結婚は人生の墓場と聞いてましたがどうやら違ったようです~お荷物令嬢が嫁ぎ先で作家を目指すまで、なお夫は引きこもり~

雑食ハラミ

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第35話 失うのと引き換えに得たもの

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ビアトリスの金切声と共にエリオットの体がゆっくり傾く。左のわき腹から吹き出す鮮血が嫌でも目に飛び込んでくる。駄目だ、こんなの到底受け入れられない。脳が許容量を越えそうになった時、本能が回避策を取った。

「誰か、誰か来てーー!!」

半狂乱になりながらありったけの声で叫ぶ。恐怖心よりもショックで自分の保身すら思い至らない。しかし、衝撃を受けているのは彼女たちだけではなかった。ユージンもまた、血の気のない顔で信じられない様子で立ち尽くしている。何が起きたか理解が追い付かないようだ。

「エリオット……お前」

「言っただろ……全部お見通しだって……」

気のせいだろうか。その瞬間、エリオットが顔を歪めて笑ったのは。

「エリオット! 喋っちゃ駄目!」

ビアトリスはずり落ちるように倒れるエリオットに駆け寄り、必死で傷口を抑えた。銃弾は左のわき腹に当たり、血がとめどなく溢れている。

「ごめんね……心配ばかりかけて。でもこれしかなかった。守りたくて……」

「黙ってと言ったでしょう!」

「会えてよかった……幸せになってほしい……」

「あなたとじゃなきゃ幸せになれない! すぐに医者を呼ぶから待って!」

そんなさ中にも、ユージンはうわごとのように「俺じゃない……俺じゃない!」と叫んでいたが、彼を顧みる者はいなかった。

それから間もなくセオドアが駆け付けた。彼が見た光景は、血だまりの中に倒れるエリオットと彼を支えるビアトリス、逃げることも忘れ抜け殻のようになったユージン、汗だくになって救援を呼ぶアンジェリカという有様だった。

その後の記憶は曖昧だ。一刻も早くエリオットは病院に運ばれ、ユージンの身柄は確保された。残されたビアトリスが、べったり血液が付着したまま取り乱して泣き叫ぶところを、アンジェリカとセオドアは必死になって取り押さえた。

「気を確かに! まだ若いしきっと大丈夫だよ。それより、君の方が心配だ。このままでは先に駄目になってしまう」

「そうよ! あなたが落ち着かなきゃエリオットだって安心できないわ。どうか落ち着いて!」

「わざとだったの。わざと撃たせたの」

「何だって?」

うわごとのように放ったビアトリスの一言に、セオドアはぎょっとして聞き返した。

「エリオットはユージンの手を取って、わざと自分に銃口が向くようにして引き金に手をかけたの。ユージンがやったように見せかけて、自分で引き金を引いたのよ」

「まさか、あなた見ていたの?」

ビアトリスは、涙でグチャグチャの顔で頷いた。

「まさか……なぜそんなことを?」

「おそらく……ユージンに対抗できる唯一の手段だから。直接戦っても勝てないから、彼を嵌めるために自分が囮になった。自分を撃たせることで彼を犯罪者にすることに成功した」

「バカな……そんなことをしたら、下手したら死んでしまうのに。もしかして、ユージンと刺し違えるつもりだったのか?」

ビアトリスは何も答えなかった。でもそういうことなのだろう。エリオットの覚悟の深さに恐れおののく。そこまでしてユージンを葬る覚悟だったのだ。

(きっと私のため。自分だけならそこまでしなかった。ユージンが私に執着するのを止めるためにやったんだわ)

今なら分かる。エリオットはそう言う人だ。自分の大切なものを守るためなら、自分自身の命すら簡単に捨てられる。もっと突き詰めると、自己犠牲の精神というより、どこか壊れている人なのだろう。ユージンはそこを見誤った。エリオットの底知れなさを見破れなかったのだ。

「そんなことしなくてよかったのに……! 彼のいない世界なんて私には何の価値もない! もしものことがあったら……私……」

そう言うと、ビアトリスは両手で顔を覆って嗚咽した。セオドアとアンジェリカはそんな彼女を抱きしめ、背中をなでてやることしかできなかった。

***********

何とか致命傷を免れたものの、出血量が多くて一時は危なかったと後で聞かされた。しかし、結論から言うと、エリオットは一命をとりとめた。回復までに時間を要したが、ようやく面会できるところまで漕ぎつけることができ、許可が出た途端、ビアトリスは彼に会いに病院に飛んで行った。

「顔がやつれてる。心配かけてごめんね」

これがエリオットの第一声だった。

「あなたいつも謝ってばかりいる。何も悪いことなんかしてないのに」

そう言うと、ビアトリスはベッドの傍らの椅子に腰かけた。消毒薬の匂いに包まれた殺風景な病室。エリオットは、まだ身を起こすこともできない状態だった。貧血が続いているらしく顔色は青い。目の下の隈も一層ひどいが、それでも弱々しい笑みを浮かべるくらいには回復した。

「謝っている方が気が楽なんだ。ねえ、連載はどうした?」

こんな時でもビアトリスの執筆活動を気にするなんて。ビアトリスは驚きつつも、心配させないように、努めて明るい声で答えた。

「何にも手に付かなくて休載させてもらったわ。大丈夫、みんな理解してくれている」

「僕のせいだよね……君の仕事に穴をあけるようなことになってすまない」

「やめてよ! あなたが一番大事だもの仕方ないじゃない。よかった。無事でいてくれて」

ビアトリスは、さっきから何かもどかしくて仕方なかった。いつものエリオットでいつもの会話だ。しかし、もう前のようには戻れない。彼女は息を大きく吸うと、囁くような声で尋ねた。

「ねえ、どうしてわざと自分を撃たせるようなことをしたの?」

それを聞いたエリオットはわずかに目を大きく開く。

「見ていたの? まさかバレるとは思わなかった」

「あなたのことはいつでもちゃんと見ているわ。アンジェリカは気付かなかったようだけど、私のいるところからは見えた。あなたが引き金に指をかけるのを」

いつもと変わらない調子で彼女がそう言うと、エリオットは天井を向いたまま、遠くを見やるような目つきになって、何やら思案顔になった。

「東洋に『窮鼠猫を噛む』という諺があるんだって。猫に追い詰められた鼠が破れかぶれになって身の危険も省みず飛びかかるって意味。僕も鼠のようなものだ。あれしか手立てはなかった」

「自分の身を大事に思ったり、恐怖感を感じたりすることはなかったの?」

「そう言えばなかったな。全然迷いがなかった」

一切の躊躇なく彼は答えた。その横顔をビアトリスはじっと見つめる。そのままどれくらい時間が過ぎただろう。言うべきか、言わざるべきか。しかし、二人が前に進むためには行動しなくてはならない。彼女は意を決して口を開いた。

「私は、あなたのそう言うところが怖い」

ビアトリスは、一句一句噛みしめるように言った。病み上がりの人にかける言葉ではないのは分かっていたが、どうしても伝えなくてはならない。これからも彼と一緒にいたいから。

「あなたは自分自身の命を軽く考えている。私はこんなに大切に思っているのに、いつかある日ふっといなくなってしまうんじゃないか、そんな恐怖がどこまでもつきまとうの。あなたはそう言う人だって今回分かった。正直言ってユージンよりもそのことが怖い」

「……うん。それについては、僕はこういう人間だとしか言いようないんだ。多分、必要ならまた同じことをすると思う。こんな奴、得体が知れなくて気味悪いよね。でも自分でもどうすることもできない。いくら考えても、これ以外の答えが見つからない。昔から自分は他人と比べてどこか違うと思ってた。何か大事なものが欠落しているような気がしていた。こういうことだったのか。やっと分かった……」

エリオットはそこまで言うと、少し疲れたのか目をつぶった。

一方、ビアトリスは、彼の話を聞いているうちに、我知らず涙を流していた。何もしてやれないという悔恨か、結局何の手立てもないと悟った諦観か。どんな感情から来るものなのか自分でも分からない。

彼をこんな風にしたのは生い立ちのせいもあるんだろう。しかし、本当の意味で救いの手を差し伸べる者はいなかった。一人でも生き延びようと彼なりに工夫した結果こんな風になってしまった。今更矯正できるとも思えない。

「それでも私はあなたがいい。あなた以外に考えられない」

ビアトリスは、絞り出すような声で言うと、抱きしめる代わりに彼の顔に近づいて、愛おしそうに頬をすり寄せた。

「じゃあ、ずっと一緒にいて。僕がどこかに逃げ出さないように手を握って欲しい。人生が終わる日までずっと」

「うん。絶対離さない。残りの人生あなたと一緒に生きる。楽しい思い出をいっぱい作るの。そして笑いながら死ぬのよ」

エリオットは首を曲げて彼女を見つめると、ふっと顔をほころばせた。そして布団から片手を出して彼女の手を握りしめる。それだけで全てが満たされた。



★★★

最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
自戒はエピローグです。その前に清き一票をお願いします!

「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。

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