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第36話 二人は末永く幸せに暮らしました
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それから更に数か月の時が経った。
「連載終了おめでとう。ビアトリス・ブラッドリーの名は広く知れ渡った。もうどこに出ても恥ずかしくない一人前の作家だ」
「ありがとうございます。編集長にはどれだけお世話になったか分かりません。私一人では不可能でした」
「楡の木」の編集部では、ビアトリスの連載小説の最終回が載った号を刊行したばかりで、お祭りムードになっていた。彼女の小説は人気を博し、好評のうちに幕を閉じた。小説家としても名を上げ、他社からの依頼も来ている。「楡の木」の部数増にも大きく貢献した。
マークだけでなく、他の社員からも次々にお祝いの言葉を言われて、ビアトリスは嬉しいやら恥ずかしいやらだった。しかし、浮かれてばかりもいられない。一通り終わったところで、マークに伝えなければならないことがあった。
「明日から一週間ほど休暇をいただきたいのですが」
「ご主人が退院するんだって?」
「ええ。静養先を引き払って王都に戻って来るんです。その準備をしなきゃいけないし、帰ったら新居も探さなきゃなので」
「そうか。また忙しくなるね。気を付けて行ってらっしゃい」
マークに快く送り出されて、ビアトリスはエリオットが静養している保養地に足を運んだ。エリオットは、病院での治療が終了した後、自然が豊かで空気のきれいな保養所で、体力を回復させるため静養に入った。王都から距離があったが、ビアトリスやセオドアたちは足繁く会いに行った。そんな生活も無事終わり、いよいよ彼が王都に戻って来る。
「やあ、ビアトリス。まだ荷造りが終わらないんだ。荷物が多すぎて」
開口一番、エリオットは困ったように笑いながら言った。顔色もよくなり、体力もほぼ戻っている。毎日欠かさず散歩や運動をしていたため、前よりも健康的になった。
「こっちにまで仕事を持って来ていたものね。部屋ごと移動したようなものね。どうするの、これ?」
ビアトリスは、本と書類まみれの彼の部屋を呆れた表情で眺めた。原稿を書く分には全く支障ないため、エリオットは仕事を静養先に持ち込み、原稿執筆をしていた。郵送で原稿をやり取りするのは地下室にいた時と変わりないので特に不自由はない。仕事に必要な資料を取り寄せているうち、数か月の間に物が溢れかえってしまった。
「どうしよう、ねえ? またセオドアを呼ばなきゃ駄目かな? きっと怒られるだろうな」
そう言いながらもエリオットの表情は明るい。最近、他人に頼る時も負い目に感じなくなってきたようだ。自分を見つめ直すきっかけできて、前より自信がついてきたからだろうとビアトリスは解釈している。変に自分を責めたり、自嘲したりすることが減って来た。
二人でできるところまで整理したあと、気晴らしにと外に散歩にでかけた。この保養地は冬でも温暖で海にも近い。海岸沿いの遊歩道を二人で歩く。エリオットはまだ杖を使用していたが、それもそろそろ必要なくなってきた。
「あれからユージンから連絡は来た?」
開放的な景色につい心を許し、少し聞きにくいことを尋ねてみた。あれからユージンは、エリオットへの傷害と公文書偽造の罪に問われ、裁判にかけられた。高位貴族なので減刑されたが、国外へ逃げ戻って来る見込みはない。社交界のプリンスとうたわれたユージンがこのような事件を引き起こしたと報じられた時は、世間は大層な騒ぎとなった。
「いいや。多分これからもないと思う。これでよかったんだ、二人別々の道を歩むのが」
「本当にそう思う?」
「ああ。長い呪縛から解き放たれた気分だ。兄様のことは別に恨みに思っちゃいない。どこかで幸せに暮らしてくれればと思う」
ビアトリスは彼の顔を覗いたが、本心を隠しているようには見えなかった。彼のさっぱりした表情を見て、ようやく彼女も納得できた。
「それより、そっちの実家も大変だったんじゃないの?」
「うちのことはどうでもいいわよ。ミーガンが、婚約話が解消されたのは私のせいだとか騒ぐんだもの。全くふざけないで欲しいわ!」
「ハハハ。それはとんだとばっちりだね」
「それより大事なことがあった。新しい家の使用人を決めなきゃいけないんだけど、ハインズはどう? 私たちのところで引き続き働いてもらうのは?」
「うん、もちろんいいよ。元の屋敷は誰もいなくなるから、彼らの再就職先も探さなきゃだし」
そんなことを話しながら白い小道を歩いていると、行く先に小さな教会が見えてきた。この道は何度も一緒に歩いているが、エリオットが初めて教会について言及してきた。
「ねえ、ビアトリス。そういや僕たちまだ式を挙げてないね」
「やだ。今更そんなこと気にしているの?」
「うん……君に申し訳ないもの。ちゃんとした式を挙げて、新しく入って来た奥さんを歓迎して……っていう当たり前のことを一切やらなかった。思えばすごく失礼な初対面だったね」
エリオットはすまなそうに笑いながら地面に目を落とし、再び顔を上げた。
「もしよければだけど、この教会で結婚したことを神様に報告しようか。特別神様を信じてるわけじゃないけど、小規模でもちゃんとやっておきたいと思って。もちろん、王都で盛大にやるのがいいならそれでもいいよ」
「あなたがそんなことを考える人とは思わなかったわ。正直意外」
「僕だって常識くらいあるさ。でも、今は君と結婚したという証が欲しくて。本当の夫婦になって、末永く一緒に暮らすわけだから」
末永く一緒に暮らす、というフレーズが昔話のエンディングのような気がしてビアトリスはクスクス笑った。この人と一緒なら最期の日まで幸せに暮らせるだろう。
「分かった。二人だけの式を挙げましょう」
「ありがとう。実は前から準備してたんだ。急ごしらえだけど指輪も用意していて」
エリオットはそう言うと、懐から結婚指輪を取り出した。散歩のついでに思いつきで言ったのではなく、ずっと計画していたことらしい。それを聞いたビアトリスは純粋に喜んだ。エリオットは他にも、ウェディングドレスを用意してやれなくてごめんとか、やっぱりみんないる時の方がいいかな? などと言っていたが、彼の真心さえあればそれ以外はどうでもいい。
教会に入ると、神父は既に話を受けていたようで、エリオットを見てにっこり笑った。とんとん拍子に準備が行われ、二人は神の前で誓いの言葉を述べた。豪華なドレスも盛大な祝福もない簡素な式だが、この上なく神聖で尊いひと時だ。指輪をはめてもらった時、エリオットと目が合い優しい微笑みを交わす。これだけで十分だ。
「これで私たち名実ともに夫婦になったのね」
無事式が終わり、教会を出たところで、ビアトリスが、指輪がはまった手を太陽にかざしながら言った。
「いいや、まだだよ。まだ僕はお預けを食らっている。前はアンジェリカに邪魔されたもの。今度は二人だけで住むんだよね?」
「ちょっと……! こんなところで言うのやめてよ!」
ビアトリスはにわかに顔が真っ赤になった。彼の言わんとしていることが理解できてしまって恥ずかしい。
「じゃあ、ビアトリスはこのままでいいの? 一生何もなく……」
「別にそんなこと言ってないでしょ! だって、あなたの事大好きだもの——」
ビアトリスはそう言うと、エリオットの首に両手を回し、顔を近づけて唇に軽いキスをした。
「はい。今はこれだけ。続きは夜になってからね」
「いつそんな小悪魔的な誘い方を覚えたの? それにこんなかわいいことされたら夜まで待てると思う?」
それを聞いたビアトリスは、声を出して笑い楽しそうに駆け出した。エリオットも楽しそうに追いかける。幸せな夫婦はじゃれ合いながら、どこまでも笑い声を響かせていた。
★★★
初々しい新婚夫婦の旅路にお付き合いくださり、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
恋愛小説大賞エントリー中です。
完結記念に清き一票をお願いします!
「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
「連載終了おめでとう。ビアトリス・ブラッドリーの名は広く知れ渡った。もうどこに出ても恥ずかしくない一人前の作家だ」
「ありがとうございます。編集長にはどれだけお世話になったか分かりません。私一人では不可能でした」
「楡の木」の編集部では、ビアトリスの連載小説の最終回が載った号を刊行したばかりで、お祭りムードになっていた。彼女の小説は人気を博し、好評のうちに幕を閉じた。小説家としても名を上げ、他社からの依頼も来ている。「楡の木」の部数増にも大きく貢献した。
マークだけでなく、他の社員からも次々にお祝いの言葉を言われて、ビアトリスは嬉しいやら恥ずかしいやらだった。しかし、浮かれてばかりもいられない。一通り終わったところで、マークに伝えなければならないことがあった。
「明日から一週間ほど休暇をいただきたいのですが」
「ご主人が退院するんだって?」
「ええ。静養先を引き払って王都に戻って来るんです。その準備をしなきゃいけないし、帰ったら新居も探さなきゃなので」
「そうか。また忙しくなるね。気を付けて行ってらっしゃい」
マークに快く送り出されて、ビアトリスはエリオットが静養している保養地に足を運んだ。エリオットは、病院での治療が終了した後、自然が豊かで空気のきれいな保養所で、体力を回復させるため静養に入った。王都から距離があったが、ビアトリスやセオドアたちは足繁く会いに行った。そんな生活も無事終わり、いよいよ彼が王都に戻って来る。
「やあ、ビアトリス。まだ荷造りが終わらないんだ。荷物が多すぎて」
開口一番、エリオットは困ったように笑いながら言った。顔色もよくなり、体力もほぼ戻っている。毎日欠かさず散歩や運動をしていたため、前よりも健康的になった。
「こっちにまで仕事を持って来ていたものね。部屋ごと移動したようなものね。どうするの、これ?」
ビアトリスは、本と書類まみれの彼の部屋を呆れた表情で眺めた。原稿を書く分には全く支障ないため、エリオットは仕事を静養先に持ち込み、原稿執筆をしていた。郵送で原稿をやり取りするのは地下室にいた時と変わりないので特に不自由はない。仕事に必要な資料を取り寄せているうち、数か月の間に物が溢れかえってしまった。
「どうしよう、ねえ? またセオドアを呼ばなきゃ駄目かな? きっと怒られるだろうな」
そう言いながらもエリオットの表情は明るい。最近、他人に頼る時も負い目に感じなくなってきたようだ。自分を見つめ直すきっかけできて、前より自信がついてきたからだろうとビアトリスは解釈している。変に自分を責めたり、自嘲したりすることが減って来た。
二人でできるところまで整理したあと、気晴らしにと外に散歩にでかけた。この保養地は冬でも温暖で海にも近い。海岸沿いの遊歩道を二人で歩く。エリオットはまだ杖を使用していたが、それもそろそろ必要なくなってきた。
「あれからユージンから連絡は来た?」
開放的な景色につい心を許し、少し聞きにくいことを尋ねてみた。あれからユージンは、エリオットへの傷害と公文書偽造の罪に問われ、裁判にかけられた。高位貴族なので減刑されたが、国外へ逃げ戻って来る見込みはない。社交界のプリンスとうたわれたユージンがこのような事件を引き起こしたと報じられた時は、世間は大層な騒ぎとなった。
「いいや。多分これからもないと思う。これでよかったんだ、二人別々の道を歩むのが」
「本当にそう思う?」
「ああ。長い呪縛から解き放たれた気分だ。兄様のことは別に恨みに思っちゃいない。どこかで幸せに暮らしてくれればと思う」
ビアトリスは彼の顔を覗いたが、本心を隠しているようには見えなかった。彼のさっぱりした表情を見て、ようやく彼女も納得できた。
「それより、そっちの実家も大変だったんじゃないの?」
「うちのことはどうでもいいわよ。ミーガンが、婚約話が解消されたのは私のせいだとか騒ぐんだもの。全くふざけないで欲しいわ!」
「ハハハ。それはとんだとばっちりだね」
「それより大事なことがあった。新しい家の使用人を決めなきゃいけないんだけど、ハインズはどう? 私たちのところで引き続き働いてもらうのは?」
「うん、もちろんいいよ。元の屋敷は誰もいなくなるから、彼らの再就職先も探さなきゃだし」
そんなことを話しながら白い小道を歩いていると、行く先に小さな教会が見えてきた。この道は何度も一緒に歩いているが、エリオットが初めて教会について言及してきた。
「ねえ、ビアトリス。そういや僕たちまだ式を挙げてないね」
「やだ。今更そんなこと気にしているの?」
「うん……君に申し訳ないもの。ちゃんとした式を挙げて、新しく入って来た奥さんを歓迎して……っていう当たり前のことを一切やらなかった。思えばすごく失礼な初対面だったね」
エリオットはすまなそうに笑いながら地面に目を落とし、再び顔を上げた。
「もしよければだけど、この教会で結婚したことを神様に報告しようか。特別神様を信じてるわけじゃないけど、小規模でもちゃんとやっておきたいと思って。もちろん、王都で盛大にやるのがいいならそれでもいいよ」
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末永く一緒に暮らす、というフレーズが昔話のエンディングのような気がしてビアトリスはクスクス笑った。この人と一緒なら最期の日まで幸せに暮らせるだろう。
「分かった。二人だけの式を挙げましょう」
「ありがとう。実は前から準備してたんだ。急ごしらえだけど指輪も用意していて」
エリオットはそう言うと、懐から結婚指輪を取り出した。散歩のついでに思いつきで言ったのではなく、ずっと計画していたことらしい。それを聞いたビアトリスは純粋に喜んだ。エリオットは他にも、ウェディングドレスを用意してやれなくてごめんとか、やっぱりみんないる時の方がいいかな? などと言っていたが、彼の真心さえあればそれ以外はどうでもいい。
教会に入ると、神父は既に話を受けていたようで、エリオットを見てにっこり笑った。とんとん拍子に準備が行われ、二人は神の前で誓いの言葉を述べた。豪華なドレスも盛大な祝福もない簡素な式だが、この上なく神聖で尊いひと時だ。指輪をはめてもらった時、エリオットと目が合い優しい微笑みを交わす。これだけで十分だ。
「これで私たち名実ともに夫婦になったのね」
無事式が終わり、教会を出たところで、ビアトリスが、指輪がはまった手を太陽にかざしながら言った。
「いいや、まだだよ。まだ僕はお預けを食らっている。前はアンジェリカに邪魔されたもの。今度は二人だけで住むんだよね?」
「ちょっと……! こんなところで言うのやめてよ!」
ビアトリスはにわかに顔が真っ赤になった。彼の言わんとしていることが理解できてしまって恥ずかしい。
「じゃあ、ビアトリスはこのままでいいの? 一生何もなく……」
「別にそんなこと言ってないでしょ! だって、あなたの事大好きだもの——」
ビアトリスはそう言うと、エリオットの首に両手を回し、顔を近づけて唇に軽いキスをした。
「はい。今はこれだけ。続きは夜になってからね」
「いつそんな小悪魔的な誘い方を覚えたの? それにこんなかわいいことされたら夜まで待てると思う?」
それを聞いたビアトリスは、声を出して笑い楽しそうに駆け出した。エリオットも楽しそうに追いかける。幸せな夫婦はじゃれ合いながら、どこまでも笑い声を響かせていた。
★★★
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