暁のカトレア

四季

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episode.55 ならば私が

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 リュビエのところへゼーレを残してきたことには、少々不安がある。

 彼はグレイブの拷問に近しい行動によって、体のいろんなところに傷を負っていた。ある程度時間が経っているとはいえ、まだ完治してはいないだろう。先ほどまでの動作を見ている感じでは、一応、何もなさそうではあった。けれども、完全に本調子とまではいかないはずだ。

 そんな状態の彼をリュビエと戦わせるのだから、どうしても不安になって仕方がない。

 だが、それでも私は進むことを止めなかった。
 せっかくここまで来たのだ、絶対にトリスタンを助けなくては。

 トリスタンを助けられなかった、なんてことになってはまずい。もしそんなことになれば、今度は私の身が危ないし、ゼーレに怒られそうだ。

 黒い床を蹴り、駆けてゆく。

 見つめるは前だけ。


 広間をしばらく走り続けていると、やがて、鉄で作られた格子が視界に入った。どうやらここが行き止まりのようだ。これ以上直進はできない。

「これ以上は行けないわね……」

 立ち止まり辺りを見回す。
 そんな時、どこからともなく、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「マレイちゃん?」

 それは、私が何よりも聞きたかった声。
 優しく穏やかな、トリスタンの声に違いなかった。

「トリスタン!? トリスタン、どこにいるの!?」

 私はキョロキョロしながら叫んだ。

 精一杯見回してみても、トリスタンの姿は見当たらない。
 けれど、先ほどの声が彼の声であることは明らかだ。彼はこの近くにいるはずである。しかし見つけられない。

「トリスタン! どこ!?」

 もう一度、声をかけてみる。

 すると。
 数秒経ってから返答が聞こえてきた。

「多分近いと思う。格子の奥だよ」

 格子の奥。ということは、目の前の鉄格子を破壊して、中へ進まなくては会えないのだろう。

 こんなしっかりとしたものを果たして壊せるのか? いささか疑問ではある。けれど、やるしかない。トリスタンを一刻も早く救出するためには、「壊せるのか?」と考えることよりも、行動することの方が重要だ。

「待っていて、トリスタン! すぐに行くわ!」

 私はそれだけ言うと、鉄格子を破壊するべく行動を開始する。
 方法はゼーレの拘束具を破壊した時と同じだ。腕時計から赤い光球を放ち、対象物を砕くのである。私がとれる方法はそれしかない。

 ——鉄格子は予想以上に頑丈だった。

 ゼーレの拘束具は数回で砕けたが、今回はそう容易く破壊できそうにはない。

 だが、このくらいで諦めたりはしない。もう少しでトリスタンに会える。その想いだけで、私は頑張れる。私を新しい世界へ連れ出してくれたトリスタンのためだ。大丈夫、まだやれる。

「マレイちゃん、何をしているの?」
「今、格子を壊そうとしているところよ!」
「多分無理だよ。その格子、凄く硬いんだ」
「硬いかもしれないけど、トリスタンを助けなくちゃならないでしょ! まだ諦めないわ!」

 もう止めてくれ、とでも言いたげなトリスタンの声に、私は少し腹が立った。

 苛立ちと焦りが混ざり、光球が上手く格子に当たらない。コントロールが乱れてきてしまっている。そのことが、余計に私を苛立たせる。

「もうっ……」

 早くしなくては。敵が来る前に、トリスタンを連れ出さなくては。
 なのに、鉄格子が邪魔をする。

 苛立ちがついに頂点へ達した私は、すべての苛立ちを込めた一撃を放つ。

「いい加減にしてっ!!」

 そうして放たれた赤い光球は、苛立ちがこもっているゆえか、いつもよりも大きかった。おかげでそれは鉄格子に命中し、鉄格子を砕くことに成功。

 これで中へ入ることができる。
 予想以上に時間を使ってしまった私は、急いで、鉄格子の向こう側へと進んでいった。


「トリスタン!」
「マレイちゃん!」

 私とトリスタンがお互いの姿を見、お互いの名を口から出したのは、ほぼ同時だった。

 前にもこんなことがあった記憶がある。懐かしい。

「トリスタン! 生きていたのね!」

 私は、片膝を立てて床に座っていたトリスタンに、大急ぎで駆け寄る。

 さらりと流れる金髪も、神の子と勘違いされそうな整った容貌も、健在だった。彼がちゃんと生きていたことを知り、私の中の喜びは大きく膨らむ。

 駆け寄った私がトリスタンの手を握ると、彼は不思議そうに首を傾げた。

「どうしてマレイちゃんが?」
「助けに来たのよ」
「ありがとう。それはもちろん嬉しいよ。だけどマレイちゃん、誰とここまで来たの?」

 トリスタンの問いに、私は言葉を詰まらせる。このタイミングで「ゼーレと」なんて言いづらい。

 けれども、それ以外に言えることなどありはしない。
 だから私は、正直に答えることにした。

「ゼーレよ」

 するとトリスタンは、困惑したように数回まばたきする。そして、私をじっと見つめてきた。
 深みのある青い双眸に見つめられると、嬉しいような恥ずかしいような、何とも言えない複雑な心境になる。ただ、新鮮な果物のような瑞々しい感覚は、嫌いではない。

「ゼーレがこの場所を吐いたということ?」
「いいえ。一緒に来てくれたの」

 私が簡潔に答えると、トリスタンは何か閃いたような表情になる。

「それって、マレイちゃんをはめるつもりなんじゃ……!」

 誰だってそう思うだろう。元々は私を捕らえる任務を受けていたゼーレを信じられないのは仕方ない。いや、むしろ疑って普通だ。

 だが、私には、ゼーレが騙そうとしているとは思えなかった。
 そもそも、あの不器用なゼーレに、他人を十分に騙す演技ができるとは、考えられない。

「それは違うと思うわ。ゼーレは信用するに値する人よ」
「信用するに値する? それは僕には分からないな」

 トリスタンは納得がいかないようだ。

「ゼーレはこれまで何度も君を襲った。そして無理矢理連れ去ろうとしたよね。だから、僕は彼を信用できないよ」
「聞いて、トリスタン。彼は変わってきているの。もうあの時とは——」

 言いかけて、口を閉じる。

 というのも、私の背後から大蛇の化け物が現れたからだ。

「そんな……」
「下がって! マレイちゃん!」
「駄目よ!!」

 私を庇おうと前へ出かけたトリスタンを、慌てて制止する。腕時計無しで大蛇の化け物と戦うなど、危険すぎるからだ。

 それに加え、彼にあまり無理させたくないというのもある。

 私の腕時計を貸せば、恐らくは戦えることだろう。しかし、体の状態が不明なトリスタンに戦わせるのは、嫌だ。

「駄目よ、じゃないよ。マレイちゃんまで巻き込むわけにはいかないんだ」

 それは優しさなのだろう。
 けれども、私が求めてはいない優しさだ。

「なら、私が戦うわ!」

 無謀かもしれない。
 でも、トリスタンに無理をさせないためなら、私はやってみせる。

「マレイちゃん、何を言って……」
「化け物は私が倒すわ」
「無理だよ! そんなの!」

 トリスタンには何度も護ってもらってきた。
 今度は私がトリスタンを護る番だ。

「貴方に指導してもらってきたもの、大丈夫よ」
「だけど……」
「大丈夫。任せて」

 戦闘の師であるトリスタンの目の前で、というのは緊張するが、これもまた運命なのだろう。

 今こそ、成果を見せる時だ。
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