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第28話 華やかなる賭け
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どれくらいそうしていただろう。もう止めることもできず、エリオットの愛撫は更に深いところへ進もうとしていた。
と、その時。玄関のドアが開いて、アンジェリカが帰って来る音が聞こえた。
「ただいま。あれ、エリオット来てたの? ここ来るの初めてじゃない?」
玄関から音が聞こえた瞬間二人はぱっと離れ、何もなかったかのように振舞った。でも、息は整っておらず頬が上気したままなので、アンジェリカも流石に何かおかしいと気づく。
「やあ、アンジェリカ。こないだはどうも。たまたまビアトリスと街で会って、家に立ち寄らせてもらったんだ。そろそろ仕事に戻らないといけないから帰ろうかな?」
「あら、エリオット。仕事は終わったんじゃないの?」
「いや、締め切り近いから。これでも僕が会社に顔出すようになって仕事がしやすくなったんだ」
エリオットとビアトリスがその場を取り繕う三文芝居を繰り広げている間にも、アンジェリカは目を細めてじっと二人を眺めていた。
「じゃあ、またね。兄さんによろしく言っといて」
アンジェリカは、一応そう言って気付かない振りをしてあげた。しかし、エリオットがいなくなると我慢の限界を迎え、ビアトリスを質問攻めにした。
「ちょっと、そういうことなら前もって言ってよ! 遅く帰ったり家に戻ったりするから! 水臭いじゃないのよ!」
「本当にそんなんじゃないから! 変に勘繰らないでよ!」
「何言ってんのよ! あなた達夫婦なのよ! そういうことがない方がおかしいのよ!」
そう言われて、ビアトリスはぴたっと止まった。
「え……そうなるの?」
きょとんとして尋ねるビアトリスを見て、アンジェリカは深いため息をつく。
「当たり前じゃない。まさかとは思うけど、子供はコウノトリが運んでくるとまだ信じてないよね?」
「それくらい知ってるわよ! 子供じゃないんだから!」
「じゃあ、いい加減次の段階に進みなさいよ! いつまでおままごとやってるのよ!」
「そ、それは……」
そう言われてビアトリスは答えに窮した。確かに自分とエリオットはおままごと夫婦である。彼のことは嫌いじゃない。むしろ大好きなのに。でもこの先どうしたらいいか分からない。さっきは、アンジェリカが邪魔しなければ行く所まで行っただろう。あの時は流れに身を任せてしまえと思っていた。でも今は。改めて考えると恥ずかしい。とても恥ずかしい。
そこまで考えた時、その場にいるのがいたたまれなくなり、脱兎のごとく部屋を飛び出し自室に閉じこもってしまった。アンジェリカはそれを見て更に深いため息をついた。
**********
「……と、こういうわけなのよ。兄さんからもエリオットに言ってやってよ」
「俺が何を言えるんだよ? こういうのは当人同士が何とかしなきゃ意味ないだろ?」
数日後、久しぶりに家に帰ったアンジェリカは、兄のセオドアを捕まえてビアトリスとエリオットのことを相談した。この家にはエリオットも居候中だが、もちろん彼にはこの会話を聞かれないようにしている。
「あの二人に任せていたらいつまでも進展しないわよ。夫婦なのに子供みたいな認識しかないのは、どう見てもおかしいわよ? 何らかの介入が必要よ!」
「ほう。お前、普段は伝統的結婚観がどうのこうのと言ってるじゃないか。それならエリオットとビアトリスみたいな夫婦の在り方もあっていいんじゃないのか?」
「それとこれとは別! 女権拡張運動は確かに大事だけど、私の主義主張をビアトリスに押し付ける気はないの。彼女は私の価値観を否定しないから、私も彼女の価値観を尊重するだけ。ただ、あの子は今のおままごと夫婦みたいな状況は望んでないと思う。エリオットとの関係を進展させたいに違いないわ。友人として傍で見てるともどかしくて」
「それにしたって他人が介入するのは野暮ってもんだよ。大丈夫、エリオットも男だ。本当は我慢できなくてうずうずしてるはずさ。せめて仕事面が順調になれば違うんだろうけど……」
「え? 今仕事が行き詰まってるの?」
「資金面で目途がつかないんだよ。エリオットからの援助を兄貴が切ってしまっただろう? それでスポンサー探しをしてるんだが、あともう少しというところで立ち往生している。うちは、投稿雑誌では最大手だから何とかなると思ったんだけど、見込みが甘かったな。せめて一社見つかれば目途は立つんだけど」
アンジェリカはそれを聞いて、少し考えてから口を開いた。
「それ、ビアトリスに教えないほうがいい? これ以上エリオットのことで心配させない方がいいかしら?」
「うん? 別にいいんじゃない? ただ、ビアトリスどうにかできる問題じゃないと思うけど」
そう言って、セオドアは途方に暮れた様子で頭をかいた。
**********
マークは宣言通り、仕事が終わってからビアトリスを誘ってこぢんまりした洒落たレストランへと連れて行った。彼女の連載作家デビュー記念だ。格式は高くないが、ちょっとしたお祝いをするのにちょうどいい場所で、マークのセンスの良さをうかがわせる。ここまでのおぜん立てをしてもらって、浮足立つなという方が無理だった。
「まずは乾杯と行こう。未来の大作家様に」
「ちょっとやめてください。いくら何でもお世辞が過ぎますよ」
ビアトリスは、冗談を受け流せなくて、顔を赤くして否定した。仕事帰りなので服装は変えてないが、せっかくだから一回着替えてくればよかったかなと考え慌てて否定した。本当は既婚者なのにそんなことを考える自分が恥ずかしい。それに、マークに真実を隠している後ろめたさもある。
「お世辞じゃないよ。うちが君を見つけられたのは運がいいと思う。他に取られなくてよかった」
それは「紅の梟」のことを指しているのだろうか。ビアトリスは変にどぎまぎした。
「正直言って、競合他社のことをどう思ってますか? よく『紅の梟』と比べられることが多いですが?」
「周りからはライバル同士と見られることも多いけど、実際のところ、対抗意識を燃やして張り合ってるつもりはないんだよ。向こうも多分同じじゃないかな。僕たちはみな、それぞれ作風が違ってて、住み分けができてるからね。お互いのテリトリーを荒らすことはしない。それに、小説を書く人が増えた方が界隈全体も発展するんだ。だから、色んな会社から違う雑誌が出ているのは、プラスにこそなれ、マイナスには決してならない」
それを聞いてビアトリスはほっとした。「紅の梟」の編集長の関係者である自分が「楡の木」に出入りしていることを、密かに後ろめたく思っているのだ。エリオットは、誰かをライバル視するような人ではないのは聞かなくても分かるが、マークも似たような考えであると知れて安心する。そのせいか、つい油断したビアトリスは、先日アンジェリカから聞いた話題をぽろっと漏らしてしまった。
「それじゃ、もし、ライバル誌が廃刊の危機にあるとしたらどう思います?」
マークは、妙な話題を振られたことが疑問だったらしく、ん? と眉をしかめた。
「あ、あのですね! アンジェから聞いた話なんですが、『紅の梟』が今ちょっとまずいらしくて、長年とある貴族からの寄付を受けていたんですが、それが途絶えてしまったらしいんです。それで、スポンサーを募っているんですが、なかなか集まらないらしくて……『楡の木』はどうやってスポンサーを集めたんですか?」
「ああ、うちも最初はそれで苦労したよ。とにかく人海戦術で頼れる伝手をくまなく当たるしかなかったな。お陰で今は信頼できるルートをいくつか確保している」
「そうですか……」
ビアトリスは、半ば上の空で返事をした。もう少しで「そのルート分けてください!」と言ってしまいそうになる。流石に厚かましくて口にはできないが、本当のところ喉から手が出るほど欲しい。その葛藤に悩まされ、食事が喉を通らなくなってしまった。
「なんでビアトリスがそんなに悩んでいるの?」
「え? ええ。いえ、向こうがすごく困っているとアンジェから聞いているので。彼女とは友達ですし、力になってあげたいんです」
ビアトリスの声色に必死さを感じたマークは、何を考えたか、悪戯を企むような表情になり、奇妙な提案をしてきた。
「ふむ、そうか。僕が助けてやれないこともないけど、ただじゃつまらない。一つ賭けをしてみよう。次の号で今月号より部数がよかったら、『紅の梟』にスポンサーを紹介してやろう。どう? これならビアトリスも仕事のやる気が出るんじゃない?」
「もちろんです! ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべるビアトリスに、マークは苦笑しながら答えた。
「いいや、まだ決まった訳じゃないよ。全ては君の小説の手ごたえに懸かっている。今月は業績よかったからそれを上回るのは簡単じゃないぞ」
「読者が期待する続きを書ければいいってことですよね! 私頑張ります!」
マークが出した条件にもひるむことなく、笑顔全開で張り切るビアトリスを、マークは微笑ましく眺めていた。
★★★
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「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
と、その時。玄関のドアが開いて、アンジェリカが帰って来る音が聞こえた。
「ただいま。あれ、エリオット来てたの? ここ来るの初めてじゃない?」
玄関から音が聞こえた瞬間二人はぱっと離れ、何もなかったかのように振舞った。でも、息は整っておらず頬が上気したままなので、アンジェリカも流石に何かおかしいと気づく。
「やあ、アンジェリカ。こないだはどうも。たまたまビアトリスと街で会って、家に立ち寄らせてもらったんだ。そろそろ仕事に戻らないといけないから帰ろうかな?」
「あら、エリオット。仕事は終わったんじゃないの?」
「いや、締め切り近いから。これでも僕が会社に顔出すようになって仕事がしやすくなったんだ」
エリオットとビアトリスがその場を取り繕う三文芝居を繰り広げている間にも、アンジェリカは目を細めてじっと二人を眺めていた。
「じゃあ、またね。兄さんによろしく言っといて」
アンジェリカは、一応そう言って気付かない振りをしてあげた。しかし、エリオットがいなくなると我慢の限界を迎え、ビアトリスを質問攻めにした。
「ちょっと、そういうことなら前もって言ってよ! 遅く帰ったり家に戻ったりするから! 水臭いじゃないのよ!」
「本当にそんなんじゃないから! 変に勘繰らないでよ!」
「何言ってんのよ! あなた達夫婦なのよ! そういうことがない方がおかしいのよ!」
そう言われて、ビアトリスはぴたっと止まった。
「え……そうなるの?」
きょとんとして尋ねるビアトリスを見て、アンジェリカは深いため息をつく。
「当たり前じゃない。まさかとは思うけど、子供はコウノトリが運んでくるとまだ信じてないよね?」
「それくらい知ってるわよ! 子供じゃないんだから!」
「じゃあ、いい加減次の段階に進みなさいよ! いつまでおままごとやってるのよ!」
「そ、それは……」
そう言われてビアトリスは答えに窮した。確かに自分とエリオットはおままごと夫婦である。彼のことは嫌いじゃない。むしろ大好きなのに。でもこの先どうしたらいいか分からない。さっきは、アンジェリカが邪魔しなければ行く所まで行っただろう。あの時は流れに身を任せてしまえと思っていた。でも今は。改めて考えると恥ずかしい。とても恥ずかしい。
そこまで考えた時、その場にいるのがいたたまれなくなり、脱兎のごとく部屋を飛び出し自室に閉じこもってしまった。アンジェリカはそれを見て更に深いため息をついた。
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「……と、こういうわけなのよ。兄さんからもエリオットに言ってやってよ」
「俺が何を言えるんだよ? こういうのは当人同士が何とかしなきゃ意味ないだろ?」
数日後、久しぶりに家に帰ったアンジェリカは、兄のセオドアを捕まえてビアトリスとエリオットのことを相談した。この家にはエリオットも居候中だが、もちろん彼にはこの会話を聞かれないようにしている。
「あの二人に任せていたらいつまでも進展しないわよ。夫婦なのに子供みたいな認識しかないのは、どう見てもおかしいわよ? 何らかの介入が必要よ!」
「ほう。お前、普段は伝統的結婚観がどうのこうのと言ってるじゃないか。それならエリオットとビアトリスみたいな夫婦の在り方もあっていいんじゃないのか?」
「それとこれとは別! 女権拡張運動は確かに大事だけど、私の主義主張をビアトリスに押し付ける気はないの。彼女は私の価値観を否定しないから、私も彼女の価値観を尊重するだけ。ただ、あの子は今のおままごと夫婦みたいな状況は望んでないと思う。エリオットとの関係を進展させたいに違いないわ。友人として傍で見てるともどかしくて」
「それにしたって他人が介入するのは野暮ってもんだよ。大丈夫、エリオットも男だ。本当は我慢できなくてうずうずしてるはずさ。せめて仕事面が順調になれば違うんだろうけど……」
「え? 今仕事が行き詰まってるの?」
「資金面で目途がつかないんだよ。エリオットからの援助を兄貴が切ってしまっただろう? それでスポンサー探しをしてるんだが、あともう少しというところで立ち往生している。うちは、投稿雑誌では最大手だから何とかなると思ったんだけど、見込みが甘かったな。せめて一社見つかれば目途は立つんだけど」
アンジェリカはそれを聞いて、少し考えてから口を開いた。
「それ、ビアトリスに教えないほうがいい? これ以上エリオットのことで心配させない方がいいかしら?」
「うん? 別にいいんじゃない? ただ、ビアトリスどうにかできる問題じゃないと思うけど」
そう言って、セオドアは途方に暮れた様子で頭をかいた。
**********
マークは宣言通り、仕事が終わってからビアトリスを誘ってこぢんまりした洒落たレストランへと連れて行った。彼女の連載作家デビュー記念だ。格式は高くないが、ちょっとしたお祝いをするのにちょうどいい場所で、マークのセンスの良さをうかがわせる。ここまでのおぜん立てをしてもらって、浮足立つなという方が無理だった。
「まずは乾杯と行こう。未来の大作家様に」
「ちょっとやめてください。いくら何でもお世辞が過ぎますよ」
ビアトリスは、冗談を受け流せなくて、顔を赤くして否定した。仕事帰りなので服装は変えてないが、せっかくだから一回着替えてくればよかったかなと考え慌てて否定した。本当は既婚者なのにそんなことを考える自分が恥ずかしい。それに、マークに真実を隠している後ろめたさもある。
「お世辞じゃないよ。うちが君を見つけられたのは運がいいと思う。他に取られなくてよかった」
それは「紅の梟」のことを指しているのだろうか。ビアトリスは変にどぎまぎした。
「正直言って、競合他社のことをどう思ってますか? よく『紅の梟』と比べられることが多いですが?」
「周りからはライバル同士と見られることも多いけど、実際のところ、対抗意識を燃やして張り合ってるつもりはないんだよ。向こうも多分同じじゃないかな。僕たちはみな、それぞれ作風が違ってて、住み分けができてるからね。お互いのテリトリーを荒らすことはしない。それに、小説を書く人が増えた方が界隈全体も発展するんだ。だから、色んな会社から違う雑誌が出ているのは、プラスにこそなれ、マイナスには決してならない」
それを聞いてビアトリスはほっとした。「紅の梟」の編集長の関係者である自分が「楡の木」に出入りしていることを、密かに後ろめたく思っているのだ。エリオットは、誰かをライバル視するような人ではないのは聞かなくても分かるが、マークも似たような考えであると知れて安心する。そのせいか、つい油断したビアトリスは、先日アンジェリカから聞いた話題をぽろっと漏らしてしまった。
「それじゃ、もし、ライバル誌が廃刊の危機にあるとしたらどう思います?」
マークは、妙な話題を振られたことが疑問だったらしく、ん? と眉をしかめた。
「あ、あのですね! アンジェから聞いた話なんですが、『紅の梟』が今ちょっとまずいらしくて、長年とある貴族からの寄付を受けていたんですが、それが途絶えてしまったらしいんです。それで、スポンサーを募っているんですが、なかなか集まらないらしくて……『楡の木』はどうやってスポンサーを集めたんですか?」
「ああ、うちも最初はそれで苦労したよ。とにかく人海戦術で頼れる伝手をくまなく当たるしかなかったな。お陰で今は信頼できるルートをいくつか確保している」
「そうですか……」
ビアトリスは、半ば上の空で返事をした。もう少しで「そのルート分けてください!」と言ってしまいそうになる。流石に厚かましくて口にはできないが、本当のところ喉から手が出るほど欲しい。その葛藤に悩まされ、食事が喉を通らなくなってしまった。
「なんでビアトリスがそんなに悩んでいるの?」
「え? ええ。いえ、向こうがすごく困っているとアンジェから聞いているので。彼女とは友達ですし、力になってあげたいんです」
ビアトリスの声色に必死さを感じたマークは、何を考えたか、悪戯を企むような表情になり、奇妙な提案をしてきた。
「ふむ、そうか。僕が助けてやれないこともないけど、ただじゃつまらない。一つ賭けをしてみよう。次の号で今月号より部数がよかったら、『紅の梟』にスポンサーを紹介してやろう。どう? これならビアトリスも仕事のやる気が出るんじゃない?」
「もちろんです! ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべるビアトリスに、マークは苦笑しながら答えた。
「いいや、まだ決まった訳じゃないよ。全ては君の小説の手ごたえに懸かっている。今月は業績よかったからそれを上回るのは簡単じゃないぞ」
「読者が期待する続きを書ければいいってことですよね! 私頑張ります!」
マークが出した条件にもひるむことなく、笑顔全開で張り切るビアトリスを、マークは微笑ましく眺めていた。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
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