわね。この世界では生きづらさしかなかったんじゃない? あなたがここにいるということは、私の思考をトレースしてきたはずよ。そこでどう思った? さっき言った野心と我欲があなたの中にも芽生えなかった? ただの聖人君子ならここまでたどり着けないはず」
ビクトールは言葉に詰まったままアレクサンドラを睨みつけた。彼女の甘い声が全身に絡みつくようだ。この態度で答えは分かったようなものだった。
「私は肉体から解放されたから今は好きなことが言える。生前より欲望に忠実になれるの。あなたも私と一緒にここに留まらない? そうすればリリアーナとずっと一緒にいられるわよ? 現実の世界では最下層の平民と公爵令嬢が結ばれるなんてあり得ないけど。わたしたちは似た者同士。この世界はわたしたちには小さすぎる。魔力を解放した先の世界を見たくない?」
「ふざけるな! 青の魔女め!」
ビクトールは雑念を振り払うかのように声を振り絞って拒絶した。
「そんなことのために来たんじゃない。王太子の呪いを解いて欲しい。そしてリリアーナを解放してくれ。このままでは家の監視下に置かれたまま自由を手にできない。それを言うためにここまで来た」
「王太子? ああ、あの坊やね。あんなのどうでもいいじゃない」
アレクサンドラは急に冷淡な態度になって椅子に深く座り込んだ。
「娘を捨てた男が何だって? ずっと寝てればいいのよ。国王だって呪いを解く方法を知ってるはずよ。リリアーナと結婚させればいいだけ。分かってるのにそれをしないんだから自業自得以外の何物でもないわ」
「リリアーナにとっても酷だろう。もう王太子から心が離れてるんだから」
「でも私はそういう風に未来を設計したの。運命に逆らったから呪いが発動したのよ」
「やっぱりあんた変だ……未来を設計するなんて……神でもないのに」
ビクトールは呟くように言ったが、アレクサンドラは無視して別のことを言い出した。
「そうだ。あなた私がいつ王太子に呪いをかけたか知ってる?」
「おそらく生まれたばかりの王太子に加護を与えた時だろう。あの時既に自分の娘と結婚させるつもりだったんだ。加護を与える振りをして、娘と結婚しなければ呪いを発動する術を密かにかけた」
「すごーい! あなた天才ね! ますます欲しくなっちゃったわ」
アレクサンドラは少女のようにはしゃぎながら言った。
「じゃ、もう一つ。リリアーナにかけた守護魔法のことはいつ知ったの? あの子は知らないはずだけど」
「前にリリアーナの記憶を覗かせてもらった時に何があったかは把握した。本来は守護魔法と引き換えに術者の命もこと切れるはずだが、あんたはリリアーナの中に入り込むことに成功した。これが死の真相だ。本人は記憶を抜かれて覚えてないらしいが」
「経皮吸収されるあの薬使ったの? あなたたちもうそんな仲なのね。あの子の頭の中身が全て分かるわけじゃないからそこまでとは知らなかった。裸を見られるより恥ずかしかったでしょうね」
アレクサンドラはそう言うと、コロコロと愉快そうに笑った。
「元々守護魔法はそれなりの魔力がないと発動しないだろう? なぜそれを魔力の少ないリリアーナにかけた? あんたの守護魔法はあんたの魔力でしか正常に発動しないはずだけど、二人が結婚して魔力が開放されれば問題ないと思った?」
「まあそんなとこね。それに、リリアーナの思念に入ってしまえば誰にも邪魔されないと思ったの。まさか危険を顧みずここまで来る人間が本当に現れるとは思わなかったわ。王太子と結婚すれば私が顕現する仕組みになっていてリリアーナは強大な魔力を手にすることになる。もう誰にも欠陥品なんて言わせない。完璧な守護魔法を手にしたこの国の支配者のできあがり。そのはずだったんだけど」
「でもそうはならなかった。王太子がリリアーナを裏切ったから。このままでいいのか? せっかく念入りに準備をしたのに結局王太子が眠りこけただけ。命を懸けてまで準備した魔法は不発に終わった」
「あら、まだ終わりじゃないわ。あなたがいるじゃないの。わざわざ私を追いかけてくれたあなたが」
アレクサンドラの宝石のような青の瞳に射抜かれ、ビクトールは思わず身がすくんだ。金縛りにあったかのように動けなくなる。これは魔法ではない、ただひたすらアレクサンドラが怖いだけだ。ビクトールは自分にそう言い聞かせた。
「ここまで来てくれた天才魔術師さん。世界の誰もが認めなくても私が認めるわ。人間ごときにあなたの凄さは理解できない。私一人では覆せない理もあなたが協力してくれれば可能になる、力を顕現できるはずだわ。肉体は抹消されても、私と融合することでリリアーナを通して世界を統べることができるのよ」
それを聞いたビクトールは吐きたい気持ちになったが、冷静さを装ってアレクサンドラに向き合った。
「そんなことにはならない。俺がここであんたを仕留める。そのために来たんだから」
ビクトールは白い顔をしたまま、懐から杖を取り出した。
「リリアーナの中のあんたを葬って呪いの連鎖を断ち切る。そうでないと彼女が本当の意味で自由になれない。頼む。もう解放してやってくれ」
「そんなことが可能だと思ってるの? しかも相手はこの私よ? それに、私に手を掛けたらあなたの存在も消えるの。知ってるでしょ、この魔法薬の効能。リリアーナの思念に干渉した者は、その代償として現世の存在を抹消され、誰の記憶にも残らなくなる。あなたは最初から存在しない前提で世界は塗り替えられる。だからこの魔法は禁断扱いになっているのよ」
そう言うと、アレクサンドラは安楽椅子から立ち上がってビクトールをじっと見据えた。彼女の豊かな金髪がヘビのようにずるずると伸びて、ビクトールの身体に巻き付く。そのまま彼の身体は宙に浮き、おびただしい量の髪の毛に締め付けられ息もできなくなった。
「あんたのレシピ通りに作ると思ったか? そんな芸のないことするわけじゃないか。レシピを改良するのは得意なんだ」
「じゃあやってみれば? いくらあなたでも可能かしら?」
骨がきしみ、痛みと圧迫で気が遠くなりかけながら、無理やり笑みを作ってビクトールは反論したが、アレクサンドラはそんな彼の様子が面白いらしく余裕の表情を浮かべながら煽って来た。ビクトールは思わずかっとなったが、言われた通り確かに勝算があるわけではない。何せ試用すらできない薬なのだ。一発勝負で決めなければいけないなんていくらビクトールでも不可能に近い。彼女はどうやって正しいレシピにたどり着いたのだろう。
お互い睨みあったまま膠着状態が続いていたが、別の方向から余りにも意外な声が聞こえてきた。
「ビクトール! お母様! これは一体どういうことなの!?」
その一言でビクトールの拘束が解かれ、彼はドスンと地面に落とされた。後ろを振り返るとリリアーナがそこに立っていた。理論上は彼女の思念の中に本人が現れるはずはないのに。ビクトールはすっかり驚いて、身体の痛みも忘れるほど動揺した。
「どうやってここに来た?」
「あなた蝶を飛ばしてくれたじゃないの。ビクトールが出した蝶ってすぐ分かったわ。それを追ったらここに着いたのよ。それより、さっき変なこと言ってなかった?」
リリアーナはビクトールに駆け寄って、彼が起きるのに手を貸しながら答えた。あの小さい少女が成長してここに来たということだろうか。ビクトールは目の前の現実を整理しようと、急いで頭を巡らせた。
「研究者の悪い癖ね。まずは目の前の現実に対処しなさい。考えることなら後でもできるんだから」
アレクサンドラは、ビクトールの脳内を覗いたかのようなことを言った。
「お母様これはどういうことですか? どうか教えてください」
「やっぱりリリアーナに本当のことを言わなかったのね。そうでなければこんな恐ろしいこと認めてくれるわけないものね」
アレクサンドラはビクトールからリリアーナに視線を移し、この上なく慈愛に満ちた笑みを浮かべながら言った。
「久しぶり、リリアーナ。感動の親子の再会じゃないの。どうしてもっと喜んでくれないの?」
**********
続きが気になったらお気に入り登録お願いします。感想もいただけると嬉しいです!
ビクトールは突然目に飛び込んで来た光景を見てぎょっとした。何だこれは? 想像していたものと違う。彼はアレクサンドラに会いに来たはずだった。しかしここにいるのは幼い頃のリリアーナではないか。一瞬薬の調合を間違えたのかと思った。
(ああ……そういうことか。リリアーナの心象風景は今でもこうなのか)
彼自身この薬の効能を理解しきれてないところがあった。何せ殆ど誰も作ったことがない薬なのだから前例がない。リリアーナの思念に入るとはどういう意味なのか、手探りで理解しながら動く必要があった。これが意味するところは、リリアーナという人間の核は今でも庭園の迷路で泣きじゃくる子供のままで、それを何とか隠そうと痛々しいほどの努力と虚勢を重ねたのが今の姿ということなのだ。少なくとも彼はそう解釈した。
(それなら解放してやろう。あの子を庭園の迷路から)
ビクトールは幼いリリアーナに声をかけようとしたが、この少女はまだ自分を知らないということに気付いた。知らない人に話しかけられたら却って怯えてしまうだろう。そこで、代わりに懐から杖を取り出し一匹の蝶を出してやった。
「何これ? きれい!」
それまで顔を埋めて泣きじゃくっていた少女は上を向いてひらひら跳ぶ蝶に目を奪われた。そして、蝶に引き寄せられるように後を追って行った。このまま行けば迷路から出られるだろう。少女の姿が見えなくなるまで見送ったビクトールは満足そうに一息ついた。
すると視界が開けて別の人物の姿を認めた。金髪の豊かな髪をたなびかせ、ゆったりと安楽椅子でくつろぐ女性。ビクトールはこんな美しい女性を見たことがなかった。ハニーブロンドの髪は優雅に波打ち、紺碧の瞳は高価な宝石よりも神々しい輝きを放っている。彼女に比べればリリアーナはまだ親しみやすさがあるが、目の前の女性は余りに完璧すぎて声をかけるのも恐れ多いような近づき難さを持っていた。間違いない。彼女がアレクサンドラ・オズワルドだ。リリアーナの中に彼女は「生きている」のだ。
(とうとう見つけた。彼女が青の魔女だったんだ)
ビクトールはごくりと唾をのみこんだ。するとアレクサンドラはビクトールに目を向け、全く驚いた様子を見せずにこやかに微笑んだ。
「おめでとう、そしてありがとう。こんなに早く迎えに来てくれるとは思わなかった」
**********
しばらく二人は無言で対峙した。緊張を隠せないビクトールと、柔和な笑みを浮かべるアレクサンドラ。先に口を開いたのはアレクサンドラの方だった。
「禁書庫の書置きを見つけてくれた? まさか本当にあれを発見する人がいるとは思わなかったわ。どうやって答えにたどりついたの? ねえ教えて」
「それより先に聞きたいことがある。どうしてこんな面倒なことをした?」
喜びを隠せず無邪気にはしゃぐアレクサンドラに対し、ビクトールは警戒心を解かず厳しい表情で接した。
「リリアーナのためよ。あの子を一人にしておくのは不安だったから。だから私があの子の中に入り込んだ」
「嘘だ。それよりも魔法使いとしての野望が先にあったんじゃないか? 肉体を捨てる代わりに娘の中で生き延びる。そして娘が王太子妃になった時に娘の体を乗っ取って自分がなり替わる」
それを聞いたアレクサンドラは声を上げて笑い出した。
「やあねえ。この術は人格までは乗っ取らないのよ。リリアーナは自分を失うわけじゃない。私の強大な魔力をあの子に移すようなものなの」
「そんな簡単な話じゃない。あんたは三つの魔法をかけた。王太子に一つ、リリアーナに二つ。リリアーナにかけた魔法は守護魔法だけじゃない。自分の魔力を娘に与えると同時に、人格の一部を移す、つまり彼女の中で自分が生き続けるという、未だかつて誰もやったことのない術だ。完全な乗っ取りではなくても、あんたの意思を一部介在することはできる、それもリリアーナには気づかれずに。現に、王太子が彼女に杖を向けた時、力の一部を使っただろう。本来は、二人が結婚しなければ術は開放されない条件だが、相手が王太子だったから例外的に可能だったんだ。無事二人が結婚すれば、作戦は完全に成功するはずだった。娘を通じて世界を統べる天才魔術師の誕生だ」
ビクトールは黒髪の隙間から射抜くような視線をアレクサンドラに投げかけた。一瞬でも気を抜くとあっという間に取って食われそうな圧を感じる。アレクサンドラの方は、睨まれると却って嬉しそうに顔をほころばせた。
「すごい。そこまで到達できたなんてあなた本当に優秀なのね。でもそれじゃまるで私が悪人みたいじゃない。そんな風に思われるなんて心外だわ。娘を愛するからこその行動よ。リリアーナは不憫な子だから」
アレクサンドラはそう言うと、微かに眉をひそめた。
「あの子は本当にかわいそうなの。魔力以外は申し分ないのに。認められようと必死に努力していたのを見て来たわ。でもプライドが高いから逆に誤解ばかり与えてしまって。王太子もあの子のこと全く理解しようとしなかった。魔力だけが全てじゃないと言ったのは最初の一回だけ。それからは周りに流されてだんだんあの子を邪険に扱うようになった。あの子もたった一言のために何年も頑張り続けて。それなら私があの子に唯一欠けてるものを授けようと思ったの。親の愛よ」
それを聞いたビクトールは吐きそうな顔になって言い返した。
「どうだか。愛と自己犠牲だけであの書置きを残すとは思えない。魔法使いとして前人未到の高みに到達したいという野心と我欲しか感じ取れなかった」
「それが分かるのは、あなたも同じ思いをしたからでしょう?」
ここでアレクサンドラの笑みが深くなった。
「リリアーナの中からあなたのことずっと見ていたわ。スラム街の貧民に強大な魔力を与えるなんて神様も遊びが過ぎるわね。この世界では生きづらさしかなかったんじゃない? あなたがここにいるということは、私の思考をトレースしてきたはずよ。そこでどう思った? さっき言った野心と我欲があなたの中にも芽生えなかった? ただの聖人君子ならここまでたどり着けないはず」
ビクトールは言葉に詰まったままアレクサンドラを睨みつけた。彼女の甘い声が全身に絡みつくようだ。この態度で答えは分かったようなものだった。
「私は肉体から解放されたから今は好きなことが言える。生前より欲望に忠実になれるの。あなたも私と一緒にここに留まらない? そうすればリリアーナとずっと一緒にいられるわよ? 現実の世界では最下層の平民と公爵令嬢が結ばれるなんてあり得ないけど。わたしたちは似た者同士。この世界はわたしたちには小さすぎる。魔力を解放した先の世界を見たくない?」
「ふざけるな! 青の魔女め!」
ビクトールは雑念を振り払うかのように声を振り絞って拒絶した。
「そんなことのために来たんじゃない。王太子の呪いを解いて欲しい。そしてリリアーナを解放してくれ。このままでは家の監視下に置かれたまま自由を手にできない。それを言うためにここまで来た」
「王太子? ああ、あの坊やね。あんなのどうでもいいじゃない」
アレクサンドラは急に冷淡な態度になって椅子に深く座り込んだ。
「娘を捨てた男が何だって? ずっと寝てればいいのよ。国王だって呪いを解く方法を知ってるはずよ。リリアーナと結婚させればいいだけ。分かってるのにそれをしないんだから自業自得以外の何物でもないわ」
「リリアーナにとっても酷だろう。もう王太子から心が離れてるんだから」
「でも私はそういう風に未来を設計したの。運命に逆らったから呪いが発動したのよ」
「やっぱりあんた変だ……未来を設計するなんて……神でもないのに」
ビクトールは呟くように言ったが、アレクサンドラは無視して別のことを言い出した。
「そうだ。あなた私がいつ王太子に呪いをかけたか知ってる?」
「おそらく生まれたばかりの王太子に加護を与えた時だろう。あの時既に自分の娘と結婚させるつもりだったんだ。加護を与える振りをして、娘と結婚しなければ呪いを発動する術を密かにかけた」
「すごーい! あなた天才ね! ますます欲しくなっちゃったわ」
アレクサンドラは少女のようにはしゃぎながら言った。
「じゃ、もう一つ。リリアーナにかけた守護魔法のことはいつ知ったの? あの子は知らないはずだけど」
「前にリリアーナの記憶を覗かせてもらった時に何があったかは把握した。本来は守護魔法と引き換えに術者の命もこと切れるはずだが、あんたはリリアーナの中に入り込むことに成功した。これが死の真相だ。本人は記憶を抜かれて覚えてないらしいが」
「経皮吸収されるあの薬使ったの? あなたたちもうそんな仲なのね。あの子の頭の中身が全て分かるわけじゃないからそこまでとは知らなかった。裸を見られるより恥ずかしかったでしょうね」
アレクサンドラはそう言うと、コロコロと愉快そうに笑った。
「元々守護魔法はそれなりの魔力がないと発動しないだろう? なぜそれを魔力の少ないリリアーナにかけた? あんたの守護魔法はあんたの魔力でしか正常に発動しないはずだけど、二人が結婚して魔力が開放されれば問題ないと思った?」
「まあそんなとこね。それに、リリアーナの思念に入ってしまえば誰にも邪魔されないと思ったの。まさか危険を顧みずここまで来る人間が本当に現れるとは思わなかったわ。王太子と結婚すれば私が顕現する仕組みになっていてリリアーナは強大な魔力を手にすることになる。もう誰にも欠陥品なんて言わせない。完璧な守護魔法を手にしたこの国の支配者のできあがり。そのはずだったんだけど」
「でもそうはならなかった。王太子がリリアーナを裏切ったから。このままでいいのか? せっかく念入りに準備をしたのに結局王太子が眠りこけただけ。命を懸けてまで準備した魔法は不発に終わった」
「あら、まだ終わりじゃないわ。あなたがいるじゃないの。わざわざ私を追いかけてくれたあなたが」
アレクサンドラの宝石のような青の瞳に射抜かれ、ビクトールは思わず身がすくんだ。金縛りにあったかのように動けなくなる。これは魔法ではない、ただひたすらアレクサンドラが怖いだけだ。ビクトールは自分にそう言い聞かせた。
「ここまで来てくれた天才魔術師さん。世界の誰もが認めなくても私が認めるわ。人間ごときにあなたの凄さは理解できない。私一人では覆せない理もあなたが協力してくれれば可能になる、力を顕現できるはずだわ。肉体は抹消されても、私と融合することでリリアーナを通して世界を統べることができるのよ」
それを聞いたビクトールは吐きたい気持ちになったが、冷静さを装ってアレクサンドラに向き合った。
「そんなことにはならない。俺がここであんたを仕留める。そのために来たんだから」
ビクトールは白い顔をしたまま、懐から杖を取り出した。
「リリアーナの中のあんたを葬って呪いの連鎖を断ち切る。そうでないと彼女が本当の意味で自由になれない。頼む。もう解放してやってくれ」
「そんなことが可能だと思ってるの? しかも相手はこの私よ? それに、私に手を掛けたらあなたの存在も消えるの。知ってるでしょ、この魔法薬の効能。リリアーナの思念に干渉した者は、その代償として現世の存在を抹消され、誰の記憶にも残らなくなる。あなたは最初から存在しない前提で世界は塗り替えられる。だからこの魔法は禁断扱いになっているのよ」
そう言うと、アレクサンドラは安楽椅子から立ち上がってビクトールをじっと見据えた。彼女の豊かな金髪がヘビのようにずるずると伸びて、ビクトールの身体に巻き付く。そのまま彼の身体は宙に浮き、おびただしい量の髪の毛に締め付けられ息もできなくなった。
「あんたのレシピ通りに作ると思ったか? そんな芸のないことするわけじゃないか。レシピを改良するのは得意なんだ」
「じゃあやってみれば? いくらあなたでも可能かしら?」
骨がきしみ、痛みと圧迫で気が遠くなりかけながら、無理やり笑みを作ってビクトールは反論したが、アレクサンドラはそんな彼の様子が面白いらしく余裕の表情を浮かべながら煽って来た。ビクトールは思わずかっとなったが、言われた通り確かに勝算があるわけではない。何せ試用すらできない薬なのだ。一発勝負で決めなければいけないなんていくらビクトールでも不可能に近い。彼女はどうやって正しいレシピにたどり着いたのだろう。
お互い睨みあったまま膠着状態が続いていたが、別の方向から余りにも意外な声が聞こえてきた。
「ビクトール! お母様! これは一体どういうことなの!?」
その一言でビクトールの拘束が解かれ、彼はドスンと地面に落とされた。後ろを振り返るとリリアーナがそこに立っていた。理論上は彼女の思念の中に本人が現れるはずはないのに。ビクトールはすっかり驚いて、身体の痛みも忘れるほど動揺した。
「どうやってここに来た?」
「あなた蝶を飛ばしてくれたじゃないの。ビクトールが出した蝶ってすぐ分かったわ。それを追ったらここに着いたのよ。それより、さっき変なこと言ってなかった?」
リリアーナはビクトールに駆け寄って、彼が起きるのに手を貸しながら答えた。あの小さい少女が成長してここに来たということだろうか。ビクトールは目の前の現実を整理しようと、急いで頭を巡らせた。
「研究者の悪い癖ね。まずは目の前の現実に対処しなさい。考えることなら後でもできるんだから」
アレクサンドラは、ビクトールの脳内を覗いたかのようなことを言った。
「お母様これはどういうことですか? どうか教えてください」
「やっぱりリリアーナに本当のことを言わなかったのね。そうでなければこんな恐ろしいこと認めてくれるわけないものね」
アレクサンドラはビクトールからリリアーナに視線を移し、この上なく慈愛に満ちた笑みを浮かべながら言った。
「久しぶり、リリアーナ。感動の親子の再会じゃないの。どうしてもっと喜んでくれないの?」
**********
続きが気になったらお気に入り登録お願いします。感想もいただけると嬉しいです!
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
死亡予定の脇役令嬢に転生したら、断罪前に裏ルートで皇帝陛下に溺愛されました!?
六角
恋愛
「え、私が…断罪?処刑?――冗談じゃないわよっ!」
前世の記憶が蘇った瞬間、私、公爵令嬢スカーレットは理解した。
ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢であり、婚約者のアルフォンス王太子に断罪される未来しかないことを!
その元凶であるアルフォンス王太子と聖女セレスティアは、今日も今日とて私の目の前で愛の劇場を繰り広げている。
「まあアルフォンス様! スカーレット様も本当は心優しい方のはずですわ。わたくしたちの真実の愛の力で彼女を正しい道に導いて差し上げましょう…!」
「ああセレスティア!君はなんて清らかなんだ!よし、我々の愛でスカーレットを更生させよう!」
(…………はぁ。茶番は他所でやってくれる?)
自分たちの恋路に酔いしれ、私を「救済すべき悪」と見なすめでたい頭の二人組。
あなたたちの自己満足のために私の首が飛んでたまるものですか!
絶望の淵でゲームの知識を総動員して見つけ出した唯一の活路。
それは血も涙もない「漆黒の皇帝」と万人に恐れられる若き皇帝ゼノン陛下に接触するという、あまりに危険な【裏ルート】だった。
「命惜しさにこの私に魂でも売りに来たか。愚かで滑稽で…そして実に唆る女だ、スカーレット」
氷の視線に射抜かれ覚悟を決めたその時。
冷酷非情なはずの皇帝陛下はなぜか私の悪あがきを心底面白そうに眺め、その美しい唇を歪めた。
「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」
その日から私の運命は激変!
「他の男にその瞳を向けるな。お前のすべては私のものだ」
皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!?
その頃、王宮では――。
「今頃スカーレットも一人寂しく己の罪を反省しているだろう」
「ええアルフォンス様。わたくしたちが彼女を温かく迎え入れてあげましょうね」
などと最高にズレた会話が繰り広げられていることを、彼らはまだ知らない。
悪役(笑)たちが壮大な勘違いをしている間に、最強の庇護者(皇帝陛下)からの溺愛ルート、確定です!
転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!
木風
恋愛
婚約者に裏切られ、成金伯爵令嬢の仕掛けに嵌められた私は、あっけなく「悪役令嬢」として婚約を破棄された。
胸に広がるのは、悔しさと戸惑いと、まるで物語の中に迷い込んだような不思議な感覚。
けれど、この身に宿るのは、かつて過労に倒れた29歳の女医の記憶。
勉強も社交も面倒で、ただ静かに部屋に籠もっていたかったのに……
『神に愛された強運チート』という名の不思議な加護が、私を思いもよらぬ未来へと連れ出していく。
子供部屋の安らぎを夢見たはずが、待っていたのは次期国王……王太子殿下のまなざし。
逃れられない運命と、抗いようのない溺愛に、私の物語は静かに色を変えていく。
時に笑い、時に泣き、時に振り回されながらも、私は今日を生きている。
これは、婚約破棄から始まる、転生令嬢のちぐはぐで胸の騒がしい物語。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、Wednesday (Xアカウント:@wednesday1029)さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎子供部屋悪役令嬢 / 木風 Wednesday
転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした
ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!?
容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。
「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」
ところが。
ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。
無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!?
でも、よく考えたら――
私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに)
お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。
これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。
じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――!
本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。
アイデア提供者:ゆう(YuFidi)
URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる