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第6話 かがやく湖水
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それから3日後の天気のいい日、ビアトリスとエリオットは、家の周りの森を散策することになった。長いひきこもり生活だったエリオットが、いよいよ外の世界に足を踏み出す時がやって来たのだ。彼女と一度約束してしまった以上、もう断ることはできなかった。
「風呂に入ってヒゲも剃った、あとは……おかしなところはないだろうか?」
エリオットは、ハインズに地下室まで姿見を持ってこさせ、自分の姿をくまなくチェックした。人出の多いところに行くわけでもないのに、自分がどう見られるかやけに気になる。服をきちんと着ても、どこかだらしない印象に見えるのは姿勢が悪いせいだろうか。やはり、どこまで行っても垢抜けない自分は欠陥品のように思えてくる。
「どこもおかしいところはありません。強いて言うならば、少々髪の毛が伸びておりますので後ろでまとめるのがよろしいかと。近日中に散髪しましょう」
「鏡で自分の姿を見るのが嫌いなんだ。特に目が合うとぞっとする。だから、地下にいる方が本当は安心するんだけど」
がっくりとうなだれるエリオットを見て、ハインズは何とか励まさなければと考えた。
「何をおっしゃいます? ユージン様と比べるから駄目だと思うだけで、エリオット様もなかなかの男前ですぞ! あれだけ外に出た方がいいと言っても全く聞き入れなかったエリオット様が、奥様の一言であっさり了解されたではないですか! もうこのまま行きましょう!」
「いや、あれは、散歩に出るくらいならいいかなと思っただけで……それに、太陽の光は怖い……全てが暴かれそうな気がする」
ハインズは、「あなたは吸血鬼ですか!」と突っ込みを入れるのを、すんでのところで抑えた。使用人の立場でさすがに言ってはまずいだろうとブレーキがかかったのだ。
ハインズは、まだビアトリスに言ってないことがあった。ユージンのエリオットに対する振る舞いを。以前尋ねられた時は匂わせで終わってしまった。使用人としては何も手出しできなかったが、ユージンはお世辞にも優しい兄とは言えなかった。エリオットの自己否定癖はユージンの影響ではないかと思えるほどである。しかし、当のエリオットはユージンを妄信している。ユージンがどんな魔法を使ったのかは分からないが、二人の関係は他人が割って入ることのできない聖域だった。
ビアトリスは、幅広の麦わら帽子を被ってロビーでエリオットを待っていた。手には重い本が入った鞄と、バスケットを持っている。そして、散歩に行くときは、常にバルーンのように膨らんだデザインのズボン姿だ。ここでは、誰もこの格好をとがめる者はいない。しばらくして、ぎこちない歩き方でこちらにやって来るエリオットを認め、弾んだ声を上げた。
「あ! よかった、来てくれないかと思った! 髪の毛まとめたのね。よく似合ってますよ!」
まさか、自分の外見を褒められるとは思ってなかったエリオットは、先制攻撃を受けてたじたじとなってしまった。攻撃した覚えはないビアトリスは、一体何事かと小首をかしげる。
「じゃあ行こうか……あれ、重そうな物持っているけど何それ?」
「ああ、先日借りた本よ。外へ持ちだしてはいけないものなら置いていくけど」
「別に構わないけど、重そうだから僕が持つよ」
エリオットは、男性の中では弱い部類に入るが、それでも女性のビアトリスよりはましだ。一応ここは男の自分が荷物を肩代わりしてやろうと思った。
「ありがとうございます! じゃなくてありがとう! ごめんなさい、ついつい敬語が出てしまって」
「無理に直さなくてもいいよ。慣れてくれば自然に変わると思うから」
そうは言うものの、エリオットもかなり無理して合わせている。何せ、若い女性と会話することに慣れてないのだから仕方ない。しかも、それが妻だとは、正直なところまだ現実を受け止め切れてない。
二人は屋敷を出て外へ足を踏み出した。この日は、雲間から時折太陽が顔を覗かせる天気だったが、それでも暗がりになれたエリオットにはまぶしすぎる。いつまでも目が慣れなくて大変だった。
「今日は初めてだから近いところにしたの。歩いて5分くらいのところに小さな湖があるでしょ。そこまで散歩しましょう」
「湖……家の側に湖なんてあったのか、いやあった気がする。引きこもりになる前に行った気がする」
エリオットは呟くように言った。
「覚えてる? 最初だからそんな遠くじゃないとこにしたけど?」
「うん。おぼろげながら。ビアトリスはこの土地に馴染もうとしてて偉いね。自分とは大違いだ」
「そんな、急にネガティブにならないでよ」
ビアトリスはエリオットを励ましながら歩いたが、「やっぱり家に戻る」と途中でへそを曲げられないかと気が気でなかった。彼にとって、自分の存在は、平穏な生活に風穴を開けに来た異分子だろう。下手に彼の気分を害して、この快適な環境を壊したくないという気持ちも少しある。しかしそれでも、地下室にこもったままでは彼の秘めた可能性を潰してしまうような気がする。名ばかりの妻でも何かしてあげたい。
そんなことを考えていたら、エリオットがふと立ち止まり、胸の辺りを押さえた。
「あら、もしかして疲れてしまった? それなら戻りましょうか?」
「いや、いい。そうじゃない。ただ、心が辛くなってしまって。今になって、全てのことを先送りしてきたツケが回って来た。外を歩くだけなのに、自分は駄目だ、自分は駄目だとそんなことばかり考えてしまって。もう何が駄目かすら分からなくなって、そんな自分がとてつもなく惨めに思えて、駄目駄目ループに入ってしまった」
必死で訴えるエリオットの顔を、ビアトリスはじっと見つめていたが、やがてぷっと吹き出してしまった。
「駄目駄目ループって! 面白い表現ね!」
その言葉がツボに入ってしまったらしく、ビアトリスはしばらくお腹を抱えて笑っていた。その様子を見ていたら、自分の悩み事がそれほど大したものではないように思えてくるから不思議だ。彼自身も、あれ? こんなもんだっけ? と思いかける。
「笑ってごめん。でも、私も分かる。小説を投稿していた頃はそんな感じだったから。それなら手を取りましょうか? そこの角を曲がったらもう見えてくるから一緒に歩きましょう」
ビアトリスはそう言うと、エリオットの手をつかんで、有無を言わさずすたすたと歩き出した。エリオットは呆気に取られたまま引っ張られる。やがて、ビアトリスの言っていた湖が見えてきた。
「ほら、視界が広がっていい景色でしょう! これで任務完了! ミッションコンプリート! おめでとうございます!」
突然表れた湖に目を凝らすエリオットを眺めながら、ビアトリスはニカッと笑って見せた。
「うん……きれいだ……こんな近くにこんな場所があるなんて知らなかった。知ろうともしなかった」
エリオットは、しばらくその場から動けなかった。木々に囲まれた視界がぱっと開け、突然別の場所に来た感じがする。水のせせらぎが耳をくすぐり、少し汗ばんだ頬を涼しい風がなでる。本で「かがやく湖水」という言葉を見たことがあるが、きっとこんな感じだったのだろうか。
「今まで知らなかったなら、これから知ればいいだけよ。ずっと地下室でジメジメしていたんだから、日干しして乾燥させないと。本だってカビ生えちゃうでしょう? それと同じ」
本と一緒にされて、エリオットも思わず笑ってしまったが、確かにその通りだ。
「確かに、僕の心にはカビが生えている。日当たりのいい場所に出たからってよくなるわけじゃないけど、それでもその方がいいのかな?」
s
「カビの生えている人が小説なんて書けるわけがないでしょ。でも、執筆する環境としては、明るいところの方がいいと思う」
何でだろう、今まで絶対に地下室から出ようと思わなかったのに、ビアトリスの助言だところっと聞いてしまいそうになる。このまま彼女のペースに流されそうで怖い。
「じゃあ、日干しするついでに髪の毛も切った方がいいかな。これじゃむさくるしいでしょ?」
「まあ、毛先を揃えるくらいならいいいけど……今の感じ好きだけどな? 陰のある文学青年ぽいし」
「ぶ、文学青年!? この家にある鏡全部壊したいと思っていたんだけど」
「気にしすぎよ! 私だって人の容姿をとやかく言えるほど美人じゃないし」
「えっ? そうなの? ビアトリスはなかなかかわいいと思うけど!?」
ビアトリスは、柄にもないことを言われ頬を染めた。二人ともしばらくそうやってもじもじしていたが、やがてどちらかともなくぷっと吹き出す。
「二人して同じこと考えていたなんておかしい! 私ね、昔、『紅の梟』とは別のところに恋愛小説を投稿したことがあるんだけど、『主人公を美男美女にすべし』って講評が返って来たの。現実は、美男美女の方が少ないのに変だと思わない? どうしてだろうって考えたら、みんな恋愛をしている間は自分を美化してるからと思い当たったのよ!」
それを聞いたエリオットは、腹を抱えて笑った。
「君の言う通りだ! 確かに美男美女ばかりじゃないのに、恋愛小説に出てくる男女はみな容姿がいい……それに誰も文句言わないのは、冷静に考えたらおかしいね!」
ついさっきまで心の中にあった重苦しい考えは、大笑いしたことで跡形もなく消え去った。そう言えば、声を出して笑ったのはいつが最後だっただろう。二人ともここしばらくそんな経験がなかったことに気付いた。
「ねえ、また二人でこの近くを歩きましょうよ。この散歩が日課になるといいと思うんだけど?」
「うん、また行こう」
こうして若い二人は、元来た道を戻り始めた。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
かがやく湖水って赤毛のアンが元ネタだよねと気付いたら清き一票をお願いします!
「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
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エリオットは、ハインズに地下室まで姿見を持ってこさせ、自分の姿をくまなくチェックした。人出の多いところに行くわけでもないのに、自分がどう見られるかやけに気になる。服をきちんと着ても、どこかだらしない印象に見えるのは姿勢が悪いせいだろうか。やはり、どこまで行っても垢抜けない自分は欠陥品のように思えてくる。
「どこもおかしいところはありません。強いて言うならば、少々髪の毛が伸びておりますので後ろでまとめるのがよろしいかと。近日中に散髪しましょう」
「鏡で自分の姿を見るのが嫌いなんだ。特に目が合うとぞっとする。だから、地下にいる方が本当は安心するんだけど」
がっくりとうなだれるエリオットを見て、ハインズは何とか励まさなければと考えた。
「何をおっしゃいます? ユージン様と比べるから駄目だと思うだけで、エリオット様もなかなかの男前ですぞ! あれだけ外に出た方がいいと言っても全く聞き入れなかったエリオット様が、奥様の一言であっさり了解されたではないですか! もうこのまま行きましょう!」
「いや、あれは、散歩に出るくらいならいいかなと思っただけで……それに、太陽の光は怖い……全てが暴かれそうな気がする」
ハインズは、「あなたは吸血鬼ですか!」と突っ込みを入れるのを、すんでのところで抑えた。使用人の立場でさすがに言ってはまずいだろうとブレーキがかかったのだ。
ハインズは、まだビアトリスに言ってないことがあった。ユージンのエリオットに対する振る舞いを。以前尋ねられた時は匂わせで終わってしまった。使用人としては何も手出しできなかったが、ユージンはお世辞にも優しい兄とは言えなかった。エリオットの自己否定癖はユージンの影響ではないかと思えるほどである。しかし、当のエリオットはユージンを妄信している。ユージンがどんな魔法を使ったのかは分からないが、二人の関係は他人が割って入ることのできない聖域だった。
ビアトリスは、幅広の麦わら帽子を被ってロビーでエリオットを待っていた。手には重い本が入った鞄と、バスケットを持っている。そして、散歩に行くときは、常にバルーンのように膨らんだデザインのズボン姿だ。ここでは、誰もこの格好をとがめる者はいない。しばらくして、ぎこちない歩き方でこちらにやって来るエリオットを認め、弾んだ声を上げた。
「あ! よかった、来てくれないかと思った! 髪の毛まとめたのね。よく似合ってますよ!」
まさか、自分の外見を褒められるとは思ってなかったエリオットは、先制攻撃を受けてたじたじとなってしまった。攻撃した覚えはないビアトリスは、一体何事かと小首をかしげる。
「じゃあ行こうか……あれ、重そうな物持っているけど何それ?」
「ああ、先日借りた本よ。外へ持ちだしてはいけないものなら置いていくけど」
「別に構わないけど、重そうだから僕が持つよ」
エリオットは、男性の中では弱い部類に入るが、それでも女性のビアトリスよりはましだ。一応ここは男の自分が荷物を肩代わりしてやろうと思った。
「ありがとうございます! じゃなくてありがとう! ごめんなさい、ついつい敬語が出てしまって」
「無理に直さなくてもいいよ。慣れてくれば自然に変わると思うから」
そうは言うものの、エリオットもかなり無理して合わせている。何せ、若い女性と会話することに慣れてないのだから仕方ない。しかも、それが妻だとは、正直なところまだ現実を受け止め切れてない。
二人は屋敷を出て外へ足を踏み出した。この日は、雲間から時折太陽が顔を覗かせる天気だったが、それでも暗がりになれたエリオットにはまぶしすぎる。いつまでも目が慣れなくて大変だった。
「今日は初めてだから近いところにしたの。歩いて5分くらいのところに小さな湖があるでしょ。そこまで散歩しましょう」
「湖……家の側に湖なんてあったのか、いやあった気がする。引きこもりになる前に行った気がする」
エリオットは呟くように言った。
「覚えてる? 最初だからそんな遠くじゃないとこにしたけど?」
「うん。おぼろげながら。ビアトリスはこの土地に馴染もうとしてて偉いね。自分とは大違いだ」
「そんな、急にネガティブにならないでよ」
ビアトリスはエリオットを励ましながら歩いたが、「やっぱり家に戻る」と途中でへそを曲げられないかと気が気でなかった。彼にとって、自分の存在は、平穏な生活に風穴を開けに来た異分子だろう。下手に彼の気分を害して、この快適な環境を壊したくないという気持ちも少しある。しかしそれでも、地下室にこもったままでは彼の秘めた可能性を潰してしまうような気がする。名ばかりの妻でも何かしてあげたい。
そんなことを考えていたら、エリオットがふと立ち止まり、胸の辺りを押さえた。
「あら、もしかして疲れてしまった? それなら戻りましょうか?」
「いや、いい。そうじゃない。ただ、心が辛くなってしまって。今になって、全てのことを先送りしてきたツケが回って来た。外を歩くだけなのに、自分は駄目だ、自分は駄目だとそんなことばかり考えてしまって。もう何が駄目かすら分からなくなって、そんな自分がとてつもなく惨めに思えて、駄目駄目ループに入ってしまった」
必死で訴えるエリオットの顔を、ビアトリスはじっと見つめていたが、やがてぷっと吹き出してしまった。
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ビアトリスはそう言うと、エリオットの手をつかんで、有無を言わさずすたすたと歩き出した。エリオットは呆気に取られたまま引っ張られる。やがて、ビアトリスの言っていた湖が見えてきた。
「ほら、視界が広がっていい景色でしょう! これで任務完了! ミッションコンプリート! おめでとうございます!」
突然表れた湖に目を凝らすエリオットを眺めながら、ビアトリスはニカッと笑って見せた。
「うん……きれいだ……こんな近くにこんな場所があるなんて知らなかった。知ろうともしなかった」
エリオットは、しばらくその場から動けなかった。木々に囲まれた視界がぱっと開け、突然別の場所に来た感じがする。水のせせらぎが耳をくすぐり、少し汗ばんだ頬を涼しい風がなでる。本で「かがやく湖水」という言葉を見たことがあるが、きっとこんな感じだったのだろうか。
「今まで知らなかったなら、これから知ればいいだけよ。ずっと地下室でジメジメしていたんだから、日干しして乾燥させないと。本だってカビ生えちゃうでしょう? それと同じ」
本と一緒にされて、エリオットも思わず笑ってしまったが、確かにその通りだ。
「確かに、僕の心にはカビが生えている。日当たりのいい場所に出たからってよくなるわけじゃないけど、それでもその方がいいのかな?」
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何でだろう、今まで絶対に地下室から出ようと思わなかったのに、ビアトリスの助言だところっと聞いてしまいそうになる。このまま彼女のペースに流されそうで怖い。
「じゃあ、日干しするついでに髪の毛も切った方がいいかな。これじゃむさくるしいでしょ?」
「まあ、毛先を揃えるくらいならいいいけど……今の感じ好きだけどな? 陰のある文学青年ぽいし」
「ぶ、文学青年!? この家にある鏡全部壊したいと思っていたんだけど」
「気にしすぎよ! 私だって人の容姿をとやかく言えるほど美人じゃないし」
「えっ? そうなの? ビアトリスはなかなかかわいいと思うけど!?」
ビアトリスは、柄にもないことを言われ頬を染めた。二人ともしばらくそうやってもじもじしていたが、やがてどちらかともなくぷっと吹き出す。
「二人して同じこと考えていたなんておかしい! 私ね、昔、『紅の梟』とは別のところに恋愛小説を投稿したことがあるんだけど、『主人公を美男美女にすべし』って講評が返って来たの。現実は、美男美女の方が少ないのに変だと思わない? どうしてだろうって考えたら、みんな恋愛をしている間は自分を美化してるからと思い当たったのよ!」
それを聞いたエリオットは、腹を抱えて笑った。
「君の言う通りだ! 確かに美男美女ばかりじゃないのに、恋愛小説に出てくる男女はみな容姿がいい……それに誰も文句言わないのは、冷静に考えたらおかしいね!」
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「ねえ、また二人でこの近くを歩きましょうよ。この散歩が日課になるといいと思うんだけど?」
「うん、また行こう」
こうして若い二人は、元来た道を戻り始めた。
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