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第31章 彼と同伴出勤なのです

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朝の光で目覚めるのはいつぶりだろう。毎日日が昇った後に起きているはずなのに真っ先に思ったことはそれだった。ヒースはカーテンから漏れる朝日に目を細めた。見慣れない部屋、感触の違うベッド。ぼんやりした頭で考えをまとめる。そしてふと横を向くと、あどけない顔で眠るバイオレットがいた。

(バイオレット……!)

一気に夜の出来事がよみがえる。バイオレットに抱き着かれて懇願されて気付けば—— ヒースは、真っ赤になりながら布団の中でじたばたした。そしてすやすやと眠るバイオレットに恐る恐る顔を向けた。

(かわいい……眠っている顔もかわいい……)

そっとなら触れても起きないだろうか。ヒースはバイオレットの短くなった髪を手に取ると、くるくると指に絡めて遊んだ。この平和な時間がずっと続けばいいのにと思いながら。

やがてバイオレットが小さくうめいたので慌てて手を引っ込めた。バイオレットはうーんと伸びをすると、隣のヒースに気が付いた。そして、すみれ色の瞳を向け、とろけるような笑顔で「おはよう」と囁いた。

駄目だ。ヒースは感極まって思わず彼女を抱きしめた。

「く、苦しい」

バイオレットが助けを求めると、慌てて手を緩めたがそれでも抱きしめるのをやめなかった。

「バイオレット、ごめん、ごめん。触れてはいけなかったのに。好きな気持ちを抑えられなかった僕が悪い。本当にごめん」

「なんで謝るの? 全て私が仕組んだことよ。あなたと一緒にいたいから」

バイオレットはヒースの胸の中にすっぽり包まれたまま話しかけた。

「ずっと私のこと神格化しているけど、そんなきれいな人間じゃないって分かったでしょ。自分から男性を騙して押し倒すようなはしたない女なの。貞操や慎みなんてどうでもいい淫らな女なのよ」

結局彼女にそこまでさせてしまったのは自分の責任だ。自分が勇気を出せなかったから彼女に無理をさせてしまったのだ。ヒースはますまず申し訳ない気持ちで一杯になった。

「そっ、そうじゃない! 僕だって君以上に望んでた……なのに勇気がなかったから……」

「ごめんは禁止」

ふと、バイオレットはヒースから身体を離すと、冷静な声でぴしゃりと言った。

「えっ?」

ヒースは驚いて思わずバイオレットを見つめた。

「申し訳ないと思ってるならごめんじゃなくて、ありがとうと言って。あなたは何も悪いことをしているわけじゃないんだから謝るのはおかしいでしょ」

「えっ……えっと……」

すっかり謝りなれていたヒースはいざ別の言葉を使うとなると、うまく口が回らなくなった。しばらく考え抜いてやっと言うべきことを決めて、バイオレットに向き合った。

「……ありがとう、バイオレット。僕を選んでくれて。誰かに愛されるってすごく幸せだ」

これが自分の偽らざる気持ちだった。「ごめん」から「ありがとう」に変えたらこんなに素直に自分の気持ちを表せるものなのか。

「どういたしまして」

バイオレットはにっこりと微笑みかけた。駄目だ、かわいい。ヒースはたまらなくなり、キスの雨を降らせた。なぜこんなに愛しい人を他の男に託そうとしたのか、今となっては全然分からない。

ベッドの中でもぞもぞしているだけで時間は過ぎていく。そろそろ仕事に行かなくてはならない時間になった。

「今日も休むように連絡するよ」

「駄目よ、行かなきゃ。女のせいで駄目になったと言われるわ」

ヒースは全ての仕事を投げうってもいいような気持ちになっていたが、性格上それが実際には不可能であることも分かっていた。

カジノは夜に開店するため出勤はお昼ごろの時間となる。先に来ていたウィルは、ヒースの傍らにバイオレットがいるのを見て驚いた。しかも、昨日と打って変わって最新のファッションに身を包みきれいに生まれ変わっている。

「バイオレットさんもご一緒なんですか!」

「こんなところに足を踏み入れない方がいいと言ったんだがどうしても聞かなくて……」

ヒースは明らかに困りはてた様子だったが、バイオレットの頼みと聞いて断れなかったようだ。

「私のわがままでごめんなさい。職場に女を連れ込んだなんて変な噂が立ったら嫌よね。でも普段のヒースの様子がどうしても見たくて」

バイオレットは、ヒースの腕にしがみついたまま弁解した。明らかに昨日より二人の距離が縮まっている。1日の間に二人の間に何があったかウィルは察してしまって、心の動揺を隠すようにそっと眼鏡を中指で上げた。

「おはよ~、やだ、バイオレット、すっかり垢抜けたじゃない! 素敵よ! 紹介したサロンよかったでしょ?」

アネッサが騒々しく登場した。今日もメイクと服装はばっちりである。緑色のベルベットのワンピースにガーネットのネックレスという組み合わせがよく似合っていた。

「はいっ! 昨日はありがとうございました! お陰で別人みたいに生まれ変わりました!」

バイオレットは元気よく答えるとくるっと一回りしてみせた。

「元がいいから少し磨くだけで見違えるのよ。今度は私が一緒に行ってアドバイスしたいわ~。ヒースはそういうの下手でしょ」

「アネッサ、軽口はいいから今日一日バイオレットの相手をしてやってくれ。何かあったらウィルも手伝ってほしい。俺はこれから手放せない案件があるから、それが終わったらそっちへ行く」

ヒースはそう言うと、バイオレットに一瞬目配せしてから執務室に入って行った。目配せだけじゃ物足りないとつい思ってしまったバイオレットは、一人赤面した。

「姐さんだけでなく俺もだなんて、随分バイオレットさん大事にされてますね」

ウィルは閉まったドアを見やり軽くため息をついた。

「ごめんなさい。私のお守り役なんて面倒なことさせてしまって。お二人とも本来の仕事があるのにご迷惑をおかけします」

バイオレットは二人に頭を下げて言った。

「いいのよこのへそ曲がりは放っといて。照れ隠しで言ってるだけだから。内心デレデレしてるに決まってるわ。それより、何かしたいことある? ショッピングでもグルメでも何でもあるわよ」

「それならカジノがどんな風になっているか見てみたいです。まだオープン前ですけど大丈夫ですか?」

バイオレットは、ヒースがオーナーを務めるカジノがどんなところか興味を持っていた。彼は自分自身のことを語ることが少ないから、ぜひこの機会に直接見て見たかったのだ。

「もちろんよ! 私に任せて!」

アネッサは、まだ掃除をしている広い店内を案内した。広々とした吹き抜けの天井に大きなシャンデリアがいくつも吊るされている。床は真紅の絨毯張りで、ゲームをするテーブルは重厚なマホガニー材が使われていた。二階に繋がる大階段は末広がりになっており、舞踏会も開けそうな豪華さだ。贅を尽くした内装にバイオレットはただただ見入っていた。お城ですらここまで煌びやかではないのではないか。アネッサは、これは何々、これは何々とゲームの種類をすらすら説明し、VIPルームやバーなどの付属施設も見せてくれた。

「まだお客が入ってないから静かだけどね、店が開くとすごくうるさいのよ。上客になるとこういう個室でゆっくりくつろいだりするの。銀幕のスターや政治家がお忍びで来ることもあるわ。だから守秘義務はとても大事。信用問題に関わるから」

バイオレットにとって、圧倒されることばかりだった。政治家やスターなんて聞いても雲の上の存在に思える。その頂点に立っているのがヒースだなんてにわかに信じられなかった。彼女の前で見せるナイーブな様子からは、とてもそんな大仕事を成し遂げるようには思えない。

「他の場所ではそれをネタにゆすりたかりが横行することもあるから、うちみたいなところは重宝されるんだ。マフィアが付け入ろうとしょっちゅう狙っているが、ボスは許さないから」

何だかんだ言いつつ一緒に着いて来たウィルが補足の説明を行った。アネッサの言う通り内心はバイオレットと一緒にいられて喜んでいるのだが、そんな様子はおくびにも出さなかった。

「カジノはマフィアとつながりがあるってみんな言ってたけど、そんなことないの?」

バイオレットがかねてから疑問だったことを口にした。ずっと気がかりだった。ヒースがそこまで引け目に感じている仕事とは実際どこまでダーティーなのか、包み隠さず知りたかった。

「ああ……それは……」

ウィルはわずかに顔を曇らせた。

「確かに完全に縁を切ることはできない。そもそもここはマフィアの関係者が作ったカジノだから。しかし、ボスがオーナーになってから少しずつ関わりを少なくしているのは事実だ。セレモニーやパーティー、接待などの表向きの仕事はみんな部下に任せる代わりに、借金の回収とか汚い仕事はボスが請け負っている。それまでマフィアに頼んでいたことを自分でやるようになったんだ。ただでは向こうも手を引かないからみかじめ料を払ってね。その代わり借主に対しては利子を下げることで生かさず殺さず遇して却って回収率を上げたり——ボスはその辺の采配が上手なんだな。別に優しくないけど、締め付ければいいってもんじゃないとよく分かっている。一人で汚れ仕事を請け負っていることになるが、その代わり残りのスタッフは気持ちよく働けるから全体の利益も上がる。まあこんなカラクリだ」

それを聞いたバイオレットは深く考え込んだ。

「ということはヒースはここになくてはならない人材なのね」

「そりゃそうよ。あの人誰に対しても愛想ないけど、隠れたところでは、部下にはかなり慕われているの。ただし、ボスは相当プレッシャーがかかってると思うわ。全部一人でため込むタイプだから」

二人の話を聞くと、このカジノの隆盛はヒースに負うところが大きいらしい。楽しそうではないが、仕事に対する責任感はあるだろう。彼がここを離れるとは考えにくい。しかし、バイオレットにもヘイワード・インがある。彼女が何もかも捨ててヒースの元に走るのは現実的ではなかった。ヒースもそれを望まないだろう。ではどうすればいいのか? 離れて暮らすなんて耐えがたい。ずっと一緒にいたい。でも、バイオレットは、ヒースに何もかも捨てて自分のところへ来いとは言えなかった。バイオレットにとってのヘイワード・インがヒースにとってはエルドラドに当たるなら、そんな残酷なことはとてもできなかった。
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